メイドAは何も知らない。
メイドの知らない彼の足音。 3
ナナリーから一連の事情を聞き終え、礼を言って彼らを家へ返した後、チェイスは台所で氷を砕きながら物思いにふける。
『あの、差し出がましいとは思いますが、もう少しリリアちゃんの事を考えてやってくれませんか? 旦那様もなにかご事情があるんでしょうが、女の子一人で働く環境としてはこちらは少し、その……手に余るかと……』
去り際に、ナナリーが言い淀みながらもチェイスにそう訴えてきた。
リリアの報告には毎回必ず目を通すようにしていたが、彼女を預かる人間として、不備ばかりだったと改めて思い知らされた。
突然現れた自称婚約者セスの存在に、今まで認識していなかったパン屋と御用聞きの存在。
パン屋のナナリーはともかく、若い男がリリアの周りを彷徨いていたのに、全く把握していなかったのはかなり問題だろう。
しかも一人はリリアの婚約者だと名乗り上げている。
リリア自身が話せる状態ではなかった為、真偽の程は判らないが、もし相手が二人とも悪い男であったなら、今頃リリアはどうなっていたか分からない。
チェイスはゴム製の氷のうに氷を詰めると、それを片手に二階南の部屋へ向かう。
明かりの消えた彼女の部屋の扉をそっと開けると、チェイスは扉を開けたままベッドの方へと近寄った。
リリアが起きない様にとランプの明かりを少し絞り、サイドテーブルに静かに乗せる。
久方振りに見たリリアの顔は、額に汗が浮かんでいるもののチェイスが彼女を傷付けた時よりも穏やかで、顔色も然程悪くはなさそうだった。
中身が水に変わってずれ落ちてきてしまっている氷のうを、今持ってきたばかりの氷のうと取り替え、チェイスはリリアの額、それから首元にそっと触れる。
肩越しに乱れている桃色の柔らかな髪が指先に辺り、チェイスは何かに堪える様にそっと目を伏せ、細い息をゆっくりと吐き出す。
「……悪いことをした。痛かった、よな」
少し震え、掠れた自分の声にチェイスは微かに自嘲する。
今更な上に、リリアは寝ているというのに、言ってどうするというのだろう。
臆病なのは彼女じゃなく、自分の方だ。
あの時、怯えながらも自分を真っ直ぐ見た彼女に対して、顔を背ける事しか出来なかった。
事件を追ってなかなか家に帰ってこれなかったのは、確かに仕方ないことかもしれないが、心の隅で帰れない事に安堵していたことも否定できない。
グレンに命じられたのは確かだ。でもだからって何も責任がないわけじゃない。
グレンの心中までは流石に判らないが、それでも彼らの反応を受け止めて謝罪を口にしていた。
対して自分はどうだろう? 形ばかりの謝罪にすら劣っているではないか。
彼女への贖罪? 責任? 誰が聞いても呆れる話だ。
こんな欺く様な形での贖罪など、やはり誠実とは言えない。
どんな反応が返ってきても、リリアと準男爵にきちんと説明をして謝罪すべきだろう。
詰られるだろうか? それともやはりまた怯えさせてしまうだろうか?
でももうこれ以上は隠し通すべきではない。
もし今日の様な出来事が、例えば誰もいない館の中で起こったとしたら誰がリリアを助けられる?
ナナリーやアミリスが必ずリリアの側に居るわけではない。
自分に至っては、聞き込みや緊急の呼び出しで家を開けることの方がざらである。
何日もその場で倒れこんだまま、取り返しのつかない事になってもおかしくはない環境だ。
傷付けた上に、正体も明かさず彼女が倒れるまで、こんな簡単な事にも気付かずに働かせていたなんて、最低にも程がある。
「……本当に、悪かった」
またぽつりと漏れた呟きに応えるかの様に、リリアが微かに身じろぎをする。
チェイスはリリアの、まだほんのりと熱い首元から手を離し、拳を握る。
彼女から顔を背ける様にサイドテーブルのランプを手に取ると、足音も立てず、ひっそりとその場を後にした。
『あの、差し出がましいとは思いますが、もう少しリリアちゃんの事を考えてやってくれませんか? 旦那様もなにかご事情があるんでしょうが、女の子一人で働く環境としてはこちらは少し、その……手に余るかと……』
去り際に、ナナリーが言い淀みながらもチェイスにそう訴えてきた。
リリアの報告には毎回必ず目を通すようにしていたが、彼女を預かる人間として、不備ばかりだったと改めて思い知らされた。
突然現れた自称婚約者セスの存在に、今まで認識していなかったパン屋と御用聞きの存在。
パン屋のナナリーはともかく、若い男がリリアの周りを彷徨いていたのに、全く把握していなかったのはかなり問題だろう。
しかも一人はリリアの婚約者だと名乗り上げている。
リリア自身が話せる状態ではなかった為、真偽の程は判らないが、もし相手が二人とも悪い男であったなら、今頃リリアはどうなっていたか分からない。
チェイスはゴム製の氷のうに氷を詰めると、それを片手に二階南の部屋へ向かう。
明かりの消えた彼女の部屋の扉をそっと開けると、チェイスは扉を開けたままベッドの方へと近寄った。
リリアが起きない様にとランプの明かりを少し絞り、サイドテーブルに静かに乗せる。
久方振りに見たリリアの顔は、額に汗が浮かんでいるもののチェイスが彼女を傷付けた時よりも穏やかで、顔色も然程悪くはなさそうだった。
中身が水に変わってずれ落ちてきてしまっている氷のうを、今持ってきたばかりの氷のうと取り替え、チェイスはリリアの額、それから首元にそっと触れる。
肩越しに乱れている桃色の柔らかな髪が指先に辺り、チェイスは何かに堪える様にそっと目を伏せ、細い息をゆっくりと吐き出す。
「……悪いことをした。痛かった、よな」
少し震え、掠れた自分の声にチェイスは微かに自嘲する。
今更な上に、リリアは寝ているというのに、言ってどうするというのだろう。
臆病なのは彼女じゃなく、自分の方だ。
あの時、怯えながらも自分を真っ直ぐ見た彼女に対して、顔を背ける事しか出来なかった。
事件を追ってなかなか家に帰ってこれなかったのは、確かに仕方ないことかもしれないが、心の隅で帰れない事に安堵していたことも否定できない。
グレンに命じられたのは確かだ。でもだからって何も責任がないわけじゃない。
グレンの心中までは流石に判らないが、それでも彼らの反応を受け止めて謝罪を口にしていた。
対して自分はどうだろう? 形ばかりの謝罪にすら劣っているではないか。
彼女への贖罪? 責任? 誰が聞いても呆れる話だ。
こんな欺く様な形での贖罪など、やはり誠実とは言えない。
どんな反応が返ってきても、リリアと準男爵にきちんと説明をして謝罪すべきだろう。
詰られるだろうか? それともやはりまた怯えさせてしまうだろうか?
でももうこれ以上は隠し通すべきではない。
もし今日の様な出来事が、例えば誰もいない館の中で起こったとしたら誰がリリアを助けられる?
ナナリーやアミリスが必ずリリアの側に居るわけではない。
自分に至っては、聞き込みや緊急の呼び出しで家を開けることの方がざらである。
何日もその場で倒れこんだまま、取り返しのつかない事になってもおかしくはない環境だ。
傷付けた上に、正体も明かさず彼女が倒れるまで、こんな簡単な事にも気付かずに働かせていたなんて、最低にも程がある。
「……本当に、悪かった」
またぽつりと漏れた呟きに応えるかの様に、リリアが微かに身じろぎをする。
チェイスはリリアの、まだほんのりと熱い首元から手を離し、拳を握る。
彼女から顔を背ける様にサイドテーブルのランプを手に取ると、足音も立てず、ひっそりとその場を後にした。
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