夢奪われた劣等剣士は銀の姫の守護騎士となり悪徳貴族に叛逆する
聖山
エルド達が馬を走らせていると、辺りの霧が濃くなっていった。
豊かな新緑が地平の果てまで広がる草原を、清涼な風が駆け抜けていた先ほどとは打って変わって、ひどく寒々しい雰囲気が辺りを包んでいた。
春先の豊かさを感じさせた緑も今では、魔の潜む雰囲気を漂わせていた。
「酷く寂しい雰囲気になりましたね……」
御者を務めるアリシアがぼそりと呟いた。その声に覇気はなく、陰鬱とした響きを秘めていた。
州兵の魔獣掃討の影響か、辺りには生物の気配もなく、それがアリシアの不安を煽っていた。
「元々霧の深い地域だけど、聞いてたよりも暗いね」
エルドはくるまった毛布をギュッと掴んだ。
「この曇り空のせいもあるんだろうが、霧にしては妙に寒々しい気もするがな。なんだが心が不安になってくる」
辺りの霧はどこか黒々とした不穏な色をしており、カイムもどこか気弱になっているのか不安を口にした。
ただの悪天候ではない。辺りに立ち込める霧は、人を不安にさせる魔力のようなものを持っていた。
やがて暗い雰囲気のまま口数も少なくなり、ただ車輪が地面を削る音、馬の打ち鳴らす蹄鉄の音が霧の空に響くだけとなってしまった。
「やれやれ、カイムは俺が居ないと駄目ってことか?」
その雰囲気に見かねたのか、ローレンスがそっとカイムに寄り添ってきた。まるで恋人のように愛しげな様子で。
「おい、ひっつくな!!」
突然のことに驚いたカイムが引き剥がそうとするが、思った以上に強い力で組み付いてくるのかなかなか引き剥がせない。
「ほれほれ、そう邪険にするでない」
ローレンスは絡みつくようにカイムにじゃれつき続ける。
「やれやれ、カイム。暴れるならよそでやって」
フィリアが呆れた様子で二人を見ていた。しかし、どこかその口元は微笑んでいるように見えた。
「ふざけてるのはローレンスだろ! ああもう、いい加減離れろ」
なんとかカイムがローレンスを引き剥がす。
「カイムちゃんはいけずだなあ」
「まったく、なんでいつも俺なんだ……」
「でもローレンスのおかげでさっきまでの暗い空気も少しは和らいだんじゃない」
先程までの陰鬱とした空気もいくらか晴れ、エルドはくすりと微笑みながら言った。
「この男がそこまで考えてるとは思えないがな」
カイムは小さく溜め息を吐いた。
「お、それよりもみんな見てみろよ。この霧の発生源が見えてきたぜ」
そんなカイムの様子も意に介さず、ローレンスは馬車から身を乗り出して言った。
彼の指差す先に山が見えてきた。この国最大の山岳地帯、インヴァネス連峰である。
麓から青々と茂った山肌から徐々に露出していく岩肌、その頂上をケーキに掛かったパウダーシュガーの様に彩る白雪、遥か高く聳える天然の要害は遥か遠くに在りながら、エルドたちを呑み込むほどの威容を誇っていた。
「あれがインヴァネス連峰……」
エルドがぽつりと呟いた。地域によっては山に女神の息吹を感じて神聖視する、聖山信仰があるという。このインヴァネス連峰もまた、一つの聖地としてイルフェミア教徒の巡礼地の一つとなっていた。
エルドはこうしてこの連峰を目の当たりにして、人々がこの山を崇めたというその心を理解した。
人の想像を超越する自然の集合体、人を圧倒するスケールの天険の地、そして如何ほどの時を経ても変わらずそこに存在し続けた厳然とした歴史、そのあらゆる全てから、大地を構築した女神の偉大さが感じられた。
「イシュメルの名山一位に数えられるほどの山だが、なるほどこりゃ言葉も出ねえな」
皆エルドと同様に目の前の山に心を奪われていた。
「でもあれほど神聖な山だと言うのに、今あの連峰を包むのは禍々しい霧ですね……」
そう聖山と呼ぶに相応しい威容であるが、その一帯は今黒々とした霧に覆いつくされていた。
「あそこに近付くに連れて濃くなる瘴気のような霧……尋常な事態ではないみたいだね」
先程までのふざけた態度も鳴りを潜め、ローレンスも神妙な面持ちで目の前の連峰を見つめていた。
向かうは連峰に囲まれた湖畔都市リヴィエラ、辺りを包むのは魔の瘴気、一体その行き先には何が待っているのか。一行はかすかな緊張を胸に感じながら街道をゆっくりと進んでいった。
豊かな新緑が地平の果てまで広がる草原を、清涼な風が駆け抜けていた先ほどとは打って変わって、ひどく寒々しい雰囲気が辺りを包んでいた。
春先の豊かさを感じさせた緑も今では、魔の潜む雰囲気を漂わせていた。
「酷く寂しい雰囲気になりましたね……」
御者を務めるアリシアがぼそりと呟いた。その声に覇気はなく、陰鬱とした響きを秘めていた。
州兵の魔獣掃討の影響か、辺りには生物の気配もなく、それがアリシアの不安を煽っていた。
「元々霧の深い地域だけど、聞いてたよりも暗いね」
エルドはくるまった毛布をギュッと掴んだ。
「この曇り空のせいもあるんだろうが、霧にしては妙に寒々しい気もするがな。なんだが心が不安になってくる」
辺りの霧はどこか黒々とした不穏な色をしており、カイムもどこか気弱になっているのか不安を口にした。
ただの悪天候ではない。辺りに立ち込める霧は、人を不安にさせる魔力のようなものを持っていた。
やがて暗い雰囲気のまま口数も少なくなり、ただ車輪が地面を削る音、馬の打ち鳴らす蹄鉄の音が霧の空に響くだけとなってしまった。
「やれやれ、カイムは俺が居ないと駄目ってことか?」
その雰囲気に見かねたのか、ローレンスがそっとカイムに寄り添ってきた。まるで恋人のように愛しげな様子で。
「おい、ひっつくな!!」
突然のことに驚いたカイムが引き剥がそうとするが、思った以上に強い力で組み付いてくるのかなかなか引き剥がせない。
「ほれほれ、そう邪険にするでない」
ローレンスは絡みつくようにカイムにじゃれつき続ける。
「やれやれ、カイム。暴れるならよそでやって」
フィリアが呆れた様子で二人を見ていた。しかし、どこかその口元は微笑んでいるように見えた。
「ふざけてるのはローレンスだろ! ああもう、いい加減離れろ」
なんとかカイムがローレンスを引き剥がす。
「カイムちゃんはいけずだなあ」
「まったく、なんでいつも俺なんだ……」
「でもローレンスのおかげでさっきまでの暗い空気も少しは和らいだんじゃない」
先程までの陰鬱とした空気もいくらか晴れ、エルドはくすりと微笑みながら言った。
「この男がそこまで考えてるとは思えないがな」
カイムは小さく溜め息を吐いた。
「お、それよりもみんな見てみろよ。この霧の発生源が見えてきたぜ」
そんなカイムの様子も意に介さず、ローレンスは馬車から身を乗り出して言った。
彼の指差す先に山が見えてきた。この国最大の山岳地帯、インヴァネス連峰である。
麓から青々と茂った山肌から徐々に露出していく岩肌、その頂上をケーキに掛かったパウダーシュガーの様に彩る白雪、遥か高く聳える天然の要害は遥か遠くに在りながら、エルドたちを呑み込むほどの威容を誇っていた。
「あれがインヴァネス連峰……」
エルドがぽつりと呟いた。地域によっては山に女神の息吹を感じて神聖視する、聖山信仰があるという。このインヴァネス連峰もまた、一つの聖地としてイルフェミア教徒の巡礼地の一つとなっていた。
エルドはこうしてこの連峰を目の当たりにして、人々がこの山を崇めたというその心を理解した。
人の想像を超越する自然の集合体、人を圧倒するスケールの天険の地、そして如何ほどの時を経ても変わらずそこに存在し続けた厳然とした歴史、そのあらゆる全てから、大地を構築した女神の偉大さが感じられた。
「イシュメルの名山一位に数えられるほどの山だが、なるほどこりゃ言葉も出ねえな」
皆エルドと同様に目の前の山に心を奪われていた。
「でもあれほど神聖な山だと言うのに、今あの連峰を包むのは禍々しい霧ですね……」
そう聖山と呼ぶに相応しい威容であるが、その一帯は今黒々とした霧に覆いつくされていた。
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