藍―AI―

葉月瞬



 煙が上がるまで、さほど時間は掛からなかった。上がったのは、紫色の煙だった。事前に打ち合わせした通りの煙の色だ。無事ならば紫、無事でないならば赤を打ち上げる予定だった。
「おじさん、無事なんだ」
 安堵の言葉。それがインディゴから出たことに、ハーベイは不思議がった。コムリというおじさんをよほど大切に思っているらしく、言葉の端々に、あるいは行動の随所にコムリに対する敬意というか、仲間意識というものがあるように見受けられる。これはあくまでもハーベイの主観でしかないが、間違いではない。インディゴの中では、コムリに対する親近感というものが芽生えていたのだ。
 どうやって中に入ったのか。そんなことは捨て置いて、事は自分たちが侵入する方に運んでいた。ハーベイはインディゴの手をとって夜陰に乗じ、走り出した。ハーベイたちの纏っている外套は黒なので、夜陰に乗じ安い。漆黒の稲妻が白い建物に向かって疾走していく。インディゴは付いて行くのがやっとだ。
 外周の塀の場所まで来たときに、一息ついた。建物の性質上、正門か裏門を通るしかなく、しかし裏門の警備員は一人も居なかった。どういう理屈なのか知らないが、一人も居ない、というのは事実である。煙が上がったのは中庭に面した一角で、駐車場の監視カメラの四角になっている場所だった。
「コムリって、こういう荒事も得意なんだ」
 ハーベイが言うと、意外そうにインディゴが受けた。
「コムリさんってこういうこと苦手なのかと思ってた。ずっと研究畑の人だったから……。私が知っているコムリさんは、白衣を着て研究所の中を行ったり来たりしているコムリさんで。んで、私たちのことを親身になって考えてくれる人って感じ。だから、とっても優しい人かと思っていたの」
 新しい発見だ。そう、インディゴは思った。人は見かけによらない、ということか。だから今協力しているハーベイも見かけによらず、いつかは裏切るかもしれない。警戒しておいた方が良いのかもしれない。でも、本当にそうなるだろうか。例えそれが真実だとしても、今は彼を信じるしかない。信じてついていくしか。
 次の瞬間、インディゴは眉を寄せ、真剣な眼差しで伏せ目がちにしていた。決意の表情だ。彼女自身、決意した時はいつもこのような表情をする。
「ん? どうした?」
 ハーベイはインディゴを気遣って声を掛けた。
「ううん。何でもない」
 インディゴはハーベイの気遣いを嬉しく思いながら、それを振り切るように首を横に振った。気を利かせたくないのだ。相手に心配かけずに過ごすには時には嘘も必要だと、インディゴは学習した。
 入り口は一つしかないが、裏口ならいくつもあるのがこの建物の杜撰さである。
「裏口へ」
 案内をするのはここに拘束された経験のあるインディゴの役目である。インディゴは自らの役目を悟っていた。ただ逃げるだけじゃなくて、他人の役に立ちたい。そう、インディゴは思っていた。
 裏口に行くと門は開いていた。コムリの働きであろう。恐らく上手く誘導したのだ。どう誘導したのかは、想像に難くない。恐らくゲリラの対抗勢力が侵入したとか、インディゴが潜入したとか言ったのであろう。だから裏口から進入するのにそう、手間は掛からなかった。
 コムリと落ち合う場所は、最初から決めていた。裏庭の人気の無い噴水だ。水が空になって久しい噴水は、作られた当初は美しく水を噴出していて、人々の集まる憩いの場所になっていた。とはいえ、壁に囲まれていたので研究所員はともかく研究対象は外に無闇に出られるわけではない。研究所員も次第に忙しくなってきて、裏庭の手入れを施すまでに手が回らなくなって久しいのである。
「やあ」
 背後から呼びかけられた。二人とも方を硬直させて、振り向いた。そこにいたのは期待通り、コムリだった。
「待たせて悪かったね」
 再会した三人は、歩きながら会話を続けた。
「そもそも、君たちは獣人の成り立ちについて知っているかね?」
 唐突だった。コムリの唐突な質問に、ハーベイはふてくされた様に答えた。
「そんなものは知らない」
 だが、インディゴはこの研究所で学んだからか、知識を言葉にのせた。
「……確か、人類によって造られた存在なんですよね」
 コムリはインディゴの言葉に、嬉しそうに追加説明を加えた。
「そう、そうだよインディゴ君。それも、愛玩動物としてね。そもそも二足歩行にするという計画も、初めのうちは無かったんだ。様々な動物を遺伝子的に掛け合わせていって、最終的に辿り着いたのが人間と動物たちの掛け合わせだった。二足歩行で歩く動物。最初の内は珍重されたさ。しかし、彼等には生殖機能というものが備わっていた。去勢させるか否かは議論になったね。最終的には去勢しない方向で話が纏まったようだけど、そんなものは人間のエゴでしかなかった。自然保護団体が少し動いたようだが、彼等だって裏で獣人の売買に手を染めていたりもしたんだ。……獣人は優秀な兵士になるのでね。……話を戻そう。獣人たちはその後、爆発的に増えていった。そう、爆発的に増えたというのは獣人と獣人の間に子供が出来てそれが鼠算方式に増えていったからさ。いや、少し違うな。そもそも獣人というのは人間との間の子だ。だから生殖機能そのものは人間のそれと同じなんだ。つまり、獣人が爆発的に増えていったのは、人間が造り出していったからなんだ。愛玩動物としてね。それが、反旗を翻した。彼らにとっては予測もつかなかったようだね」
 白いコンクリートの廊下を歩きながら話は続く。この頃にはハーベイは白衣、インディゴは被験者用の衣服に着替えていた。この建物内にて最も不審がられない服といえば、白衣と被験者用の衣服だ。ハーベイは人間だが、この研究所には人間の出入りもあるということなので、それで上手く誤魔化せるだろう。
 廊下を歩いている。床から光が照らされている、間接照明のお陰で目に優しい照明だ。天井も左右に続いている壁たちも全部白で統一されている。ここを作った者はそれほどまでに白が好きなのだろうか。それとも何かの固執か? インディゴは疑問に思った。だが、今はそのようなことにかまけている暇は無い。今は仲間を救出することだ。インディゴは眉目を引き締めた。
 いくつかの角を曲がり、いくつかの階段を降り、幾人もの研究者達とすれ違った。その時、インディゴが見咎められた。
「ん? 藍色の……連れて帰ったのか?」
 元同僚のその言葉に、コムリは難なく答えた。
「ええ、町で見かけたので保護しました」
「そうか」
「そちらは新人か?」
「新人です」
「そうか」
 疑問が残るものの、それ以上聞くこともなく研究者達は去っていった。
 その後、目的の場所に着いた。
「インディゴちゃん! 帰って来たの!」
 扉に嵌められている鉄格子の間に、両手で握り締めて詰問してくる跳兎族ウサギの白い手と赤いつぶらな瞳が見えてきた。彼女もまた、色主の一人なのだ。清浄なる白い体毛が、白い力と結合しているらしい。彼女もこの研究所の被験者なのだ。
「セルリアン! 大丈夫?」
 思わず駆け寄って声を掛けるインディゴ。
「他の皆は?」
 矢継ぎ早に質問する。無駄だとは解っていた。研究に呼び出されても一人ずつ出し、戻ってくるときも独居房に入らされるだけなのだ。それを知っていても尚、訊かずにはいられなかった。
「それより、あなた聞いたわよ。あなたこそ大丈夫なの?」
「私は大丈夫。それより、今日私はあなた方を連れ出しに来たの」
 息を飲み込む音、目を大きく丸く開いたその表情から察するに、驚いたのであろう。それと同時にため息が出る。
「あなた、何言ってるの。ここから逃げ出せるわけ無いじゃない。警備員もいるし」
「警備員なら俺が何とかするぜ」
 横から口を挟んできたのは、目を奪わんばかりの深みのある紅の体毛を持つ雄猫族ライオンである。彼もまた色主の一人だ。剛力が自慢で、普通の鉄の扉ならば簡単に壊せるだろう。それをしないのは力を抑制する働きのある扉と首に巻かれたリングのせいだ。
「カーマイン。久しぶり。元気だった?」
「見れば解るだろう。お前こそ、どこ行っていたんだよ」
「そ、それは……そんなことより! 早く逃げよう!」
 インディゴはカーマインを促した。が、そこで鍵が無いことに気付く。
「鍵は?」
「ここに」
 いつの間に手に入れていたのか、コムリが袖口から滑らせるように鍵を出した。油断のなら無い男だ。
「コムリ、いつ……」
 インディゴは言おうとしてはっとなった。そういえばあの角を曲がったとき、部屋が無かったか。その時コムリは警護の人と二、三話をした後鍵を手に入れていた。抜け目の無い人だとは思っていたけれど、これほど大胆とは。見た目以上に度胸が座っている人のようだ。
 鍵を鍵穴に滑り込ませると、すんなりと扉が開錠された。開かれた扉は二つ。
「二つ! だって?」
 カーマインが吼えた。
「ちょっと待て。俺の少し前に連れてこられた奴は? 確か、気が狂ったように喚いていたと思うが……」
 それに答えるように、コムリが口を開いた。
「ああ、013番だね。あの子は……舌を噛んで死んだよ」
「何!」
「ああ、勘違いしないでくれ。我々が気が付いたときにはもう死んでいたんだよ。あの子には、可哀想なことをした。誰にも気付かれないところに墓を建てたんだ。こちらだよ」
 コムリは案内するように先に立って歩いて行った。

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