ボッチが駆使する過去と未来、彼女らが求める彼との未来〜ゲーム化した世界では、時間跳躍するのが結局はハーレムに近いようです〜

歩谷健介

序章2


「――火渡。お前、聖川の家、知ってるか?」

 その日の授業は終わり、時は放課後。
 5限の途中、ちょっとしたボヤ騒ぎが起きて、あの二人の逃避行騒動も掻き消えると思っていたが、全然そんなことはなく、むしろそれで火が付いたと言わんばかりにざわざわした雰囲気が校内を満たしていた。
 全然上手くねえよ。


 ちなみに出火元は化学準備室らしいが、殆どの生徒にとってそれはどうでもいいことだったらしい。



 ありがたいお説教を頂くものかと思っていた俺に、先生は開口一番こう告げた。
 聖川と言えば、俺の前の席で、4限の授業中に幼馴染の女の子と逃避行の旅に出かけた彼女のことだ。

「え、あの、いや、知りませんけど」

 自分にそんな話題が投げかけられるとは思ってもみなかった。
 おかげで返答がどもり気味になる。

「なんだ、知らないのか」

 その言い方にはどこか、数学の有名な公式を知らないことを咎めるかのような、そんなニュアンスが含まれていた。
 先生の眼鏡の奥の瞳は「こいつ、使えねぇ……」と何故か非難気だ。

「使えねぇ……」

「おい教師」

 マジか、この教師、実際に言葉にしやがった。

 世間の目が厳しく何でも揚足をとりたがる昨今、先生は『教師』という概念に新風を巻き起そうとしているのだろうか。

「……いや、普通知らないでしょう」

 暴言極まる呟きは先生のお茶目なジョークとして受け流す。
 ……いや、ジョークだよね?

 目の前でコーヒー片手に足を組んでいる箱峰
はこみね
先生は数学教師というお固いイメージを日々ガンガン打ち破っている。
 親しみやすい性格と快活さ、そして何かあったらなんだかんだ親身に相談に乗ってくれるところが何よりも生徒への信頼につながっている、らしい。

 ……俺にもその姿の一端を見せてくれてもいいんですよ?


「聖川だぞ? かぁぁぁ、お前、枯れた青春送ってるな。男なら一度はあいつの家に行って、ラブレターの一つや二つ出したくならないのか?」

 今度はもっとあからさまだった。
 話題に上る少女がまるで校内の男衆全ての好意の対象であるかのような意味合いが含まれていた。
 ……まあ、あながち間違ってもいないのだろうが。

「いや、ラブレターって……」

 いつの時代ですか――と、その言葉が出る寸でのところで飲み込むことに成功する。

 先生の瞳は『ラブレター』の『ラ』の字を言い終わる前に、一瞬にして人を射殺すものへと変化していた。

 ……危ない危ない。
 年齢を想起させる発言は先生の殺る気スイッチを自分で叩き押す愚行である。
 場所を知っている地雷を自分で踏み抜くようなものだ。

 先生も矛を収めるかのようにそのオーラの鋭さを緩めた。
 先生、怒りでオーラの鋭さ左右できるとか念能力者かよ。
 コーヒーがカタカタ震えているところを見ると強化系の素質有り、だな

 ふぅ。

 それを確認した俺は話を無難な方向へと誘導することに。

「俺はないですね。それに、好意を抱いたとしても下駄箱に入れれば済む話です。むしろ家を調べてまでするなんて不審者扱いされるでしょ」

 ラブレターを書くと仮定する。
 そんなくらいだから当然受け入れてもらえるかどうか、男はドキドキしながら投函すだろう。
 いや、出すまでにも、入れようか、入れまいか、躊躇してその場を行ったり来たりすることもあるかもしれない。

 そしてその男の顔が自分に変わる――うわっ、キツい。
 ただでさえ挙動不審なのに、それが俺になるだけで何故かサイレンの音がBGMに追加される。
「ちょっと署までご同行を……」という素敵な誘い文句もハッピーセットである。
 ……辛い。

「はぁ……なぜに一人で落ち込んでるのかね君は」
「……え?」
「眼の濁り、凄いよ。最近の緑茶でもそこまで拘ってるところはないってくらい」

 いや、伊〇衛門緑茶なら或いは……。
 濁りは、旨味……いや、それは別の緑茶か。


 ……何言ってんだろう俺は。
 思考の海に潜ってそのまま自ら窒息しかけていると、先生に注意されて現実に引き戻される。

「すいません、自分で言ってて、自分がそうなる光景がくっきり想像できてしまったもので」

「……まあ、深くは聞かないことにするよ」

「そうしていただけると助かります」

 主に俺の精神の平穏を保つという意味で。



 先生は一度話をそこで区切ると、手に持っていたマグカップを机に置いて、体ごと俺に向き直る。
 そして「『君』には頼みごとをしようと思ってね……」と主題に移る。

 どうやらおふざけの時間は終わりのようだ。

「君も目の前で見ていたろう。聖川の奴、荷物も持たずに勇実に連れていかれて、今日のプリントも渡しそびれたしな」

「そうっスね」

 何となく『ちょっちゅね』みたいな言い方になったが、別にふざける意図は一切なかった。

 その人の思考・考えていることは、言動となって外界に現れるという。
 多分普段からどうでもいいことばかり考えているから、それが衣のように言葉に纏われて出てしまったのだろう。

 ……だから視線に纏わせた殺気は消して欲しいなぁ、先生の思考や考えてることが分かっちゃうなぁ。

 先生は「よっこらしょっと……」と年を感じさせる声と共に自分の足元に置いてあった鞄を取り出した。
 それは間違いでなければその件の聖川の通学鞄なのだろう。
 取手の部分には、目が異様に巨大なところを除けば可愛らしいクマのキーホルダーが着いている。

「君に、これを届けに行ってもらいたくてね。だから訊ねたのさ」 

「はぁ、まあ、なるほど」 

「ふふっ、どうして自分に、と言いたそうな顔をしているな」 

「そうですね……」

 正に今そのことを考えていた。

 聖川はクラスどころか、学校中の人気者だ。
 俺でなくとも、彼女への使いだと言えば喜んで引き受けるものが後を絶たないだろう……特に男子。
 そう、俺である必要性がないのだ。

 先生はわざとかどうか知らんが、さも面白そうな表情を浮かべて俺に言う。

「だって、君、暇だろうこの後」

「え゛」 

「部活にも入ってない、学園祭の演劇での配役もない、友達との予定もない……」

「……前半は担任だからともかく、何で俺の予定知ってるんですか」

 間違ってないところが妙に悔しい……。

「そうか、この言い方は語弊があるか……」

 え? いや、一応間違ってはないけど……。

「友達との予定を組むには友達がいる。しかし、君には友達と呼べる人物がいない。よって――」

「より突き刺さる言い方しなくて結構!!」

 強いツッコミになってしまったのも今回は許されるだろう。

 
 何を残酷な真実を論理的に導きだそうとしてんの?
 時には言葉がナイフとなって人を傷つけるということをこの人は知らんのかね。

 ほんと、こんなところで数学教師感出さなくていいんだよ。
 あれか、独身ネタへの対抗措置か?
 くそっ。

 未だ教師としての強権を振るう段階(内申点)にまで至っていないことを喜ぶべきか、人としての大事な部分を土足で踏み荒らされて嘲笑われていることに怒りを覚えるべきか……。

「――兎も角、君は暇なんだろ? 場所は教えるから、頼むよ。君が行ってくれれば私も聖川へのフォローもできるし助かるんだ」

 そういって箱峰先生は本日配布された数学のプリントと、連絡事項の記載された用紙を聖川の鞄の上に置く。
 視界に入ったそれには『10月11日(木) 数学Ⅱ 課題プリント』、『10月11日(木) 保護者の皆さまへ 10月30日(火)に行われる学園祭観覧のお知らせ』と書いてあった。


 ……ああ、そうか。

 先生は彼女が逃避行する際、特に引き留めるような仕草を見せなかったが。
 こうして生徒が知らない所で、その生徒のことを色々と考えているんだな。

 ざっくばらんな性格のくせして、裏ではこういう細かい気配りができるところが生徒にも先生達にも信頼される所以なのだろう。

 先生は「まあ、私は後で3組の町田先生と一緒に教頭からお説教食らうことになるがね」と苦笑いを浮かべながらも、それを全く嫌そうには語らなかった。
 ちなみに町田先生とはもう一人の逃避行の当事者である勇実のクラスの担任で、英語が専門だ。 
 本当に、いつもいつも生徒のことを考えているから婚期がずるずると……

 そうして自分でも何だか、その頼みを受けてもいいと感じ始めたその時――



「それに、聖川も届けに行った本人には感謝するだろうさ。win-winじゃないか。君も役得だろう?」


 ――先生のどこか、あえてふざけたような言い方をしたその言葉を耳にしたとき、自分の頭と心がスゥっと冷えて行くのを感じた。

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