夢奪われた劣等剣士は銀の姫の守護騎士となり悪徳貴族に叛逆する

水都 蓮

孤独な狼

 眼の前に現れたジャファルに一行は警戒感を強める。だが、対するジャファルからは何の敵意も感じられなかった。


「ここは墓場だ。何もするつもりはない」


 そういうジャファルの手には白い花が握られていた。


「ガーベラ、アイシャさんの好きだった花……」


「今は失われた俺達の故郷を思い起こさせる花だ。もっともはるか昔に滅んだ故郷の姿なんぞ俺たちは知らんが、それでも魂の何処かに受け継がれてるんだろうな。どんな土地に流れてもあいつはこの花を求めた。レイラ姉さんだってそうだ」


 そうしてジャファルは慰霊碑の前に立つと花を捧げて静かに黙祷をした。
 故人に縁のある花を捧げると、女神は捧げた人間の想いを汲み花の香りとともに死者に届けるという。


 ジャファルは一体どの様な言葉を、想いを伝えたのだろうか。その沈黙の奥に隠されたものは誰にも窺い知ることはできなかった。


「あの戦いで俺たちは死を覚悟していた。戦いとはそういうものだ、どれほどの強者も思わぬことで死んでいく。それが薄汚れた貴族の打算で仕組まれた戦場ならばなおさらだ。だが、別にそれでも構わないと思っていた。子どもたちに安住の地を残せるのなら」


 そう語るジャファルからは物静かな雰囲気が漂っていた。ロージアンへの怒りに染まった彼であるが、その言葉に嘘偽りはなかった。


「だからお前たち子供が人質に取られていると知った時、何としてもお前たちの命だけは守り抜く、そう決意した。アイシャもレイラ姉さんも同じ気持ちだったはずだ。だがそのことが結果的にお前の心を追い詰めることになるとは思わなかった。すまなかったな」


 ジャファルは頭を下げた。


「良いよ、叔父様。だって今ならあの時の記憶に向き合える。そしてあの時、感じた二人の温もりが紛れもない二人の思いやりだったんだって、今ならそう思えるから」


「ジャファルじゃないがもう心配はいらないな。今の様子、グレンさんにも見せてやるといい。あれで、グレンさんはずっと娘のお前を心配していた。いつか記憶が戻り、心が押しつぶされるんじゃないかってな」


「そうだったんだ、お父さん……うん、そうするよ。全てが解決したらね」


「…………」


 全ての解決、それは一体何を指して言った言葉なのだろうか。ジャファルがフィリアの言葉に答えることはなかった。


 沈黙が流れる。


 しばらくして、アリシアが口を開いた。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「ああ」


「何故、あなた方はこの国に尽くされたのですか? あれほどの仕打ちを受けてなお、そうする価値がこの国にあったのでしょうか?」


「おいおい、次代の王ともあろう方が言うセリフじゃないな」


「正直な話、私は失望を覚えています。イシュメル人への仕打ちも、それを止めずに見過ごすこの国の自浄作用のなさにも。私ですらこうなのですから、イシュメルの方の失望はそれ以上だと思いまして」


 アリシアの問いかけに、ジャファルは少しの間、黙りこんだ。しばらくして考えがまとまったのか再び口を開く。


「俺たちの故郷は今じゃ砂に沈み跡形もない。砂漠がどういう場所か知ってるか? 昼は身体を内から焦がす灼熱、夜はその身を引き裂くような冷気、とても人が住めるところじゃない。だが、俺達はそこに住み続けるしかなかった。安住の地を求めて方々を流浪し、交易を続けては渇いた大地に戻る。それがどれほど苦しいことか、わかるか?」


「それは……すみません。想像は難しいです」


「まあ、それが普通だ。人が物事を測るには、経験が一番だからな。ならカイム、お前はどうだ?」


「……? なんで俺に聞くんだ」


「お前は俺達と同じ目をしている。安らげる場所もなく当て所ない地獄をさまよい精神をすり減らしてきた人間の目だ。だが、同時にその目の中に微かな希望の灯も見える。ならば俺たちが土地を求めて戦った想いがわかるはずだ」


「随分と見透かしてくれるじゃないか。占い師にでもなったほうが良いんじゃないか?」


 カイムは思わず皮肉で返す。


「だがまあ、あんたの言う通り、俺が前に居たところは掃き溜めみたいなところだ……だから安住の地を渇望するその気持ちは痛いほどわかる」


 そう、一つの安心して暮らせる空間を持つということは、人にとって想像を遥かに超える安心感を与える。多くの人にとっては安心できる拠点を持っていることは当たり前のことなので、なかなか気付くことはないが。


「だが、だからこそわからん。なんだってそんな短慮にこの国に牙を向ける選択が採れる? なぜ掴み取った安住の地を手放す決断ができる? 安住の地を求める思いと矛盾してないか?」


「……そうだな」


 ジャファルはカイムの言葉を否定しなかった。


「この国の人間では想像も及ばないほどの地獄を俺たちは味わった。だから、手を差し伸べてくれた先代の公王には感謝しかなかった。だから、彼の治世を支えようと全ての怒りと憎しみを飲み込み、王の遺志を継いでこの国に尽くそうと思った」


「そういうことだったんですね……」


「だがな、貴族共はそれを裏切った。汚い手管を使い俺たちの尊厳を踏みにじり、同胞の命を奪った。ならば俺たちは真の安住を勝ち取るまで戦い続ける、それしか無いんだ」


「待って……本気で言ってるの叔父様? 本気でこの戦いがイシュメル人のためになると思ってるの?」


 たまらず疑問を挟んだのはフィリアであった。


「ああ」


「おかしいよ、そんなの! 誰かを傷付け、貶めて勝ち取ったものなんてすぐに崩れる。叔父様が一番分かってたはずなのに……」


「だけどそれでも父さんは、その道を突き進む。そうだよね?」


 キシュワードが口を開く、先日からキシュワードは養父の考えを慎重に見極めようとしているようであった。


「そうだ、昨日言った通りだ。引き返すつもりはない」


 キシュワードは、どういうわけかジャファルの選択に納得がいっているようであった。


「キシュワードさんはこのままでいいの?」


「良くはないよ。だけど、父さんの選択にも理由はある」


「わからないよそんなの……」


 対してフィリアには叔父の考えが理解できなかった。移民がその国の人間と融和するためにはたゆまない努力と年月を必要とする、かつてジャファルの語った考えに強く賛同していたからだ。


「お前は今でも、はっきりと俺が間違っていると、そう言えるか?」


「当たり前だよ! だって叔父様が教えてくれたことじゃない!」


「キシュワードはどうだ?」


「答えるまでもない。父さんは間違っているよ」


「そうか……」


 ジャファルは一瞬目を細めて、笑みを浮かべた。
 その真意は全く読めなかったが、浮かべた笑みは一瞬で掻き消えた。


「ならば……ならばお前達が俺を止めてみせろ。他ならぬお前達が」


 ジャファルはフィリア達を睨みつけてそう言い放った。


「叔父様……もしかして……?」


 フィリアはジャファルの真意をうっすらと察した。


 するとジャファルは、カイムとアリシアの方へと向き直った。


「カイム、お前もフィリアを支えると決めたんだ。この前みたいに縮み上がられちゃ困る。死力を尽くして俺に挑んで来い」


「ああ……たとえあんただって乗り越えてみせる」


「そして、殿下。このようなことに敵対する形となって申し訳ない。あなたは最後まで俺達のために心を砕いてくれたというのに……」


「いえ、ジャファルさん。私は今でも諦めていません。必ず、今回の一件、アルビオンとイシュメルの方、双方が納得の行く形で解決してみせます」


 ジャファルはそれには答えなかったが、一同の決意を確認すると、僅かな笑みを浮かべてその場を去っていった。



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