デール帝国の不機嫌な王子
運命の歯車 5
ライマールの言葉を聞いて、皇帝は背中を摩っていた手を思わず止める。
予想だにしなかった内容に、ライマールの後ろで控えていたアダルベルトすらも、愕然として顔面を蒼白に変えていた。
今耳にしたライマールの話は、聞き間違いではないだろうかと、皇帝もクロドゥルフも我が耳を疑い、ライマールを再び凝視すれば、気を失うのではというほど、ライマールは顔色を失っていた。
生きてさえいればという思いすら打ち砕き、あまつさえ殺されるのが運命だとライマールは告げたのだ。
とても信じられるような内容ではない。
憤りを抑えきれずに真っ先にクロドゥルフが声を荒げる。
「どういう事だ? 何故ツェナが殺されなければならない! 城の中に暗殺を狙うような不振な輩がいると言うのか?!」
「落ち着くのだクロドゥルフ。それならばライマールが危険を察知して、城からツェナを出したということではないか。城に危険があると判断しての行動だったのであれば、ツェナはもう心配することなど何もない。……そういうことなのだろう?」
拷問にかけられる囚人とはこの様な気分なのだろうか?
この先に続く言葉を口にすれば、弾劾は間逃れないだろう。
不安な表情で見つめる父と、縋る様な顔を向ける兄に挟まれ、いっそ頷くべきかと躊躇したが、それでもライマールは包み隠すことなく真実を口にする。
「……どんな未来を選んでも、必ず誰かに殺されると……俺は言いました。ツェナを殺す相手は同一の……特定の人間ではない。城に留まっても、城から出て行っても、運命自体は変わらないんです。俺はただ、一番マシな道をツェナに示したに過ぎない」
「そんな……」
馬鹿なこと……と、声にならない声でクロドゥルフは呟く。
皇帝もとうとう言葉を失い、ライマールの背中から手を離し、力なくソファに身を預け、放心してしまった。
「お前が私達に話したことで……未来が変わることはないのか? ツェナの身の回りの安全を先回りして、確保することだってできるはずだ」
「……無理だ。周りの問題じゃないんだ。ツェナ自身がその道を選んでしまう。城を出るタイミングも、あの時でなければツェナは今頃死んでいた」
「ではやはり城から出す前提で剣を教えていたということか? 一体いつから……」
言いかけて、まさか……と、クロドゥルフはライマールを凝視する。
脳裏に思い浮かんだのは、まだ五歳だったライマールが、ツェナと初めて対面した時のことだ。
クロドゥルフは妹の誕生を知らされ、母の元へ向かうと、何故か大きな声で泣きじゃくる弟が母を困らせていた。
あの時は母親を取られたのだと錯覚したライマールの、小さな嫉妬のせいだと思ったのだが、その時ライマールが未来に起きるなにかを視ていたのだとしたら……。
クロドゥルフの考えていることが伝わったのか、ライマールはクロドゥルフから顔を背けながら、膝の上で両手を握りしめる。
その手は既に真っ白に血の気を失い、氷水に漬けたかのように寒々しく震えていた。
「知ってたんだ……初めから。あいつが生まれたその時から……俺は必死になって回避する道を模索した。けど……どんなに探ってもダメだった。年齢は違えど、必ず誰かに……殺される。故意にしろ事故にしろ、必ず……だ」
ツェナが生まれて半年は気が狂いそうだった……と、ライマールは漏らす。
赤子の成長は思いのほか早く、首も座らないと思っていたツェナが、自分の足で歩くようになり、言葉を発し、ライマールを兄ときちんと認識する頃には、焦りばかりがライマールを支配していた。
誰かに相談したいとも何度も思った。だがそれをしてしまえば、ツェナの命は十歳まで生きることを許されなかった。
ツェナが二歳になる頃には、ライマールはツェナを避けるようになっていた。
とても見ていられなかったのだ。
「剣を教えたのは……俺の意思じゃない。あいつ自身の願いだった。あいつが五歳になった時、あいつ自身が言い出した。クロドゥルフではなく俺に教わりたいと……これからの未来のために」
決意に満ちた表情で、ライマールに向けたあどけなくも真剣な表情は、今でも鮮明に思い出すことができる。
剣の得意な一番上の兄ではなく、滅多に接触しようとしない、二番目の兄を敢えてツェナは選んだのだ。
ツェナがなぜライマールを選んだのか?
その意味は懇願するツェナの顔を見て、すぐに察することができた。
「まさか……」と、クロドゥルフは口元を押さえる。
皇帝もハッとして再び身を乗り出し、ライマールへと視線を向けた。
「ツェナは自分の運命を知っていたのか? ツェナも……お前と同じ……なのか?」
その問いに、ライマールは唇を噛み締めながら頷く。
その時の決意に満ちたツェナの瞳は、朝焼けの様に綺麗な金色に輝いていたのだ。
「ツェナの力と俺の力は似ているが、全く同じものではない。俺が未来なら、あいつは……今を視ることができる。その時起こっていることなら、たとえ世界の裏側で起こっていることですらあいつには見えるだろう。あいつは……いつの頃からか、俺の目を通して、俺と同じものを視ていたんだ」
数ある運命の中から、剣を取り、城を出て行く未来を選び取ったのはツェナ自身だった。
一度だけ、怖くないのかとツェナ本人に聞いたことがあった。
初めて視てしまった時は、とても怖くて後悔したと、ツェナは無邪気に笑いながらライマールに答えた。
それでも目を逸らさずにずっと視てきたのは、ライマールがあまりにも辛そうにしていたのと、クロドゥルフが騎士としての教えを話してくれたお陰なのだと、怯えることなくツェナは語った。
「どうせ死ぬなら人の役にたって死にたいと言っていた。城を出る時も、絶対に振り返らなかった。まだ九歳だったが……俺なんかより、ずっと強くて真っ直ぐだった」
刻々と迫る運命に、ライマールは何度も迎えに行きたいという衝動に駆られた。
それは今でも変わらない。
「今でもなにか見落としはないだろうかと力を使うことがある。助けられるなら助けたい。力はあるのに……避ける術が、見つからない」
ライマールの紫色の瞳が、ゆらゆらと揺らめき、金色に輝く。
クロドゥルフにはああ言ったが、話したことで、本当はなにツェナに影響があるのではないだろうか? と、淡い期待があるのも確かだった。
ーー結果は、分かり切っているのにも関わらず。
「なにが起こるか分かっているのに! なんで……なんで、何もできない?! なんでツェナが死ななきゃならないんだ!! 母上だって、俺なんかより、ツェナがそばにいれば安心できるのに……こんな力……災いばかりで…………なんの役にもたたないじゃないか!!」
ボロボロと涙を溢しながら、ライマールは自分を責める。
目に映るのは、誰かに斬られる長い黒髪の女性。
斬られているのにどこか満足そうな、その穏やかな笑みを、ツェナが出て行ってから何度もライマールは目にしていた。
誰もが聞いたことのないライマールの悲痛な叫びに、皇帝とクロドゥルフ、そしてアダルベルトすらも、心臓を握り潰されたかのような痛みを感じる。
ライマールが誰にも知られずに、抱えてきたものの大きさを、今ようやく本当の意味で知ることができたような気がした。
「ライマール。もうよい、よしなさい。もうお前一人が抱え込む必要はないのだ。お前のせいでは決してない。たとえツェナの代わりにお前がいなくなったとしても、お前の母は救われないだろう。もちろん、余もおまえの兄もその想いは同じだ。そう自分を責めるな」
再び皇帝はライマールを抱きしめて、懸命に諭した。
告げられた真実はあまりにも残酷なものだったが、幼い頃からずっと一人でそれを抱えてきたのだと思えば、ライマールの運命もまた残酷なものだったのだと、皇帝は目頭を熱くする。
皇帝もクロドゥルフも、語られたツェナの運命を、とても受け入れたくないという想いが強かったが、誰よりも耐え忍んでいるライマールを目にして、それを口にすることはできそうになかった。
なぜライマールが話さなかったのか、話したがらなかったのか。
恐らくそれは自分達のせいなのだろう。
知っていれば、間違いなくどんなことをしても、ツェナを引き止める道を選んでいただろう。
見知らぬ場所で娘が死ぬというのならば、せめて自分の目の届くところでと、願っていただろう。
家族に告げず、何の前触れもなく別れる道を、幼いライマールとツェナは家族を想い、二人だけで決めたのだと思えば、やるせない思いばかりが皇帝の胸を焦がした。
「役に立たないなんてことはなかっただろう? お前はツェナの望む道を示すことができたのだし……それに、その力で救われた人間はツェナだけではない筈だ。エイラ様だって、お前に救われたと仰っていたじゃないか」
「でも、俺は……」
他の者を犠牲にしている。
イルミナの時も、エイラの時も、大勢の人間が救われてはいるが、その裏で犠牲になっている人間が居るのも事実だ。
誰かの幸せを願った時、必ず誰かに皺寄せが来る。
そんなことの繰り返しでしかない。
「ならば、その分幸せになりなさい」
項垂れて告白するライマールに、皇帝が力強くライマールに告げる。
驚いた顔でライマールが父を見上げれば、皇帝はシワだらけの笑顔をライマールに向けて、グシャグシャと頭を撫で回した。
「世の中が平等ではないことくらい、父にもわかる。誰かが犠牲になったというのであれば、今ある結果を大事にしなさい。犠牲にしたことが許されないのではない。その結果を無にすることが許されぬのだ。過ちを犯したのであれば、教訓にして前へ進むのが人間だ。お前が嘆いていたらツェナはどうなる? ……そう、そうだな。余もまだ信じたくなどないという気持ちが強い。だが、あの子自身が受け入れたのならば、ツェナの残された幸せを信じるしかないではないか」
「父上……」
半ば自分に言い聞かせるように、皇帝はライマールとクロドゥルフに語りかける。
クロドゥルフも父の言葉を聞き、しばらく目を伏せた後、深く息を吐き出して、皇帝と同じように席を立つ。
そしてライマールに近づくと、クロドゥルフは弟の両手をギュッと握り締めた。
触れたその手は既に体温を失って、指先まで冷え切ってしまっていた。
「私はさっき、お前の重荷を共に背負うと誓った。……最後に教えてくれ。選んだ未来でツェナはいつまで生きられる」
目を逸らすことなくクロドゥルフに問われ、ライマールは思わず隣の父へと視線を送る。
すると皇帝もクロドゥルフと同様に、覚悟を決めた険しい瞳でコクリと頷き、ライマールに返事をした。
ライマールはまた俯いて、それでもはっきりとその時を告げた。
「……二十三だ。ツェナはこのまま行けば…二十三の時に命を落とすことになる。…………俺が視た中で、一番幸せそうな死に方だった」
少なくともその瞬間、ツェナは微笑んでいた。理由はわからない。
だが、その未来がツェナにとって幸せなのだろうと、ライマールもツェナも感じたのだ。
「そうか…」と、クロドゥルフは呟くと、握りしめる手に更に力を込める。
そして「話してくれてありがとう」と、力無くライマールに微笑み掛けた。
その顔を見て、ライマールの顔がまたくしゃりと歪めば、皇帝はなにも言わずに、ライマールの頭を自分の肩へと押し付けて、ぐりぐりと撫で回す。
何年も前に忘れてしまっていた、父の大きな手の暖かさを感じていると、幸せになりなさいと言った、先程の父の言葉が反芻する。
『どうか幸せに』
それは別れ際に、ツェナがライマールへ向けた最後の言葉でもあった。
予想だにしなかった内容に、ライマールの後ろで控えていたアダルベルトすらも、愕然として顔面を蒼白に変えていた。
今耳にしたライマールの話は、聞き間違いではないだろうかと、皇帝もクロドゥルフも我が耳を疑い、ライマールを再び凝視すれば、気を失うのではというほど、ライマールは顔色を失っていた。
生きてさえいればという思いすら打ち砕き、あまつさえ殺されるのが運命だとライマールは告げたのだ。
とても信じられるような内容ではない。
憤りを抑えきれずに真っ先にクロドゥルフが声を荒げる。
「どういう事だ? 何故ツェナが殺されなければならない! 城の中に暗殺を狙うような不振な輩がいると言うのか?!」
「落ち着くのだクロドゥルフ。それならばライマールが危険を察知して、城からツェナを出したということではないか。城に危険があると判断しての行動だったのであれば、ツェナはもう心配することなど何もない。……そういうことなのだろう?」
拷問にかけられる囚人とはこの様な気分なのだろうか?
この先に続く言葉を口にすれば、弾劾は間逃れないだろう。
不安な表情で見つめる父と、縋る様な顔を向ける兄に挟まれ、いっそ頷くべきかと躊躇したが、それでもライマールは包み隠すことなく真実を口にする。
「……どんな未来を選んでも、必ず誰かに殺されると……俺は言いました。ツェナを殺す相手は同一の……特定の人間ではない。城に留まっても、城から出て行っても、運命自体は変わらないんです。俺はただ、一番マシな道をツェナに示したに過ぎない」
「そんな……」
馬鹿なこと……と、声にならない声でクロドゥルフは呟く。
皇帝もとうとう言葉を失い、ライマールの背中から手を離し、力なくソファに身を預け、放心してしまった。
「お前が私達に話したことで……未来が変わることはないのか? ツェナの身の回りの安全を先回りして、確保することだってできるはずだ」
「……無理だ。周りの問題じゃないんだ。ツェナ自身がその道を選んでしまう。城を出るタイミングも、あの時でなければツェナは今頃死んでいた」
「ではやはり城から出す前提で剣を教えていたということか? 一体いつから……」
言いかけて、まさか……と、クロドゥルフはライマールを凝視する。
脳裏に思い浮かんだのは、まだ五歳だったライマールが、ツェナと初めて対面した時のことだ。
クロドゥルフは妹の誕生を知らされ、母の元へ向かうと、何故か大きな声で泣きじゃくる弟が母を困らせていた。
あの時は母親を取られたのだと錯覚したライマールの、小さな嫉妬のせいだと思ったのだが、その時ライマールが未来に起きるなにかを視ていたのだとしたら……。
クロドゥルフの考えていることが伝わったのか、ライマールはクロドゥルフから顔を背けながら、膝の上で両手を握りしめる。
その手は既に真っ白に血の気を失い、氷水に漬けたかのように寒々しく震えていた。
「知ってたんだ……初めから。あいつが生まれたその時から……俺は必死になって回避する道を模索した。けど……どんなに探ってもダメだった。年齢は違えど、必ず誰かに……殺される。故意にしろ事故にしろ、必ず……だ」
ツェナが生まれて半年は気が狂いそうだった……と、ライマールは漏らす。
赤子の成長は思いのほか早く、首も座らないと思っていたツェナが、自分の足で歩くようになり、言葉を発し、ライマールを兄ときちんと認識する頃には、焦りばかりがライマールを支配していた。
誰かに相談したいとも何度も思った。だがそれをしてしまえば、ツェナの命は十歳まで生きることを許されなかった。
ツェナが二歳になる頃には、ライマールはツェナを避けるようになっていた。
とても見ていられなかったのだ。
「剣を教えたのは……俺の意思じゃない。あいつ自身の願いだった。あいつが五歳になった時、あいつ自身が言い出した。クロドゥルフではなく俺に教わりたいと……これからの未来のために」
決意に満ちた表情で、ライマールに向けたあどけなくも真剣な表情は、今でも鮮明に思い出すことができる。
剣の得意な一番上の兄ではなく、滅多に接触しようとしない、二番目の兄を敢えてツェナは選んだのだ。
ツェナがなぜライマールを選んだのか?
その意味は懇願するツェナの顔を見て、すぐに察することができた。
「まさか……」と、クロドゥルフは口元を押さえる。
皇帝もハッとして再び身を乗り出し、ライマールへと視線を向けた。
「ツェナは自分の運命を知っていたのか? ツェナも……お前と同じ……なのか?」
その問いに、ライマールは唇を噛み締めながら頷く。
その時の決意に満ちたツェナの瞳は、朝焼けの様に綺麗な金色に輝いていたのだ。
「ツェナの力と俺の力は似ているが、全く同じものではない。俺が未来なら、あいつは……今を視ることができる。その時起こっていることなら、たとえ世界の裏側で起こっていることですらあいつには見えるだろう。あいつは……いつの頃からか、俺の目を通して、俺と同じものを視ていたんだ」
数ある運命の中から、剣を取り、城を出て行く未来を選び取ったのはツェナ自身だった。
一度だけ、怖くないのかとツェナ本人に聞いたことがあった。
初めて視てしまった時は、とても怖くて後悔したと、ツェナは無邪気に笑いながらライマールに答えた。
それでも目を逸らさずにずっと視てきたのは、ライマールがあまりにも辛そうにしていたのと、クロドゥルフが騎士としての教えを話してくれたお陰なのだと、怯えることなくツェナは語った。
「どうせ死ぬなら人の役にたって死にたいと言っていた。城を出る時も、絶対に振り返らなかった。まだ九歳だったが……俺なんかより、ずっと強くて真っ直ぐだった」
刻々と迫る運命に、ライマールは何度も迎えに行きたいという衝動に駆られた。
それは今でも変わらない。
「今でもなにか見落としはないだろうかと力を使うことがある。助けられるなら助けたい。力はあるのに……避ける術が、見つからない」
ライマールの紫色の瞳が、ゆらゆらと揺らめき、金色に輝く。
クロドゥルフにはああ言ったが、話したことで、本当はなにツェナに影響があるのではないだろうか? と、淡い期待があるのも確かだった。
ーー結果は、分かり切っているのにも関わらず。
「なにが起こるか分かっているのに! なんで……なんで、何もできない?! なんでツェナが死ななきゃならないんだ!! 母上だって、俺なんかより、ツェナがそばにいれば安心できるのに……こんな力……災いばかりで…………なんの役にもたたないじゃないか!!」
ボロボロと涙を溢しながら、ライマールは自分を責める。
目に映るのは、誰かに斬られる長い黒髪の女性。
斬られているのにどこか満足そうな、その穏やかな笑みを、ツェナが出て行ってから何度もライマールは目にしていた。
誰もが聞いたことのないライマールの悲痛な叫びに、皇帝とクロドゥルフ、そしてアダルベルトすらも、心臓を握り潰されたかのような痛みを感じる。
ライマールが誰にも知られずに、抱えてきたものの大きさを、今ようやく本当の意味で知ることができたような気がした。
「ライマール。もうよい、よしなさい。もうお前一人が抱え込む必要はないのだ。お前のせいでは決してない。たとえツェナの代わりにお前がいなくなったとしても、お前の母は救われないだろう。もちろん、余もおまえの兄もその想いは同じだ。そう自分を責めるな」
再び皇帝はライマールを抱きしめて、懸命に諭した。
告げられた真実はあまりにも残酷なものだったが、幼い頃からずっと一人でそれを抱えてきたのだと思えば、ライマールの運命もまた残酷なものだったのだと、皇帝は目頭を熱くする。
皇帝もクロドゥルフも、語られたツェナの運命を、とても受け入れたくないという想いが強かったが、誰よりも耐え忍んでいるライマールを目にして、それを口にすることはできそうになかった。
なぜライマールが話さなかったのか、話したがらなかったのか。
恐らくそれは自分達のせいなのだろう。
知っていれば、間違いなくどんなことをしても、ツェナを引き止める道を選んでいただろう。
見知らぬ場所で娘が死ぬというのならば、せめて自分の目の届くところでと、願っていただろう。
家族に告げず、何の前触れもなく別れる道を、幼いライマールとツェナは家族を想い、二人だけで決めたのだと思えば、やるせない思いばかりが皇帝の胸を焦がした。
「役に立たないなんてことはなかっただろう? お前はツェナの望む道を示すことができたのだし……それに、その力で救われた人間はツェナだけではない筈だ。エイラ様だって、お前に救われたと仰っていたじゃないか」
「でも、俺は……」
他の者を犠牲にしている。
イルミナの時も、エイラの時も、大勢の人間が救われてはいるが、その裏で犠牲になっている人間が居るのも事実だ。
誰かの幸せを願った時、必ず誰かに皺寄せが来る。
そんなことの繰り返しでしかない。
「ならば、その分幸せになりなさい」
項垂れて告白するライマールに、皇帝が力強くライマールに告げる。
驚いた顔でライマールが父を見上げれば、皇帝はシワだらけの笑顔をライマールに向けて、グシャグシャと頭を撫で回した。
「世の中が平等ではないことくらい、父にもわかる。誰かが犠牲になったというのであれば、今ある結果を大事にしなさい。犠牲にしたことが許されないのではない。その結果を無にすることが許されぬのだ。過ちを犯したのであれば、教訓にして前へ進むのが人間だ。お前が嘆いていたらツェナはどうなる? ……そう、そうだな。余もまだ信じたくなどないという気持ちが強い。だが、あの子自身が受け入れたのならば、ツェナの残された幸せを信じるしかないではないか」
「父上……」
半ば自分に言い聞かせるように、皇帝はライマールとクロドゥルフに語りかける。
クロドゥルフも父の言葉を聞き、しばらく目を伏せた後、深く息を吐き出して、皇帝と同じように席を立つ。
そしてライマールに近づくと、クロドゥルフは弟の両手をギュッと握り締めた。
触れたその手は既に体温を失って、指先まで冷え切ってしまっていた。
「私はさっき、お前の重荷を共に背負うと誓った。……最後に教えてくれ。選んだ未来でツェナはいつまで生きられる」
目を逸らすことなくクロドゥルフに問われ、ライマールは思わず隣の父へと視線を送る。
すると皇帝もクロドゥルフと同様に、覚悟を決めた険しい瞳でコクリと頷き、ライマールに返事をした。
ライマールはまた俯いて、それでもはっきりとその時を告げた。
「……二十三だ。ツェナはこのまま行けば…二十三の時に命を落とすことになる。…………俺が視た中で、一番幸せそうな死に方だった」
少なくともその瞬間、ツェナは微笑んでいた。理由はわからない。
だが、その未来がツェナにとって幸せなのだろうと、ライマールもツェナも感じたのだ。
「そうか…」と、クロドゥルフは呟くと、握りしめる手に更に力を込める。
そして「話してくれてありがとう」と、力無くライマールに微笑み掛けた。
その顔を見て、ライマールの顔がまたくしゃりと歪めば、皇帝はなにも言わずに、ライマールの頭を自分の肩へと押し付けて、ぐりぐりと撫で回す。
何年も前に忘れてしまっていた、父の大きな手の暖かさを感じていると、幸せになりなさいと言った、先程の父の言葉が反芻する。
『どうか幸せに』
それは別れ際に、ツェナがライマールへ向けた最後の言葉でもあった。
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