メイドAは何も知らない。

みすみ蓮華

メイドの知らない彼の足音。 1

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 茜色の空が墨を落としたような暗闇に染まっていく。
 民衆がその日の仕事を終えて肩を寄せ合い、家路や酒場へと各々が行き交う中、警邏兵が陽が落ちきる前にと急ぎ足で街灯に火を灯していく。
 その日最後の乗合馬車は馬車駅へと向かい、辻馬車の御者達は夜半過ぎの客を狙う為に、出入りの多い酒場に目星をつけている。


 その酒場の一角にある紳士用の貸切個室で、座り心地があまり良いとは言えないソファに沈み込み、酒を煽る二人の若者の姿があった。


「今日も手掛かりなしっと……参ったね、ほんと」
 ブランデーをランプに掲げ、このままこの場で寝ていまいそうな様子で半ばごちるようにそう言ったのは、チェイスの腐れ縁兼、自称頼れる先輩のグレンだ。
 常に建前で取り繕っている彼にしては珍しく疲弊しているのを隠そうともせず、グラスをぼんやり眺めている。


 それもそのはずで、チェイス達は今日の聞き込みで、王都どころか、フィランジ国内全域を探し切った事になる。
 警邏兵の手を借りての捜索だったにも関わらず、西地区の目撃情報以来、僅かな情報すらも結局見つけることは出来なかった。
 国外逃亡という単語がよぎり、チェイスは慌てて首を振る。
 嫌な予感で絶望する前に、見落としが何かないか一考してみるべきだ。


「長身、栗色の髪と瞳、お前と同じ位の若い男。ごく平均的な顔で人相書きにも不備はない」
「更に昨日元ヘストン伯から絞り出した情報によると、丁寧で綺麗なフィランジ語を話す男だった、ってね。ヘストンの噂を流したからってのんびりしているつもりはないけど、そろそろ公爵も庇いきれなくなってるみたいだし、明日あたりいよいよ殿下に呼び出されるかなぁ……はぁ……」


 結局の所、人相書き以外はどの情報も決め手に欠ける。
 それだけの特徴では、考えられる可能性は広がるばかりで、目星をつけようがないのだ。
「やはり彼女に話を聞くしかないのだろうな」


 チェイスは手の内にあるグラスを握りしめ、憂鬱そうにポツリと呟く。
 目撃証言としてまともに話が聞けていないのはリリアだけだった。
 少しでも情報が欲しい今、これ以上彼女を避けるのは得策とは言えないだろう。
 だがあれだけ怯えさせるような事をしてしまって、果たしてそれが可能だろうか?
 勿論自分が彼女に直接話を聞く訳には行かないが、警邏官にまで怯え始めてしまったらと考えると、気分は更に憂鬱になるばかりだ。
 リリアは漸く生活にも慣れ、明るい話題を報告してくる事が増えてきている。
 出来ればこのまま平穏な暮らしをさせてやりたい。
 保護だとか庇護だとか、彼女を傷付けた張本人が言うのはおこがましいにも程があるが、その気持ちは負い目から来るものよりも、もう別の感情の方が勝り始めていた。


 だが、あの頼りない兄を見捨てる訳にもいかないし、今回はチェイスを含めた親族全員の進退が掛かっているのだ。
 自分の感情を優先している訳にもいかない。


 険しい顔でグラスを見つめたまま思案するチェイスを、グレンが横目で眇める。
 暫くチェイスと同じ様に何事かを考えた後、グレンはソファーの肘掛けにグラスを置いた。


「ねぇ、犯人はなんで親書を盗んだのかな?」
「ッハ、知るかっ! 大方トラステン家に恨みがあるか、オリバーに恨みがあるかのどっちかだろ」


 不意のグレンの呟きに何を今更と鼻で一笑すると、チェイスは投げやりに答え、一気にグラスの中を空にする。
 しかしグレンはチェイスの反応に首を捻りながら、「いやいや」と、話を続ける。


「もしかしたら、もっと他の視点で見てみたほうが良いんじゃないかなぁ? 確かに親書が盗まれたオリバーや君ん家は大打撃だけどさ、恨みを持ってた犯人ってのは一応捕まえたわけじゃない。でもヘストンは、真犯人から架空の身分を掴まされていた。仮に真犯人もトラステン家に恨みを持っていて犯行に及んだんだとしたら、どうしてヘストンまで謀る必要があったんだい? 共通の目的で、ましてや恨みともなれば同志意識は高くなる筈だ。真犯人がヘストンを信頼しきれていなかったって事は、更に何かを仕掛けようとしてて、トカゲの尻尾切りが必要だったか、恨みとは全く関係なく親書がどうしても必要だったから。の、どちらかじゃないのかな?」


 確かに。と、チェイスはグレンの指摘に投げやりだった思考を改める。
 動機が恨みという部分だけで見れば、真犯人とヘストンの結託意識はそこまで強いものではないといえる。
 それはヘストン自信が真犯人の素性を調べようとしていた行動からもわかるし、その素性も偽物を用意していたのだから、真犯人は相当用心深い。


「仮に更に何か仕掛けるのが目的だとしたら、まだ王都の何処かに潜伏している可能性が高いけど、でも親書を盗むことでこちらが警戒してしまうなら、わざわざヘストンを使って盗ませる意味ってあるのかな? まぁ、追い打ちをかけるつもりって考えれば意味はあるんだろうけど、ヘストンと接触してて素性が判らないなら城で働く人間ではない事は確かだ。内側で追い打ちをかけることが不可能なら外側……例えば新聞社に情報を流すとか、何かしら騒ぎを起こすって考えるのが妥当じゃないかな?でもこれだけ時間が経ってるのに、犯人が追い打ちらしい追い打ちは仕掛けてくる気配がない。大体親書自体が目的じゃないなら、ヘストンと取り引きして受け取る必要なんてないでしょ? ってことは、恨み云々って動機は一度置いておいて、後者の動機について考えてみた方が、何か見えてきそうだと思わないかい?」
「親書が必要だった理由か……」


 グレンの指摘は最もで、一応筋が通っている。
 今までは恨みが動機だと思ってそこに固執しすぎていた様な気もするし、他の視点で見てみたら何か見えてくるかもしれない。
 しかしこれだけ限られた情報で別の理由なんて考えつくだろうか?
 そうして二人はまた黙り込む。


 そもそもあの親書は使節団のお誘い以外には何も書かれておらず、周囲の公国との和睦を深める以上の効力はない。
 国主指名で宛名もはっきりしているし、仮に、例えばモトム公国以外に行く予定の使者が紛失していたとして、誤魔化すためにモトム公国の親書を盗んだのだとしても、受け取った時点で発覚してしまうのでまるで意味を成さない。


 オリバーやトラステン家への嫌がらせではなく、モトム公国自体への嫌がらせだったとしても、オリバー自身が口頭で事情を説明してしまえばそれで済んでしまう事は、この国に住む人間なら、ある有名なトラステン家の事情のお陰で容易に想像がつく為、これもまるで無意味となる。
 もっとも、親書を失くした状態でモトム公の元へ顔を出そうものなら、イザドール殿下以上に恐ろしい人間が、モトムに到着した時点でオリバーに雷を落とすだろうが……


(実際最初の紛失で、手紙とはいえかなり絞られてたからな。俺がとばっちりを喰うのだけは勘弁願いたい)


 自分によく似た仏頂面と、青筋を立てながらオリバーそっくりな笑顔を貼り付ける、二つの顔を思い浮かべて、チェイスはげんなりと項垂れる。
 あの二人に二度目が発覚するのはもう時間の問題だが、どちらか一方でも帰国すると言い出しでもしたら、殿下に叱責される以上に厄介である。


「んー。犯人はヘストンとのやり取りすらかなり慎重に行う程、親書が欲しかったのは確かで、でも親書の中身は国を左右する様な重要性は殆どないって言っていいから、盗んだのだとしても効力はたかが知れてる。じゃあ犯人は "何が" 欲しかったんだろう?」
「何が……って?」


 チェイスの脱線しかけた思考を手繰り寄せるように、グレンが指折り数えていく。
 謎かけの様なグレンの疑問の意味が理解出来ず、チェイスが不可解そうに聞き返すと、グレンも眉を顰めてチェイスに返した。


「ひとつ、犯人は使節団のお誘い文が欲しかった。ふたつ、殿下のものならなんでも良いから欲しかった。みっつ、犯人はフィランジ王国の国璽こくじ印、又は封蝋印が欲しかった。よっつ、犯人は殿下の筆跡が欲しかった。ひとつ目が違うだろうなっていうのは君にも想像がつくよね? ふたつ目、の可能性……も、まぁ、無くはないだろうけど、コレクションやら売買目的なら何も親書なんて騒ぎになる様な物を盗む必要はない。で、僕はみっつ目かよっつ目のどちらかじゃないかなぁって思った訳だけど……君、さっき事件と全然関係ないこと考えてたでしょ」


 折った指をまたひとつひとつ開きながら、グレンはニヤリと口元を歪め、チェイスに半顔を向ける。
 この頭の回転の速さと勘の良さはグレンの長所でもあるが、それ故に厄介な相手だとチェイスは気まずげに目を逸らす。
 ただこの場合は、単純にチェイスが顔に出やすいだけなのだが、本人はまるでその事に気付くことなく、咳ひとつして誤魔化した。


「つまりあんたは公文書の偽造が目的なんじゃないかって言いたいのか? だったらそのみっつ目とよっつ目のふたつはセットになるだろ」
「んー。でもさ、公文書を偽造したいのか、殿下の手紙を偽造したいのかでも変わってくるでしょ? 例えば殿下の筆跡だけが必要なら……まぁ、封蝋印くらいは必要かもしれないけど、わざわざ手間をかけて国璽を偽造する必要はないでしょ? 公文書を偽造したいなら殿下の筆跡より陛下の筆跡の方が…………あっ」


 そこまで言いかけて、グレンは目を瞬く。
 チェイスもグレンの言いかけた事を理解して頷いてみせる。


 公文書に押される国璽は国王以外が押せるものではない。
 たとえ皇太子であっても、公文書を発行するのであれば、最終的に国王に印を押して貰うこととなる。
 皇太子の筆跡と、国璽のふたつが揃っていても確かに公文書として成り立ちはするが、何かに悪用するつもりで公文書が必要だとするのならば、権限に制限のある皇太子のものよりも、権限を最大限に活かせる国王本人の筆跡を重要視する筈だ。
 勿論偽の公文書を必要とする犯人の目的にも勿論よるかもしれないが、封蝋印や国璽をわざわざ偽造するのであれば、後々を考えて、それに見合うだけの物を用意すると考えるのが自然だろう。


「必要だったのは皇太子の筆跡か。でも何のために……」
「その可能性が高そうだけど、うーん。流石に理由は判んないかなぁ……けどさ、これでひとつ判ったよね」


 先程まで疲れ切った顔をしていたグレンが、ニコニコと満面の笑みを浮かべて再びグラスを持ち直す。
 何か判ったどころかますます疑問が増えた気しかしないチェイスは、グレンとは逆に訝しげに首を捻っていた。
「何がだ?」と、問うチェイスに、グレンは深みのある紺色の目をキラリと光らせる。


「犯人はまだ王都を離れず、西地区に居る可能性が一番高いってこと」


乾杯をする様に、悠々とグラスを掲げてみせるグレンの言葉を受け、チェイスはまじまじとグレンを凝視し固まった。

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