ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

24.緑の追手 -追いつかれた一行ー

 メイから一時間も歩くと、辺り一面が緑から黄色に変わった。これがメイとカムラを挟んで展開する砂丘だ。ヤンスクードも言っていた通り、砂漠ほど面積はなく、昼間に歩いても水分さえ取れば一日で容易く渡れてしまう程度のもの。
 ただ、砂の起伏と足を取る砂には苦戦を強いられる。遠回りすれば平地を歩けるところをわざわざ砂丘の真っ只中を突っ切る進路を取っているのは、単にこちらの方が早く故郷に着けるからだ。

 改斗と明由美は互いに手を取って転ばないように、ゆっくりと、そしてしっかりした足取りで進んでいた。
 体力を消耗しないようにと、暗黙の了解で二人とも無駄な会話はしていない。歩くのに手一杯というのも理由の一つではあるが。

「明由美~大丈夫か~?」
「う~ん」

 悩む唸り声ではなく、肯定の返事。語調が長くなるのは疲れているのと、声が反響しない砂で声が届きにくいからだ。
 こうやって時折、改斗が振り向かずに確認している。幼い頃によく幼い明由美の手を引いて村を散歩したのを思い出す。

 改斗は手をかざして空を見上げた。高々と昇ってギラギラ光を放出する太陽を添える青い空は、父と飛んだ大好きな思い出には欠かせないもの。日差しが強くて少し気が滅入りそうだが、そんなことでこの空を嫌いになるほど改斗は現金ではない。

「明由美ともいつか、空飛びたいもんだよなぁ」
「え? なあに? 何か言った?」
「なんでもなーい」

 そんなやり取りをしながら空を見ていると、何かの影が改斗の目にちらついた。
 なんだろう? 鳥?
 それは、ぐんぐん大きさを増してくる。

「! 明由美伏せろ!」

 突然、前方から猛風が襲いかかってきた。一気に駆け抜けた強烈な風は、自然発生するような類の風ではない。明らかに人工的なそれは、通り過ぎていったかと思えば故意に砂を巻き上げるがごとく吹き荒れ、改斗たちの髪や服をばたばたとはためかせた。

「やっと追いついたぞ」

 その声を遮ることなく、風が精密な機械のようにやんだ。やっと体の自由を得た二人はその低い声に振り向く。
 そこにはドラゴン種である、ドラゴンより小柄なワイバーンという魔獣が、その巨体で二人の退路を塞いでいた。
 植物の色褪せた砂丘に甦ったような緑色は、ワイバーンの鱗。日光を反射して表面の滑らかさが優美に光っている。ヤンスクードの魔物リーフィには劣るが、その鋭く磨かれた翡翠のような体色には、誰もがひととき目を奪われる。

 ただし、状況が状況だけに改斗たちにそんな余裕はない。

 このワイバーンには見覚えがあった。学校の警備員、カナの兄クライドの側に従っていた魔物だ。
 クライドは二メートルの高さを魔物の鱗に足をかけて難なく飛び降りた。青い制服に銀の六芒星の意匠。間違いなく学校からの追手。

「本校からお前たちを連れ戻せと命令が出た。大人しく従ってもらおうか」

 瞼を軽く伏せた眼光の鋭さは、冗談の入る隙もない。何者にも温かみを感じさせない厳しさが前面に出ている。
 改斗たちはただただ相対し、身構えることしかできなかった。

「お前が例の追手か?」

 その代わりを務めたのはスカイベートだった。普段と違い、自ら進んで話しかけたのはやはり、改斗たちに協力する姿勢があるからか。

「悪いが、今ここで引き返すつもりはこちらにはない。引き上げてもらえるか」

 ただのクマの傘が言葉を発する現実に、驚かない者などまずいない。驚きの度合いは薄かったが、クライドも例に漏れず表情に感情を表すものを浮かび上がらせていた。

「その傘……あの夜に炎を吐いた奴だな。お前はなんだ? 魔物なのか?」
「そうだ。私はこいつらに呼び出された魔物だ」

 意志を持つ魔物。夢のまた夢の存在。そんなものが実在している現実を受け止める方が本当は難しい。その点で、当事者の改斗は夢と現実を素早く受け入れたと言える。
 クライドもまた、明由美がスカイベートを初めて見て疑問に思ったことを頭の中で考えていた。そんな最中でもあまり表情には出さない。

「……そうか」

 しかしここで場違いな詮索をしても仕方ない。クライドは己の目的を達成することを優先し、受け入れることにした。油断が隙を生む事態を作り、逃げられては元も子もない。
 そこはさすが、一年で警備員の仕事を任される秀才だ。
 クライドは一歩、歩を進めた。

「それなら手加減は必要ないな。もう一度訊く。学校へ戻る気はないんだな?」

 言葉を振られた改斗は唾を飲み込んだ。クライドの言動から、改斗が出す答えで次の展開が決まる。
 恐れで引くわけにはいかない。改斗は思い切り敵対心剥き出しで叫んだ。

「ない!」

 戦闘開始。すでに身構えていた改斗は先制攻撃とばかりに、明由美と手に持ったスカイベートで攻撃をしかけた。炎の渦がクライドに躍りかかる。

「リグ!」

 合図と同時に巻き起こる強風。体よりも大きな翼を広げ、クライドの魔物リグレーグが空気を一撫でして炎と相殺させる。
 押し返された炎が風に乗って熱風を運んできた。

「ベート、これ、ピンチだ」

 熱風を片手で防いで改斗が焦って言う。クライドが魔物に素早く乗る姿が見えた。

「どうピンチだか言ってみろ」

 その焦りもスカイベートの冷静さを侵食するまでにはいかない。冷静さではクライドといい勝負だ。
 改斗は考えられる可能性を述べた。

「あいつは学校の追手で、警備員まで勤める腕前を持ってる。魔物との連携も完璧だ、たぶん。それに比べて俺たちにはまだ戦いの経験がないし、ベートと一緒に魔物と戦うのも初めてだ。どう見たって分が悪い」
「逃げるのか?」

 スカイベートの言葉は淡々としている。
 普段の調子で戦いの場に立つ相棒に力強さを感じ、改斗は安堵した。これならはっきり言える。

「ああ、逃げる。こんな所で足止めくう余裕ないし、望まない戦いで勝つ見込みがないなら、なおさらだ」

 クライドが容赦なく空から攻撃をしかけてきた。緑の突風。風で打ちつけて体力を奪い、大人しくさせようという作戦か。
 ここは砂丘だ。吹き荒れる風はそれだけで砂を巻き込み、砂塵と化す。地形は明らかに改斗たちには不利だった。
 臆病者と言われても、今は受け止める。

「明由美! 逃げるぞ!」

 鞄に入れていた制服のマントで風を防いでいた明由美の手を取り、走り出す。明由美も改斗とスカイベートの話は聞いていた。反対する理由はない。ただし、改斗が本当に逃げたいと思っているなら、だ。

「逃げられると思っているのか?」

 逃走という愚かな手段に出た目標に、上空のクライドが目を細めて不愉快そうに呟く。相手にも自分にも厳しいと言われる真面目な青年には、その行動が臆した弱者と映ったのだろう。勝負には正面で立ち向かわず、この地形で無様に逃げる救いのない愚か者は、彼が嫌う種の人間だった。不愉快を表情ににじませるのは当然だ。

 一端風を止め、改斗たちの頭上を旋回、通り越し、今度は行く手を遮る。
 向きを変えて逃げる改斗たちにまたも強風が襲いかかった。砂が目に入って、敵を視認するのも容易ではない。

 それでも走った。砂に足を取られ、走る動作にはほど遠いが走る。遠く前方に見える砂丘の切れ目、森との境界を突破できれば、身を隠して逃げられる。
 それまでは何がなんでも逃げてやる。

 足掻きをやめない標的に、クライドは容赦しない。風で打ちつけて止まらないなら、吹き飛ばして地面に転がすまで。
 これまでとは違う突風が改斗たちに直撃した。ワイバーンの口から起こった衝撃波は、二人を横から吹っ飛ばし、砂地に押しつけた。
 転がる体を止められず、砂を引きずる。幸い、ここの砂は細やかで粉のように柔らかいため、引きずった右肩は強く擦らずにすんだ。
 明由美も横で痛そうな顔をしていたが、外傷は少ないようだ。

 起き上がるのに手を貸して二人で起き上がった時には、影が頭上を覆っていた。すぐそこに立ちはだかる敵。二人はすでに敵の懐に入っていた。

「観念しろ。臆して逃げるようなお前たちに、勝ち目はない」

 冷ややかに見下すクライドを見て、改斗は奥歯を噛みしめた。そんなことを言われて頭にくるくらいのプライドは、この時もある。しかし戦うことは時に最良の判断とは限らないのだ。
 懲りずに明由美の手を取って逃げの姿勢を見せる改斗に、クライドは鞭のようにしならせた魔物の尾を見舞った。なぶる趣味のないクライドでさえ、改斗のあまりに情けない態度は許容できない。
 体に鞭を受け、再び砂地に叩きつけられる。

「くっそぉ。思い切り、やりやがって」

 咳き込みながら再び起き上がる改斗に駆け寄って、明由美は心配そうに兄を見た。切った口内から溢れた血で、兄の口端が濡れている。
 明由美は決意したように言った。

「戦おう、お兄ちゃん」

 争いを好まない妹からまさかそんな言葉を聞くことになろうとは、改斗自身、思ってもみなかった。

「このまま逃げられても、また追ってくるよ。それにカナが、お兄さんは自分にも人にも厳しいって言ってた。ああいう人には勝って示さないと見逃してくれない」
「お前……戦う気満々?」
「うん。お兄ちゃん、私に気、遣ったでしょ? 戦うのは紫龍だけでいいって思ったでしょ? そんな心配はいらないよ。それに私たちには予行練習が必要じゃない?」
「言われたな、改斗」

 スカイベートが下方から言った。面白そうな抑揚に、改斗だけが気張っていたのだと知る。
 そう、皆分かっていたのだ。改斗がなぜあそこで逃げる選択をしたのか、その真意を。逃げられないと分かっても、逃げようとした訳を。

「なんだよ、みんな戦う気だったのか? 無謀好きだなぁ」
「それはお前だろう改斗。明由美の役を買ってどうするんだ」
「そうだよ、お兄ちゃん」

 改斗は叩きつけられた右肩を擦りながら、息の合っている明由美とスカイベートに苦笑した。気遣う相手じゃなかったか、と。昨日一度落ち込んで自分のペースがまだ戻ってきていないのかもしれない。

「それでね、私にちょっと考えがあるんだけど」

 ポカンとした改斗に、明由美がスカイベートも入れて耳打ちした。




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