彼女と出会ったあの日から

秋色

第二十八話

「着きましたね。私の実家は今頃青山さんをもてなす準備で慌ててますよ」「さいですか、楽しみです」
駅のホームから見えるビルやそのそばを歩く人を、上から眺めていると不思議な気持ちになる。
余韻に浸っていると、彼女は腹が減っていたのだろうかしきりに言っている。「青山さん、お腹空きました。ねぇ青山さん? 聞いてます?」もう何度目だろうか、あぁ三度目だ。多分彼女は、この前のそうゴリラと出会ってしまったあの店での食事をもう一度して、改めて俺との仲を深めておきたいのだろう。大変に可愛らしいのだが、ウケの良い店がなかなか見つからないのでただ、無視を決め込まなければならない。右を見ても左を見てもチェーン店の看板しか見つからない、あってもおっさんリーマンの憩い場として、栄えているであろう定食屋。そんなところへ、カップルが入ってもそれは長年連れ添った夫婦の醸し出す大変に醸成された雰囲気には到底及ばないだろう。そろそろ、歩き疲れた。どこかで腰を下ろしたいし一服もしたい。


辺りを見渡すと、ちょうどいいベンチがあった。円形で多分公金で設置されているのだろう、もともとは群青色だったのが伺えるが、今では見る影もないどころか灰色と化している。まぁ良いか、座りたい。彼女はどうだろうか、様子をうかがう。
「ちょっと休憩しませんか。あそこにベンチがありますし」「それよりも、ご飯が食べたいです。あっ、ちょっと行ってきます」お転婆という言葉はきっと彼女のためにあるのだろう、彼女は何やらいびつな形とクリーム色をした中古車市場でもあまり価値のつかないであろうと思しき車へと向かっていく。「青山さーん、早く早く。ごちそうしてくださいよ」「はい、今いきます」俺は、笑顔で手招きをしながら飛び跳ねている彼女のもとへと向かった。途中、バスの時刻表がちらっと目に入った。
俺の目が間違っていなければ、後五分もしないうちに発車してしまうはずだが、まぁ気にしない。バスはまだまだあるけど、彼女の笑顔は、いまこの時にしか見られないのだから。

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