ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

33.時を経た再会 -勝機の中に潜める望みー

 ぱち。なんの前兆もなく黒目を出現させた可愛いクマの視界に入ったのは、上から心配そうに覗き込む改斗の顔だった。

「よかったぁ。なかなか起きないから、傷が深いのかと思った」

 クマの顔が、何度か目を閉じたり開いたりして焦点を合わせた。気を失う前、何が起こったかをその間に思い出したスカイベートは、元気そうな改斗を見て安堵した。元気といっても、大きな怪我がないだけで、顔にかすり傷があったり、服が破けていたりはある。打ち身もあっただろう。あの巨大な尻尾に打たれ、森の中を滑ったのだから無傷ではすまない。それでも命に別状がないだけ、よかった。

「明由美は?」

 改斗が視線で明由美の居場所を指す。ベッドの所で忙しなく何かしていた。もう一人誰かいる。

「明由美は俺が庇ったから傷はそんなになかったんだけど、クライドさんの方がな」

 明由美が立ち上がると、ベッドに腰かけているクライドが見えた。地面に叩きつけられたクライドは軽傷ではすまなかったようだ。近くには、魔物専用の小屋で治療を終えたリグレーグが体を丸めている。クライドが撫でると、小さい声で鳴いていた。

「ベートさん、大丈夫?」

 こっちに来ながら覗く明由美に頷いてみせる。
 この家には戦いに赴いたメンバーしかいなかった。村人はまだ村に戻っていないらしい。
 手当ては全部、明由美がやったのだろう。

「でも、ベートうなされてたぞ? 大丈夫か?」

 夢、だったのか。もう久しく見ていないから、夢の感覚など忘れていた。あんな夢を見てしまうと、昔に戻ったような錯覚を抱いてしまう。
 スカイベートは息をついた。あの夢を見てしまった起因はもう、明らかだ。

「昔の夢を見ていたようだ」
「昔って……あの紫龍と関係してる?」

 改斗の鋭い洞察力に意外な顔をしてスカイベートが肯定する。改斗も、彼が戦いに集中できなかった要因が気になっていた。

「あの時は取り乱してすまなかった。旧知の友に会って動揺したんだ」
「旧知の? あの紫龍が?」

 今度は動揺もなく、スカイベートは淡々と頷いた。紫龍がかつての仲間だったランザードルクだということを、スカイベートはあの時すでに理解していた。分かっていたからこそ、そこに存在する別物に成り果てた仲間を、冷静に見ることができなかった。

「詳しく聞かせてくれるよな?」

 改斗が言うことはもっともだ。スカイベートも話すつもりでいたので、断る理由はない。
 早速、明由美に持ち上げられたクマの顔が兄妹と向き合い、話し始めた。

「クリスが二匹の魔物を従えていた話はしたな。クリスは左に赤を、右に青を宿していた。つまり赤い魔物と青い魔物だ」
「赤い魔物はベートさんだよね」
「そう。そしてもう一匹の青い魔物がランザードルク。今、紫龍と呼ばれているあの魔物だ」
「ちょっと待て、じゃあ、あの紫龍が食った召喚士って……」
「そうだ。クリスだ」

 二人は愕然と目を見開いていた。雲の上の人だ。その最強の召喚士の魔物があの紫龍だったと、誰が予想するだろう。すべての召喚士とそれを目指す者たちの憧れである者が、この事態を招いていると、誰が想像できるだろう。
 それとも召喚士たちの憧れであるクリスの失態を、学校側が故意に隠しているのか。その真実は学校側にしてみればデメリットでしかないのだし。
 もっとも、それを追及するのはまた別の話になるが。

「今は彩流の影響で紫に変色しているが、もともとは青いドラゴンだった。名を、ランザードルク」

 スカイベートは誤解を与えないよう話を続ける。

「クリスは生まれた時から、その身にまとう彩流の影響で病を患っていた。改斗、彩流の影響を受けているお前の目と似た状況だ。それ以上の強い影響を、クリスは受けていた」

 スカイベートは一呼吸置いて再び話し始める。

「そんな強大な力に、クリスの体は耐えられなかった。徐々に弱っていった」

 兄妹は物音も立てず静かに聞き入っている。紫龍と最強の召喚士の真実を聞き逃すまいと、厳しい表情で。

「そして死が直前まで迫った時、それを認められなかったランザーが暴走した。ずっと一緒にいたいと言って……」
「それで食ったっていうのか?」

 理解し得ないその事実に、改斗は顔を歪ませて嫌悪した。かつてのスカイベートと同じ反応だった。
 スカイベートは否定の意ではなく、自分の力のなさに首を振った。

「私とランザーは対立し、戦った。止められたと思った。相打ちだったと思っていた。だが、今日あのドラゴンを見て、事実を知った」

 今、ランザードルクが生きていることは、そのままクリスが食われた事実に繋がった。証拠に、ランザードルクは召喚士のまとう彩流を吸って、ずっと生きている。
 これまで謎に包まれていた真実に、改斗も明由美も、何も言わない。

 スカイベートは少し待った。受け入れるには時間が要る。スカイベートがすぐに受け入れられたのは、夢のおかげで昔に戻った自分を、客観的に見られたからだ。何の用意もされていなかった二人には重い話になった。
 待っている間、スカイベートはふと、思い至る。

(そうか……私が再び召喚されたのは、クリスがまだ原形をとどめたままでランザーの中にいるからか……)

 赤い彩流の濃度を一定の値まで上げれば例え一度四散しようとも、スカイベートという意識がどこにでも現れる、という摂理はない。クリスが集められる色だからこそ、スカイベートという意志が生まれた。クリスにしか呼べないというのはやはり疑いようもない事実だったのだ。改斗と明由美に召喚された時はクリスと酷似した色、同等の力を持つ者に呼び出されたのだと安易な答えを導き出してあまり気にとめはしなかったが、よく考えればそれこそ成し得れば奇跡だ。いや、遠い場所にあるクリスの彩流を通して改斗の彩流を軸に呼び寄せられたこと自体、もう奇跡だろう。

(クリスがいるから呼び出された。とするなら……)
「誰が悪いとか、そんなの言える立場じゃなかったんだな、俺」

 しばらくして改斗が口を開いたので、ベートは思考を中断してそちらに意識を戻した。

「勝手に決めて勝手に怒って。……ごめんな、ベート」

 改斗は紫龍の正体を聞いて、紫龍が魔物だと知った時に感情を露にしたあの時のことを思い出していた。あの時の苦い思いがまたこみ上げてきたのだ。
 申し訳ない気持ちを抱く改斗に、スカイベートはいつものようにしれっと返した。

「何を的外れなことを言っている? あの時は私も何も知らなかったのだ。お前が謝ることではない」
「そうだけどさ」
「あまりにも大きな事実に畏縮でもしたか?」
「そんなんじゃないよ」
「なら」

 そこで置いた空白の時間が、次の言葉を意識させる。

「気にするな。これからの戦いに、そんなものは不要だろう? お前たちにはまだやらなければならないことがあるのだ」
「ベートがやる気満々だ」

 村に来るまではやたらと興味なさそうに、非協力的ではないが、協力的ではなかったスカイベートと正反対の彼に慣れない改斗。やる気になってくれたのはいいが、はきはきしていて調子が狂う。

「明由美も、躊躇する心はここに置いていけ。倒すことだけを考えろ」
「はい……」
「どう倒すかが問題だな」

 さっきはクライドが何も言わずに村を守ってくれた。上空と地上からの連携攻撃がうまくいったから、紫龍を追い詰めることができた。
 しかし今は地上からの攻撃でしか戦いを臨めない。攻撃している間にクライドが紫龍を引きつけてくれたから炎が直撃し、ダメージを与えられた。その支援がない状況では紫龍の攻撃がこちらに集中し、うまく攻撃を当てることはできないだろう。
 何か打開策を、と考え出した改斗の横で、ベートが簡単に言った。

「いや、考える必要などない」

 改斗も明由美も理解不能。

「さっき戦って分かった。あいつは昔ほど強くない」
「どういうこと?」

 明由美が詳しく聞きたくて、クマの顔を自分の顔の位置に上げた。

「一目でランザーだと分からなかったのは、昔より肥大し、体色が紫に変わっていたからだ。二百年前ならあれの四分の一の大きさ……あの緑の魔物より一回り大きいくらいだった」

 信じられない顔をされるも、スカイベートは無視して続ける。

「あれはおそらく、クリスに集まる青い彩流と赤い彩流を吸収しているからだ。体が自然に両方を吸収してしまい、通常より二倍の彩流を受け続けているランザーは、変化を余儀なくされたのだろう。しかしあいつが扱える彩流は青いものだけだ。あの巨躯で半分の彩流しか糧にできない魔物がどうなるか、それは知っているだろう?」

 問いかけに、明由美がすかさず答えた。

「大きな器に少量の彩流しか集められなかった場合、体をうまく動かせなくなって、力も思い通りには出せない」

 スカイベートは大きく頷く。

「あの状態なら、炎の威力を強くして力押しに持ち込めば勝てる。向こうは昔の私の四分の三以下の力しか出せないと思えばいい」

 希望の光が差してきたが、まだ確実にそれで討てるかは慎重に判断しなければならない。

「私たちの力で、クリスの力に勝てるのかな」

 昔と今とでは、召喚士が違うのだから、力に差が出ると思い明由美。
 もっともな疑問だと満足するスカイベートが、意地悪く口に笑みを作る。

「いいことを教えてやろう」
「?」

 やはりいつもとスカイベートの様子が違う。静だった風情が動に切り替わったような、そんな快活的な雰囲気を含んでいる気がした。少しの変化だが、一緒にいた改斗たちには分かる変化だ。

「お前たちは二人召喚をいけないものだと思っているようだが、真相は違う。認められないと固定観念を持たせているのは、二人召喚が難しい構図を成すことと、単にその召喚が困難だからだ」

 ちょっとついていけなさそうな改斗も、明由美に倣って頷く。二人召喚という興味分野だから、聞き逃すわけにはいかない。

「一つ目に、二人と一匹の構図のバランスの悪さ。魔物はどちらに従えばいいのか分からなくなり、人間の方も、魔物が片方に懐けばもう片方の人間の心中は複雑になる。二人召喚は条件が多く困難だが、可能だ。魔物に認められないから不可能ということはない。しかし二人召喚は一人で召喚する以上に、余計な神経を使うのだ。気持ちが変わりやすい人間たちには向かない召喚だから、初めから可能性を否定して、やらせない。魔物に食われる可能性が高いものをやらせたくはないのだろう」

 一呼吸置く。改斗はさっきより難しい顔になっている。明由美はさすがというべきか、話についてきていた。

「二つ目に、召喚者同士の信頼と理解力。召喚にはお互いの魔力と操術を理解し、力を信頼して預ける覚悟が必要だ。そしてその精神的負担は集中力を奪い、召喚を満足に行えなくする」

 スカイベートが結論に達した。

「つまり、それでも召喚を果たし、私を呼び寄せたお前たちはクリスと同等と思っていい。これ以上の力の証明などない」

 明由美の顔がぱあっと明るくなる。

「お兄ちゃん、私たち、紫龍に勝てるよ!」

 座り込んだまま、明由美が改斗の腕を引っ張って揺すった。反応の薄い改斗に、喜びを伝えるために。

「そ、うだな」

 頭がついていっていない改斗も、よく分からないまま一応納得する。明由美が理解しているんだから、自分が深く理解しなくてもいいと思っての反応。
 しかし改斗はそれだけの理由で生返事をしたのではなかった。

「なあ、ベート。その理屈……でいくと、俺たちを認めてくれないのは別の理由があるってことだよな? それ、なんなんだ?」

 確かに、改斗たちはベートが認めてくれないのは、二人で召喚したからだと思っていた。だから一緒に旅することを拒んでいるのではと。
 それが違うとなると、一体何がスカイベートを拒ませるのか。

「もう認めているよ」
「へ?」

 改斗が間抜けな声を出した。
 スカイベートが続ける。

「実力は認めていた。だが、私の主はクリスだけだと頑なに貫こうとしていた。お前たちのような若造になめられたくもなかったからな。だが今は……その思いも薄れている」
「じゃ、じゃあベートさん、この戦いが終わったら一緒に……?」
「そうだな。……それも悪くない」

 スカイベートが初めて、改斗と明由美に微笑んだ。元々可愛いクマなので、可愛いらしい笑顔になる。
「やった!」と飛び跳ねて喜ぶ明由美とは対照的に、改斗は嬉しい、というよりも悪寒が先に来てしまっていた。

「な、なんかベートが気持ち悪い」
「失礼な。考え改めるぞ」
「ああっ、ごめん、嬉しいです本当。クマの顔が可愛いですね」
「やはりもう一度考えよう」
「ああ!」

 二人のやり取りが面白くて仕方ない。きっとスカイベートもそんなふうに思ってくれていたに違いない。

「私も入れて!」

 二人と一匹は、明日が決戦の日だというのにはしゃいでいた。これが締りを解すことにならなければいいが。

 スカイベートは二人とじゃれ合う間、自分に自嘲していた。こんなふうに主以外の人間に心を開くとは思っていなかったと、そういう気持ちと、もう一つの申し訳ない気持ち。

 その内なる思いを兄妹が知ったのは、翌日のことだった。




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