デール帝国の不機嫌な王子
Coffee Break : キャラメル
それはクロドゥルフが十三才になる、春頃のことだった。
以前からそれとなく皇帝である父にほのめかされていた、婚約者についての具体的な話が内密に進められると父直々に話を聞かされた。
なんでも先方の都合で、婚儀ギリギリまで婚約は表沙汰にできないのだそうで、婚約には細心の注意を払わなければならないらしい。
結婚という言葉にいまいちピンと来なかったが、父が選んだ相手ならそう悪い話ではないのだろうと、割と適当に頷き、クロドゥルフは了承した。
更に具体的な話を聞けば、なんでも南の山脈を超えた竜の国の姫君が相手らしい。
流石にそれを聞いた時には、クロドゥルフも驚きを隠すことなどできなかった。
デールも、死霊が闊歩する森に囲まれた閉鎖的な国ではあるが、それ以上に閉鎖的なのが南の竜の国だった。
難攻不落の竜の山脈に囲まれ、国境を越えるのもかなりの命がけだと聞く。
アスベルグ騎士団の熟練騎士達が演習の際に彼の山脈を登ることがあるらしいが、その過酷さ故に、命を落とした者も少なくないらしい。
それ故、古くから竜の国は謎の多い国だった。
時折竜の国の国王がデールへ訪れていたのは知っていたが、まさかそのような話をしていたとは夢にも思わなかった。
おそらく近隣諸国はもちろん、ハイニアの大陸中の国々が羨むような縁談であることには違いない。
それだけでも思わず人に自慢してしまいたくなるような話だったが、更に父王は今後のためにも、クロドゥルフに竜の国へ赴くようにと命じた。
名目上は皇太子としてあちらの皇太子と交流を深めるとのことだったが、婚約者との顔合わせが重点に置かれているのは明らかだ。
理由はなんにしろ、謎めいた国に行けるのだから、思春期を迎えたばかりのクロドゥルフが期待に胸を高鳴らせないわけがない。
その話を聞いた時から、クロドゥルフは社交のために竜の国の本を読み漁り、鍛錬の間もかの国へ想いを馳せ、ついには夢の中でドラゴンを乗り回すまでになっていた。
そのせいで竜の国の訪問を終えるまで、クロドゥルフは弟の様子がおかしいことになどまるで気づいてなかった。
初めての竜の国の訪問は緊張したものの、国王も王妃も皆優しい人で、エディロ王子もエイラ姫もクロドゥルフはかなり好印象を持つことができた。
なにより想像以上に大きな城に、街がすっぽりといくつも収まっていて、人が普通に暮らしていることに興奮したし、念願のドラゴンが送り迎えをしてくれたことにも感動した。
帰ってきて二日は経つというのに、まだどこか夢見心地で廊下を歩いていれば、ふと背後からなにか視線を感じて、クロドゥルフは振り返る。
すると慌てた様ように小さな影が廊下の角へと引っ込むのが目端に映ったような気がした。
「誰かいるのか?」
声をかけてみたが相手の反応はなく、気のせいか? と、クロドゥルフは再び歩き始める。
しかし注意深く気配を追えば、明らかに後ろからペタペタと小さな足音が聞こえてくる。
犯人がなんとなく判ったクロドゥルフは、可愛らしい密偵の足音に、笑いを堪えながらも、気がつかないフリをして次の角を左に曲がった。
すると小さな尾行者は慌てたのか、パタパタとクロドゥルフの後を追って角を曲がる。
「あ……」
「人の後をつけるのは感心しないぞ? ライマール」
先を歩いていたと思ったクロドゥルフが角を曲がってすぐのところにいたため、ライマールはバツが悪そうに顔を顰め、俯いた。
そんな弟の仕草に苦笑しながら、クロドゥルフはライマールに話し掛ける。
「何か俺に用なのか? お前から俺の所に来るなんて珍しいな」
どういうわけか、この弟は物心ついた時から、人と一線距離を置くように一人でいることを好んでいた。
王子が孤立するのはマズいだろうと、クロドゥルフが時折嗜みにと剣を教えることはあったが、武よりも文の方が秀でているらしく、剣術を話の種にするといったことも出来ず、気付けば兄弟ながら二人の間には微妙な距離ができていた。
故に、クロドゥルフは珍しく弟から自分に近づいてきてくれたことが、素直に嬉しいと感じた。
しかし対照的にライマールはムッとした顔で、クロドゥルフを恨めしげに上目遣いで見上げてきた。
押し黙ったライマールに睨みつけられ、クロドゥルフはなにかしただろうかと首を捻る。
「なんだ? なにか言いたいことがあるならハッキリと言わないと解らないぞ?」
するとライマールはみるみるうちに目に涙を貯めて、「……盗った」と小さく呟く。
不可解なライマールの呟きに、クロドゥルフは眉を顰めた。
「盗った? 俺がか? 何をだ? お前からなにか受け取った記憶も、借りた記憶もないが……それとも部屋から何か消えたのか?」
どうしてこう言葉が少ないのかとクロドゥルフが頭を悩ませていると、ライマールは首をブンブンと横に振り、泣きながらクロドゥルフに訴えてきた。
「か、かえせっ! お、俺の……お嫁さんだったのに!! なんで…………お、お前なんか………………だっ、大っ嫌いだ!!」
ボロボロと涙を流しながら、ポカポカとライマールはクロドゥルフに殴りかかってくる。
未だに理解出来ないまま、クロドゥルフは降参のポーズ取りつつまた首を捻る。
よく解らないが、話を察するに、好きな女の子に振られでもしたのだろうか?
皇太子という立場上、大なり小なり、好意が有る無しに関わらず、言いよってくる女の子がいるにはいたが、了承した憶えは一度もない。
……そういえば、昨日学校で竜の国の話をしていた時、何人か話の輪の中に見知らぬ女の子が混じっていた気もする。
もしかしたらその中にライマールの好きな子がいたのかもしれない。
それにしても七歳で随分ませてるんだなぁと、我が弟に苦笑を漏らしながら、クロドゥルフはとりあえず謝っておけばいいかとライマールを宥める。
「うーん? スマンスマン。まぁ、俺も全部断ってるし、お前が誠意を持って接していればいつか振り向いてくれるんじゃないか? 俺にいい寄ってくる子は俺の事が好きなわけではないだろうし……」
「嘘だ!! 全部断ってなどない!!」
落ち着くどころか、いよいよもって大泣きを始めるライマールに、クロドゥルフはどうしたものかと頭を抱える。
もしかしたらライマールが意外にしつこく言いよって、相手に自分と両思いだと嘘でも言われたのかもしれない。
若干気の毒に思いながらも、恋愛経験のないクロドゥルフはなんと言って慰めていいのか思い当たらず、しばらくライマールにされるがままに殴られていた。
存外体力がない弟はあっさりと殴り疲れ、早々にペタリとその場に座り込んで蹲ってしまう。
「俺の……お、お嫁さん、だったのに……」
自分が悪いわけではないのに、しゃくり上げながら呟いて膝を抱えるライマールを見ているうちに、なんとも言えない罪悪感をクロドゥルフは感じはじめる。
参ったなぁと頭を掻きながら、なんとなく腰に手を当てようとすれば、上着のポケットの上から、なにか角ばった物が指先に当った。
なんだろうと違和感を感じ、少々考え込んで、それが昨日女の子から貰ったキャラメルだと思い当たる。
これだ!と思い、クロドゥルフはポケットからキャラメルを取り出すと、ライマールの手にそれを握らせる。
「そうだ! これ、お前の"お嫁さん"から、お前に渡してくれって言われてたんだよ。直接渡すの恥ずかしいからって。大丈夫だ、お前は嫌われているわけじゃない! 努力すれば必ず報われるさ」
「リータが俺に……?」
渡されたキャラメルを呆然と見つめながら、ライマールはピタリと涙を引っ込める。
呟かれた名前を気にする前に、クロドゥルフは弟がやっと泣き止んだことにホッとして、ポンポンと慰めるようにライマールの頭を撫でた。
「そうそう、リータちゃん? がお前にって。ほら、もう泣き止め。男がそう簡単に泣くもんじゃない。泣いてばかりじゃ好きになってもらえないぞ」
「……わかった」
ライマールは素直に頷いて、キャラメルを握りしめながらゴシゴシとローブの袖で涙を拭う。
そしてふらふらと立ち上がると、クロドゥルフから貰ったキャラメルを嬉しそうにハニカミながら眺め、トボトボと来た道を戻っていった。
クロドゥルフは嘘をついてしまったことに、また若干の罪悪感を感じながらも、ホッとしてライマールの後ろ姿を見送った。
「ん……あれ? リータってどっかで聞いた事があるような…………誰だったかな?」
なんとなくその名前に引っかかりを覚えたものの、弟の機嫌が治ったのだから別にいいだろうとクロドゥルフは思い直す。
クロドゥルフがライマールのいう"お嫁さん"が誰だったのかを知ることになるのは、まだ当分先の話である。
以前からそれとなく皇帝である父にほのめかされていた、婚約者についての具体的な話が内密に進められると父直々に話を聞かされた。
なんでも先方の都合で、婚儀ギリギリまで婚約は表沙汰にできないのだそうで、婚約には細心の注意を払わなければならないらしい。
結婚という言葉にいまいちピンと来なかったが、父が選んだ相手ならそう悪い話ではないのだろうと、割と適当に頷き、クロドゥルフは了承した。
更に具体的な話を聞けば、なんでも南の山脈を超えた竜の国の姫君が相手らしい。
流石にそれを聞いた時には、クロドゥルフも驚きを隠すことなどできなかった。
デールも、死霊が闊歩する森に囲まれた閉鎖的な国ではあるが、それ以上に閉鎖的なのが南の竜の国だった。
難攻不落の竜の山脈に囲まれ、国境を越えるのもかなりの命がけだと聞く。
アスベルグ騎士団の熟練騎士達が演習の際に彼の山脈を登ることがあるらしいが、その過酷さ故に、命を落とした者も少なくないらしい。
それ故、古くから竜の国は謎の多い国だった。
時折竜の国の国王がデールへ訪れていたのは知っていたが、まさかそのような話をしていたとは夢にも思わなかった。
おそらく近隣諸国はもちろん、ハイニアの大陸中の国々が羨むような縁談であることには違いない。
それだけでも思わず人に自慢してしまいたくなるような話だったが、更に父王は今後のためにも、クロドゥルフに竜の国へ赴くようにと命じた。
名目上は皇太子としてあちらの皇太子と交流を深めるとのことだったが、婚約者との顔合わせが重点に置かれているのは明らかだ。
理由はなんにしろ、謎めいた国に行けるのだから、思春期を迎えたばかりのクロドゥルフが期待に胸を高鳴らせないわけがない。
その話を聞いた時から、クロドゥルフは社交のために竜の国の本を読み漁り、鍛錬の間もかの国へ想いを馳せ、ついには夢の中でドラゴンを乗り回すまでになっていた。
そのせいで竜の国の訪問を終えるまで、クロドゥルフは弟の様子がおかしいことになどまるで気づいてなかった。
初めての竜の国の訪問は緊張したものの、国王も王妃も皆優しい人で、エディロ王子もエイラ姫もクロドゥルフはかなり好印象を持つことができた。
なにより想像以上に大きな城に、街がすっぽりといくつも収まっていて、人が普通に暮らしていることに興奮したし、念願のドラゴンが送り迎えをしてくれたことにも感動した。
帰ってきて二日は経つというのに、まだどこか夢見心地で廊下を歩いていれば、ふと背後からなにか視線を感じて、クロドゥルフは振り返る。
すると慌てた様ように小さな影が廊下の角へと引っ込むのが目端に映ったような気がした。
「誰かいるのか?」
声をかけてみたが相手の反応はなく、気のせいか? と、クロドゥルフは再び歩き始める。
しかし注意深く気配を追えば、明らかに後ろからペタペタと小さな足音が聞こえてくる。
犯人がなんとなく判ったクロドゥルフは、可愛らしい密偵の足音に、笑いを堪えながらも、気がつかないフリをして次の角を左に曲がった。
すると小さな尾行者は慌てたのか、パタパタとクロドゥルフの後を追って角を曲がる。
「あ……」
「人の後をつけるのは感心しないぞ? ライマール」
先を歩いていたと思ったクロドゥルフが角を曲がってすぐのところにいたため、ライマールはバツが悪そうに顔を顰め、俯いた。
そんな弟の仕草に苦笑しながら、クロドゥルフはライマールに話し掛ける。
「何か俺に用なのか? お前から俺の所に来るなんて珍しいな」
どういうわけか、この弟は物心ついた時から、人と一線距離を置くように一人でいることを好んでいた。
王子が孤立するのはマズいだろうと、クロドゥルフが時折嗜みにと剣を教えることはあったが、武よりも文の方が秀でているらしく、剣術を話の種にするといったことも出来ず、気付けば兄弟ながら二人の間には微妙な距離ができていた。
故に、クロドゥルフは珍しく弟から自分に近づいてきてくれたことが、素直に嬉しいと感じた。
しかし対照的にライマールはムッとした顔で、クロドゥルフを恨めしげに上目遣いで見上げてきた。
押し黙ったライマールに睨みつけられ、クロドゥルフはなにかしただろうかと首を捻る。
「なんだ? なにか言いたいことがあるならハッキリと言わないと解らないぞ?」
するとライマールはみるみるうちに目に涙を貯めて、「……盗った」と小さく呟く。
不可解なライマールの呟きに、クロドゥルフは眉を顰めた。
「盗った? 俺がか? 何をだ? お前からなにか受け取った記憶も、借りた記憶もないが……それとも部屋から何か消えたのか?」
どうしてこう言葉が少ないのかとクロドゥルフが頭を悩ませていると、ライマールは首をブンブンと横に振り、泣きながらクロドゥルフに訴えてきた。
「か、かえせっ! お、俺の……お嫁さんだったのに!! なんで…………お、お前なんか………………だっ、大っ嫌いだ!!」
ボロボロと涙を流しながら、ポカポカとライマールはクロドゥルフに殴りかかってくる。
未だに理解出来ないまま、クロドゥルフは降参のポーズ取りつつまた首を捻る。
よく解らないが、話を察するに、好きな女の子に振られでもしたのだろうか?
皇太子という立場上、大なり小なり、好意が有る無しに関わらず、言いよってくる女の子がいるにはいたが、了承した憶えは一度もない。
……そういえば、昨日学校で竜の国の話をしていた時、何人か話の輪の中に見知らぬ女の子が混じっていた気もする。
もしかしたらその中にライマールの好きな子がいたのかもしれない。
それにしても七歳で随分ませてるんだなぁと、我が弟に苦笑を漏らしながら、クロドゥルフはとりあえず謝っておけばいいかとライマールを宥める。
「うーん? スマンスマン。まぁ、俺も全部断ってるし、お前が誠意を持って接していればいつか振り向いてくれるんじゃないか? 俺にいい寄ってくる子は俺の事が好きなわけではないだろうし……」
「嘘だ!! 全部断ってなどない!!」
落ち着くどころか、いよいよもって大泣きを始めるライマールに、クロドゥルフはどうしたものかと頭を抱える。
もしかしたらライマールが意外にしつこく言いよって、相手に自分と両思いだと嘘でも言われたのかもしれない。
若干気の毒に思いながらも、恋愛経験のないクロドゥルフはなんと言って慰めていいのか思い当たらず、しばらくライマールにされるがままに殴られていた。
存外体力がない弟はあっさりと殴り疲れ、早々にペタリとその場に座り込んで蹲ってしまう。
「俺の……お、お嫁さん、だったのに……」
自分が悪いわけではないのに、しゃくり上げながら呟いて膝を抱えるライマールを見ているうちに、なんとも言えない罪悪感をクロドゥルフは感じはじめる。
参ったなぁと頭を掻きながら、なんとなく腰に手を当てようとすれば、上着のポケットの上から、なにか角ばった物が指先に当った。
なんだろうと違和感を感じ、少々考え込んで、それが昨日女の子から貰ったキャラメルだと思い当たる。
これだ!と思い、クロドゥルフはポケットからキャラメルを取り出すと、ライマールの手にそれを握らせる。
「そうだ! これ、お前の"お嫁さん"から、お前に渡してくれって言われてたんだよ。直接渡すの恥ずかしいからって。大丈夫だ、お前は嫌われているわけじゃない! 努力すれば必ず報われるさ」
「リータが俺に……?」
渡されたキャラメルを呆然と見つめながら、ライマールはピタリと涙を引っ込める。
呟かれた名前を気にする前に、クロドゥルフは弟がやっと泣き止んだことにホッとして、ポンポンと慰めるようにライマールの頭を撫でた。
「そうそう、リータちゃん? がお前にって。ほら、もう泣き止め。男がそう簡単に泣くもんじゃない。泣いてばかりじゃ好きになってもらえないぞ」
「……わかった」
ライマールは素直に頷いて、キャラメルを握りしめながらゴシゴシとローブの袖で涙を拭う。
そしてふらふらと立ち上がると、クロドゥルフから貰ったキャラメルを嬉しそうにハニカミながら眺め、トボトボと来た道を戻っていった。
クロドゥルフは嘘をついてしまったことに、また若干の罪悪感を感じながらも、ホッとしてライマールの後ろ姿を見送った。
「ん……あれ? リータってどっかで聞いた事があるような…………誰だったかな?」
なんとなくその名前に引っかかりを覚えたものの、弟の機嫌が治ったのだから別にいいだろうとクロドゥルフは思い直す。
クロドゥルフがライマールのいう"お嫁さん"が誰だったのかを知ることになるのは、まだ当分先の話である。
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