メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない恋する感情。 3

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 ラルフが夢見心地で部屋を後にした後、残された三人は三度向かい合う。
 漸くラルフの誤解は解けたようだが、根本的な誤解は解けてないのかと、リリアは二人の緊張した顔を見て息を飲む。
「リリア」と口を開こうとしたユリアを遮るような形で、リリアが先に「あのっ!」と、声を上げた。
 珍しく声を上げたリリアに二人は虚をつかれる。


「旦那様は、お優しい方で……その、お会いした事はないですけど……いつも気に掛けて頂いて、今日だって、本当は私が用意しなくちゃいけなかったのに、朝食まで用意して下さってて。あ、昨日は看病までして頂いたみたいで……憶えてないのですが……えっと、だから、その……」


 たどたどしく、怯えるように、俯きながらリリアは必死になって言葉を探す。
 はっきりしない物言いは、城でもヘストン伯爵の屋敷でも嫌煙されたのは判っているのだが、リリアは何を言えば良いのかがだんだん分からなくなってくる。


 ここの主人についての誤解があるならなんとか分かってもらいたい。
 それに漸くここに慣れてきたのにここを離れるのは嫌だし、出来ればセスの所に嫁ぐのは、もう少し待って欲しい。
 でもそんなワガママを言って良いのだろうか?
 セスは船長になったらと父と約束していたと言った。
 父が認めたのなら、出来ることなら遺言としてその意に沿いたい。
 セスだって、リリアが海に落ちた時から決めていたと言っていた。
 そんなに長いこと想われていたなんて知らなかった。
 だからこそ、ここで断るのは酷いような気がして、リリアは知らず泣き出しそうな顔になっていた。
 それがセスに対しての罪悪感からくるものなのか、自分が無意識に拒絶しようとする感情からくるものなのかは判らない。


 リリアが思い詰めた顔で黙り込んでしまうと、ユリアが労わるように目を細めて、リリアの頭を優しく撫でる。
 いつもリリアの父の背を追っていたユリアは、普段は荒々しいのに、リリアにだけは何故だかいつも優しく接してくれる。
 きっといつもはっきりしないリリアにイライラさせられるだろうに、ユリアは絶対におくびにもださない。
 その度に、申し訳ないとリリアはいつも萎縮する。


「リリアはここが好き?」


 思いも寄らないユリアの優しげな言葉に、リリアはパッと顔を上げ、恐る恐る頷く。
 それを見たユリアは少し何かを考えた後、チラリと横目でセスを見て、再びリリアににっこりと微笑んで見せた。
 その顔はリリアも惚れ惚れするくらい綺麗なのに、セスの顔は何故か引きつっていた。


「じゃあね、セスの事はどうかしら?」
 単刀直入にそう問われて、リリアは思わずセスを見て顔を青くする。
 セスの方はリリアに見つめられて、微かに頬を上気させていたが、リリアはその反応を見て、ギュッと胸元を握り締める。


「……男らしい方だと……思い、ます」


 搾り出すように言ったリリアの言葉に、セスは今にもその場で踊りだしそうな気配を漂わせていたが、ユリアは二人を交互に見た後、小さく溜息を吐き出す。
 その顔をまともに見ることが出来ないのは、ユリアがとても勘が鋭い人だからだろう。


「あのね、リリア。正直に答えて良いのよ?」
「社長?!」
「五月蝿い! 女の会話に割って入るな!!」


 何を言い出すのかと驚くセスをユリアが怒鳴りつける。
 その剣幕に驚いて、リリアが身を竦ませると、ユリアは慌てて「ごめんね」と、リリアを抱きしめた。


「違うのよ、脅かしてるわけじゃないの。確かに叔父さま……貴方のお父様は、最低でも船長になる男じゃないとリリアは嫁にやれないと仰っていたけれど、別にセスだけに向けられた言葉じゃないのよ。貴女はずっと陸にいたから叔父様や叔母様の事をよくは理解していないのでしょうけど、お二人とも貴女の意に沿わない結婚を押し通すつもりは無かったのよ? だから貴女が海に落ちて以来、お二人とも貴女を船には連れて行こうとはしなかったでしょう? 私の父も貴女には思うようになさいって言ったのを憶えている? 私だってリリアには幸せになって欲しいから今叔父様の意志を継いでいるの。貴女がもしウォーレンス商会を引き継ぎたいって思うようならいつだって準備はあるし、普通に結婚するにしても、貴女が一緒に笑えるような相手じゃなきゃ、どんなにしっかりしている人でも私は反対するわ。コイツはまだそのしっかりも出来ていないけどね」
「うっ……」


 セスを睨むユリアをぽかんと眺めながら、断っても良いのだろうか?とリリアは逡巡する。
 そう思ったものの、息を詰めたセスを再び見て、リリアはまたしゅんと項垂れた。
 期待させて裏切るなんて、そんなこと出来るわけがない。


「でも、セスさんは、ずっと私を想っていて下さっていたんですよね……」
「リリア!! あぁ、あぁ!! 俺、ずっとお前のこっ……」
「やかましい! 止めろ!! 近づくな!! リリアが怯えてるのがわからんのかっ!!」


 思い余って抱きつこうとしたセスは、とうとうユリアの鉄槌を喰らう。
 セスが座っていた椅子は憐れにも派手に倒れ、セスは抵抗する間もなく床に転げ落ちた。
 何を……と、訳がわからない顔でセスが腹をさすりながら起き上がる横で、ユリアは深々と溜息を吐きながら額を押さえた。


「あのね、リリア。大事なのは想われていた期間じゃないの。貴女はそれで本当にセスの気持ちに応えられるの? 義務や使命感や同情と恋や愛情は違うものなのよ? 勿論義務で結婚して、愛を育んでいく人もいるけれど、貴女はセスとそれがちゃんと出来るの? 相手の想いにきちんと応えられるならいいけれど、貴女が応えられなかったら、セスに対しても失礼になるのよ?」
「……わから、ないです。もう少し、時間があれば、怖くなくなるかも……」
「えっ……もしかして……リリアは、が怖いのか?」
「あっ……ご、ごめんなさいっ」


 まさかそんな答えが返ってくるとは思ってもいなかったのだろう。
 つい漏れたリリアの本音に、セスはかなりショックを受けた顔で放心する。
 しかし、なんとか気を取り直すようにして首を大きく横に振ると、リリアに縋り付くようにして突然歩み寄ってきた。
「ひっ……」と、リリアが小さく呻き、ユリアにしがみつくと、ユリアがセスの頭をパシリと叩いた。が、よほど必死なのか、セスはユリアの警告も意に介さず、焦った様子で捲し立てた。


「どこが怖い?! お前が怖いと思う所があるなら全部直す!! どうすればお前は俺を好きになってくれる?」
「……ご、ごめんなさい」
「謝らないでくれ!泣かせたいわけじゃないんだ。ただ俺はお前の理想に少しでも近づきたい」
「……ごめんなさい…………船……り……怖い、です……」


 ユリアの胸でカタカタと小さく震えながら、リリアは涙交じりに呟く。
 ここで漸くリリアが何に怯えているのかを理解して、セスは後頭部を激しく殴られたかのように床に崩れ落ちた。
 船乗りを目指し、船乗りとしてリリアを守ろうとしていたセスにとって、これ程酷な宣告は無いだろう。
 しかも船乗りをやめてしまえば、セスにはリリアと釣り合いの取れる身分なんて奇跡でも起きない限り望みは薄い。


 なんとなくそんな予感がしていたユリアは、絶望に打ちひしがれたセスの姿をみて、流石に同情を余儀なくされる。


 その姿を見るのも居た堪れなくて、リリアはまた蚊の鳴くような声で「ごめんなさい」と、呟いた。

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