藍―AI―

葉月瞬



 炎が揺らめき爆ぜた。
「研究所に友達が捕らわれているの。彼等を助けないと……」
 インディゴが口を開く。炎の揺らめきだけを見詰めながら、思い詰めたように言葉を紡ぐ。
「しかし、今研究所に近付くのは危険だぞ?」
 承知で言っているのかと、言外に追求するハーベイ。その目は真剣にインディゴを案じている視線だ。
「でも、助けないと!」
 今度はハーベイを真っ直ぐ見据えて言い募る。少し語調が荒いのは感情の昂ぶりからだ。
 いいんだな? と視線で確認をとるハーベイ。インディゴは首肯で応じた。


 洞窟を出ると、もう空が白み始めていた。黒い天幕が紺色に変わり、東の空から曙色をまとった太陽が顔を覗かせている。グラデーションがかったパステル調の空を見上げ、太陽の方角――東へと歩を進める。ここから東に行った所に町があると、ハーベイが言ったからだ。その言葉を信じて、インディゴは歩を進める。次の町では少し買い物をしよう、とハーベイは話しながら歩く。インディゴはそれを聞くとも無しに聞いていた。
 洞窟のあった岩場を出ると、草原が広がっていた。徐々に暁色に染まり、色を取り戻していく。ややもすると、黄緑色の草原が目前に広がっていた。岩場の陰になるように、ジープが止まっていた。軍用のカーキ色のジープだ。ハーベイは運転席に乗り込むと、手招きでインディゴを呼ぶ。乗れ、というのだ。インディゴは黙って従った。
 二日後、二人は少し大きめの町に辿り着いた。
 その町は、周囲を鋼鉄の外壁に覆われ、鉄の門扉が硬く口を閉ざしていた。さながら城塞都市だ。その町を指差して、ハーベイが言った。
「今夜はあそこに泊まろう。君の服も買ってあげるよ」いつまでも男物ではかわいそうだと笑った。
「カウボーイハットは目深にかぶって、できるだけ容姿を隠すようにするんだ」
 ハーベイの忠告どおり、インディゴは服を着替えるとカウボーイハットを目深にかぶり、マフラーを口元と首を隠すように巻いた。そうすると、ほとんど容姿が隠されるため獣人であることを隠すにはうってつけだった。
 街壁の検閲を済ませると、大通りを通って町の中央に向かった。町の中央には行政塔が立っていて、その周囲で市が立ち並んでいる。二人はそこへ向かっているのだ。市場には様々なものが並べられていた。錫で飾った首飾りや、翡翠の勾玉、ずっと南の地方でしか採れない果物や、金銀錫で飾られた衣装など。ハーベイはそれらの中から紫色のワンピースとフード付きのマントを買った。瑠璃色と萌黄色の貫頭衣とスカートも何着か購入する。さらに、弾薬も何百と補充しておいた。
 周囲には高層建築物が立ち並んでいる。その周囲を囲むように、家々の軒並みが立ち並んでいた。
 インディゴは目深に被ったカウボーイハットを押さえながら歩いている。風で飛ばないように注意しなければならない。もし、この帽子が曝け出され自分の顔や耳が露になったら――恐ろしさに身震いする。
 この世界で獣人は隠さなければ生きていけない。少なくとも人間の町ではそうだ。ばれれば見世物にされて、奴隷のようにこき使われ、捨てられるのがオチだ。そういう世界なのだ。だからこそ、獣人による獣人のための解放戦線が蜂起したのだ。彼等は彼らなりに同族の事を想っているのだ。だが、やり方が問題である。と、インディゴは思う。確かに、民族解放には同意できる。だが、だからといって、戦争を起こしていいとは思わない。そのための力を得ることも、だ。自分の力が何のためにあるのか。それが知りたい、と思った。ただ、破壊するためだけの力なんて――。
 それまで自身の沈考に気をとられていたインディゴは、ハーベイの口の動きにやっと反応した。彼はこう言っていた。宿を取ろうと。宿が市の近くに数軒と、少し路地を入ったところに数件ある。一番安いのは壁伝いに有る宿だけれど、そこが空いているかどうか分からないから端々を当たっていこうと。そのついでに先日獲物で得たもの――ウサギの足と血液と肉を少し売っていこう。彼の提案に、インディゴはただ頷くしかなかった。
 インディゴは旅のいろはをまだ知らない。十二歳になるまで村から出たことはなった。それも虐げられた生活を送っていた。母親も、父親も、誰もインディゴのことを大切に扱ってはくれなかった。希望が絶望に変わったからだ。そう、目が教えてくれた。今でも思い出す。彼らの黒き感情を――。


 アルセナヴィッチコフが姿を眩ませてから一年の後、インディゴがこの世に生れ落ちた。アルセナヴィッチコフと同じ、藍色の体毛を持って――。両親は大層喜び、三日三晩の宴が繰り広げられた。内に眠っている“藍色の力”に期待の眼差しを向けられ、インディゴは育まれた。しかし、やがて失意の念が入り混じり、失意はやがてどす黒い何かに変わっていった。インディゴを見守るその眼差しは次第に曇ってゆく。インディゴがその内に伏する力を目覚めさせることは無かったからだ。
 インディゴは、棘を背負って成長した。針の筵はそのまま家族の不和になった。父親は事あるごとにインディゴを怒鳴りつけた。言葉で圧服できないときは、拳が飛んだ。まだ幼いインディゴは、涙の海に沈みながら従わざるを得なかった。恐怖に打ち震えながら過ごした幼少期は、そのまま精神に傷跡を残した。深く抉られたその傷跡は、綺麗に癒えることは無かった。
 心に癒えること無き傷跡を抱いたインディゴは齢を重ね、十二の年月を経ていた。十二歳になるまでに、一度として藍色の力を解放していないインディゴを、役立たずなインディゴを、周囲の者達はぞんざいに扱っていた。そんな、居た堪れない十二歳のある日、唐突に、何の前触れも無く、それはやってきた。
 ゲリラの兵士がインディゴを迎えに来たのだ。迎えに来たとは語弊があるが、彼女を強く欲しているためにゲリラの一員として迎え入れようとしてきたのだ。家族は最初、拒絶の色を見せたが、金をチラつかせると賛同に摩り替わった。その瞬間、インディゴにとっての全て――父親も、母親も、自分を取り巻く全てが信じられなくなった。世界が、グニャリと歪んだ気がした。
 呆然と立ち尽くすインディゴを、ゲリラ兵がそっと触れ歩き出すように促そうとした。途端にインディゴは弾かれたように走り出し、その場から逃げ去った。ともかくゲリラ兵から遠ざかりたい、自分の生まれた場所から出来るだけ遠くへ逃げたい、そんな思いが錯綜する。だが、思う通りにはならなかった。
 兵士はインディゴの逃亡をまるで予期していたかのように、迅速に行動した。それは規律正しいゲリラ軍にあって、当然の動きだった。インディゴがいくら力一杯走ったところで、所詮子供の足。成長期とはいえ、筋力と体力に限りがある。大人で構成されたゲリラ兵士達にとって見れば、子供のおいかけっこに等しかった。辻で兵士に出会うたびに曲がり、大通り、路地裏問わずインディゴはひた走った。途中、何度も転びそうになったが堪えた。だが、所詮子供の体力では大人には敵わず、町の出入り口付近で敢え無く捕まった。
「はなしてぇ!」
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんの力は特別だ。だから、我々にその力を貸して欲しい。我々は今、過渡期に差しかかろうとしているのだよ」
 そう言っている兵士の目は情熱に満ちていて、どこか信じるに足るものを持っていた。だから、インディゴはこの人の言うことなら信じてもいいと思った。
 そして、インディゴは大人しくついていくことにした。どうせ、故郷の町にいたところで自分の居場所などないのだ。だったら、せめて自分を必要としてくれる人たちの所に居たい。それが、今の彼女の望みだった。
 インディゴは町人に見送られることなく、故郷の町を後にした。
 運命が動き出した瞬間だった。
 三年間、孤児院と呼ばれる白い建物に入れられた。その間、投薬と検査を繰り返した。白い貫頭衣を着させられ、胸に番号と孤児院の名前が焼きこまれて。奴隷よりももっと酷いとインディゴは思ったが、その言葉を口にした者の末路がどうなったのか知っていたからあえて口にしなかった。
 三年後、孤児院を出ることになる。
 それまで、旅らしい旅をしたことは無かった。
 だから、だから旅というものを知らない。


 気がついたらインディゴは、一つの宿屋の前で立ち止まっていた。看板には“雌鹿の嘶き亭”と書いてある。
「どうした?」
 ハーベイが質疑した。インディゴはただ首を振るだけ。実際、解らなかった。なぜ自分はここで立ち止まったのか。ただ、気になる気配を感じたから。だから立ち止まった。
「ここがいい」
 この街へ来て初めて自己主張をしたインディゴ。あまりのことに、暫くハーベイは呆けた。だが、直ぐと微笑に変わり、インディゴの手を引いて“雌鹿の嘶き亭”の扉を潜った。

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