デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

理の外に生きる者 5

「あぁ、すまないね。私はライマールではないんだ。貴女のライマールはそっちだよ」


 ニコッと微笑んでエイラに言ったライマールは、仄かに蒼白く、霧の様にゆらゆらと揺らめいている。
 そっちと言われた方のライマールはといえば、ムッとした様子で腕を組んで、ジロリと蒼白いライマールを睨みつけていた。
 そのライマールも雪のように白く、額からは小さな角の様なものが生えていた。


「だからなぜ俺の姿をかたどる。せめて俺の記憶の中で見知った人間にでも化ければいいだろう」
「困った子だね。記憶をいちいち探るより、私の魂を持っているお前の形を取る方が楽なのだよ。それに今は、お前の血の中に眠るユニコーンの力を最大限に引き出しているのだから、見分けがつかないこともないだろう?」
「そういう問題ではない!」
「あの……?」


 同じ顔の人間が、同じ声で対象的に言葉を発している奇妙な状況に、エイラは目を白黒とさせ困り果てる。
 声を上げたエイラに視線を向ける二人の姿は、確かにエイラの見知ったライマールなのだが、右にいるライマールはとても穏やかな表情をしていて、別人のようでもあるし、左にいるライマールは額から角が生えているものの、エイラの知っているライマールそのもののよう気もするしで、エイラの頭は情報の整理が追いつかない状態になっていた。


 エイラの心情を察してか、穏やかな方のライマールが先に声を上げた。


「混乱させて申し訳ないね。そうだな、私のことは……ライムとでも呼びなさい」
「却下だ」


 穏やかなライマールの提案に、即座に角の生えたライマールが異を唱える。


「私とお前は半分は同じ存在なのだけどね……仕方がないので、元番人と呼びなさい」


 元番人? と首を捻りながらも、エイラは曖昧に頷く。
 チラリと角の生えた方のライマールを見れば、その視線に気がつき、心配そうな顔でエイラに声をかけてきた。


「具合はどうだ?」
「不快感は少しありますが、今は大丈夫です。この白い霧の所為でしょうか?」
「そうか……具合が悪くなったらいつでも言え。即中止にするからな。……おい番人、この先どうすればいい?」
「元だと言っているのに……そうだね、少し待ちなさい」


 番人は周囲を見渡し目を伏せると、何かの気配を追うかのように精神を研ぎ澄ませる。
 暫くしてふと目を開ければ、にこりと笑みを浮かべた。


「うん、問題ないね。思った通り肉片の中に僅かに魂が残っているよ。エイラ、貴女がその魂の形を決めなさい」
「形を……?」
「なんでもいい、想像するんだよ。それがどんな形をしているのか」


 そう言われても……とエイラは困惑して二人をみやる。
 元番人も少し困った顔でエイラの肩をポンポンと軽く叩いた。


「魔法文字を作るのと同じだよ? 新しい形を作るのが難しいならば、君の見知った人物を思い浮かべてもいい。出来ないかい?」


 それなら何とかできそうだと、エイラはこくりと頷く。


 しばらく思案した後、目を伏せて、その人物の姿を思い浮かべる。
 やがてそれはエイラの目の前に、ぼんやりとした小さな霧の塊が姿を現しだした。


 手の平ほどの大きさから徐々に腰ほどの大きさになり、やがてそれは人の形へと変化していく。
 長く伸びた細長い部位からは手の指が現れ、頭部であろうその箇所からは、サラリとした短い髪が生え揃う。
 目鼻立ちもはっきりと現れた頃になれば、ライマールが複雑そうな顔でそれを見下ろした。


 上からしたまで真っ黒なその小さな人型が、ゆっくりと目を開ければ、元番人は満足そうに頷いてくる。


「うん、上出来だね。後はこの子を浄化してあげればいい」
「……判った」


 ライマールが一歩前へ出れば、小さな人型はジロリとライマールを睨みつける。
 見知ったその顔は本人よりもかなり幼く、しかし気味が悪いほどの邪気を纏い、見慣れている金髪ではなく自分と同じ黒髪をしている。
 本来なら翡翠色の瞳は真っ黒で、彼特有の穏やかさなど微塵も感じさせないほど、剣呑とした殺気を放っていた。
 つまるところ、どこをどう見ても幼いメルなのである。


 何故メルなんだ? という疑問と不安を隅におきながら、ライマールは目の前の小さなメルに片手を伸ばす。
 警戒した様子の少年メルは、そうはさせまいとその手に噛み付こうと大きく口を開け抵抗の意を示した。
 思わずライマールが手を引っ込めたところで「私に任せなさい」と、いつの間にか少年メルの背後に回り込んだ元番人が手をかざし、六角柱の形をした結界で少年メルを囲い込む。


 険しい顔で結界を叩き割ろうとする少年メルを見下ろし、ライマールは普段とは違う威厳ある調子で少年に話しかけた。


【暴れるな。すぐに済む】


 澄み渡るような声が周囲に響き渡れば、少年メルは驚いた顔をして、ライマールを見上げる。
 目を瞑り祈り続けていたエイラも、思わずハッとしてライマールを凝視した。


(今のは、神の言語……)


 人の身では決して発することが出来ないその言葉は、ドラゴンと神獣と神の肉片を宿したクロンヴァールの王しか正しく聞き取ることが出来ないとされている言語だ。
 それを難なく発することが出来たと言うことは、ライマールはそれだけ神獣に近い存在だということを示していた。


『死は均しく訪れる。死は門へと誘う。死は理に成り立つ。理から外れしとがの死は番人の元で裁きを下す。理から外れし科の生は番人の手で断罪する。科を受けし魂は番人の導きで浄化する。我、番人の名の元に、穢れし魂の浄化を行う』


 眈々と呪文を紡ぐライマールの姿がゆらりと揺らめき、真っ白な光を全身から放つ。


神の浄化をトトバーニグン


 ライマールの神々しく澄んだ声が波紋の様に広がっていく。
 その直後、ライマールが伸ばした手に吸い込まれる様に、少年メルの体から黒い靄が放出される。


『ーーーーっ!!』


 少年メルは声にならない悲鳴を上げて大きく目を見開き、黒い涙を両目から流す。
 その涙すらも漏らすことを許さないとでもいうように、全てがライマールの手に吸い込まれていった。


 真っ黒だった全身が、徐々に本来の姿へと移り変わる。
 背中から元番人と同じような色の碧白い衣が姿を現し、爪先が白く変わる頃には、全身が白く透き通るような神々しい少年メルの姿が目の前に現れた。

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