彼女と出会ったあの日から

秋色

第十三話

「もう、青山さん!最低です」昼下がりの階段で若い男女が会談している様もなかなか傍から見ていると乙なものだろう。しかし、しかしだ。俺もそんな傍から見ることに慣れてしまっている人たちとなんら変わらないのだと思ってしまった。当人の意思などあってないようなものなのだと。彼女は頬を先程から一度膨らんでしまえばしばらくは膨らんだままの風船のように頬を膨らませ少し疲れたら一泊おいてまた膨らませている。そんな彼女に俺は言った。「川角さんが可愛いからいけないんですよ。そんな顔を見せられたら誰だってイジワルの一つくらいしたくなります」彼女はふぅ、と息を整えてはぁ、とまるでため息をついているみたいに息を吐き出し終えるとこう言った。「あのですね、青山さん」言葉と言葉の間に何か柵のような飛び越えなければならない、そんな何かを一歩そしてまた一歩と飛び越えようとしている姿が見えるのではないか、そう思う程に区切られている言葉を前面に受けて俺は少々どころかかなり厄介だな、と思った。何が厄介かと言えば長くなるしここまで見てきた者ならば言い得て妙なりとでも思ってくれているだろうと信じて割愛する。「私が言いたいのは、何でか弱い女子がですね……」彼女は走り出したら止まらない、いや止まれない車のように言葉を走らせ続けている。俺は咄嗟に謝ってしまえばこの場は収まるのでは、とも思った。しかし、彼女の様子を見る限りで火に油になりかねないなと思い直し、グッとそれを堪え、彼女に正対している。こうして語っている間にも彼女のトークは止まるところを知らないのか。はたまた知っているけれどもあえて無視を決め込んでいるのか分からないが、とにかく終わりが見えなかった。


 しばらくして、彼女の怒りも夕日とともに沈んで行ったのか、彼女は先程までの彼女とは打って変わっておとなしくていじらしくて可愛い。いつもの彼女に戻っていた。「結婚したら大変そうだなぁ」自分でも思わずというか実は計算高くて狡猾で狙った獲物は逃さない怪盗張りの頭脳の持ち主であってほしいが実際は違うわけで、ふいに出てしまったこの言葉。大して意味もないしリップサービスの範疇だとも思う。今にして思えば、だが。しかし、この時の俺はよほど恥ずかしいセリフを口走ったのだと思っているわけだから、大変に悩ましいし恥ずかしい。彼女は俺の内面の動きや攻防の切り替えには疎い。俺の心中を察したわけではないだろう彼女は言う。「結婚って。まだ気が早くないですかね。それにまだ付き合ってもないし」唇に手を当て人差し指と中指でまかり間違ったらそのまま鼻の穴に入ってしまうのではという気持ちにさせられるほど口の辺りを覆いながら笑う彼女の姿もそうだが、俺が気になって仕方ないのは「まだ」という言葉だ。「まだ」というからには今後の可能性の示唆だったり
 十二月の初旬にもかかわらずクリスマスやお正月を待ち焦がれている子供にお母さんが言ってしまいがちなセリフランキング第三位だったりする言葉なわけだ。つまり、今後やってくるであろうその機を逃すなよ、とかそんな脈あり的な示唆なのではないだろうか。そうすると、さっきから心臓がドックンドックン言って喧しいのも全部彼女のせいなわけだ。「川角さん」今しかない。今を逃すとまだどころではなくもういくつ寝ても来ないだろう。直感だった。彼女はないかを察したのかそうでないのかいまいち掴めない顔をし次第に目の中に疑問符がいくつも浮かんでいるようだ。彼女は顔を俯き徐に上げた顔には疑問符は消えているようだった。髪を耳にかけた、と思ったら急に頬を両手で挟み勢いそのままに何度かパンッパンッ、と音がはっきりと聞こえる程に叩いてから言った。「言ってください。私待ってますから。たまには男らしい所見せてください青山さん」次の瞬間、俺は彼女と生きる覚悟を決めた。

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