ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

16.先輩召喚士 -美しき紫の魔物ー

 走りに走って、とにかく走り抜いて、改斗は高台へと急いだ。目印の塔は、町のどこにいても望める高さにあるので道に迷うことはないが、辿り着くのには少々骨が折れた。
 この町全体が木々に居場所を任せた土地であるため、まず一本道というのが存在しない。真っ直ぐ走れば木や家にぶつかってしまうし、かといって次の道を分かりやすく示してくれているかというと、そうでもない。暗中模索しながら進むしかないが、時間がかかってしょうがない。一体住み始めてどれくらい経てばすべての道を覚えられるのか、途方に暮れそうだ。

 その辺にいる人を捕まえては道を訊き、走り、曲がり、上がり。到着したのはもう魔物が次の町へと飛び立つところだった。

「ちょっと、待って!」

 息を切らしながらやっとのことで高台のてっぺんに辿り着き、叫ぶ。
 運送されてきた荷物の管理をしているおばさんが、魔物を飛び立たせようとしていた手を止めた。

「どうしたの? ……この町じゃ見ない顔だけど」

 何度か深呼吸で息を整えて、改斗はずれた眼鏡をかけ直した。

「の、乗ります。乗せてください」




 明由美も改斗と同様に、大変な思いをして高台に辿り着いた。最後は改斗が上から細かく指示してくれたので、時間の短縮にはなったが。

「もう、お兄ちゃん早いんだから。これで行くって一言言ってくれればいいのに」
「でも、分かっただろ? 俺の考え。それにほら、間に合った。結果オーライ」

 改斗はメイまで行くという荷物運搬業者に、自分たちも乗せてもらおうと考えたわけだ。これなら大幅な遅れを取り戻せるし、追手もまさかこんなものに乗るとは思わないから、まくことができる。一石二鳥の自信満々の改斗の作戦。

 おばさんの方もなんとか拝み倒して了解を得た。「ヤンさんに見つかったら大事(おおごと)だよ」と困っていたが、そこは改斗の明るさで誤魔化してしまった。

 肩で息をしながらも、明由美は無理を聞いて待っていてくれたおばさんに丁寧にお礼を言うことを忘れない。お礼というよりは、兄が迷惑をかけましてという謝罪が半分だ。

「明由美」

 何? と、振り回されて少し不機嫌に振り向いたその目に飛び込んできたのは、桃色の花弁。ひらひらと緩やかな風に乗り、春の香りを運んでくるような桜の花びら。
 いや、花びらではない。この町には桜など咲いていなかった。その向こうに立っているのも実は、桜の木ではない。その桜の花のごとく見違える美しいものは、羽だ。

「驚いたか? 俺もさっき見た時はびっくりした」

 改斗の傍らに立っているものは、その赤紫の細長い目でじっと明由美を見てきた。人のそれではない、人外の魅力を感じさせる瞳。
 純粋にただ、綺麗だと思えた。

「これ、魔物だよね?」

 引き寄せられるように、明由美はその桃色と菫色の羽に覆われたものに近づいていった。改斗よりも美しいという概念を持ち合わせている明由美だから、ここまで魅せられているのだ。
 なんだろう? あのとても温かそうな羽毛に触れてしまいたくなる。抱きしめたくなる。いや、抱きしめてほしくなる。とても、母性を感じられるから。

「明由美!」

 改斗の声で我に返った。気づくと、明由美はその魔物の体に身を寄せそうになっていた。
 触れられても、魔物は拒まなかっただろう。見上げた時、魔物はただじっと、その真っ直ぐな色で明由美を見守っていたから。

「あ、ご、ごめんなさい」

 触れてはいけないような気になって、明由美は動悸を抑えながら数歩下がった。どうしたんだろう。気持ちが妙に落ち着かない。

「さ、乗って乗って。すぐ出発するよ」

 出発の時間をだいぶ過ぎてしまっているらしく、おばさんがこれ以上待てないとばかりに急かした。それにも触発されて、明由美は自分を縛っていた心地よいものを振り払い、改斗が入り込んだカゴに乗り込む。
 恐る恐るあの魔物を見上げる。魔物はすでに後ろを向いて、飛び立つ体勢になっていた。
 もう一度見たい衝動に駆られたのは、一種の依存に似た欲があったからかもしれない。早くに亡くなった母親からの愛を求める幼い頃の心が溢れ出すほどに、その魔物は温かく、美しかったのだ。


 改斗と明由美とその他の荷物を乗せたカゴを脚にくくりつけて飛び立った魔物は、大きく淑やかな翼を広げて町を出発した。

 鳥、ではなかった。明由美に母性を感じさせるほど、彼女は人間の形に近い姿をしていた。
 顔から鳥の鉤爪を持った脚までを、桃色と菫色のグラデーションで彩られた羽毛が覆っている。顔の部分だけは産毛なのだろうか、薄い毛が覆っているだけなので、顔と髪があるように見える。
 そう見ると、髪は短いと言えるか。羽毛が額から後ろになびいていて、うなじから上に流れている羽毛も同じ方向になびいて柔らかそうだ。
 人でいう腕に当たる部分が翼だった。そして脚が鳥類の類い。

 俗にハーピーと呼ばれる魔獣を器にした魔物のようだ。

 改斗も明由美も、ハーピーは初めて見る。

「すごいよなぁ。文献で見たことあったけど、ここまで綺麗な種だとは思ってなかったよ」

 美を語るに及ばない改斗ですらこの称賛。整いきった艶やかな羽毛は、誰にでも均整の取れた美しさを感じさせる。

「いくらハーピーといえども、ここまで美しいものは野生にはいない。召喚された魔物だからこそ、成し得るものだろう。いわゆる、成長だ」

 町の中ではしっかり沈黙を保っていたスカイベートが、三人きりになってやっと口を開いた。しゃべってくれないと、召喚した現実を忘れそうになるほど、飾りのクマになりきるのがうまい。

「成長?」

 疑問符を浮かべたのは改斗だ。授業で習ったのに、と明由美は小さく息をつく。
 言わずともそれを明由美のため息で察したスカイベートも、呆れ顔になった。小豆サイズの黒目が半分になる。

「魔物は召喚士とともに過ごすうちに、自分にふさわしい姿を少しずつ取るようになる。それが成長だ。この魔物も恐らくそうだろう。召喚士が大切にしているのがよく分かる。そして魔物もそれに応えている。私たちにはない理想の形だな」
「感心しながら痛いこと言うなよ」
「本当のことだ」
「なんか……」

 仲よくなる気がさらさらない淡白な言葉を言うスカイベートと、それに突っ込む改斗の会話に入って、明由美がぽつり。

「綺麗になるって、恋する乙女みたいだね」

 一瞬訪れる静止の世界。

「ロマンチストだな、明由美は」
「明由美! お前恋したことあんのか!?」

 スカイベートの感想と改斗の衝撃が重なった。ロマンチストという指摘に照れながら、明由美は兄に答える。

「それくらいあるよ。成就はしなかったけど」
「いつだ? どこのどいつだ? まさかあのクライドとかいう警備員じゃないだろうな!」

 召喚前、最後の打ち合わせの時に話題に上った青年のことを、改斗はまだ気にしていたようだ。
 明由美はむきになって否定した。

「どこまで引きずるのよ! カナのお兄ちゃんは関係ないって!」
「だってそれしか考えられないだろ!」
「ずっと小さい時にです! ここ何年かはしてません!」
「嘘ついたって俺の目は誤魔化せないぞ」
「嘘じゃないってば!」
「……そのくらいにしておけ」

 兄妹の言い合いを止められるのは、この場ではスカイベートしかいなかった。そしてやはり二人に呆れている。

「あまり荷物が揺れると落とされるぞ」

 ここはすでに空中だ。地上から数十メートルは離れている。落ちたら即死だろう。
 スカイベートの脅しは根本的な常識を捉えていたから怖かった。二人は言い合いをやめて息を呑みながら黙るしかない。言い合いになっていつの間にか相手に身を乗り出していた姿勢を、静かに、魔物を刺激しないように戻して、大人しく座る。

 …………てんてんてんてん。
 コテッ

「お兄ちゃん?」

 突然、改斗が仰向けになった。

「寝る」

 そのまま左手で側頭部を支え、ごろ寝の状態で明由美と向き合う改斗。

「メイの町までまだ時間がある。それまで暇だろ? 寝る」

 追手から逃れ、森で数時間休んだと言っても疲れはまだ完全には取れていない。故郷への道中と紫龍との戦いに備え、休息は取れる時に取っておいた方がいいのは確かだ。
 そう思ったら、明由美もなんだか眠たくなってきた。生あくびが漏れる。

「私も、寝よっかな」

 言いながら、向こうを向いた改斗に背中をつき合わす格好で、明由美も横になった。
 クマの傘を向かいに置く。

「ベートさんも寝る?」
「いや。私は基本的に眠らなくても支障はない。この体では力があり余って、休むという行為は必要ないようだ」
「そっか。じゃあ、何かあったら起こしてね。お願い、しま~す……」

 また小さくあくびをして、明由美は荷物から制服のマントを取り出すと、毛布代わりにかけた。
 すぐに寝息を立て始める。

「……」

 一人になったスカイベートは、自力で体を上向けて空を見上げた。ハーピーは二人が眠ったのを知って気を遣ったのか、さっきよりも静かに飛んでいる。

 大空を飛んだ日が懐かしい。あの青いまっさらな空に映える紅の体躯で、誇らしく飛んだものだ。その横には空に溶け込むかのような蒼色の同族が並んで飛んでいて。
 その背には金髪を束ね、気持ちよさそうに風を受けている主が乗っている。
 そんな時もあった。もうどのくらいの時がこちらでは流れたのだろう。

 器に宿り魔物という形を成していた彩流は、主を失うと空気中に還る。それは濃度が高いために意志を持った彩流も同様だ。空気に四散したが最後、その彩流を集めることのできる人間はもういないのだから、再びその意志が形を成して戻るということは決してない。

 だからスカイベートは、自分がまたこの世界に呼ばれるとは思いもしなかった。かつての主の魔力と彩流の色が合わさって始めて、スカイベートという意志が生まれ、命が与えられたのだ。他の者が呼び出すなど、本当はあり得ない。

 しかし現にスカイベートは召喚されたのだから、それを覆す要因が何かあるのだろう。改斗と明由美が主に匹敵するだけの力を備えているとか、改斗の瞳の色が主に限りなく近い色を宿していて、奇跡を起こしてしまったとか。

(まぁなんでもいいがな……またこの世界を感じることができるようになったのは確かだ)

 それには密かに感謝してもいいと、スカイベートは思う。しかしあの二人を主とはやはり認められない。
 生涯主と認められるのは一人だけ。この世界にはもう存在しない人でも、スカイベートが主と呼びたい人はその人だけなのだ。

 スカイベートは目を閉じる。主と過ごした日々の充実感は今では夢に近い、幻のような儚さだが、覚えている。
 とても大切な、忘れたくない思い出。
 例え記憶というものが薄れゆくものだとしても、それだけは決して消えないとスカイベートは確信していた。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品