デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

傍迷惑な前哨戦 4

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 山頂に着いたのは日暮れが過ぎて、半刻ほど経った頃となった。
 結局エイラは最終的にアダルベルトに抱えられて山頂へ連れて来られた。
 山頂では既にテントが張られており、暖かいスープが皆に配っている最中だった。


 エイラも休憩用のテントへ案内され、魔術師の一人からスープを分けてもらう。
 琥珀色のスープには玉ねぎが浮かんでいて、口にすれば玉ねぎの甘みと、スープの塩辛い味が程よい加減でエイラの体を温めてくれる。


 ギリファンがエイラの体調を確認しにテントへ入るやいなや、ライマール達に雷が落とされる。
 靴を脱いだエイラの両足には、至るところに痛々しい靴擦れができ、足首も少し腫れていたためだ。


「お前達! 揃いも揃って女をなんだと思ってるんだ!! 見ろ! この足を!! 靴擦れがめくれ上がっている!! 化膿したらどうするんだ!! こっちは軽く捻挫を起こしてる!! エイラ様もこうなる前にきちんと伝えてくれないと困ります!!」
「……すまん」
「すみません」


 エイラとライマールが身を縮こめてギリファンに謝る。
 トルドヴィンとアダルベルトも、流石に配慮が足りなかったと肩を竦める中、ギリファンはぶちぶちと文句を言いながらも、エイラの足を温めながら軟膏を塗り、包帯を巻いていった。


「捻挫の方はそう酷くないですから、魔法薬で明日の朝には完治してるでしょう。ですが靴擦れだけは自然完治に任せるしかないので、後を残したくなかったら無茶はしないで下さい」
「はい、すみません」


 肩を竦めながらエイラは謝ると、不謹慎と知りつつも「ふふっ」と笑みが漏れる。
 その笑顔に誰もが驚いてエイラを見つめると、エイラは「あっ……」と声を漏らして、慌てて片手で口を押さえた。


「すみません。叱られるのは久し振りで、なんだか嬉しくって。反省はしてます。本当です」


 チラリとエイラが上目使いで皆の顔色を伺えば、誰もが「うっ……」と、頬を染めて息を飲み込んだ。


「……ファー、見てごらん。これが女性らしさ、奥ゆかしさと言うものだよ?」
「やかましい!!」


 刻一刻と迫る奪還作戦の前夜とは思えないほどの和やかな雰囲気に、エイラは目を細めて皆を見渡す。
 戦いと言うものとは無縁の世界で生きてきたエイラには、この先のことなどまるで想像がつかない。
 命懸けの戦いということにいまいち実感は湧かない。
 それはこの場にいた誰もがそんなことを微塵も感じさせないように努めていたためなのかもしれない。
 しかし翌日、それがどういうことなのかエイラは早速身を持って知る羽目になった。




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 ライマールに説明された通りエイラは翌朝になると、キャンプ地から少し離れた場所で王の竜への呼びかけを行った。
 歌う様な独特の旋律で、神の言葉と呼ばれる遥か太古の言語を口にすれば、雲海の広がる山脈の奥から、朝日に混じって黒いドラゴンの集団が群れをなしてこちらへ向かってくるのが見える。


 騎士団が演習を行う場所はドラゴンの生息域から離れた場所のため、声は聞こえど、その姿を視認することは滅多にない。
 それが今まさに間近で、少なくとも十頭はいるであろう群れが、目の前に降りたとうとしていた。


 その大きさと翼の風圧、そして何より威圧するような咆哮に、訓練されている騎士達ですら畏怖を感じ、たじろいだ。


(恐らくここにいる二百人全員で立ち向かって行ったとしても、一頭倒すことができれば上々といったところか)


 トルドヴィンが冷静に分析する中、エイラは前へと進み出て、王の竜に敬意を持って会釈する。


『父なる竜よ、あなたのお陰で私は命をながらえることができました。感謝を表すと共に、今一度私を、国を助けては頂けませんか?』


 震えそうになる声を抑えながら、エイラは粛々と王の竜に敬意を表し話しかける。
 正直ドラゴンは今だに苦手だった。父と母を失う際に目の当たりにしたドラゴンの怒りは、忘れられない程の恐怖をエイラに植え付けていた。


 王の竜もまたエイラのその怯えた感情を敏感に察知していた。
 年中行事以外で積極的にエイラが王の竜を招集することはなかったし、その背に触れる際も、噛みつかれるかのように常にビクビクとしていたのだ。


 裏切られたとはいえ、王の竜は自分のしでかしたことに後悔をしていたし、エイラはエイラで、今更また頼みごとなど図々しいと後ろめたい気持ちを抱えていた。


 お互い微妙な空気の中、王の竜は嘆息を吐き出す。
 生暖かい風がエイラ達を撫でるように通り過ぎる。思わず目を瞑れば、目の前に、人にすれば三十歳前後の、少なくとも二メートルはあるであろう長身の青年が姿を現した。


「そうビクビクするな。この姿でもまだ怖いか? 花嫁の頼みとあらば我は盟約に従う」
「あ……」


 王の竜が一言口にすれば、後ろに控えていたドラゴン達も人へと姿を変えて傅く。
 例えエイラが女王となっても、彼らの中でエイラは竜の花嫁である事に変わりはなかったのだと、今更ながら気付かされた。
 たじろぐエイラに、王の竜は少しづつ近づいて、子供を宥めるかのようにエイラに話しかけてくる。


「我はお前がその恐怖を乗り越えるまでいつまでも待とう。やや子さえ宿してくれるのであれば、お前の一族のとがも、お前の行動も、口を出すつもりはない」
「それはっ……」


 窮地に立たされエイラは言葉を失う。
 断れば協力はおろか、その責任を問われると言われているのだ。
 かと言って、ここでドラゴンの言葉を肯定すれば、結婚を条件に協力してくれているライマールとの約束を違えることになってしまう。


 徐々に距離を縮めてくる王の竜に、後ずさりながらもエイラは必死で最善を考えていた。
 すると不意に後ろから、暖かい圧力がエイラの両肩に押しかかる。
 振り返って見上げれば、いつものようにムッとした表情のライマールが、王の竜を睨みつけて怯むことなく憮然として言葉を発した。


「悪いが、リータはもう俺のものだ。諦めろ」
「バカ! ライム!! お前泣き虫の癖に、なにドラゴンに喧嘩売ってんだ!!」


 ギリファンが後ろから慌てて制止しようとしたが時既に遅く、王の竜含め、後ろに控えていたドラゴン達は一斉にライマールに殺気立った視線を突き刺した。


「小僧……貴様、あの時のガキか。多少ヤツの血が混じっているようだが、その程度で我らに勝てると思っているのか」
「試してみるか? 俺が本気を出せば、お前ら全員一瞬で塵にする自信はある」


 エイラの肩を抱えながら、ライマールはその瞳をギラギラと金色に輝かせる。
 黒髪は徐々に白みを帯びて、紺色の騎士服や防寒具まで雪と同じような色に変化し始めていた。


 それはドラゴンすら察知できなかった、ユニコーンよりも遥かに上位な存在を思い起こす、神聖な気配だった。
 予想していなかったドラゴン達はもちろん、ライマールの後ろに控えていた騎士や魔術師も立っていられないほどの気迫を、ビリビリと肌に感じ取っていた。

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