ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

9.召喚士誕生? -召喚成功?-

 魔物に初め、意志はない。器に彩流さいりゅうを入れ、誕生したばかりの生命は基本的に本能を行動理念としている。本能に意志はない。召喚した主を見定めるというのも魔物の場合、本能に入る。
 だから、二百年前に意志を持つ魔物を誕生させた召喚士クリスは、最強とうたわれている。

 歴史上でたった一人しか成し得ていない偉業。それには想像を絶する魔力の高さが要求され、それを操る操術も必要になる。意志があるということは、より人間に近い生命。そんな彩流を呼ぶには人の倍、いや三倍、四倍の力がいる。クリスの力は常軌を逸していた。

 最強の召喚士だからできたのだと皆が思って、実現するのは夢のまた夢に等しかった。そして年月が、そんな高みを目指そうとする者を減らしていき、今では誰一人としてそんなことに望みをかけなくなった。召喚するのは意志のない赤子のような魔物が当たり前になった。いや、昔から、それが当たり前で基本なのだ。

 その常識を覆したからこそ、クリスは最強といわれるのだから。



     *******



 赤く重い彩流の光が燐光を持ち、飛び散ったような気がした。意識を失う直前に見たのでぼんやりとしか覚えていない。
 たぶん意識を失ったのは数秒だと思う。改斗はうつ伏せで倒れている自分の体を、四つんばいになって起こした。

「……明由美?」

 探すまでもなく、妹も側で仰向けに倒れていた。改斗の呼びかけに反応して瞼が上がる。

「お兄ちゃん……」

 無事な兄の姿に、明由美の口から自然と安堵の声が漏れた。

「大丈夫か?」
「うん」

 風が静かだった。さっきまでの彩流の暴走が嘘のような穏やかな空間。真っ赤だった視界も闇に溶けたように跡形もない。召喚の儀前の、月明かりだけが照らす暗闇だ。
 ははっ、と息を吐くように自嘲したのは改斗だった。

「俺たちぼろぼろだな」
「そうだね」

 仰向けのまま、明由美もため息のような相づちを打つ。

「あーあ……」

 なんとか胡坐あぐらをかくように座り込んで、改斗が疲れた声を出した。前方に見えているのは自分たちが描いた拙い魔法陣。赤の位置に置いた魔獣の器。

 動かない。

「……」

 彩流が器に流れ込み、定着をすませていれば、魔物はすぐにでも動くはずだ。痙攣でもピクッと反応するだけでもいい。とにかく命が宿ればその反応があるはず。
 しかし何秒待ってもそれらしい変化はなかった。羽を広げてはくれないか。頭を上げてはくれないか。どんなに期待しても、魔獣は痛々しく永遠に眠ったまま。

 失敗だ。

 改斗は胡坐をかいた脚を崩して手を頭の後ろに組むと、草むらに仰向けに倒れた。明由美も召喚の結果が分かって動かなかった。
 視界には真ん丸い月が見える。それがなんだか無性に、慰めに見えた。
 もう十二時を回っただろうか。

「……終わっちゃったね」
「ああ」
「……召喚、できなかったね」
「……ああ」
「私たち、これからどうなるかな……」
「……」

 あの彩流の暴走が学校まで届いていないはずはない。届いていなくても警備員が誰か気づくはずだ。そうしたら改斗たちは拘束され、罰を受けることになる。説教ではすまされない。規律を破って召喚を、しかも二人でやろうとした罪は重い。軽くて停学、重くて退学だろう。そこまで覚悟しての召喚だった。

 なのに、失敗に終わった。

 ドン

 改斗が思い切り地面を叩いた。

「俺がちゃんと集めて暴走なんてさせなかったら、うまくいったのかなぁ。俺のミスだ。ごめん、明由美」

 改斗は上を向いたまま、拳を握って地面を叩き続けた。悔しい。自分のせいで失敗したことが。己を過信し過ぎたことが、純粋に悔しかった。

「お兄ちゃん……」

 力の入らなかった手足をなんとか動かして、明由美は草むらに座り込んだ。仰向けでただ地面を叩く兄の姿が痛々しくて、見ていられない。
 止めようと思って近づくと、改斗は拳を叩きつけるのをやめて、顎を引いた。表情が見えないように。

「あーやばいなー目が沁みてきた。くっそー止まんね。むかつくなーもー」

 声が震えている。本人は笑って誤魔化そうとしているのだろうが、うまく笑えていない。いつでも前向きで明るい性格は、素直に悲しませてはくれなかった。

 改斗の傍らに座り込んだ明由美には、そんな兄が泣いていると分かってしまった。顎を引かれたせいで影がさらに表情を覆いよく見えないが、泣いている。

 改斗が明由美の前で最後に泣いていたのは六年前のことだ。両親を殺された時に流した悔し涙。それ以来、改斗は持ち前の明るさで妹を引っ張ってきた。辛いこともあっただろう、泣きたいこともあっただろう。だが、改斗は絶対に人に涙は見せなかった。隠れて泣くことも、しなかったのかもしれない。

 その改斗が今、声を殺して明由美の前で涙を見せている。それほどまでにこの召喚は成功させなければならなかった。
 村のみんなのため、死んだ両親の仇討ちのためにも。

(ごめん母さん。ごめん、父さん……)

 傍らですすり泣く声が聞こえる。

「明由美……」

 明由美が泣いていた。声をひそめて、改斗の目の前で何回も涙を拭いながら。思い切り泣けない改斗の代わりに、自分が泣いてあげようとして。
 改斗は明由美と同じく地面に座り込んだ。また胡坐をかいて明由美を見、自分の頬を伝う涙を乱暴に拭う。

「……ありがとな」

 言いながら、明由美の後頭部に手を伸ばし、引き寄せ、改斗は自分の右肩と胸の間に明由美の額を押しつけた。
 明由美もされるがまま、改斗の服に顔を埋める。
 涙が改斗の服に染みを作る。

 ひとときの悲しみに暮れるくらい、休息になって丁度いい。退学になれば、学校に戻るのは容易ではない。ずっとやってきたものをまた一から別の場所で始めなければならないかもしれないのだ。召喚志学校以外で召喚を行うのは重罪だが、他に方法がなければやるつもりだ。それに備えて今、頭を休めるくらいいいだろう。

「おい」

 改斗も目を閉じた。迎えが来たようだ。せっかく簡単には見つからない場所を選んだというのに、早かったなと改斗は口元で自嘲した。

「おい、そこの男女」
「明由美が泣き止むまで待ってくれよ。処分は受けるからさ」

 言い終わる前に、明由美は額を放した。

「ううん。もう、大丈夫だから」
「いいのか?」
「うん。ありがとね、お兄ちゃん」

 まだ少し無理が残る笑顔を見せた明由美の頭を撫でる。もう改斗はいつもの明るい笑顔に戻っている。

「見せつけるな。早く来い」

 この言葉に一早く反応したのは明由美だった。改斗に顔を見られないように素早く立ち上がる。改斗は気にした様子もなく立つ。十二時を回って彩流の効果がなくなった今、改斗の視力は元に戻ってしまったので、ポケットに入れておいたいつもの眼鏡をかけた。

 そして、学校の方から来る人を迎えようとする。

「?」

 が、いくら辺りを見回しても、人影らしい人影は見当たらなかった。暗闇といっても月明かりがあるし、近くから声がしたから、その距離なら木々の間を縫って立っていても分かるはずだ。

「いないね」

 明由美にも見つけられないらしい。

「そういや、木々を掻き分ける音とか、草を踏み分ける音とかしなかったな。声はしたのに」
「そういえば……そうかも」

 ということは、遠くから呼ばれたということか。それにしては声を張り上げて大声で叫ぶような声量ではなかった気がする。

「こっちだ」

 また聞こえた。その声はやはり奥の方から聞こえているのではない。近くにいる。
 声は、まだきょろきょろする兄妹に痺れをきらして、怒り口調だった調子に苛立ちを加えた。

「お前たちに目はついていないのか? ここだと言っている」

 と言われても辺りには何もない。あるのは魔法陣と魔獣の死骸と、あとは明由美が持ってきたクマの傘。
 明由美の目が傘にとまった。

「まさか……これじゃないよね?」

 しゃがみこんで覗き込む。明由美自身、半信半疑で手を伸ばす。

「やっと気づいたか、鈍い人間め」
「!」

 伸ばした手を咄嗟に引っ込めたら、勢い余って尻餅をついてしまった。それほどに驚いてしまったのは、傘が微塵も予想しない行動をしたから。

「しゃ、しゃべった……」

 明由美が半信半疑ながら掠れ声でそう漏らした。
 上から屈んで傘を覗き込んだ改斗も目を丸くしている。
 ピンクの傘の柄の部分についているクマの表情が、召喚前と変わっていた。呆れたような偉そうな態度で目をつぶっている。

「動いてる?」

 クマは線になっていた目を丸ポチに変えて――つまり目を開けて、ひそめていた眉をつり上げた。いわゆる怒りの表情。

「自分たちで召喚しておいて気がつかないとは、酷い召喚士もいたものだな」

 改斗たちは未だに信じられないといった顔。クマがしゃべっているのは分かる。表情を変えたのも理解できる。理解できないのは、なぜ、ただの飾りのクマがしゃべって動いているのかということ。
 改斗はクマが言ったことに重要なことが隠されていなかったかと反芻した。

「今、召喚しておいてって言った? 召喚士って言った?」

 クマはまた呆れた態度で答えた。

「二度同じことを言わせるつもりか? 鈍い召喚士め」

 悪く言われたというのに、改斗の顔は歪むどころか、さっきの信じられない顔に驚きと嬉しさを混ぜて喜々とした表情を上らせた。幼い少年のような笑顔を止められない。

「成功、してたんだ。明由美、俺たちの召喚、成功してたんだ!」
「えっ? え?」

 手を取って、改斗は明由美を軽々と立たせてしまった。なぜ兄がこんなに嬉しそうなのか、明由美の頭はまだ理解しきれていない。
 改斗はもう確信していた。

「俺たち、召喚士になれたんだよ!」



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品