デール帝国の不機嫌な王子
彼の素顔、彼の告白 4
エイラはライマールと出会ってからの記憶をひとつひとつ掘り起こしてみる。
よくよく思い返せば、未来を見ていた上での発言や行動だったのだなと思い至ることが多々あった。
「俺は物心着いた時にはもう、ずっとお前を視ていたんだ。数ある未来の中で伴侶となるであろう娘は他にもいたが、俺はリータの……エイラの楽しそうに声をあげて笑う顔が好きだと思ったんだ」
それはもう失われてしまった未来だとライマールは少し寂しそうに呟く。
「一番初めの婚約で結婚していれば、お前は無邪気に笑っていたはずだったんだ……でも俺にはどうしても選べなかった」
何かの罪を告白するかのようなライマールの"選べなかった"と言う台詞に、エイラは少々引っかかりを覚える。
確か、帝国へ来て意識がなかった時に夢の中でそんな言葉を聞いた記憶がある。
蹲ってそう呟いていた……あそこに居たのは、やはりライマールだったのかとエイラは心の隅でそう感じた。
「……それは何故ですか?」
親が決めた政略結婚だった。
エイラは従うだけだったし、彼から手紙や贈り物を貰うのは嬉しかったが、早く彼と結婚したいと思うような強い気持ちがあったわけでもない。
だが、彼自身は、話を聞いている限り、それを実行できなかったことをとても悔いているみたいだ。
「……あちらの未来を選んでいれば、暫くは幸せな結婚生活を送れただろう……だが、お前の兄はそれでも失踪しただろう。その先に視えた未来は、竜の国の衰退だった……俺は、お前が王位を受け継いで孤独になるのを解っていた上で、最初の婚約をわざと先延ばしにしてたんだ……」
だがまさかこんなことまで起こるとまでは知らなかった。と、ライマールは目を伏せる。
「……ニューズに居たのは、ネクロマンサーが現れる光景を見たからだった。それ自体は他愛のない小さな事件だったし、俺でなくても処理ができる事件だった。ただ、他にも漠然とした、別の何かが起こる予感があった。リ……エイラが"呪"に侵されていたせいかハッキリとは判らなかったが、よくないことが起こるのは判っていた。それがなんなのかハッキリと判ったのは、俺がニューズに着いた直後だったんだ……俺がこちらの未来を選んだばっかりに……すまない本当に……」
それだけ言うとライマールはまた膝に顔を埋めて俯いてしまう。
微かに震える丸まった背中を見て、エイラは思わず胸をギュッと抑えた。
未来が視えるというのは、便利なものとは限らないのだろう。
ライマールは、もしかしてこんな選択を今まで何度もしてきたのではないだろうか?
アダルベルトの態度や皇帝やクロドゥルフの態度、そして謁見の直後でも兵士や侍従達の目やヒソヒソと話す声はライマールを奇異な存在として扱っていた節があった。
きっと誰もライマールに未来を見る力があるとは知らないのだろう。
エイラは立ち上がりライマールの前で膝を着くと、ライマールの手にそっと自分の手を添えた。
「ご自分を責めないであげて下さい。私は今の私で良かったと思っています。ライマール様が選んだように、私もまた女王になることを自分で選んだんです。父のようにはいきませんし、こんな状況になってしまいましたが、それは私が招いた結果であって、ライマール様が招いたわけではないと思います。もっと私がしっかりしていればこんなことにはならなかったのですから……」
「リータ……」
顔を上げたライマールの頬に伝う涙を拭いながら、エイラは少しだけ苦笑する。
「強引に婚約を取り付けたことに関しては正直少し思うところもありますが、ライマール様にはとても感謝しています。あの時助けて頂かなければ、私はおろか、竜の国もなくなっていたでしょうから」
「……すまない。…………どうしても嫌ならば……全てが終わったら……身を、引こう…………」
グッと喉を鳴らしてライマールは口を曲げる。
微かに手が震え、また泣きそうになるのを堪えているのだと気がついて、エイラは困った顔でライマールを見上げた。
「あの、ライマール様を嫌いだというわけではないのです。……好きかと聞かれても困りますが……」
エイラはだまし討ちにあった上に、その後も説明がなかったことに腹を立てただけで、何も婚約自体が嫌で怒ったわけではない。
ライマールは一方的に自分の力を使って知っていたのかもしれないが、エイラにとってはどうあったって初対面なのだ。
会話と言ってもここにきて、ようやくライマールのことが少しだけわかったくらいだ。
助けてもらってひと月近くはエイラも意識が朦朧としていたし、ライマールはライマールで忙しそうに動き回っていたしで、互いをきちんと知りあえるほど会話をしていない。
(優しい方だと思うし、好感は持てるとは思うのですが……)
それが恋愛感情か? と言われたら、正直首を捻るしかない。
「婚約を辞めるかどうかは置いておいて、お互いを知るところから始めませんか? 一度婚約式を行ってしまえばそう簡単には反故もできないですし……それに、謁見でも言いましたが、ライマール様がそこまで思って下さっているのであれば私も努力しようと思います」
頷きながらそれがいいとエイラは思う。
恋情というものが、一体どういったものかは解らないが、ライマールが恩人であることには変わりない。
その恩人が自分を好きだと言ってくれているのだから、それに応えることができればきっとこれ以上の恩返しはないはずだ。
それにこの先これほどまでに自分に好意を持ってくれる人が現れるとは限らない。
嫌いなわけではないのだから、好きになれるかもしれない。
エイラがそんなことを考えていれば、ライマールは心なしか頬を染めて小さく頷いた。
どこかぼーっとした様子のライマールにエイラが首を傾げれば、ライマールは慌ててエイラから視線を逸らし「わかった」と遅れて返事を返した。
「俺もリ……エイラに好かれるように努力しよう」
ライマールが頬を染めながらも憮然とそう答えれば、エイラは苦笑しながら「リータで結構ですよ」と、ライマールに言った。
あの時は腹が立った勢いで気安く呼ぶなと言っただけで、エイラもそこまで徹底して嫌だったわけではないのだ。
名前で呼ばれるなら正直どっちでも変わりはない。
それでも健気に嫌われまいといちいち言い直すライマールがなんだか可愛らしいなとエイラは目を細めた。
するとライマールは信じられないといった様子で前髪の下で目を見開いて、やがて嬉しそうに破顔する。
この顔がちゃんと見えればいいのにとエイラが少し残念に思っていると、ライマールがそわそわとした様子で遠慮がちに口を開いた。
「お前は…………リータはどんな男が好きだ?」
努力すると言ったからには彼女の理想に近づかなくてはならないと、ライマールが緊張した面持ちで口を曲げれば、「そうですね……」とエイラは顎に手を当てて考え込む。
そして暫くした後、少し悪戯っぽくライマールに微笑んで、
「ちゃんと目を見て話せる人が好きですよ」
と、答えた。
翌日、朝食の席に現れたライマールの前髪はバッサリと切り落とされていて、綺麗に整えられていた。
皆が驚いてライマールに注目すれば、ライマールは少しバツが悪そうに顔を歪めながら席につく。
エイラがそれに気がついて嬉しそうに微笑めば、ライマールは今まで前髪の下に隠れて見えなかった、彼本来の、柔らかく優しげな笑みをエイラに向ける。
ライマールが頬を微かに染めて、紫色の瞳を朝日にキラキラと輝かせている光景に、食堂に居たエイラ以外の誰もが息をするのも忘れ、信じられないといった様子で目の前の王子を凝視したのだった。
よくよく思い返せば、未来を見ていた上での発言や行動だったのだなと思い至ることが多々あった。
「俺は物心着いた時にはもう、ずっとお前を視ていたんだ。数ある未来の中で伴侶となるであろう娘は他にもいたが、俺はリータの……エイラの楽しそうに声をあげて笑う顔が好きだと思ったんだ」
それはもう失われてしまった未来だとライマールは少し寂しそうに呟く。
「一番初めの婚約で結婚していれば、お前は無邪気に笑っていたはずだったんだ……でも俺にはどうしても選べなかった」
何かの罪を告白するかのようなライマールの"選べなかった"と言う台詞に、エイラは少々引っかかりを覚える。
確か、帝国へ来て意識がなかった時に夢の中でそんな言葉を聞いた記憶がある。
蹲ってそう呟いていた……あそこに居たのは、やはりライマールだったのかとエイラは心の隅でそう感じた。
「……それは何故ですか?」
親が決めた政略結婚だった。
エイラは従うだけだったし、彼から手紙や贈り物を貰うのは嬉しかったが、早く彼と結婚したいと思うような強い気持ちがあったわけでもない。
だが、彼自身は、話を聞いている限り、それを実行できなかったことをとても悔いているみたいだ。
「……あちらの未来を選んでいれば、暫くは幸せな結婚生活を送れただろう……だが、お前の兄はそれでも失踪しただろう。その先に視えた未来は、竜の国の衰退だった……俺は、お前が王位を受け継いで孤独になるのを解っていた上で、最初の婚約をわざと先延ばしにしてたんだ……」
だがまさかこんなことまで起こるとまでは知らなかった。と、ライマールは目を伏せる。
「……ニューズに居たのは、ネクロマンサーが現れる光景を見たからだった。それ自体は他愛のない小さな事件だったし、俺でなくても処理ができる事件だった。ただ、他にも漠然とした、別の何かが起こる予感があった。リ……エイラが"呪"に侵されていたせいかハッキリとは判らなかったが、よくないことが起こるのは判っていた。それがなんなのかハッキリと判ったのは、俺がニューズに着いた直後だったんだ……俺がこちらの未来を選んだばっかりに……すまない本当に……」
それだけ言うとライマールはまた膝に顔を埋めて俯いてしまう。
微かに震える丸まった背中を見て、エイラは思わず胸をギュッと抑えた。
未来が視えるというのは、便利なものとは限らないのだろう。
ライマールは、もしかしてこんな選択を今まで何度もしてきたのではないだろうか?
アダルベルトの態度や皇帝やクロドゥルフの態度、そして謁見の直後でも兵士や侍従達の目やヒソヒソと話す声はライマールを奇異な存在として扱っていた節があった。
きっと誰もライマールに未来を見る力があるとは知らないのだろう。
エイラは立ち上がりライマールの前で膝を着くと、ライマールの手にそっと自分の手を添えた。
「ご自分を責めないであげて下さい。私は今の私で良かったと思っています。ライマール様が選んだように、私もまた女王になることを自分で選んだんです。父のようにはいきませんし、こんな状況になってしまいましたが、それは私が招いた結果であって、ライマール様が招いたわけではないと思います。もっと私がしっかりしていればこんなことにはならなかったのですから……」
「リータ……」
顔を上げたライマールの頬に伝う涙を拭いながら、エイラは少しだけ苦笑する。
「強引に婚約を取り付けたことに関しては正直少し思うところもありますが、ライマール様にはとても感謝しています。あの時助けて頂かなければ、私はおろか、竜の国もなくなっていたでしょうから」
「……すまない。…………どうしても嫌ならば……全てが終わったら……身を、引こう…………」
グッと喉を鳴らしてライマールは口を曲げる。
微かに手が震え、また泣きそうになるのを堪えているのだと気がついて、エイラは困った顔でライマールを見上げた。
「あの、ライマール様を嫌いだというわけではないのです。……好きかと聞かれても困りますが……」
エイラはだまし討ちにあった上に、その後も説明がなかったことに腹を立てただけで、何も婚約自体が嫌で怒ったわけではない。
ライマールは一方的に自分の力を使って知っていたのかもしれないが、エイラにとってはどうあったって初対面なのだ。
会話と言ってもここにきて、ようやくライマールのことが少しだけわかったくらいだ。
助けてもらってひと月近くはエイラも意識が朦朧としていたし、ライマールはライマールで忙しそうに動き回っていたしで、互いをきちんと知りあえるほど会話をしていない。
(優しい方だと思うし、好感は持てるとは思うのですが……)
それが恋愛感情か? と言われたら、正直首を捻るしかない。
「婚約を辞めるかどうかは置いておいて、お互いを知るところから始めませんか? 一度婚約式を行ってしまえばそう簡単には反故もできないですし……それに、謁見でも言いましたが、ライマール様がそこまで思って下さっているのであれば私も努力しようと思います」
頷きながらそれがいいとエイラは思う。
恋情というものが、一体どういったものかは解らないが、ライマールが恩人であることには変わりない。
その恩人が自分を好きだと言ってくれているのだから、それに応えることができればきっとこれ以上の恩返しはないはずだ。
それにこの先これほどまでに自分に好意を持ってくれる人が現れるとは限らない。
嫌いなわけではないのだから、好きになれるかもしれない。
エイラがそんなことを考えていれば、ライマールは心なしか頬を染めて小さく頷いた。
どこかぼーっとした様子のライマールにエイラが首を傾げれば、ライマールは慌ててエイラから視線を逸らし「わかった」と遅れて返事を返した。
「俺もリ……エイラに好かれるように努力しよう」
ライマールが頬を染めながらも憮然とそう答えれば、エイラは苦笑しながら「リータで結構ですよ」と、ライマールに言った。
あの時は腹が立った勢いで気安く呼ぶなと言っただけで、エイラもそこまで徹底して嫌だったわけではないのだ。
名前で呼ばれるなら正直どっちでも変わりはない。
それでも健気に嫌われまいといちいち言い直すライマールがなんだか可愛らしいなとエイラは目を細めた。
するとライマールは信じられないといった様子で前髪の下で目を見開いて、やがて嬉しそうに破顔する。
この顔がちゃんと見えればいいのにとエイラが少し残念に思っていると、ライマールがそわそわとした様子で遠慮がちに口を開いた。
「お前は…………リータはどんな男が好きだ?」
努力すると言ったからには彼女の理想に近づかなくてはならないと、ライマールが緊張した面持ちで口を曲げれば、「そうですね……」とエイラは顎に手を当てて考え込む。
そして暫くした後、少し悪戯っぽくライマールに微笑んで、
「ちゃんと目を見て話せる人が好きですよ」
と、答えた。
翌日、朝食の席に現れたライマールの前髪はバッサリと切り落とされていて、綺麗に整えられていた。
皆が驚いてライマールに注目すれば、ライマールは少しバツが悪そうに顔を歪めながら席につく。
エイラがそれに気がついて嬉しそうに微笑めば、ライマールは今まで前髪の下に隠れて見えなかった、彼本来の、柔らかく優しげな笑みをエイラに向ける。
ライマールが頬を微かに染めて、紫色の瞳を朝日にキラキラと輝かせている光景に、食堂に居たエイラ以外の誰もが息をするのも忘れ、信じられないといった様子で目の前の王子を凝視したのだった。
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