ボッチが駆使する過去と未来、彼女らが求める彼との未来〜ゲーム化した世界では、時間跳躍するのが結局はハーレムに近いようです〜

歩谷健介

1章 初めては初めての授業で

 暗い、暗い、光の届かない闇が支配する海の底を漂っていた。
 そこには、生物の息づく気配は感じられず、ただただその中を当てもなく浮遊し続ける。

 どこまで沈めば終りが訪れるのか、いつまでこの暗闇の中にいれば光が差し込むのか――何も分らない。
 それ以外を思考することを禁じられているかのように、頭の中は暗い、見えない、どこだ、ということ考え続ける。

 環の中をぐるぐる回っているようで、何も新たな思考が生まれない。






 どれくらい、同じことを考え続けただろう。


 ――どこから、いつから現れたのか、青白い粒が目の前を漂っていた。
 目を凝らさなければ見過ごしてしまう、ほんの微かな、小さな光。

 それは暫く俺の前で上下左右に揺れ、そしてゆっくりと俺の胸に入って来た。

 まるで細胞が自分の役割を担う場所に向うかのように。
 そこに入ることが、ずっと前から決まっていたことかのように。

 その後、しばらくして、胸の辺りがじんわりと熱を帯び始める。
 それに伴って、ゆっくりと、ゆっくりと、体の力が抜けて行く。

 俺は、訪れる微睡みに、意識をゆだねた。

◇■◇■◇■

「――え?」

 目覚めた俺がいたのは、教室だった。
 いつも授業を受けている、退屈で、何の変わりもない、あの、教室だった。

 周りには特に接点もないクラスメイト。
 教壇にいつもの様に荒々しい字で板書しているのは、学年唯一の男性担任を務める町田先生。
 英語の発音が最近進化しすぎて、逆に退化した日本語が日本人に通じないと専らの噂だ。

「…………」

 誰も彼もが先生の判読しがたいミミズのような字を解読し、ノートに書き写すのに集中している。
 そうしないと試験前に地獄を見るからだ。

 ――あまりに日常的な光景が、茫然とする俺の目の前で繰り広げられていた。

 教壇の上に掲げられている時計に目をやる。
 針は11時35分を示していた。
 木曜3限は英語で、町田先生が辞書やら教材やらいつも大荷物を抱えてやってくる。

 黒板に視線を移すと、右下に『10月11日 (木) 日直 佐藤 (は)』とあった。 
 うちのクラスに2人いる佐藤が、互いを区別するために考え出した識別情報が(は)と(り)なのだそうな。
 ちなみに二人の下の名前を俺は覚えていない。


 そして、はたと気づく。



 ――あれ? 俺は、この授業を知っている。



「これはっ、皆さんっ、覚えてくださいっ、ねっ、と」

 町田先生はそう言って、書き終えた文章に赤のチョークを用いて下線を引いた。
 次に先生が口にするのは……。



 ――OKかな,皆さん?



「OKかな,皆さん?」


 …………。
 はて。




 ……………………デジャヴ?

◇■◇■◇■

 町田先生が行きと同じように重そうな荷物を抱えて職員室の帰路へと着いた後、俺はしばらくぼーっとしていた。
 おそらくこの時の俺の顔を見た人がいたら「ヒィッ!? ――あっ、なんだ、火渡君か」と驚きの声を発して……。

 ……おい佐藤(女)、実際に声出してんじゃねぇよ。


 それはいいとして、いや、良くはないんだけど、それは一先ず置いといて……。




 ――……俺、死んで、なかったみたい。







 マジで良かったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!  

 なんだよ、なんだよ、単に俺が夢現でボケてただけかよ。
 ほんと、驚かせんな俺の脳細胞。



 いやいや、おかしいとは思ってたんだよ?

 夢の中の俺カッコつけ過ぎだし。
 滅茶苦茶可愛い女の子とお知り合いになって、なんかヤバそうなヤンキー殴って倒しちゃうし。

 んなもん、雑魚界のホープとの呼び声高い(親父評)俺に出来るわけないじゃないか。

 ふぅぅぅ、焦ったぁ。


 そもそもモンスターが現れるとか、魔法が使えるようになるとか、どこの物語の世界だよ。
 マンガやラノベの読みすぎだっての。

 さっきの先生の言葉のデジャヴも、妙にリアルで生々しい夢を見て記憶が混乱してたんだ。
 きっと疲れてたんだ。
 会社と家を往復するだけの人生に疲れたサラリーマンが、「俺、宝くじ当てて大金持ちになるんだ……」と夢見るようなもんだ。

 それと同じで、学校と家の往復生活に精神的疲労を蓄積していたんだろう。
 「俺、可愛い女の子助けてヒーローになるんだ……」的な願望が中途半端にひょっこり顔を出し、死亡フラグ立てて夢のなかでそれを回収したんだ。


 うん、そうに違いない。

 現に、夢の最後の方なんて全く覚えてないし。
 あのヤバそうなオッサン殴って倒した後の記憶が朧気だ。
 確か……ヒョロそうな奴に背中を刺されたところで「な、なんじゃこりゃぁぁ!?」って言って死んだんだっけ。 


 夢の中とは言え、俺、死に方も酷いな……。

「――おら~、お前ら、席つけぇ」


 ――おっと、考え込んでいる間にどうやら4限目がもう始まるみたいだ。
 休憩の余韻がまだ抜けきらない生徒に促しながら担任の箱峰先生が入室する。

 今日も動きやすい服装の上に腕まくりしており、最近の気温の変化を物ともしない。
 羽織っている服の間から覗くシャツには「分らぬなら、分らせて見せよう 生徒たち!」と秀吉の句をモジったプリントがされている。
 どこで買ったかは知らんが、日々男前度に磨きがかかっていて頭が下がる思いだ。
 そりゃ女子生徒からも人気が出るわ。

 ……まあその代わり、女性らしさを戦国時代かどこかの遥か昔にまで置いてきたらしいが。

 先生……生徒と心からぶつかるために、そこまで……くッ、俺は心の涙が止まらないぜ。 

「授業始めるぞ~。――なんだ、火渡。言いたいことがありそうな顔してるな」

 ギロリという効果音がつきそうな先生の視線が俺を射抜く。

「い、いえ、大丈夫です。何もないです」

 俺は慌てて首を左右に振る。

 ……やべぇ。
 この人、勘の鋭さがマジ武将レベル。
 俺の様な雑兵は気にせず、その第六感を、婚活の乱世を生き抜くために用いて欲しいものだ。

 

 下手な思考は読まれることになるため、俺はそれ以上は深追いせず、授業に適度に身を入れることにした。




◇■◇■◇■


「私と一緒にここから逃げて!!」  


 えっ……。


「お願い、私と逃げて!!」


 …………何だ、これ。



 今目の前で起きている事態に俺は再び混乱する。

 授業が始まって少しして、突然教室の扉が開いた。
 そこに立っていたのは、隣のクラスの勇実いさみ由衣ゆい
 彼女は騒めく教室内、そして何事かと見守る箱峰先生が視界に入っていないかのようにズカズカと進んで行った。
 そして俺の前の席の女子生徒――聖川ひじりかわ未由みゆうに熱烈なラブコールを送る。

 確かにこのこと自体は異常だ。
 わざわざ授業時間中に他クラスの教室へと入り込んで、そして幼馴染に逃避行へのお誘いをするのだ。
 普通なら何だこれ、と思う。


 だが、今はそこはいい。

 俺が言いたいのは、そこじゃない。

「えっと……」
「――お願い、今は何も言わないで、私と逃げて」




 ――まるで、俺の頭の中にある記憶の映像を教室へと投射したかのように、事態が進んで行く。

 俺はまた、今目の前で起きていることを知っている。

 2度目の今回は、先程のよりも大きな違和感となって膨らんでいく。
 頭の中で何かがカチリッ、とはまる音がした。


 ――その自覚を得た時、俺の中で異変が起こる。



『まだ、まだ死んではダメ!!』 


 頭が痛い。
 名前の知らない、あの綺麗な女の子が泣きながら叫ぶ声が脳内で響く。



『――ヒュ~。やるなぁ、テメェ。今のを良く避けたもんだ』


 今度はあの、各務という男だ。
 感心したような、どこか試すような笑みを浮かべた顔が頭に描かれる。


 その後も映像が、音声が、自分の意識とは関係なしに脳内に捻じ込まれる。
 中身が満杯の箱に、まだまだ大丈夫だ、もっと入れられると詰め込んでいくみたいに。

『――人一人殺せないような奴、俺ぁ、いらない』

『か、各務
かがみ
さん、どうしましょう……ほかの一般人と合流されたら』

『聖川だぞ? かぁぁぁ、お前、枯れた青春送ってるな。男なら一度はあいつの家に行って、ラブレターの一つや二つ出したくならないのか?』

『……彼は、【魔法使い】の恩恵を得たのね』

 そこに時間の前後関係はない。
 ただひたすら機械的に流れ込んで来る。

 ジャンルの別なく様々な音楽を密室で流されているようだ。
 それも頭がガンガンするほどの大音量で。
 聞く者にそれがどう聞こえるかという配慮なんてない。

 俺はどれほど懸命に耳を塞ごうとも、その音楽を聞かざるを得ない。

 苦痛でしかなかった。
 頭が割れるような痛みを訴える。



「――えへへ、ごめんね」
「謝らないの、幼馴染でしょ? それに、もう、慣れたから」
「うん。ありがとう」


 二人の女子生徒達が教室を後にする。
 これも、確かに、俺は一度見た。
 だが、それを気にする余裕がない。

 二人が出て行くや否や、生徒達が騒めく声に一層の拍車がかかる。

 頭に流れ込んでくる情報と相まって、俺の脳を激しく揺さぶり、ガンガンと殴りつけてくる。

 痛い。ただ痛い。


「おうっ、火渡、勇実が聖川連れてっちゃったから、席直しといてやってくれ――って、大丈夫か?」

 箱峰先生から俺を気遣うような声がかけられる。
 正直、なかなかに厳しい。

「…………すいません、頭痛くて。気分も優れないんで保健室、行ってきます」

「お、おお、そうか……誰か、一緒に保健室に――」

 困惑気味の先生が言おうとしたことに先回りして、独りで向かうことを告げる。

「いえ、大丈夫です、独りで、行けます」

 誰かと一緒に、とか、それだけで気分が更に滅入ってします。

「分かった……気をつけてな」

「……はい」 

 何人かの生徒には不思議そうな視線を向けられたが、他は、先の二人のことを勘ぐるのに夢中のようだった。
 廊下に出ると、もうすでにあの二人の姿はなかった。
 できるだけ頭に振動を与えないよう慎重な足どりで、保健室へと向かった。


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