デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

不器用な思いやり 6

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 日も傾き始めようかという時刻。
 城の奥にある王宮の廊下を真っ赤な目をした黒髪の王子が憮然とした顔をしながら足早に歩く姿が、多くの女官や騎士たちに目撃される。
 ここ数日寝込んでいたと噂だったが、病み上がりという印象は受けず、むしろその背中にはただならぬ空気を纏わせており、ライマールの姿を見るや否や、敬礼や会釈を行う前に誰彼となく慌てて近くの部屋へと退避した。


 ライマールはそんな家臣達に目もくれず、ただ一箇所だけを目指し、ひたすら長い廊下を歩き続けた。
 胸の内には怒りとも苛立ちともつかない、なんとも言えない感情を宿し、ジッと進行方向を睨みつけている。


 心の中を覗きみれば、先程から「余計な事を!」と、幾度となく呟いているような状態だった。
 議員たちとの話し合いが終わり、その場で父と兄に呼び止められたライマールは、応接室で難しい顔をした彼らに、思わぬ話を聞かされることとなったのだった。


 初めのうちはおそらく今回のことを問われるのだろうと腹を括り、怒鳴られるのを想定し、無表情をなんとか作り出そうとグッと下顎に力を込めていた。
 しかしここで全く予想していなかったことが起き、ライマールは驚き困惑するはめになったのだった。


 どういう訳か、叱られるどころか体調を案じるようなことを言われた。
 具合は、「本当にもう良いのか?」「何か辛い事はないか?」「悩みがあるならいつでも話しなさい」等々、今まで言われたことのない台詞に、ただオロオロと「……大丈夫です」だの「……ありません」だのと、蚊の鳴くような声で呟くことしかできなかった。


 始終恥ずかしそうに頬を染めて答えるライマールを、ジッと見ていた皇帝は、とうとう堪らずといった感じで目に涙を浮かべて、目頭を押さえていた。
 そんな父の姿に驚いて、ライマールは更に動揺を隠しきれず、「父上?」と、眉を寄せて声を掛ける。
 心配げなライマールの姿を見て、父が更に涙を流せば、どうしていいのか判らず、思わず父の隣にいた兄の顔を伺った。
 すると兄は兄で、どこか痛ましいものでも見るかのような視線を向けてきていることに気がつく。


 これは一体どうしたことかと無意識に未来を覗こうとして、ライマールは慌てて首を振る。
 以前ならば、目の前に人がいても前髪の長さで誤魔化すことができたが、今は視界を遮るものがなにもない状態だ。
 誰にも見られない安心感からか、人前でも力を使うことに慣れてしまっていたため、気を抜くとうっかり使おうとしてしまうのだ。


 それでも今までの父や兄ならば、その一瞬だけ変わった目の色に気が付くことはなかったかもしれない。
 しかし、ライマールは目の前の父と兄が、以前とは違うということに気がついていなかった。


 ライマールが気を落ち着けて顔を上げた時には、二人は既に真っ青な顔で硬直して、こちらを凝視していた。
 ここで動揺せずに、強引にでも何事もなかったかのように振る舞えていれば、また違ったのかもしれないが、ライマールは思い切りしまったという顔をして俯いてしまった。


「お前が今まで必死になって隠していたのは……神獣の力なのか?」
「……なんのことか分からない」
「ライマール!」


 思わず責めるようにクロドゥルフが声を上げれば、ビクリとライマールは肩に緊張を走らせる。
 目の前にいるのは元ユニコーンの契約者と、現ユニコーンの契約者であり、同じバルフ・ラスキン家の人間だ。金色の瞳の意味を知らないはずはない。
 特に歴代の皇帝の中では、金色の瞳を宿した国王は重宝され、近年では一部の民の間で、三五〇年前の戦争の影響からか、神獣信仰が異常なほど盛んになっているくらいだった。
 ライマールは嫌な汗を手の平に感じながら、半ば焼け気味にそれを否定した。


「知らん! そのような力が存在するわけがない! 何かの見間違えだろう!! 日暮れで西陽が強くなっているだけだ! 妙な言いがかりを付けるつもりなら、俺は戻る!!」
 二人の視線を避けるように、慌てて外へと出ようとすれば、「待て!」と、力いっぱいクロドゥルフに腕を掴まれる。


「放せ!」
「落ち着けって! 父上も俺もそんなつもりは毛頭ない! お前が話したくないのであれば無理に聞きはしない。俺も父上もお前がただ心配なだけだ。……少しだけでいいから、話を……してくれないか?」


 抵抗を試みるライマールに、やるせない思いを感じながらも、クロドゥルフは決して手を離そうとはしなかった。
 怒鳴ってすまなかった。と、謝罪する兄に、ライマールは抵抗を忘れ、またゆらゆらと紫色の瞳を揺らめかせる。
 そのすぐ後ろでは、ソファーで嗚咽交じりに顔を伏せる父の姿が目に入った。


「なんと……なんという……エイラ様がおっしゃっていたのはこのことだったのか…………すまない。本当にすまなかった」
「リータが……話したのか……?」


 父の漏らした一言にライマールは愕然とする。
 裏切られたのかと目の前が真っ暗になり、ライマールはそのまましばし放心状態となってしまった。


 思えば騙す形で強引に婚約を取り付けたのだ、嫌われても仕方がないだろう。
 そもそもエイラはどうもメルの方に好意を持っているような気がするのだ。
 過ごす時間がそれだけ長かったのだ、致し方ないのかもしれない。
 だが、そこまでしなくとも、言ってくれればキチンと身を引いたのに……。


「そんなに、俺が嫌いか……?」


 聞こえるか聞こえないかの声で、ライマールは呟き俯く。
 口をへの字に曲げて、堪えきれずにボロボロと大粒の涙をこぼせば、目の前にいたクロドゥルフがギョッとして、慌ててライマールにフォローを入れた。


「違う! 違うぞ!! エイラ様はご自分の身の上話を、ぼかしてではあったがお話して下さっただけで、お前のその力の話は一切していないからな! ……とてもお前を心配しておいでだったぞ」
「本当か?」


 眉を寄せてライマールが言えば、クロドゥルフは千切れんばかりに首を縦に振って見せる。
 するとバツが悪そうに頬を染めて、ローブの袖でライマールは涙をゴシゴシと拭い、クロドゥルフはハラハラいていた胸をホッと撫で下ろした。
 しかし今度は後ろから、おいおいと咽び泣く父の声が聞こえてくる。


「すまなかった。本当にすまなかった! お前を信じてやることができなかった父を許してくれ!!」
「父上〜……」


 クロドゥルフはがっくりと肩を落とし、振り返る。
 半ば呆れ気味に父を宥めながら、見た目は母にそっくりなのに、中身は完全に父に似たのかと、今更ながら弟の性格を理解するのだった。

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