夢奪われた劣等剣士は銀の姫の守護騎士となり悪徳貴族に叛逆する
流れる血の色は(3)
外の様子は悲惨なものだった。
爆薬を使われたのか天井のドームと回廊は崩落し、多くの人々がその下敷きとなっていた。
脚を潰された者、ぐったりと動かなくなった幼子を抱えて泣き叫ぶ母、建材が体を貫通して動けなくなった者、既に事切れた者、硝煙に人々の血や膿の臭いが入り混じり、悪臭が鼻を刺激した。
「っ……」
すえたような臭いがエルドの脳を揺さぶり、思わずその場にうずくまってしまう。
「エルド、大丈夫か!?」
エルドがどけた瓦礫跡から抜け出してきたカイムが心配そうに尋ねるが、それに答えるより先に締め付けるような痛みが脳を襲った。
その痛みに駆られて脳裏にビジョンが浮かんでくる。
今と同じ、いやそれよりも酷い光景であった。灼炎に包まれた瓦礫と死体の山の中を人々が逃げ惑い、脳を突き刺すようなおぞましい人々の悲鳴が響いている。
だが、それも一瞬のことでやがて痛みとともにその光景も霞み消えていった。
「う、うん、大丈夫。それよりもあれを」
エルドが上の階へと視線を送ると、カイムも釣られてそちらを見る。
そこは貴族や一部の資産家を対象とした、専用区画であった。そこでは大穴から騎竜に乗って侵入してきた者達が略奪を行っていた。
「狙いは貴族の資産か? だが火薬はまだしも騎竜まで持ち出すなんてな。ともかく公都守備隊を呼ぼう。アテになるかは分からんが」
「ここなら詰所も近い。僕が行ってくるよ」
「それには及ばん」
エルドが聖堂広場に戻ろうとすると、それを遮って兵士達が現れた。
「既に隊には伝令を回した。この場は我らに任せてせいぜい逃げ回るが良い」
高邁な物言いで一方的に伝えるや、兵たちは去っていた。
「珍しく仕事熱心だな。まあ貴族共の資産がピンチなんだから張り切りもするか。ここは連中に任せよう」
軍は日頃より有事に際して如何に適切に行動するかという訓練を日々積んでいる。
加えて人の命の掛かった救護の場であれば、下手にエルドたちが手を出して混乱を招くわけにはいかない。確かにそうなのであるが。
「そういうわけにはいかなそうだよ」
兵たちが機敏な動きで真っ先に向かったのは最上層であった。
この下層含め道中には多数の重傷者が見られる。しかし、彼らは我関せずとすべて無視し貴族たちの救護と略奪者の鎮圧に向かっていた。
「何が自分たちに任せろだ。くそっ、結局こうなるのかよ」
カイムは苛立ちを隠しもせず悪態を吐く。
「人手が足りないからとハーゲンみたいな俗物を隊長に据えるからこうなるんだ」
公国きってのエリート部隊、かつてそう賞賛された公都守備隊も今となっては、貴族派におもねり私腹を肥やす者の巣窟となっていた。
彼らは今この瞬間もその儚い命を散らそうとする者たちを前にして、自分たちの利にならないという理由だけで無慈悲にも切り捨てていく。
「怒るのは後だ。今は僕らにできることをやろう」
カイムの怒りはよく分かる。いやきっとカイム以上にエルドは腹に据えかねていた。
だが目の前に救える命がある以上、それを見過ごすことはできない。湧き上がる怒りを何とか抑える。
「ああ、そうだな。今は優先順位を考えなくちゃな」
女神の加護を受けた生き物は想像以上に丈夫だと言われている。
かつて地上から女神が去った時、女神はその身の一部を霊子として還元し大陸中の大気と生命に分け与えたという。
そのため命あるものは生命の危機に陥ると本能的にその身に宿る霊子を練り上げて総動員して防護を固めて治癒力を向上させ、生きながらえるという。だがそれも万能というわけではない。
「これじゃ助からない……」
それは脳を損傷した時である。
「一瞬のことで身を守れなかったんだろうな。くそっ」
崩落に巻き込まれまともに頭部に当たったのだろう。目の前の女性はぴくりとも動かず、血を流し続けていた。
有事の際はまず頭を守るというのが常識ではあるが、ここに落ちてきた瓦礫はあまりにも大きく、その隙もなかったのだろう。
「なんでこんな非道なことが出来るんだ」
エルドは拳を強く握りしめていた。その怒りは略奪者達に向き。そのあまりの怒りから手のひらを握る力は強まり、爪が食い込んで血がにじむほどであった。
「…………」
しかし今は怒りに囚われている場合ではなかった。
いくら自己治癒力に長けているとはいえ、人の手による治療が必要な重傷者も居る。そういった状況で義憤に駆られたり死者を弔う時間など無い。
冷たくはあるが、今この場ではそうした冷酷な判断が求められていた。
エルドは何とか怒りを抑えると、瓦礫周辺の重傷者を見出し見当をつけていく。
彼ら自身は治癒術は扱えないが、キシュワードは治癒術の心得のあるものを店主は近場の診療所に癒術士をそれぞれ探しに出ており、彼らが戻るまでに治療の優先順位を付ける必要があった。
「思ったより重傷者が多いな……守備隊がいないのに人手が足りるのか」
ただでさえ休日であることに加え、行商団の一団が立ち寄っていることからマーケットの人通りは多く、多くの人々が崩落に巻き込まれていた。
急な治療を要する重傷人もエルドたちの想定を遥かに超え、癒術士の手が足りなくなるであろうことは容易に想像できた。
(っ、どうして僕には扱えないんだ……)
両親が優れた魔術適性を持つ者としては非常に稀有なことだが、エルドには魔術の適性がなく自身の身体能力や治癒力の強化程度しかできない。
特に母が優れた治癒術の使い手だっただけに、今この状況で応急手当しかできないことに歯噛みをする。
「治癒魔法が必要でしたら私にもお手伝いさせてください」
怪我人の救護に苦心していると背後から澄んだ声が響き渡った。
声の方に目をやると、目深にフードを被ったエルドたちと同じくらいの歳の娘が立っていた。顔ははっきりとは見えないがそっと覗かせる銀の髪のあまりの美しさに思わず目を奪われる。
(この髪、どこかで……)
ふと妙な既視感を覚えた。風にそよぐ彼女の髪を見ていると脳がチリチリと締め付けられるような心地がする。
「あの、どうかなさいましたか?」
そんなエルドの様子を見て娘が心配そうに声を掛ける。
「あ、いや。それじゃ治療の方をお願いできるかな?」
今は優先すべきことがある。エルドは脳に浮かんだ既視感を振り払った。
アーケードはすっかり無残な様へと成り果てていた。
この区画の建物は真新しいベージュの石壁でできており、それを黒の格子や窓枠、ガス灯が彩り、客が足を踏み入れる階は黒壁で設えるなどその外観は近代的で高級な印象を与えるものとして称賛されていた。しかしそれらはすっかりと瓦礫と化していた。
隙間なく並べられた均一な建物の中にはアパルトメントが入っているものもあり、まともに崩落に巻き込まれた区画は人々の流血でひどい有様であった。
幸い少女の手助けと、癒術士がすぐに駆け付けたこと、軽傷の人々の手伝いもあったことから手当は手際よく済んだ。
しかし、突然の凶行によって刻まれた恐怖、痛みは決して拭い去ることはできないだろう。人々は沈痛な面持ちで、心身ともに疲れ切ったように避難先に座り込んでいた。
一方、遠く離れた区画の上層ではこの惨劇を引き起こした略奪者たちが抵抗を続け、戦闘の音が遠く離れたエルド達の元へも鳴り響いていた。
「妙だな。連中、性根は腐ってるがそれでも公都の守りを固めるだけあって実力派揃いのはずだ。それなのに何をもたついてるんだ」
カイムの言う通り確かに妙だ。略奪者達も武装しているとはいえ、日々研鑽を積んだ兵士の敵ではないはずだ。どのような相手であれ、とっくに捕縛を終えてもおかしくはない。
「様子を見てくるよ」
言うやいなや、カイムの返事も待たずエルドは跳躍した。建物の壁を蹴り瓦礫を足場に器用に跳び渡ると、あっという間に崩れた床の穴から上層へと抜けていった。
「あ、待てって」
慌ててカイムも後を追う。
爆薬を使われたのか天井のドームと回廊は崩落し、多くの人々がその下敷きとなっていた。
脚を潰された者、ぐったりと動かなくなった幼子を抱えて泣き叫ぶ母、建材が体を貫通して動けなくなった者、既に事切れた者、硝煙に人々の血や膿の臭いが入り混じり、悪臭が鼻を刺激した。
「っ……」
すえたような臭いがエルドの脳を揺さぶり、思わずその場にうずくまってしまう。
「エルド、大丈夫か!?」
エルドがどけた瓦礫跡から抜け出してきたカイムが心配そうに尋ねるが、それに答えるより先に締め付けるような痛みが脳を襲った。
その痛みに駆られて脳裏にビジョンが浮かんでくる。
今と同じ、いやそれよりも酷い光景であった。灼炎に包まれた瓦礫と死体の山の中を人々が逃げ惑い、脳を突き刺すようなおぞましい人々の悲鳴が響いている。
だが、それも一瞬のことでやがて痛みとともにその光景も霞み消えていった。
「う、うん、大丈夫。それよりもあれを」
エルドが上の階へと視線を送ると、カイムも釣られてそちらを見る。
そこは貴族や一部の資産家を対象とした、専用区画であった。そこでは大穴から騎竜に乗って侵入してきた者達が略奪を行っていた。
「狙いは貴族の資産か? だが火薬はまだしも騎竜まで持ち出すなんてな。ともかく公都守備隊を呼ぼう。アテになるかは分からんが」
「ここなら詰所も近い。僕が行ってくるよ」
「それには及ばん」
エルドが聖堂広場に戻ろうとすると、それを遮って兵士達が現れた。
「既に隊には伝令を回した。この場は我らに任せてせいぜい逃げ回るが良い」
高邁な物言いで一方的に伝えるや、兵たちは去っていた。
「珍しく仕事熱心だな。まあ貴族共の資産がピンチなんだから張り切りもするか。ここは連中に任せよう」
軍は日頃より有事に際して如何に適切に行動するかという訓練を日々積んでいる。
加えて人の命の掛かった救護の場であれば、下手にエルドたちが手を出して混乱を招くわけにはいかない。確かにそうなのであるが。
「そういうわけにはいかなそうだよ」
兵たちが機敏な動きで真っ先に向かったのは最上層であった。
この下層含め道中には多数の重傷者が見られる。しかし、彼らは我関せずとすべて無視し貴族たちの救護と略奪者の鎮圧に向かっていた。
「何が自分たちに任せろだ。くそっ、結局こうなるのかよ」
カイムは苛立ちを隠しもせず悪態を吐く。
「人手が足りないからとハーゲンみたいな俗物を隊長に据えるからこうなるんだ」
公国きってのエリート部隊、かつてそう賞賛された公都守備隊も今となっては、貴族派におもねり私腹を肥やす者の巣窟となっていた。
彼らは今この瞬間もその儚い命を散らそうとする者たちを前にして、自分たちの利にならないという理由だけで無慈悲にも切り捨てていく。
「怒るのは後だ。今は僕らにできることをやろう」
カイムの怒りはよく分かる。いやきっとカイム以上にエルドは腹に据えかねていた。
だが目の前に救える命がある以上、それを見過ごすことはできない。湧き上がる怒りを何とか抑える。
「ああ、そうだな。今は優先順位を考えなくちゃな」
女神の加護を受けた生き物は想像以上に丈夫だと言われている。
かつて地上から女神が去った時、女神はその身の一部を霊子として還元し大陸中の大気と生命に分け与えたという。
そのため命あるものは生命の危機に陥ると本能的にその身に宿る霊子を練り上げて総動員して防護を固めて治癒力を向上させ、生きながらえるという。だがそれも万能というわけではない。
「これじゃ助からない……」
それは脳を損傷した時である。
「一瞬のことで身を守れなかったんだろうな。くそっ」
崩落に巻き込まれまともに頭部に当たったのだろう。目の前の女性はぴくりとも動かず、血を流し続けていた。
有事の際はまず頭を守るというのが常識ではあるが、ここに落ちてきた瓦礫はあまりにも大きく、その隙もなかったのだろう。
「なんでこんな非道なことが出来るんだ」
エルドは拳を強く握りしめていた。その怒りは略奪者達に向き。そのあまりの怒りから手のひらを握る力は強まり、爪が食い込んで血がにじむほどであった。
「…………」
しかし今は怒りに囚われている場合ではなかった。
いくら自己治癒力に長けているとはいえ、人の手による治療が必要な重傷者も居る。そういった状況で義憤に駆られたり死者を弔う時間など無い。
冷たくはあるが、今この場ではそうした冷酷な判断が求められていた。
エルドは何とか怒りを抑えると、瓦礫周辺の重傷者を見出し見当をつけていく。
彼ら自身は治癒術は扱えないが、キシュワードは治癒術の心得のあるものを店主は近場の診療所に癒術士をそれぞれ探しに出ており、彼らが戻るまでに治療の優先順位を付ける必要があった。
「思ったより重傷者が多いな……守備隊がいないのに人手が足りるのか」
ただでさえ休日であることに加え、行商団の一団が立ち寄っていることからマーケットの人通りは多く、多くの人々が崩落に巻き込まれていた。
急な治療を要する重傷人もエルドたちの想定を遥かに超え、癒術士の手が足りなくなるであろうことは容易に想像できた。
(っ、どうして僕には扱えないんだ……)
両親が優れた魔術適性を持つ者としては非常に稀有なことだが、エルドには魔術の適性がなく自身の身体能力や治癒力の強化程度しかできない。
特に母が優れた治癒術の使い手だっただけに、今この状況で応急手当しかできないことに歯噛みをする。
「治癒魔法が必要でしたら私にもお手伝いさせてください」
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「あ、いや。それじゃ治療の方をお願いできるかな?」
今は優先すべきことがある。エルドは脳に浮かんだ既視感を振り払った。
アーケードはすっかり無残な様へと成り果てていた。
この区画の建物は真新しいベージュの石壁でできており、それを黒の格子や窓枠、ガス灯が彩り、客が足を踏み入れる階は黒壁で設えるなどその外観は近代的で高級な印象を与えるものとして称賛されていた。しかしそれらはすっかりと瓦礫と化していた。
隙間なく並べられた均一な建物の中にはアパルトメントが入っているものもあり、まともに崩落に巻き込まれた区画は人々の流血でひどい有様であった。
幸い少女の手助けと、癒術士がすぐに駆け付けたこと、軽傷の人々の手伝いもあったことから手当は手際よく済んだ。
しかし、突然の凶行によって刻まれた恐怖、痛みは決して拭い去ることはできないだろう。人々は沈痛な面持ちで、心身ともに疲れ切ったように避難先に座り込んでいた。
一方、遠く離れた区画の上層ではこの惨劇を引き起こした略奪者たちが抵抗を続け、戦闘の音が遠く離れたエルド達の元へも鳴り響いていた。
「妙だな。連中、性根は腐ってるがそれでも公都の守りを固めるだけあって実力派揃いのはずだ。それなのに何をもたついてるんだ」
カイムの言う通り確かに妙だ。略奪者達も武装しているとはいえ、日々研鑽を積んだ兵士の敵ではないはずだ。どのような相手であれ、とっくに捕縛を終えてもおかしくはない。
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