デール帝国の不機嫌な王子

みすみ蓮華

Coffee Break : 妹

 念願叶ってライマールがエイラと婚約したのは、ゼイルに相談して八ヶ月が経った頃だった。
 試行錯誤の末、なんとかクロドゥルフとイルミナをくっつけたライマールは、嬉々としてエイラに手紙やプレゼントを送ったものの、そのやりとりも僅か一年弱で止めざるを得なくなる。
 エイラの両親の死、そして兄、エディロ王子の失踪。ライマールは避けられない未来を目の当たりにし、悩んだ挙句に、エイラと距離を置く道を選択したのだった。


 ライマールがピタリと交流を断てば、当然の様に父やクロドゥルフが伺いを立ててくるのも、未来を視ずとも容易に想像できるというもので……。


 何故止めたのか? 喧嘩でもしたのか? 他に好きな人でもできたのか? と、執拗に聞かれれば、ライマールはただ一言、「面倒くさくなった」と、苦渋を飲んで答えるしかなかった。


 当然父には叱られたが、クロドゥルフは半ば押し付ける形になってしまったため、強くも言えず、「まぁ、ライマールの年ではまだ早いでしょうから」と、珍しく父と弟の間を取り持っていた。


 周りの重圧と、視てしまった未来に対しての罪悪感に苛まれ、ライマールはそれからしばらく仕事が手に付かないほど、陰鬱な日々を過ごした。


 この日も庭園の隅で、ライマールは高い山脈の裏側に住むエイラを想い、研究に使うハーブをただぼんやりと眺めていた。


「お兄様、お暇なら稽古に付き合って下さいな」


 背後から声が聞こえ振り返れば、もうじき六歳になる妹が、クリーム色の品の良い騎士服に身を包みながら、幼い頃のライマールによく似た笑顔をむけて立っていた。
 髪の色も瞳の色も、まさに数年前のライマールだ。
 違いといえば、飛び抜けて明るいその性格と、髪の長さくらいだろう。


「ツェナ……今はそんな気分ではない。クロドゥルフにでも頼め」
「何を仰るウサギさん! ルフお兄様に頼めるわけないでしょう? 始めたことの責任はちゃんと取ってください」


 ずいっと剣を差し出されてライマールが渋々それを受け取れば、おどけけて催促したツェナは、満足そうに頷いて、少し間合いを取ると早速剣を構えた。


 先程までの可愛らしい笑顔は一瞬にしてかき消え、真剣な顔つきで、スミレ色の眼光を鋭く光らせる。
 ライマールも剣を構え、二人は刃先を軽く合わせ挨拶を交わす。


 金属が擦れる音を合図に、二人は一気に殺気を放った。
 先に動いたのはツェナの方で、先手必勝とばかりにライマールの懐へと入り込む。
 長い黒髪を靡かせながら、幼い少女とは思えぬ速さで剣技を繰り出し、あっという間にライマールを防守に追い込んでいった。


 しかしライマールも先を読んで、その剣を全て受け止め、弾き返す。
 眼前に剣が振り下ろされれば、ギリギリのところでライマールはその剣を避け、その反動でツェナの腹を狙い、身を翻した。
 風に流されるライマールの前髪の隙間からは、金色に輝く瞳がチラリと顔を覗かせていた。
 ツェナは後ろに飛び退くと、少し不満そうに体勢を立て直す。


「お兄様、そう言うの卑怯って言うんですよ?」
「……お前に教えてるのは試合ではない。お前が剣を向けた時、相手が正義感溢れる正しい者だという保証はないだろう?」
「……そうですね。だったら私も手段は選びませんよ?」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、ツェナは剣を持つ手に力を込める。
 その瞳はみるみるうちにライマールと同じ金色に色を変えていった。


 ツェナは再び間合いを詰めて、下から左からと、隙があると思った場所を手当たり次第に攻めて行く。
 読みは荒いが、その動作は洗練されていて、剣を教え始めて僅か一年弱だというのに、今では間違いなく街のゴロツキ程度ならば、簡単にのせてしまえるだろう腕になっていた。


「だが、……まだ甘い!」


 そう言ってライマールはツェナの剣を弾き返すと、今度は自ら攻撃に転じる。


「技巧だけに頼るな。成長すれば男との体力差は歴然になる。先手を取るのも一つの手だが、相手を見極めろ! 隙ばかり狙って体力を消耗させていれば、足元を掬われるぞ!」


 息が上がり始めていたツェナは、眉を顰めながら、その剣を受け止め横に流す。
 その目はライマールの微妙な動きを追いながら、次の手を読み、なんとか避けている状態だった。


えていても、体が動かなければ意味をなさない。そしてお前はなるべく剣を受け止めずに、避けるようにしろと教えたはずだ!」
「っ!!」


 足元を掬われそうになり、ツェナは思わず飛び跳ねながら横へと逸れる。
 肩で息をして、もうフラフラのツェナに向かって、ライマールが最後の剣を振り上げたところで、不意にツェナが大きな声で叫んだ。


「あっ! 視えた・・・!エイラ様のパンツ!!」
「なっ!?」


 思いもよらぬ言葉に、ライマールは真っ赤な顔で目を見開いて動きを止める。
 ツェナはその隙を見逃さずに、剣の柄でライマールの左手を思い切り叩くと、そのまま切っ先をライマールの首筋に押し当てた。


 柔らかい庭の芝生にライマール剣がドサリと落ちる。
 ツェナはそれを確認すると、にこにこと嬉しそうにライマールを見上げた。


「やった! 一本取った! 窮鼠猫を噛むですよ? お兄様?」
「……卑怯だ」


 悔しそうにライマールがそっぽを向けば、ツェナは無邪気に笑い出す。
 その顔は先程までとは打って変わって、年相応の幼い少女そのものだった。


「お兄様の弱点が分かりやす過ぎなのよ。でも、また一つ勉強になったわ。ありがとうお兄様。少しは元気出ました?」
「……ああ」


 剣を拾い上げ、鞘に収めながら、敵わないなとライマールは苦笑する。
 ライマールが落ち込んでいれば、すぐにその理由を察して、毎回ツェナはこうしてライマールに剣を押し付けた。


 ライマールが青々しい芝生に座りこめば、ツェナもそれに習ってライマールの横に座り込む。
 心地いい風がそっと2人の黒髪を撫で、二人の疲労を癒すように庭を駆け抜けて行く。
 冷んやりと汗が乾いていく感覚に、うっとりとツェナが目を閉じていれば、ライマールが呟くように、ツェナに言った。


「俺じゃそろそろ役不足なのかもしれないな。やはりクロドゥルフに頼んだ方がいい」
「ん〜。技量はともかくとして、お兄様からしか学べない事もあるから、やっぱりお兄様がいいわ。その時・・・が来るまでね。それに、お兄様も一応王子なんだから剣くらい使えた方がいいでしょ?」
「……俺は別にいい……そのうち背中を預けられる人間が現れる」
「ふぅん? メルじゃなくて?」


 その問いには答えず、ライマールが顔を背ければ、その顔を覗き込む様に、ツェナは膝を抱えて首を傾げる。
 スミレ色の瞳は、興味津々とばかりに輝いてライマールを見つめていたが、ライマールにその内容を深く追求することはなかった。


「いいですね。私にもそういう人がいるといいな」
「……いる」
「そうですか」
「ああ」


 よかった。とツェナは呟いて、ゴロンと仰向けに寝転がる。
 そよそよと流れる風に身を任せながら目を瞑ると、静かな時間だけが二人の間に流れていった。


 二人にしかわからない、共有できる感情が、確かにそこにあった。
 ライマールは口数が少ないが、ツェナにはそれで十分だったし、ライマールもツェナが全てを察してくれるので、二人で過ごす時間はいつの間にかかけがえのない時間となっていた。
 似ているが、異なる力を持つ、二人だけの秘密と共感ーー


「お前は、怖く無いのか?」


 不意にポツリとライマールが呟いた。
 目を瞑っていたツェナはパチリと目を開けて、首だけをライマールへと向けると、その背は兄にしては少々頼りなく丸まっているように見えた。
 ツェナは首を元に戻すと、蒼く高い空を見上げながら「怖いですよ」と呟いた。


「怖いに決まってるじゃないですかー! 初めて視ちゃった時は、無茶苦茶絶望的に後悔しましたよ。でも、お兄様の方がずっと後悔してるみたいだったし、なんだかそっちの方が気になっちゃって。今ではわりと、先なんて気にしてもしょうがないかなって。私の力のせいでしょうか? 今楽しければいいやーって思うようになりました。ルフお兄様も騎士はいつ死んでも後悔しないように、常に一日一日を大事にして生きていかねばならないって言ってましたしね」
「そうか……お前は強いな」


 戯けながらツェナは、ふふふ。と、楽しそうに笑みを漏らす。
 対象的にライマールは何処か悲しそうに口元を歪めていたが、ツェナは気付かないフリをして、また冗談めいてライマールに言った。


「私が強いんじゃなくて、お兄様が弱虫なだけですよ〜。エイラ様の事だって杞憂でしょう? もっと自信を持って下さいな。ご両親が居なくなったって、エディロ様が居なくなったって、変わらない未来はあるんでしょ? その先でうんと甘やかしちゃえば良いんですよ! 終わり良ければすべて良し! ってね」


 ライマールはその言葉にハッとして、思わずツェナに振り返る。
 前髪の隙間から、パチリとその視線が合わされば、ツェナは寝転がりながらも、にこりとライマールに笑って見せた。


「……ほんとお前は強いな。敵わない」
「後悔先に立たずですよ。お兄様。今、後悔しちゃダメです。後ですれば良いんですよ、後で。……大丈夫です。幸せになれます。お兄様も、……私も。信じてますから」
「ツェナ……」


 言葉を失い、顔を歪めるライマールに、「しょうがないですね」と、また戯けながらツェナは「よっ」と、反動をつけて起き上がる。


「そんなに私がさっき視たエイラ様のパンツが気になりますか? お兄様は意外とえっちなんですね。今日のエイラ様のパンツの色はですね〜……」
「お、お前っ、本当に視たのか!?」


 真っ赤になって慌てて目を白黒とさせるライマールを見ながら、ツェナはケラケラと笑う。
 そしてそのまま立ち上がり、大きく伸びをすると、フッとライマールが気がつかないほど、小さく短い溜息を吐き出した。


(まだ時間はあるけど、やっぱりお兄様を残していくのだけは心配ね)


 覚悟は出来てる。けど、目の前の頼れそうで頼りない兄を思えば、離れ難いという想いがツェナの中に浮かび上がる。


 そんな気持ちをひた隠し、ツェナはライマールに振り返る。
 そして意味深な笑みを浮かべて見せると、
「さぁ? どうでしょう?」と、少し意地悪くライマールに答えたのだった。

「デール帝国の不機嫌な王子」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く