死なない奴等の愚行

山口五日

第33話 身の危険を感じたのでお譲り致します

 先程まではフェルは間違いなく服を着ていた。
 だが、お湯の中から出て来ると服を一切身に着けておらず全裸だ。


「服? ケルベロス、知らないの? お風呂に入る時は服を脱がないといけないんだよ」
「正しいけど、今は間違ってる!」


 フェルは首を傾げて、不思議そうに俺を見る。


「間違ってる? 何が間違ってるの?」
「何をって……」


 異性の前で服を脱いじゃ駄目、と言えば分かってくれるだろうか? だけど、彼女は元々犬だ。服の概念がなかったはずだ。だが、オッサンが話したのか『お風呂に入る時は服を脱がないといけない』という教えは身に付いている。この教えに沿った言い方をすれば分かってくれるに違いない。


「えっと……別にフェルは風呂に入ろうとした訳じゃないだろ? だから服を脱ぐのはおかしいじゃないか」
「でも、今は風呂に入ってるよ。だから脱いだんだよ」


 ……教えに沿ったのは失敗だった。彼女の中ではお風呂に入る=脱衣のようだ。
 ここで異性の前で裸になってはいけないとしっかり教えるのも可能だが、フェルにそれを教えるには時間が掛かる気がする。そもそも上手く説明できる自信がない。


『異性の前で裸になっちゃいけない』
『どうして?』
『恥ずかしいだろ?』
『別に』
『…………』


 うん、駄目だ。簡単にシミュレーションしてみたけど、俺は人に教えるのは不向きだ。オッサンやサラに任せよう。
 それにマリアやクレアなどの発達した体をした女性ならマズいが、フェルは子供だ。子供の裸にそういちいち目くじらを立てる事もないか。


 フェルに服を着るよう説得するのはとりあえず諦めて俺は質問をする。


「なあ、どうして俺の捨てた服を嗅いでたんだ?」


 フェルの未発達な体よりも俺は先程の彼女の行動が気になっていた。


 俺の問いに対して、屈託のない笑顔でフェルは答える。


「良い匂いがしたから!」
「血塗れの服が!?」


 良い匂いって……血の匂いが? ええっと、もしかして犬から人になっただけでなくて、吸血鬼になったのか? デュラハンが居るのだし、吸血鬼が居ても不思議ではないけど……。


「えっと……フェルって、血の匂いが好きなのか?」
「違うよ。好きな匂いはケルベロス!」


 俺の匂いが好き? いや、まあ臭いとか言われるよりか良いけど……。


 自分の体臭が好きと言われて、どのように反応すればいいのか困っているとフェルは興奮気味に話す。


「あのね、ケルベロスの歓迎会で初めてケルベロスを見た時から良い匂いだなって思ったの! これまでお肉が焼ける匂いとか、お花の匂いとか、甘いお菓子の匂いとか、色々と好きな匂いはあったんだけど、ケルベロスの匂いはね、全く違うの! 甘いような、酸っぱいような、苦いような、辛いような、優しいような、不憫そうな、女運悪そうな、馬鹿そうな……色々な匂いが混じった複雑な匂いでね、とっても良い匂いなの!」


 それ本当に良い匂いなの!? というか後半悪口言われているようにしか思えないんだけど!? 馬鹿そうな匂いってどんな匂い!?


 などと叫びたかったが、フェルはまだ話し続けるので叫ぶ隙がない。


「すぐにでも近寄って思いっ切り匂いを嗅ぎたかったんだけどね、ユイカに投げられて嗅げなかったの。で、次の日にケルベロスに跳びついて、ようやく近くで胸いっぱい嗅げたんだけどね。やっぱり良い匂いだった! ずっと嗅いでいても良いと思えるくらい良い匂いだったの! でも、すぐにサラに引き剥がされちゃって、窓割ったの怒られちゃって。もう一度匂いを嗅ぎたいなーと思ったんだけど、ダンと訓練に行っちゃうでしょ。だから戻って来るまで我慢してて、さっき戻って来たのが分かったから部屋に行ったの。そしたらユーマがお風呂に行ったって教えてくれて、それでお風呂に来たらゴミ箱にケルベロスの服が捨ててあってね。ケルベロスのお汁がいっぱい染み付いているからかな? すっっっっっっごく濃くてね、良い匂いがするの! 頭がとろけちゃうくらい! ねえねえ、この服貰っていい? 貰っちゃ駄目? 捨てるからいいでしょ? ね、お願い!」
「……あ、うん。そんなもので良ければ、どうぞ」


 興奮気味に語るフェルに対して、俺はそれしか言えなかった。


 フェル、もしかすると彼女こそがイモータルの中で最も危ないかもしれない。マヤと博士より俺は実の危険を感じてしまった。

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