デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

理の外に生きる者 7

 辛辣な視線を向けるエイラの視線から逃れるように、ライマールは背を向ける。
 そんな顔をするなと、苦しそうに呟いてから、ライマールは神の肉片に言った。


『お前が諦めても、番人も俺も諦めていない。お前と番人が契約した時点で、もうこの世界だけの問題ではない。欠片でも魂が残っているのならば、消滅など選ばすに最後まで足掻き通せ。それが創った物の責務だーー俺の中の番人がお前にそう言っている』
『…………』


 神の肉片は俯いたまま唇を噛みしめる。
 ライマールはそれ以上なにも言わずに、再びエイラに向き直ると、瞳を微かに濡らしながらエイラを見つめた。


『そろそろ外の結界が限界だ。ここでの浄化は終わった。後は辺りに残っている"呪"を数日かけて浄化するだけだ。……当分また辛い思いをさせる。本当にすまない』


 一番辛いのはどう考えてもライマールじゃないかとエイラは大きく首を横に振る。
 この人はなぜ、人ばかりを優先するのだろう。
 望むのは私ただ一人だと言っていたが、それは余りにも謙虚過ぎる願いではないだろうか?
 同情をされて嬉しいはずはない。だけど、やはり胸は痛む。
 熱くなる目頭を必死で堪え、ライマールを見上げれば、ライマールは苦笑してぎこちなくエイラに微笑んだ。


『目が覚めるのを待っている。俺は大丈夫だ。途方もない話より、お前にはお前のやるべきことがあるだろう? 気にするな』
「ですがっ!!」


 エイラは声を上げ、何かを訴えようとした。
 しかしその先の言葉をうまく続けることが出来ず、躊躇していれば、ライマールの姿はまたぼんやりと形をなくし、光の玉となって天上へとふわふわと浮き上がりやがて消えていってしまった。


「私に出来ることはないのでしょうか……」


 光が消えた天上を見つめ、エイラはポツリと呟く。
 助けてもらってばかりな上に、力にもなれない自分が歯痒くて仕方がない。
 これでは兄様が失踪した時となんら成長していない。呆然と立ち尽くすだけでは何も解決できない。


 エイラは目を伏せて自分を叱咤し、考えあぐねる。
 一人その場で考え込むエイラの姿を、神の肉片は黙ってじっと見つめていた。


 エイラはやがてゆっくりと目を開けると、神の肉片に向き直り、真剣な眼差しで口を開く。


「幾つか聞きたいことがあります」


 一つ一つ慎重に言葉を選び質問をする。
 神の肉片は表情を変えずにエイラの質問に答え、やがてエイラはその返答を元に一つの答えを導き出す。
 その答えが正しいかどうかはエイラ自身にも解らない。
 ライマールはきっと怒るだろう。
 だが、それがエイラができる唯一のことだと決意を胸に、神の肉片に懇願した。
 神の肉片は顔を顰めたが、ライマールの時のように突き放すようなことは言わずに、渋々ながらそれを受け入れた。


 やがて神の肉片はエイラに近寄り、喉元に手をかざすと形を失い、スッとエイラの中へと溶けていった。
 エイラは感謝を述べると共に、祝福の呪文を口にする。
 建国の時以外で使われることのないその呪文を唱え終えると、新たな呪文を一言だけ最後に付け加えた。


『如何なる時も、運命を共に、かの人が等しく幸せでありますように。ーー我らにの祝福を』


 静かにエイラが呟けば、抱えた手からブルースターの花の形をした新しい魔法文字がポロポロと溢れ出る。
 花はやがて天上へと舞い上がり、ライマールの軌跡をたどるようにキラキラと輝きながら消えていった。




 =====




 エイラが目を覚ますと、汗を拭こうと手を伸ばしていたギリファンと目があった。
 お互いパチパチと目を瞬かせていると、ギリファンの方がニコリと微笑みエイラに話しかけてきた。


「起きましたか。具合はどうですか?」
「……はい、少しだけ体が重い気がしますが、以前程不快な感じはしません」


「それは良かった」と、ギリファンは頷く。
 エイラは目の前にいるのがライマールではなく、ギリファンだということを不思議に思い、体をゆっくりと起こしキョロキョロと視線を漂わせた。
 横たわっていた場所は変わらないものの、上下に浮かび上がっていた魔法陣は既になく、壁にびっしりと書かれている文字のみが残されている状態だった。
 周りではメルがアダルベルトになにかを説明している様子や、ガランがなにか器具を取り出して、薬を調合している様子が見て取れた。


 ライマールは何処だろうと更に視線を動かそうとした時、ギリファンの後ろから気持ち良さそうな寝息が聞こえて来ることに気がついた。
 覗き込む様にして見れば、スヤスヤと眠るライマールのあどけない顔がそこにあった。


 ギリファンはその視線に気がつき、少し振り返ると苦笑してエイラに説明した。


「戻ってきてすぐそのまま、"疲れた"とだけ言ってこの状態ですよ。まぁ、顔色もそこまで悪くないですから、精神力が安定すればそのうち目が覚めるでしょう。まったく、手のかかる王子だ」


 ギリファンはそう言ってライマールの額を軽くコツンと叩いてみせる。
 ライマールは少しだけ眉を顰めて身じろぎをすると、エイラ達に背を向けるように寝返りをうった。


「一度寝るとなかなか目を覚まさないからこいつはあの犬に任せるとして……メル、陛下を運んで差し上げろ。ガラン、リムニリムスはまだか?」
「はいは〜い。今ちょうど出来たところですよ〜。エイラ様、ひとまずこれを飲んでください〜。浄化剤です〜」


 ガランから手渡された薬を飲めば、メルが作ってくれていたのと同じ薬だということが判った。
 だいぶ飲み慣れたミントの味にホッと息をつく。
 薬も飲み終わり立ち上がろうとした所で、エイラは軽い目眩を感じ、ふらりとよろめいた。
 ギリファンがエイラを支えれば、アダルベルトと話をしていたメルが、慌ててエイラに駆け寄ってきた。


「おっと! 薬を飲んだからと言って体調はそうすぐには戻りませんよ。陛下も無茶をするたちだったか」
「エイラ様! 大丈夫ですか? 今はどんなに体調がいいと思っても、"呪"が体の中に潜伏している状態ですから、自分から動くのは避けた方がいいです。ボクがちゃんと運びますから」


「失礼します」と言って、メルはエイラを横抱きに抱える。
 エイラは二人に申し訳なく思い、「すみません」と、身を縮めて謝る他なかった。


「おい、狗! ぼさっとしてないでライムを運べ! 魔法が使えない分、体動かして仕事しろ!」


 ギリファンが腰に手を当てながら大声を上げると、アダルベルトは渋々ながらその命令に無言で従う。
 反論もせずにライマールを背負うアダルベルトに、ギリファンの方が眉を顰めた。


「なんだお前、なんか変なもんでも食べたのか?」
「貴様らがどんなに気に食わない人間であったとしても、今は殿下預かりの身だからな。違法でない限り命令には従うというだけだ。それが組織の秩序だ」
「秩序ねぇ……それお前んとこの副団長にそっくりそのまま言ってやれ」
「ふん。あの方の考えを、貴様如きに理解できてたまるか」


 ギリファンとアダルベルトの間に流れる剣呑とした空気にエイラは思わず身を竦める。




「はぁ……姉さん、続きは帰ってから二人だけでやって下さい。すみませんエイラ様、姉さんは騎士団の副団長が気になって気になって仕方ないんですよ。犬猿を通り越して相思相愛の域なんです。お互い素直じゃないので周りがいい迷惑で困ってるんですよ。夫婦喧嘩は犬も食わないって南東の方の国でも有名なことわざがあるんですけどねぇ」
「「気色悪いことを言うな!!」」


 二人同時に憤慨すれば、メルも思わず肩を竦める。
 しまったという顔をしてガランに助けを求めるが、ガランはガランでメルと視線が合うと、笑顔を貼り付けたまま視線を逸らし、「あー、後片付けをしませんと〜」と、独り言でも言うように小さくつぶやき、そそくさとその場を離れてしまった。


 結果、二人の逆鱗に触れてしまったメルは、ものすごい形相の二人に詰め寄られてしまう。
 メルに抱えられていたエイラは、ギョッとして思わずメルにしがみついた。


「誰が夫婦だ! ああああの男が伴侶など考えただけでもゾッとする! あの男と結婚するくらいなら、この犬の方がはるかにマシだ!!」
「貴様の頭の中はどうなってるんだ? この女が副団長殿となどあり得ないだろう! そして女を捨てたような女など願い下げだ!」
「お前はなにを聞いていた! マシだというだけであの男に忠実に仕えるしもべの狗が眼中にあるわけないだろう! メル! お前のせいで話がややこしくなったではないかっ!!」
「……五月蝿い」


 ギャアギャアと抗議するアダルベルトの背後から、目を覚ましたライマールの不機嫌そうな低い声が聞こえてくる。
 薄っすらと目を開け、肩越しに二人を睨みつけた後、目の前でエイラを抱えるメルの姿を確認すると、一層不機嫌そうに眉を顰め、じーーっと何かを訴えるようにメルを睨みつけてきた。


「いででででで、殿下っ!毛を引っ張らないで頂きたい!抜け、抜ける!!」


 ライマールは恨みがましい目をメルに向けたまま、無意識にアダルベルトの両頬に生えた、ふさふさとした茶色い毛を引っ張る。とばっちりを喰らったアダルベルトは、涙を浮かべて背中の王子に必至で訴えているが、まるで聞こえている様子はない。


「いえ、そんな目で見られてもですね……今のライマール様にお任せするわけにはいかないでしょう?」
「…………」


 困った顔でメルが言えば、ライマールはムッとしたまま無言でエイラに視線を移す。
 すがる様にメルの胸元の服を掴んで、困惑している様子のエイラの姿を確認すると、口を開きかけた後、アダルベルトの背に顔を埋めた。


 そのままなにかボソリと呟いた後、再び静かな寝息が聞こえてくる。
 毒気を抜かれて皆が呆気に取られる中、ライマールの呟きが聞こえたアダルベルトだけが、微妙な顔をしてエイラをジッと見つめていた。

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