藍―AI―

葉月瞬

 翌日。朝日が昇ると同時にハーベイが起き、インディゴを起こした。直ぐに出立だ、と言って旅の支度を整える。インディゴはいまだ夢の中にあるようで、眠たそうに目を擦っている。暫し呆けてからハーベイの真似事をするように自身の支度もしだした。早めの朝食を食堂でとり、宿屋の主人に礼とジルス銀貨を渡して宿を出る。ジルス銀貨は人間の町でしか通用しない貨幣だ。
 朝日が昇ったとはいえ、町中は今だに明けきれていない。薄暗い中を市場に向かう人々がトラックを運転している。荷台には市場で売るものが山積みだ。町に入る者も、出る者もいる。静謐な空気の中、二人は北へと向かう。
 北の門番はあくびをかいていた。未明から番をしていたのだろう。今にも睡魔に襲われそうだ。二人は静々と近付くと、門番に通行証を見せ、一礼した。門番は礼に応え、世間話を始めた。これから北へ行くのかい? ああ、そうだ。ハーベイが答えると、それに答え、これから北は雪に閉ざされるよ。大丈夫なのかい? と心配してくれる。ハーベイは荷物の一部を見せ、なあに、大丈夫さ。装備なら万全だ。と、応じる。いつの間に買ったのだろう、二人分の冬の装備が揃っていた。毛皮の服にスボン、耳付き帽子、ブーツまで揃っている。ふわんふわんの毛皮で覆われたマントまで有った。ハーベイのものはあらかじめあったとして、インディゴの分はこの町で買い揃えたのだろう。その一揃えを暫く見詰めていた門番は、ひとつ頷くと通してくれた。
 無事に人間の町を抜けると、ハーベイはジープを北へと走らせた。暫く走り町との距離が十分に離れたところで、インディゴは溜息を一つつくとやっとフードを外した。ほっとしたのだろう。安堵の色がその顔に窺える。
 ジープは暫くヒースの荒れ野を駆け抜けた。北に近付くにつれて、白いひとひらが舞って来た。吹雪いて来るかもしれない。
 暫くいくと、北に山が聳え立つ。やれやれ、ジープは置いていくしかないな。ハーベイが舌打ちした。麓で車を止めると、ハーベイは荷台においてある荷物の中から大きな一枚紙を取り出し広げた。インディゴが覗き込むと、それは地図だった。メルカトル図法による精細な地図だ。コート紙には一つの巨大な大陸が描かれている。パンゲアと呼ばれている大陸だ。世界にはこの大陸一つしかなく、海を渡って行き着く先はこの大陸の反対側だった。それはここに生活するすべての人間が知っている事実だ。
 地図を覗き込んでみると、中央よりやや右寄りに山がある。山に連なる山脈も描かれてあった。その直ぐ下には町があった。
「ここが現在地、と」
 ハーベイがひとりごちる。今目の前にある、海抜八千メートル以上もある山を越えるのは難しそうだ。しかたない。遠回りをするしかないか、と独白した。その時だった。今まで黙ってみていたインディゴが地図の一点を指差した。
「ここを通れって言いたいのか? この山は海抜が八千メートル以上もある山なんだぞ。しかも今は冬間近だ。越えられるわけがないだろう」
 ハーベイが否定する。それでもインディゴは譲らなかった。
「…………わかった。ここに何か道があるんだな」
 やっと理解されたのが嬉しかったのか、インディゴが口元を綻ばせる。ハーベイはそれを正解の合図だと受け取った。
 海抜八千メートルのダリア山。大陸の造山運動によって出来た山で、最大級とされていた。左右に延びる山脈が北と南を分け、北方は雪に閉ざされた極寒の地と目されていた。昔は活発に噴火していたダリア山も、今は休んで久しい。北方からの北風で降った雪で万年雪が冠されている。数多いる登山家も、この山を制覇するのを夢見ている。
 その雪に閉ざされようとしているダリア山に、二人は挑もうとしていた。
「抜け道があるのか?」
 荷物を背負ったハーベイがインディゴに訊ねた。ジープは麓に置いて来てある。巧妙に隠しておいたから誰かに見つかる心配はないだろう。二人とも今は冬の装備に身を包んでいた。
 インディゴは首肯で返した。
 インディゴは思い出していた。この山を抜けたあたりにある町の記憶を。


「来い! 来るんだ!」
「えーん」
 インディゴは自分より幼い子供が泣いているのを見詰めているだけだった。現時点では自分には何も出来ないと言うことを早くから悟ったのだ。
 インディゴを含め、数名の子供達はゲリラ兵に連れられて山を登っていた。標高八千メートルのダリア山である。山を登るとはいえ、道なき道をただ闇雲に登っているわけではなく、決められた道を登っているようだった。ただ一点を目指して。
 子供達はインディゴと同じように原色の子供達だった。同じ獣人類ではあるが、赤なり白なりの一般的ではない毛色をもっていた。インディゴは幼いながらも彼らも自分と同じなんだな、と感付いていた。
 猛吹雪が突然一行を襲った。何の前触れもなく訪れたそれに、足跡たちが消されていく。一行は暫く収まるまで止まっていたが、吹雪が和らぐと今の内にと足を進めた。草むらの目印、一本杉につけられた刀傷の目印、積み重ねられた石の目印を経て、ようやっと一息吐ける場所、洞窟に辿り着いた。
「ここを抜ければもうすぐ町だ。灯りを」
 リーダー格の男が言うのに合わせて、懐中電灯に光を点して渡す男。白色の冷たい光が暗い洞窟を照らし出した。てらてらと光る岩壁は凍っているようだった。鍾乳石も所々見える。
 男達が先導するように黙って歩き出した。子供達は後ろについて行くだけだ。ほとんど一本道だ。迷うことはない。二股に分かれている箇所や、三叉、またそれ以上の広場のような場所に来たときは、鍾乳石に刻まれた線のような印を頼りにしていた。そうしてどれほどの時間が経っただろう、長い、長い、人生のような道のりを歩いてきた後に、突然空が開けた。出口だ、と思う暇も有らばこそ、目の前の絶壁の下に町が広がっていた。


 インディゴの示した印を頼りに、二人は洞窟までの道のりを辿った。
 三百メートルほど登った辺りであろうか、目の前にぽっかりと龍の口が開いていた。最初龍の口だと思っていたが、括目してみると洞窟の入り口であることがわかった。上下に伸びる鍾乳石がさながら龍の牙のように見えたのだろう。ハーベイが呆と立っていると、インディゴはさっさと入っていく。
「おい、ここがそうなのか」
 無言。歩みを止めない動作で答えが返ってきた。
「やれやれ。行くしかないのか」
 両腕を竦めて、溜息をつくハーベイ。そして荷物の中からランタンを取り出し灯りをつけると、インディゴの後についていった。
 中は静かだった。人気がない。人の出入りの跡は見つけられたが、人影そのものは見当たらなかった。
「? おかしいな。このルートが秘密の通り道なら、普通、見張りの一人や二人は立っていてもおかしくはないのに。おい、本当にこの道で合っているんだろうな」
「間違ってはいない。私の記憶が正しければ」
 そうは言っても幼い頃の記憶だしな、と嘆息したが、今となってはインディゴを信じるしかなく、この洞窟を抜けるしか方法が無いことにもハーベイは気付いていた。
「お前を信じるしかない、か」
 そう言って、インディゴの手を引いて再び歩き始めるハーベイ。
 どれだけの道を歩いたのだろう。暫く狭く真っ直ぐな道が続いたかと思うと、だんだん道幅が広くなっていって、二股に分かれている場所に出た。右が昇り、左が下りだ。どちらも鍾乳洞が続いている。鍾乳石の傷は左の道にあった。インディゴは迷わず左の道に進む。下っていく道を、滑らないように気をつけながら歩く二人。片手はしっかりと結ばれている。道は険しかった。上から釣り下がる鍾乳石と、下に堆積している鍾乳石とで空間が狭くなっているところを通らねばならなかった。階段式になっているところもあった。小一時間ほど下ると、平坦な道に出た。暫く狭い通路を歩くと、突然開けた場所に出た。
 と、インディゴがハーベイの袖を引っ張った。この先に見張りがいる、と言うのだ。ランタンの灯りを消し、漆黒の闇の中慎重に歩を進めていった。
 そこは広場のようになっている場所だった。上下に伸びる鍾乳石で龍のあぎとの様に見える。五十メートル先に明かりが見えた。見張りか、と物陰に隠れた。見つかってはいない。が、倒すべき相手であることは間違いが無い。ならば倒すしかないか、とハーベイは覚悟を決めた。
 彼等はランタンを持っていた。相手側に灯りがある。これは有利だ。灯りをめがけて撃てばいいからだ。向こうからはこちらは見えない。複数いる。二人だ。どちらかを撃てばどちらかには気付かれてしまうだろう。ハーベイは銃に弾を込めた。いつも使っているスナイパーライフルではない。サイレンサーをつけ、防音効果を高めたアサルトライフルだ。貫通力と射程を高めたカリス社のK256だ。ハーベイは遮蔽を取りながら銃を撃った。
 ハーベイの撃った弾は立っている見張りの頭蓋を貫通し、洞窟の壁にめり込んだ。見張りの内のもう一人が射撃音に気付き、何事か叫ぶ。その瞬間を、ハーベイの銃弾が襲った。開けていた口を通って、頭蓋を突き破るか破らないかのところで止まった。
「ふう。終わったな」
 物陰から出る二人。見張りは二人とも倒したので、連絡される心配は無いだろう。二人の戻りが遅いのを不審がるかも知れないが、それは先のことである。ハーベイは一応念のため、と無線機を手にした。


 出口までは一本道だった。
 標高五百メートルの中腹に満天の星空が、ぽっかりと切り抜かれていた。
「出口だ!」
 ハーベイが満面の笑みを浮かべ叫んだ。
 と、無線機に定時連絡の通信が入る。
「あー、異常なし」
 ハーベイが通信機に話しかける。声色を出来る限り見張りの人物に近づけて。隣でインディゴが吹き出しそうなのを堪えている。その、笑みを浮かべた表情に、ハーベイは癒された。
 出口の穴から這い出ると、棚状の足場になっていた。吹きすさぶ寒風がフードをはためかせる。
「あれが、獣人の町」
 インディゴが指差して言った。見ると、確かに眼下に町の明かりらしきものが点在している。獣人の町、と聞いてハーベイはフードを目深に被った。
 暗闇の中、灯りを頼りに足場を確認しながら慎重に降りていく。
 門に近付くと、呼び止められた。誰何に答えたのはインディゴだった。
「何者だ!」
「怪しい者ではありません。私達は獣人で、ここを目指すように言われてきたものです」
 各地の人間の町に残っている獣人達は、まだ解放されていない。その獣人たちを、解放戦線は解放していっているのだ。
「……黄金の」
「支配者」
「よし、通れ」



コメント

コメントを書く

「その他」の人気作品

書籍化作品