デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

理の外に生きる者 6

 浄化を終えると、ライマールはがくりとその場に座り込む。
 額から生えていたツノは消え、普段の黒いローブに黒髪、紫色の瞳へと変化していた。
 滝のような汗を流し、肩で苦しそうに息をするライマールに、エイラは思わず駆け寄り、膝をついた。


「大丈夫ですか?」
「少し疲れただけだ。それより俺にあまり触れない方がいい。お前と違って、俺は今生身の状態だ。気を抜けば俺がお前を取り込んでしまう」


 魂は肉体に引き寄せられるものだと、ライマールは荒い息を整えながら説明する。
 支えようとしていたエイラの手を振り払いながら、ライマールは目の前の少年を見上げ声を掛ける。


「具合はどうだ? まだ不快感はあるか? 番人、手を貸せ。もしくは戻れ・・
「父に命令するのはお前くらいのものだよ。困った息子だね。消耗も見越して離れていたのだから戻るよ。後はお前に任せよう」


 元番人はそう言って少年メルの結界を解くと、ライマールの前へ足音も立てずに近寄り、霧散するように姿を消した。
 その直後、ライマールの身体を蒼白い光が包み込み、ライマールは再びその姿を変化させる。
 しかしそれは先程の角の生えた状態ではなく、元番人と全く同じ、蒼白い姿へと変わっていた。
 幾分か体力を取り戻したのか、深呼吸をした後ライマールはふらりと立ち上がる。


 元番人と名乗った蒼白いライマールがなんなのか、いまいち解らないのはエイラだけのようで、少年メルの姿をした神の肉片は、元番人の正体を正しく理解した上で、"呪"から解放された現状でもライマールをジロリと睨みつけていた。


『神獣の力を身に宿している上に、魂の番人をその身に宿すとは……人の身で在りながら、身の程知らずにもほどがある』


 魂の番人と聞き、ようやくエイラは先程の存在を理解する。
 しかし理解したと同時に、この世界に在り得ない存在にまさかそんな筈はないと、エイラは目を見開いて少年メルとライマールを見比べた。


 ライマールはムッとした様子で神の肉片に答える。


『どちらの力も好きで手に入れたわけではない。神獣の力はともかく、番人の力は押し付けられたようなものだ。大体お前もクロンヴァールの人間にその魂を預けているじゃないか』
『……ふん。われは贔屓で力を与えたりしていない。力そのものは吾のものだ。この娘にはなんの力もない』
『お前の存在がリータの中にあって、力という形でのみ今の世を縛っているのであれば変わりないだろう。神というのは随分理屈臭いんだな』


 番人もだが、目の前の主神の欠片の様な存在も、また面倒な性格をしているなとライマールは眉を顰める。
 神族が滅びた原因は嫉妬から始まるものと思えば、もしかしたら番人よりも厄介な存在なのかもしれない。
 少々警戒しつつ神の肉片を見下ろしていると、かなり苛立たしげに神の肉片は視線をそらした。


『忌々しい……どうせならば浄化などではなく消滅させればよかったものを……。吾をこれ以上この世へ縛り付けてどうするというのだ。焔狼えんろうを失いし今、新たな魔法文字など、この世界にもう不要なものだ。ひび割れたガラス玉の運命など目に見えている。この世界はもう長くはない』
「それはどういうことですか……?」


 焔狼は今は亡きウイニー王国の守護をしていた神獣の名だ。
 大地に根付き、守護する道を選んだ神獣は、その地に深く結びついた家の柱のような存在と言える。
 三五〇年前の大戦で、国王と共に不死の軍団を焼き払い、焔狼は力を使い果たし、力尽きたといわれている。
 焔狼が力尽きた瞬間、ウイニーは得体の知れない真っ黒な空間に飲み込まれ、今現在に至っている。
 神獣を失うことをハイニアの国々は恐れ、大戦以前よりも丁重に神獣を崇めている状態なのだ。


 ひび割れたガラス玉の"ひび"が指すのがウイニーならば、いずれあの闇がハイニア中を覆うということなのだろうか?
 この世界はもう長くはないという神の肉片の言葉にエイラはゾッとして両腕を抱える。


『言葉通りの意味だ。お主ら一族はなぜ魔法文字を生み出す役割を与えられたのか知っていたはずだが、口伝はそこまで伝わらなかったようだな。魔法文字はいわば布を縫い付ける糸のようなもの。人と神獣、大地と人を結びつけ、ハイニアの大地を育ませる契約の証。僅かな破損も許されることではない。現に綻びは徐々に広がりつつある。数百年てば良い方だ』


 人の驕りが生み出した大地の傷は、もはや膿が広がるばかりだという事実を突きつけられ、唖然とする。
 祖先の時代のことではあるが、ハイニアを守ってきた一族としてエイラは胸を痛めた。


 しかし、ライマールは神の肉片の言葉を一蹴する。


『そんなことにならないようにする為に俺という存在がここにいる。ガラス玉にひびが入ったのであれば溶かしてまた新たなガラス玉にすればいい。破損個所などなおせばいいだけの話だ』
『驕るな人間。その奢りが今の事態を招いていること忘れるな。お主の力は完全なものではない。吾と同じ欠片にすぎぬ』
『今は、な。それに俺自身が修復するなどとは一言も言っていない。俺は俺に出来ることをした上で番人の復活を待つだけだ。寿命もその分長く与えられている。忌々しいことにな……』


 自分が死ぬのはおそらくその数百年後のことになるだろうと、ライマールは少し辛そうに話す。
 それは元番人が神獣の血を受け継ぐ一族を選び、可能にした、人知を超えた力ーーライマールにしてみれば呪い以外の何物でもなかった。


「なぜ……」
 愕然としてエイラは呟き、ライマールを見つめる。


 ただでさえ未来が見えるなどという異質な力を宿し苦しんでいるというのに、なぜライマール一人が人のとがを背負わなければならないのだろうか?
 余りにも理不尽だと、エイラは胸を押さえる。
 結婚した後、彼は最後は一人になってしまうのだろうか……。

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