メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない彼の奮闘。 4

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 台所の裏口に落ちていた紙を握りしめ、チェイスは城へと急行する。
 リリアが消え、不審に思ったチェイスが唯一見つけた走り書きには、こう書かれていた。


『明朝鐘九つ、ハトック橋 西部入り口にて待つ。
    人質解放条件はただ一つ。トランス子爵の持つユリノス勲章と引き換えとする。  R 』


「よりによってユリノス勲章が狙いだったとは! くそっ!! ふざけやがって!!」


 指定場所もさることながら、ユリノス勲章の文字を目にしたチェイスは、犯人の大胆かつ驕慢な要求に唇を噛み締める。
 ユリノス勲章はフィランジ王国において、領地持ちの貴族が発行できるただ一つの特例勲章の総称となる。
 一つの爵位に対し一つしか発行出来ない制約があり、その権利は発行者の代理人という役割を与える。
 親族から爵位を受け継際、例外なく皆爵位と一緒にこのユリノス勲章を引き継ぎ、各々が個人で管理を行う。
 形状は各家によって異なり、管理方法も目につく場所にわざと飾る者もいれば、極秘の場所に保管するものまで、実に様々だ。
 勿論、紛失した際や盗難にあった際は、例外的に新たな形で再発行は可能だが、次型が決まり、公布されるまでにはそれなりに時間を要するし、ユリノス勲章を欲する犯人の動向次第では、目的が達成されてしまう可能性が格段に強くなるだろう。


 チェイスから事の次第を聞いたグレンも顔色を変え、即時レイバン公爵とイザドール皇太子へと報告された。
 対策を練る時間は殆どないにも等しいが、人質となったリリアとチェイスの地位を死守する為には、何としてもこの取引の内に犯人を捕縛しなければならない。


「落ち着きなよチェイス。殿下と閣下の御前だよ」
「……すみません」
「気にしないで。私が子爵の立場でも同じ事を口にしていさ。僅かな隙をつかれて想い人まで攫われたとあっては、色々とやり切れないだろう」
「…………ジェファーソン伯爵・・・・・・・・・?」
「だってほら、君が女の子に興味持つなんて凄く珍しいから、つい?」
「あんたやオリバーが特殊なだけで、俺は至って普通だ! 好き勝手言いふらすな!!」
「うおっほん」


 だからグレンには知られたくなかったのにと、瞼を染めて目を釣り上げるチェイスと、大げさに仰け反るグレンに向けて、レイバン公が咳払いで諌める。
 本当に苦労が絶えないね。と、チェイスに苦笑を落としたのはイザドールで、グレンはカラ笑いをしながら話を戻した。


「アハハ……それはそれとしてさ、偽造文書を有効化する為にユリノス勲章を、ね。そこまで徹底するって事は、やっぱり国外で、しかもそれなりの地位にある人間に文書を手渡すのが目的のはずですよね。大臣か、国王か、大公か。まさかローカヴァン帝国の皇帝ってのはあんまり考えたくないですが」


 皇太子の筆跡を真似た上で、チェイスのーーフィランジ国のトラブル子爵代理として文書を渡す。
 かなり大胆な犯罪計画だが、こちらが公にしてしまえば、ユリノス勲章を用いても二度目以降は足が着いてしまう浅慮な計画とも言える。
 だが、ただ一度きりで犯人の目的が達成されるのだとすると、金銭や大掛かりな詐欺契約が目的の可能性が高い。


 一番考えたくないのは、偽造文を使ってフィランジと他国との情勢を悪化させる目的の場合であるが、状況から考えて、まずあり得ないだろう。
 今のフィランジはどこの国とも敵対関係にはなく、事情を説明し、訂正さえできれば、すぐに戦争が始まってしまうなんて状況に陥ることはまずない。
 大体戦争目的であれば、子爵位のユリノス勲章を狙うより、侯爵や伯爵代理を狙っていただろうし、皇太子ではなく国王の偽造文を作成する筈だ。


 そうなると交易国として友好関係にあり、イザドールが留学していたローカヴァン帝国を相手に、犯人がなんらかの詐欺を働くと考える方が現実的と言えるだろう。
 あまり考えたいことではないが……と、レイバン公も唸りを上げる。


「帝国とフィランジは浅からぬ中だからなぁ。なんにしてもここでヤツを逃すわけにはいかんぞ。逃してしまえば他国への警告も兼ねて、情報開示は免れん。残念だが私も殿下もこれ以上君たちを庇う事は無理だ。取引場所がハトック橋だというなら、最大限地の利を活かし、なんとしても逃げ場を断つことを考えなければ」
「そのハトック橋という橋の名を私は初めて聞いたんだけど、王都内に存在する橋なのか?」
「トナプス川の下流にある運搬用のアーチ橋の事です。橋が出来たのは、二年前で、殿下がご存知ないのは無理もないと思います」


 トナプス川は北西の、シビル侯爵領にあるジマ山から王都西地区郊外に流れる大河だ。
 ハトック橋はその川の海にほど近い下流に位置し、ウアス島と呼ばれる中州を中継する形で架けられている鉄橋で、主に海運業者が、東西港間の石炭や食料をやり取りする為に使用されている。
 殆どが馬力とはいえ、一応トロッコも通っている為、一般住民が立ち入ろうとする事はまずない。
 チェイスの説明に、イザドールも成る程ねと、相槌を打つ。


「二年前と言われてしまえば、私が丁度留学中だった頃か。しかし港の荷運び専用の橋となると、国や地域所有の橋ではない?」
「えぇ。周辺の海運業者が協力して作った橋なので、海運組合ギルド所有となってます」
「ギルドか。そうなると彼らに協力を仰ごうにも時間がかかるな……」
「朝の時間帯ともなれば……うむぅ……渋るでしょうなぁ。ここ最近は特にこちらが色々規制している所為で、あちらからの不満の声も上がってきておりますし」
「ん〜。でしたら、リリアちゃんの事話せばいいんじゃないですかね?ウォーレンス商会は海運業の中でも一、二を争う位大きな会社ですし、ああいう団体は義理人情に厚いところがありますから」
「馬鹿言え! この状況であいつが拐かされたなんて言ってみろ! 俺達が吊るされるだけならまだ良いが、私刑にでも発展したら全部が台無しになってしまう!!」
「え〜?それは流石に考えすぎなんじゃないかなぁ?まぁ、爪弾きにされる可能性は確かにあるけどさ。君ってホント心配性だよね」
「あんたが楽観的過ぎるんだ! 数日前、家に乗り込んできた男の話を忘れたのか?」
「えーっと…………確かに?」


 あはは。と首を傾げながら答えるグレンに、チェイスはこめかみを押さえる。
 レイバン公もイザドールも、グレンの思いつきに少々呆れた顔をしていたが、完全にグレンの案を否定できるとも考えてはいないらしい。


「まぁ、網を貼ろうにも時間がないのも確かでしょうな。橋の入り口が受け渡し場所という点では囲みやすいし、有利ではあるが、最低でもトロッコは止めておかなければ、逃げ道を与えることになってしまう」
「橋の上から川へ飛び込む可能性は?」
「犯人が無謀でない限り、まず無いと思います。橋から水面までは、確か20メートル前後の高さがありますし、逃げるならトロッコか馬のどちらかかと」


 東西の港から橋までの地形は、なだらかな坂道となっており、橋の下を漁船が通れるように整備が施されている。
 通りがかりの船に飛び移ろうにも、こちらが規制してしまえば逃げる手立ては無くなるし、そもそも飛び移って無傷で済むような大型の船は、そうそうあの場所を通る事はない。通ったとしても、かなり目立つため、行方を追って港で足止めすることだって可能だ。
 だがチェイスの否定に、グレンが訝しげに首を捻る。


「うーん……それこそどうかなぁ。ここの所、確かに慎重に動いてた犯人にしては派手に動いている印象は受けるけど、勝算なくこんな場所を指定してくるとも思えないんだよねぇ。だから僕としては何がなんでもギルドの協力を仰ぎたいと思うんだけど」
「だからと言って! 現時点で人質の件を話すのは反対だ。……あいつをこれ以上矢面に立たせたくない」


 今もきっとリリアは何処かで怯え、震えているはずだ。
 しかも知り合いで、信頼していた筈の男に裏切られたのだ。あの時の心の傷もまだ癒え切っていないのに、また更に噂話を立てられでもしたら、リリアは今度こそ立ち直れなくなってしまうかもしれない。
 そうなればもう、泣くことすら出来なくなってしまうだろう。
 いや、今現在、そうなっていてもおかしくはない。


 口の奥から歯の擦れる嫌な音が響く。
 拳を握り、苦悶に満ちたチェイスの顔から何を感じ取ったのか、他の三人も難しい顔で悩み始める。
 本来なら、事件とはなんら無関係の少女が何度も被害にあっているのだから、彼らにだって色々思う所はあるのだろう。
 ならどうするのが最善なのか。


 チェイスはぐっと唾を飲み込むと、深い灰色の瞳を銀に輝かせ、顔を上げる。


「殿下、ギルドの交渉は俺がやります。やらせて下さい」


 決意を秘めたその視線は、見えない獲物に狙いを定めた狼の様な鋭さを放っていた。

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