ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

25.緑の追手 -兄妹&スカイベートvsクライド&リグレーグー

 クライドは逃げる気がなくなったらしい二人と一匹の会話を甘受した。ここからでは話の内容は聞こえない。戦う気になったのか、素直に戻る気になったのか、密談が終わるのを待つしかなかった。待つところがクライドという男の真面目さを表している。
 そして密談が終わる。

「決まったか?」

 どちらに決まっても、それに対処できる体勢でクライドは訊く。先ほどまであった薄い不愉快さは顔から消えている。
 改斗は生き生きとした感覚を体に込め、手を振り上げた。

「決めた! 逃げるのはやめて戦うことにする」
「そうか。では行くぞ」
「ちょっと待った。一つ、約束してくれないか?」
「なんだ?」

 改斗の目には、砂地に照りつける太陽によって作られた陽炎が映し出されている。深緑のワイバーンの向こう、改斗たちのゴールともいえる森が蜃気楼のように揺れている。
 再び焦点を戻し、改斗はゆっくりと告げた。

「あんたが負けを認めたら、連れ戻すの、諦めてくれないか?」
「安心しろ。俺が負けを認める時は戦闘不能になる時だ。そんな約束など不要……」
「約束してくれ」

 真剣な改斗の瞳にクライドは言葉を止めた。強い意志の力。互いの間に少しの距離があろうとも、改斗の赤い瞳は強い色をクライドに伝えてくる。

(あの色を集められる力が、意志を持つほどの彩流を呼んだということか)

 クライドは珍しく感心を表し、こちらも負けずに尊大に言い放った。

「いいだろう。約束しよう」

 リグレーグが低空に飛び上がる。もう語ることはない。あとは戦いで決めるのみ。
 風ではなく、今度はワイバーンの爪で低空飛行のまま改斗たちに襲いかかる。その圧倒される巨体で飛び込まれては、意図して起こさなくとも風が勝手についてくる。砂をほじくる大きな爪の脅威をまとう攻撃は、咄嗟に避けることがきでなければ、圧倒されて身動きが取れなくなった敵を簡単に捉える。
 改斗たちはその目論みにかからず、左右にそれぞれ避けた。攻撃を避けられたワイバーンは後ろを捉えられないよう、すぐさま上空へと舞い上がる。その間に改斗と明由美はさらに距離を取った。
 今、クマの傘を持っているのは明由美。
 クライドの目は主に魔物を持つ方に注がれた。

「お願いします!」

 合図。スカイベートがワイバーンに向かって口を開け、そこから炎ではなく、黒煙を撒き散らした。不完全燃焼による煙の渦だ。

(煙幕か)

 煙で視界を遮ろうという作戦か。凄まじい勢いでこちらに上がってきた煙を受けながらも、クライドは遅れてリグレーグに風を起こさせた。煙は押し返され、眼下の砂地を一時隠すように広がる。
 これでは二人の位置が掴めない。
 この好機を逃す者はいないだろう。衝撃が来た。下から炎の玉が勢いよく飛んでくる。リグレーグの体、翼、尾、首に容赦ない炎球乱舞が。威力は小さいが、数がある。的が大きければ下から位置が分からなくても攻撃は当たるのだ。

 煙が引いて、やっと二人の姿が確認できた。いつの間に持ち換えたのか、今度は改斗の手に傘がある。また同じ攻撃は食らわないと、翼を大きく羽ばたかせながら改斗に向かう。
 しかし、近づいて目視できたのは改斗とピンクの傘だけだった。傘の柄についていたクマの頭がない。

 気づいた時には激しい炎の渦が側面の視界を焼いていた。熱さに鳴き声を上げ、リグレーグがまたその炎から逃れるために舞い上がる。また煙が襲ってくる。クライドがもっと高く上がれと指示を出す。
 一定の距離まで上がれば煙を風で吹き飛ばしている間でも、向こうの攻撃は届かない。こちらの攻撃も効果は薄い。しかし考える時間はできる。
 焦がした右腕の制服を払って、クライドは見下ろしながら考えた。

(傘は囮か。そちらに攻撃をしかければ本体を持った方が横から攻撃をしかける。そういう使い方をするとはな)

 クマの飾りのついた柄が取り外せるのを知っているのは、持ち主である明由美だけだった。改斗もさっき聞いて初めて知ったくらいだ。人数と傘の小細工を利用しての連携攻撃。
 これで、クライドは近くで目標を見る必要が出てきたことになる。

「厄介だな」

 愚痴るわけでもなく客観的に呟き、クライドは明由美を見る。機敏に動ける改斗ではなく、明由美に攻撃を任せているところが気にかかった。
 クライドは急降下を試みた。煙を吐かれてもお構いなしだ。魔物の本体を持つ明由美目がけて落下する。

「明由美!」

 落下地点の砂が、強い衝撃で外に溢れた。同時に巻き上がる炎。
 リグレーグは潔く身を引く。
 改斗が、そこにいるはずの明由美に駆け寄った。明由美は砂まみれで倒れていた。

「びっくりしてちょっとやり過ぎちゃった」

 明由美の頬に煤がかかっていた。調節できずに自分まで炎に包まれてしまったらしい。

「野郎」
「お兄ちゃん、次の作戦いくよ」

 睨みつけている場合ではない。素早く作戦を実行させなければ。
 傘とクマを交換する。本体を今度は改斗が持った。また二人は離れ、本体が煙幕を吐く。また姿を隠した。

(何をする気だ?)

 考えつつ、改斗が向かった方にクライドは旋回する。本体を潰してしまえば後はどうとでもなる。
 真横から煙幕を晴らし、改斗の姿を確認する。手にはクマの頭。予想通り、攻撃をしかけてきた。

(弱い?)

 さっき上空で受けた攻撃よりも威力は小さかった。迎撃せずとも硬い鱗で防御できる。
 上がろうとしていた体勢を解き、クライドはリグレーグを突進させた。突進を避けたところへ相棒の口から放った衝撃波を食らわし、動きを封じ込めようとする。
 その時またしても横から炎が襲いかかってきた。確かに本体は前方の改斗の手に握られている。それなのに、炎は横から起こった。

 また飛び上がる。逃げているのは自分だと思わされる感覚だ。相手にも自分にも厳しければそういう心理状況は、今の押され気味の自分に少なくとも影響を及ぼす。名誉を挽回するために怒りで行動に出るもの。
 そうさせるのが明由美の計画だった。

 しかしあくまでもクライドは冷静だった。
 目下でピンクの傘を広げて攻撃をしていた明由美を見て理解した。

(あれも本体か)

 本体の頭が欠けた傘にはなんの力もないと思っていた先入観が、油断を招いた。それを読んで攻撃をしかけてきたのは大したものだ。
 しかしもう確信した。あの傘全体が魔物であり、強力な攻撃をするのは明由美の方。
 仕組みは理解できた。あとは本人に確認するのみ。

 こちらにも確認できるように、改斗と明由美の持ち物がまた変わる。今度の明由美は何も持っていない。

(もう通用しない)

 改斗が持った傘から吐かれる煙。改斗も明由美も、これがうまくいけばまたクライドは改斗の方を攻撃すると思っていた。あの仕組み――つまり改斗と明由美のどちらが召喚士であるか、あるいは二人の力の特徴を情報として持っていて、二人召喚をした可能性も視野に入れているであろう相手なら、改斗と明由美のどちらが何の役割を果たし、攻撃をしかけているのかが分からなければ、この作戦は何度でも使える。基本的には明由美が操術でベートの攻撃の手助けをして大きな攻撃をするのだが、どちらがどちらか分からないようにするために傘を二つに分け、改斗の手にある時も、溜めてあった彩流でスカイベート自ら小さな攻撃をしかけた。

 仕組みに気づかれる前に決着をつけられればいい。向こうが気づくまでには最低でも四、五回は攻撃を見る必要があるだろう。クライドの頭に少しでも血が上っていたのなら、こちらに分がある。
 煙幕の中に改斗が傘の部分だけを置いただろう場所に走る。ピンクの傘なら色で見つけられるから確実だ。そしてクマの頭も傘も改斗が持っていると思ってそちらに向かった敵に、今度も予想外の炎を浴びせる手筈。
 この攻撃が当たれば、向こうはだいぶ弱っているはずだ。あとは怒りにまかせて襲いくる魔物を二人で迎撃するだけ。
 明由美の作戦はそういうものだった。

 傘を取りに勢いよく走り出す。二度の攻撃がうまくいったので、明由美は少しいい気になっていたのかもしれない。目の前で、煙の奥から深緑のエメラルドが光った時、激しく動揺してしまった。

「残念だったな」

 声とともに強い衝撃が明由美を襲った。

「弱い攻撃なら魔物自らでもできる。しかし大きな攻撃をしかけるとなると魔力と操術が必要だ。……技を繰り出す、操術の役目を担うのはお前だな?」

 衝撃で失いそうになった意識を懸命に保ち、明由美は魔物の上から見下ろすクライドの話を聞いていた。

「魔力はどちらが持っていても構わない。発生源さえ潰せば攻撃は来ない」

 明由美が軸になっていることにもう気づいたというのか。明由美は驚きを隠せない。たった二回の攻撃で見破られるとは思いもしなかった。普通なら二回で確信できるかずがないのだ。判断を早まり、窮地に陥るかもしれない危険を、クライドはまったく頭に入れていないではないか。

「その顔……どうやら当たりのようだな」

 その言葉の意味に気づき、明由美はさらに意表を突かれた。クライドもこんな賭けの戦法を取るのだと意外に思っている場合ではない。
 かまをかけられた。厳しくて真面目な矜持を折り、冷静さを失わせる――つまりクライドの感情に訴えかけてこちらの流れを作るはずだった明由美が、逆に予想だにしないクライドの洞察力に驚き、その感情につけ込まれた。真面目さで勝負したら若干、クライドの方が柔軟だったようだ。
 緑の魔物が迫る。改斗はさっきからベートに攻撃させているが、効果はほとんど無に等しい。

「明由美から離れろ!」

 明由美の体にワイバーンの足がかかり、捕らえられそうになったところで改斗が突然、クライドにクマの頭を投げつけた。合図もなく投げられたスカイベートは文句を言いながらも明由美を助けるべく、クライドの間近で炎を吐き出す。
 顔面に弧を描いて飛んできたクマの頭を片手で防ぐも、炎までは防げなかった。一瞬で吐かれた巨大な炎はクライドを火だるまにすることはなかったが、ワイバーンから振り落とすのには十分な力を発揮した。

 スカイベートは噴射した反動を利用してうまく改斗の元に落ちる。
 主人が背から落ちたのを敏感に感じ取ったリグレーグは、主人の服に小さな火がついているのを視界に捉え、慌てて風を起こした。
 慌てたところで明由美にかけられていた爪の呪縛が解かれ、改斗は素早く明由美とスカイベートをかっさらって走った。さっきの戦いで砂が風に運ばれ、砂丘が大きく盛り上がった裏へと滑り込む。

「大丈夫か?」

 抱き上げた明由美の体がぐったりしている。魔物の足に束縛された時に強く砂に押しつけられたらしく、力がなかった。

「うん、平気」

 言って顔をしかめる。自分の力で体を起こそうとすると、骨が軋むように鈍い痛みが走った。骨は折れていないが、押さえつけられたことで強い負荷が明由美の体に及んだと見える。
 それでも明由美は上体を起こし、改斗の手を煩わせまいと自力で砂の壁に寄りかかった。

「私の作戦、もう通用しないみたい。……これからどうしよう」

 改斗は難しい顔をして考えた。明由美以上に有効な作戦など改斗には思いつかないが、考える他に道はない。正面から直接叩く力の押し合いでは、圧倒的にこちらが不利だ。何か小細工を要しなければ勝ち目はない。

「改斗」

 改斗の珍しく神妙な顔を見ながらスカイベートが低く呼ぶ。表情はそのままで、改斗はクマの頭を傘の柄に戻して自分の方へ向けた。

「あの魔物、生まれてどのくらいの年月が経っているか分かるか?」

 不可解な問いに、改斗の顔がさらに渋くなる。

「……なんでそんなこと訊くんだ?」
「慌てていた」
「?」

 スカイベートもいつの間にか眉根を寄せて真剣な顔。

「あの召喚士が落ちた時、やけに慌てていたのが気になってな。せっかく捕えた明由美もあっさり放すほどだ。召喚されて日が浅いのならまだ訓練中で、連携は完璧では……」
「いや、あの人はすごいよ」

 砂丘の見えない向こう側を透視するように見て、改斗が尊敬の念を表した。戦いの真っ最中だというのに、こんな時でも相手を称賛できる気持ちは本物だ。
 首を小さく振って、改斗はクマの傘に視線を戻す。

「ベートも見ただろ? たった一年しか経ってないのに、あそこまで魔物を動かせるんだ。すごい信頼関係だよ。日が浅いからって甘く見てたら、こっちが痛い目見る」

 深刻に告げたつもりだったが、スカイベートにはその深刻さは届かなかったようで、クマの可愛い口に薄笑いが刻まれた。可愛いクマの顔も、邪悪な笑顔をすればそれなりに見える。

「一年か……では、甘く見てやろう」
「は?」

 訳が分からない。甘く見るなと言っているのに、改斗の忠告を無視してなんの意地を張っているのやら。
 こっちが呆れる。

「あのなぁベート」
「なぜ、あの召喚士は魔物から降りないのだと思う?」
「?」

 まったく意味が分からず、呆れにさらに呆れを加えて思いっきり眉根を寄せる改斗。

「こちらが二人で連携するなら、向こうも二手に分かれて押さえてしまえば早いではないか。なぜやらない?」
「んー……そんなことしなくても余裕だから?」

 今度はスカイベートが改斗の頭のなさに呆れて頭を振った。ムッとした改斗の横で、明由美が何かに気づいたように「あっ」と声を出した。
 スカイベートは満足そうに頷いて、再び真剣な目を改斗に向けた。

「降りないのではない。今奴は、魔物から離れてはならない状況にあるんだ」



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