ベア・サモナー

青蘭(あおらぎ)

5.召喚士を目指す兄妹 -秘密の打ち合わせー

 忍ぶなら夜と相場が決まっている。夜陰に紛れて密会するのは容易ではないが、人の目を盗んで何かをするのには絶好の環境。
 この兄妹もまた、そんな夜陰を利用する者たちの一人だった。

「いよいよだな」
「うん」

 改斗と明由美は、月明かりの下で打ち合わせのノートを確認し合っていた。ノートには六芒星が描かれ、上から時計回りに赤、橙、黄、緑、青、紫の丸が先端につけられている。
 一番上の赤丸だけ何重にも丸がされていた。

「今日、とうとう本番だ。ちゃんと頭に入れて、召喚のイメージを膨らませるんだぞ。ぶっつけ本番だからな」
「うん。お兄ちゃんもね」
「分かってる」

 今、すでに時刻は一時を回っている。つまり六会の日はもう始まっている。まだ濃度に顕著な変化は見られないが、彩流が極限に高まる一年に一度の日だ。先日のテストや実力試験で召喚することを許された者たちが、召喚の儀式を執り行う大事な日。
 今日は三人の生徒が行う手筈となっている。選ばれなかった者たちはその日を見守るだけ。
 廊下の掲示板にも書かれていたように、改斗と明由美はその中には含まれていない。認められなければ召喚を行ってはいけない決まりだ。しかし二人の会話は明日召喚する打ち合わせの内容。

 二人は決まりを破ってでも二十二時間後の今日、召喚を行うつもりでいた。しかも成功例のほとんどない二人召喚を。

「明日に備えて、今日はこの辺でお開きにしようか」
「そうだね。じゃあもう一度簡単におさらいしよっか?」
「よし」

 一からどういう順序で、どういう心構えで、自分が何を担当し、何を相手に任せるのか。それが分かっていなければ、二人でやるなど言語道断。お互いを知っていればできるというレベルでもない。互いが互いの力を知っていて、なおかつそれを信じて自分の力を預けられる。そんな信頼関係がなければとてもこなせるものではない。
 そういうものに、改斗と明由美は挑戦しようとしているのだ。

 そうして二人が互いにノートの見比べっこしていると突然、どこからか低い声がかけられた。

「そこに誰かいるな。二人組、出てこい」

 ドキ。二人は互いに心臓の跳ね上がる緊張を抑えて、息を殺した。
 見つかったか。この時間、確かに見回る警備員はいる。しかし今までは見つからなかったのに今日に限ってとは、運がない。
 数秒待った気配がある。しかし自ら出てこないのを見て取ったのか、警備員の足音が近づいてきた。

(やばい)

 ここで見つかっては計画が水の泡だ。しかしここから逃げようにも逃げ道がない。草の中に身を隠したまま見つからないことを祈るしかない。
 明由美はぎゅっと身を縮ませて、祈るように両手を組んだ。

(通り過ぎて!)

 足音は自分たちの前で止まった。月明かりでうっすら伸びた影が覆ってくる。

「自ら出てくれば罪は軽くなる。早く出てこい」

 罪を軽くしてもらっても、明日謹慎をくらったら台無しなんだよ。改斗は思いながらさらに身を硬くした。明由美も同様に。
 草は静まり返るばかりで、警備員は隠れている者たちが自主しないと判断したようだ。こちらに腕を伸ばしてきた。草むらを探られたら終わりだ。

「すいませんでした!」

 その時、右隣からくぐもった声がした。警備員の手が止まる。
 少し離れた草むらから男女二人が姿を見せた。男子が女子の前に立って奥から出てくる。

「俺が誘いました。すいません」

 改斗たちの所からは二人の姿が見えた。男子は咎める相手に怯えた表情。女子は俯いていて表情は読み取れない。

「……話は指導室で聞こう。来い」

 それを言うまでまた数秒間があった。明らかに改斗たちがいる草むらを気にしている。
 しかしほどなくして踵を返し、警備員は改斗たちから離れていった。気のせいだったと思ってくれたのかもしれない。
 三人の足音が遠ざかっていった。

 完全に音が聞こえなくなるまで、二人は用心深く緊張したままだった。改斗が大きく息を吐くと、明由美も緊張を解く。

「危なかったね」
「ホントだよ。寿命縮むって」

 二人とも、動悸がなかなか治まらなかった。
 そんな後にまた一から打ち合わせをする気にもなれないので、早くこの場を立ち去ることにする。
 改斗が草むらから顔だけを覗かせて辺りを見回した。
 その間、明由美は疑問に思っていたことを兄に話す。

「さっきの警備の人、もしかしてカナのお兄さんかな?」

 暗がりと身を隠していたせいではっきりとした確信は持てないが、明由美にはそう感じられた。
 見回すのをやめて顔を引っ込めた改斗は、少し考えて言った。

「確か、去年卒業して一ヶ月前くらいに警備の仕事に就いたんだっけか。あれがそう?」
「分かんないけど」

 実は二人、カナの兄と話したこともなければ、ちゃんと見たこともなかった。去年の召喚の儀で遠くから見たのは、見たとは言えないだろう。カナの側にいても、カナとその兄が会話をする場に居合わせることもなかった。
 だから真正面で見たのはたぶん初対面の時だけ。四年前では当時の記憶は当てにならない。明由美がカナに熱弁したことだって、人伝ひとづてに聞いたことだ。
 それでも本人だと思えたのは、昔受けた印象と変わっていなかったから。

「こんな暗がりで気配を感じ取るなんて、隅々まで神経を張り巡らさなきゃできないことだよ。本当に真面目な人なんだね」
「規律を守る! みたいな任についてりゃ、そりゃ真面目だろうさ」
「もう、違うよ。規律を守るんじゃなくて、生徒を守るんでしょ?」
「そこは別に反論するとこじゃないだろ?」

 明由美は友達の、あまり知らないお兄さんでも、カナのことを思うとついむきになってしまった。しかも今日はカナのあんな顔を見てしまった後だ。力もこもってしまう。

「お兄ちゃんにはできない仕事だよね」

 少し語気に厳しさが混じった。改斗はそれを聞き逃さない。

「うるせ。ってか、何怒ってんだよ」
「怒ってません」
「怒ってるだろ?」
「怒ってないもん」
「怒ってるじゃんか。すねてる」

 言い終わらないうちに、明由美は閉じたノートで迫った改斗の体を退けた。

「とにかく、カナのお兄さんは立派な人で、お兄ちゃんは立派じゃないの。それだけ、はい、終わり」

 言ってから、明由美は後悔した。感情のままに少し言い過ぎたかもしれない。

「明由美……」

 案の定、改斗は目を見開いて顔を凍りつかせていた。その凍りつき方の中に見える改斗の衝撃といったらなんというか。
 明由美は慌てて首と手を振った。

「ご、ごめん、本心じゃないから。ちょっとカッとなってつい言っちゃっただけ。思ってないよそんなこと」

 改斗の表情は変わらず。ゆっくりと明由美に視点を合わせた。

「お前まさか……そうなの、か?」
「え? う、うん、そうだよ。本心じゃないから」
「なんで今まで隠してた?」
「え?」
「いつから気にしてた? いつからあいつのこと想ってたんだ!」

 初めは弱弱しく、後ろになるにつれて強くなる改斗の語気。改斗はどうやらカナの兄を庇って怒る明由美に、変な誤解をしたらしい。
 明由美も兄が何を勘違いしているのか悟ったらしく、さっきとは倍の動きで手を振り、否定した。

「ち、違うよ。えーと、カナ。カナがね、お兄さんとうまくいってないって言ってて、それで気になったからだから! そのお兄さんが好きとかじゃないから!」

 しばらく改斗は要領を得ない顔で、疑いの半眼を明由美に向けていた。本当か? と兄の心が責めているのが分かる。
 明由美はできるだけ真剣な顔をしていた。思ってもみない兄の誤解を解くため必死に頭を働かせたため、顔には汗がにじんでいる。

「……まぁいいや。早くここから出るぞ」

 改斗はこれ以上触れたくないとでも言うように、辺りに誰もいないことを再三確認して草むらから出ようと立ち上がった。

「お兄ちゃん待って!」

 極力押し殺した声で言って、明由美が突然改斗の制服の裾を引っ張った。
 いきなり戻されて、改斗はバランスを崩して地面に倒れ込む。

「何すんだ明由……」

 起き上がろうとした改斗の口まで塞ぐ。
 その直後。
 巨大な影が二人の頭上に覆い被さった。

「!」

 頭上を見上げた二人の視界にかろうじて映ったのは、月明かりに照らされた緑色の巨体。ドラゴンより小柄で前足が翼の、ワイバーンという飛行魔獣。
 夜陰を崩さず空を飛んでいくその静かさは、息を呑むほど見事なものだった。微風が草や木々を涼やかに通り過ぎた程度の音しか成さないその飛び方は、野生ではできない。

 あれはおそらく、死した魔獣に彩流を宿らせ命を与えたもの――魔物だ。
 優雅に揺れる尻尾が見えなくなるまで、二人は草むらに身をひそめていた。いや、圧倒されて動けなかった。

「……すげぇ」

 呟いたのは改斗。明由美の手は圧倒された時に口から放れている。

「さっきの奴の相棒か? あの魔物、すごい訓練されてる」

 感嘆の声。あそこまで静かに飛ぶとなると相当なしつけや訓練が必要だ。もしあの魔物がさっき言ったカナの兄の魔物なら、一年であの飛行を可能にしたということ。
 それはもう憧れに値する芸当だった。

 感心と尊敬の表情でいる改斗に対して、明由美は少し深刻な表情をした。

「あの魔物、私たちが隠れてる辺りを見てたみたい」

 少し驚いて、改斗も明由美に深刻な眼差しを向ける。

「たぶん見つかってはいないけど、もしカナのお兄さんの後を探ってきたのなら……」
「あの後すぐ出ていったらヤバかったな」

 自分たちがその召喚士と魔物の連携にしてやられるところだったと思うと、尊敬の念を抱く中にも冷や汗が混じった。
 賢くて訓練されていて、でもまだ一年目。カナの兄は秀才と評されてしかる人物なのだと、初めて知った。
 本当に、羨望せずにはいられない。

 今度こそ誰もいなくなって、改斗と明由美はやっと狭い草むらから出られた。

「もうここで打ち合わせできないな。って言ってもこれが最後だけど」
「さっきのカップルさんに感謝しないとね」
「ああ……ホントにな」

 風が冷たい。改めて、改斗は自分が変な汗を掻いているのだと実感する。

「……じゃ明日な、明由美」
「うん。頑張ろうね」

 二人はもう一度青黒い空に浮かぶ丸い月を見上げた。明日の夜。月がどれだけ色を鮮明に照らしてくれるかも、少し重大な問題だ。



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