夢奪われた劣等剣士は銀の姫の守護騎士となり悪徳貴族に叛逆する
再会
女神に祝福された大陸、イルフェミア大陸。
その北西部に位置するアルビオン公国には巡礼という慣習がある。
この地に巣食う海賊を討伐し、荒れ果てた国を巡りながら復興と発展に努めた建国の王パーシヴァルに倣って、騎士学校を卒業した若者たちが国内を旅し、民の要請に応えていくというものである。
各地の魔獣やならず者を駆逐したり、尋ね人を探したり、遺跡の調査を行ったりと、歴代の巡礼騎士の行ってきたことは多岐にわたった。
しかし、騎士学校の成績が金と地位で買われる今日では、民の要請に応えようとする者はほとんどいない。
格式ある伝統行事も、貴族や平民の有力者達が子らの婚姻や収賄などで相互の結びつきを高め、様々な官職や事業を独占する陰謀を巡らしたりするなど汚職・腐敗の温床となっていた。
民たちもその様な堕落に失望し、金と欲にまみれた伝統行事など見向きもしないというのが現状である。
しかし、今年はそれまでと事情が異なっていた。
先代公王の死によって長らく空位となっていた王位を継ぐため、息女のアリシアが騎士学校の過程を終え、巡礼の旅に出るというのだ。
先王の死に不安を抱いていた民にとっては待望の王であり、街は連日賑わいを見せていた。
――チュンチュン。
美しい鳥のさえずりが耳に入ってくる。その優しげな声に惹かれて青い髪の青年・エルドは意識をはっきりとさせた。
「ん」
紅い寝ぼけ眼をこすりながらエルドは側にある時計を手繰り寄せる。
「まだ5時か……」
起床にはまだ早い。いつもであれば布団の温もりに包まれながらまどろみに身を任せているところだが――
「起きるか」
今は気分が優れず、ろくに眠れそうにない。
ゆっくりと身体を起こすと、カーテンをさっと開き新鮮な空気を取り入れる。するとちょうど空に一筋の光が差し込み、青く暗みがかった公都アルスターを照らし始めた。
この街の朝は早い。老人たちはエルーナ湾に面した遊歩道に集まり体操を始め、遠く港の方は漁から戻った船舶でひしめき、せわしなく積み下ろしが行われている。
遠く海を眺めていると、ふと近所のパン屋から焼きたてのパンの芳しい香りが漂い、鼻腔をくすぐった。
そうして明け方の活気をしばらく堪能していると、エルーナ湾から潮風が吹き込んできた。既に三月の半ばではあるが、アルスターを吹き抜ける風は相も変わらず冷たい。
ぶるっと身震いをさせながら慌ててエルドは窓を閉める。
「さすがに朝はまだ冷えるな……」
エルドは冷えを払うように凍える身体をさすった。着慣れた服を引っ張り出して身支度を整えると、鏡を覗き込んではねた髪をすく。
ふと鏡に映った自身の瞳と目が合った。煌々と光る真紅の瞳、人によっては血の色を彷彿とさせ忌み嫌う者もいる悪魔の瞳だ。エルドはその瞳を見て郷愁に似た想いに駆られた。
「相変わらずコンタクトは使わないんだね」
背後から聞き慣れた声がした。鏡には映らないことからその者は部屋の入口に立っているようだった。
この家で遠慮なくエルドの部屋に入ってくる人物など一人しか心当たりがない。突然の来訪者に特に警戒することなくエルドは会話を返す。
「うん、高いからね」
確かにコンタクトレンズという便利なものはある。教会の調合師が生成した魔導水で、適量をつまみ眼に付ければレンズの形に変質して視力を矯正したり、虹彩を変化させる代物だ。
痛みもなく、洗い落とすのも容易であるため利便性という点ではなかなかの物である。
たまにエルドの紅眼を見て忌避感を示す者もいたため、それを利用するのも手ではあった。しかし効力が数日しか持たず、保存も利かないため不経済なのだ。
「それに……こればかりは隠したくないから」
だが本当の理由はそこにあった。エルドにとってその眼はとても大事なもので、例え忌み嫌われようと覆い隠すようなことはしたくなかったのだ。
さて、一通り身支度を終えると、振り返り声の主の方へと視線をやった。
「……………………」
エルドは絶句した。
「どうしたんだい? 呆けた顔をして」
そこにはしばらく家を離れていた兄が立っていた。しかし、久々の兄との再会であるというのに、エルドは喜びや歓迎を表すよりも先に絶句したのだ。
公都の一部の若者の間で流行っている真っ黒い遮光グラス、南国を思わせる色味豊かな花々が描かれた派手なシャツにハーフパンツと、久々に見た兄は異様な風体をしていた。
「その格好は何? 気でも触れたの?」
「相変わらずきついね。これはファレーリア自治領で流行りのファッションだよ。一目で気に入ってね」
「まさか、ファレーリアに行ってたの? なんだって帝国の支配地域なんかに」
エルドが声を荒げる。ファレーリア自治領、かつて隣国のアルテア帝国の侵攻により支配下に置かれた王国である。
この国アルビオンと帝国はかつて戦争状態にあったため、その支配地域に赴くことは危険なことであった。
ましてレオンは階級こそ少佐に留まっているものの、アルビオン屈指の騎士であり諸外国にも名の知れた人物だ。その様な人物が安々と踏み入れる地域ではない。
「うーん、何か誤解しているみたいだけど今回のは正式な訪問だよ。新聞読まないのかい?」
「え……?」
そう言われてみると、ファレーリアの名前を記事で見かけたような気もする。エルドは必死に記憶の糸をたぐる。
「確か停戦協定の……」
「そう。今回、姫殿下の代理として訪問されたウェインライト閣下の護衛さ」
「貴族派のナンバー2……ろくな訪問じゃなさそうだけど」
露骨な嫌悪を露わにするエルドであった。
「そう悪く言うものじゃないよ。来る停戦協定に向けて日程や段取りのすり合わせに行っただけなんだから」
「なら良いんだけど。でもあれから十年、アルビオンも帝国と新たな関係を築く時代が来たってことか」
両国の関係はやや複雑である。
直接に対立する理由はなかったのだがアルビオンの宗主国たるロンディニア王国がある領土を巡り帝国と対立を深めていたため、それがやがて戦争に発展した際に、同盟国に対する支援要請に逆らえず引きずり込まれた形だ。
「まあ難しい話はさておき、そんなこんなで大役を務めた兄は休暇を頂いたってわけだ」
「休暇?」
「ああ。エルドの巡礼の儀が始まる頃までは公都に居られる予定だ。どうだ嬉しいだろう?」
「え? あ……そうだね」
エルドはまだ兄に卒業を取り消されたことを告げていなかった。
「これで晴れてエルドも従騎士か」
レオンは嬉しそうにその頭をわしっと掴んだ。
「な、子供扱いはやめてよ。鬱陶しい」
エルドは逃れようともがくが、もう片方の腕でがっちりと掴まれてしまった。
「はは、巡礼の儀も終えてない見習い騎士が生意気言うんじゃない」
「う、うるさいな……これでも騎士学校でかなり鍛えたんだ。そろそろレオンから一本ぐらい、取ってみせるさ……」
たとえ卒業は取り消されても、鍛えた武芸までは無くならない。
それが今のエルドに残された唯一のものだった。
「ふむ、大きく出たね」
レオンはエルドを掴んでいた腕と手を放す。
「なら朝も早いし、久々に稽古をつけようか」
先程の砕けた様子とは打って変わりレオンの表情が真剣なものになった。レオンはいつの間に手にしていたのか訓練用の木剣を放り投げてよこす。
「巡礼の儀はまだ先だ。可愛い弟弟子の成長確かめさせてもらうよ。まずはガラティア山岳まで競争だ。しっかり付いてくるように」
そういうやレオンは窓から飛び降りる。相変わらず落ち着きのない兄弟子だがその動きには一切の無駄がない。
「あ、バカ。ずるいよ」
律儀に戸締まりをするとすぐさまエルドはレオンを追いかけ始めた。山岳までの道のりは10kmほど、二人のハードな訓練が始まった。
その北西部に位置するアルビオン公国には巡礼という慣習がある。
この地に巣食う海賊を討伐し、荒れ果てた国を巡りながら復興と発展に努めた建国の王パーシヴァルに倣って、騎士学校を卒業した若者たちが国内を旅し、民の要請に応えていくというものである。
各地の魔獣やならず者を駆逐したり、尋ね人を探したり、遺跡の調査を行ったりと、歴代の巡礼騎士の行ってきたことは多岐にわたった。
しかし、騎士学校の成績が金と地位で買われる今日では、民の要請に応えようとする者はほとんどいない。
格式ある伝統行事も、貴族や平民の有力者達が子らの婚姻や収賄などで相互の結びつきを高め、様々な官職や事業を独占する陰謀を巡らしたりするなど汚職・腐敗の温床となっていた。
民たちもその様な堕落に失望し、金と欲にまみれた伝統行事など見向きもしないというのが現状である。
しかし、今年はそれまでと事情が異なっていた。
先代公王の死によって長らく空位となっていた王位を継ぐため、息女のアリシアが騎士学校の過程を終え、巡礼の旅に出るというのだ。
先王の死に不安を抱いていた民にとっては待望の王であり、街は連日賑わいを見せていた。
――チュンチュン。
美しい鳥のさえずりが耳に入ってくる。その優しげな声に惹かれて青い髪の青年・エルドは意識をはっきりとさせた。
「ん」
紅い寝ぼけ眼をこすりながらエルドは側にある時計を手繰り寄せる。
「まだ5時か……」
起床にはまだ早い。いつもであれば布団の温もりに包まれながらまどろみに身を任せているところだが――
「起きるか」
今は気分が優れず、ろくに眠れそうにない。
ゆっくりと身体を起こすと、カーテンをさっと開き新鮮な空気を取り入れる。するとちょうど空に一筋の光が差し込み、青く暗みがかった公都アルスターを照らし始めた。
この街の朝は早い。老人たちはエルーナ湾に面した遊歩道に集まり体操を始め、遠く港の方は漁から戻った船舶でひしめき、せわしなく積み下ろしが行われている。
遠く海を眺めていると、ふと近所のパン屋から焼きたてのパンの芳しい香りが漂い、鼻腔をくすぐった。
そうして明け方の活気をしばらく堪能していると、エルーナ湾から潮風が吹き込んできた。既に三月の半ばではあるが、アルスターを吹き抜ける風は相も変わらず冷たい。
ぶるっと身震いをさせながら慌ててエルドは窓を閉める。
「さすがに朝はまだ冷えるな……」
エルドは冷えを払うように凍える身体をさすった。着慣れた服を引っ張り出して身支度を整えると、鏡を覗き込んではねた髪をすく。
ふと鏡に映った自身の瞳と目が合った。煌々と光る真紅の瞳、人によっては血の色を彷彿とさせ忌み嫌う者もいる悪魔の瞳だ。エルドはその瞳を見て郷愁に似た想いに駆られた。
「相変わらずコンタクトは使わないんだね」
背後から聞き慣れた声がした。鏡には映らないことからその者は部屋の入口に立っているようだった。
この家で遠慮なくエルドの部屋に入ってくる人物など一人しか心当たりがない。突然の来訪者に特に警戒することなくエルドは会話を返す。
「うん、高いからね」
確かにコンタクトレンズという便利なものはある。教会の調合師が生成した魔導水で、適量をつまみ眼に付ければレンズの形に変質して視力を矯正したり、虹彩を変化させる代物だ。
痛みもなく、洗い落とすのも容易であるため利便性という点ではなかなかの物である。
たまにエルドの紅眼を見て忌避感を示す者もいたため、それを利用するのも手ではあった。しかし効力が数日しか持たず、保存も利かないため不経済なのだ。
「それに……こればかりは隠したくないから」
だが本当の理由はそこにあった。エルドにとってその眼はとても大事なもので、例え忌み嫌われようと覆い隠すようなことはしたくなかったのだ。
さて、一通り身支度を終えると、振り返り声の主の方へと視線をやった。
「……………………」
エルドは絶句した。
「どうしたんだい? 呆けた顔をして」
そこにはしばらく家を離れていた兄が立っていた。しかし、久々の兄との再会であるというのに、エルドは喜びや歓迎を表すよりも先に絶句したのだ。
公都の一部の若者の間で流行っている真っ黒い遮光グラス、南国を思わせる色味豊かな花々が描かれた派手なシャツにハーフパンツと、久々に見た兄は異様な風体をしていた。
「その格好は何? 気でも触れたの?」
「相変わらずきついね。これはファレーリア自治領で流行りのファッションだよ。一目で気に入ってね」
「まさか、ファレーリアに行ってたの? なんだって帝国の支配地域なんかに」
エルドが声を荒げる。ファレーリア自治領、かつて隣国のアルテア帝国の侵攻により支配下に置かれた王国である。
この国アルビオンと帝国はかつて戦争状態にあったため、その支配地域に赴くことは危険なことであった。
ましてレオンは階級こそ少佐に留まっているものの、アルビオン屈指の騎士であり諸外国にも名の知れた人物だ。その様な人物が安々と踏み入れる地域ではない。
「うーん、何か誤解しているみたいだけど今回のは正式な訪問だよ。新聞読まないのかい?」
「え……?」
そう言われてみると、ファレーリアの名前を記事で見かけたような気もする。エルドは必死に記憶の糸をたぐる。
「確か停戦協定の……」
「そう。今回、姫殿下の代理として訪問されたウェインライト閣下の護衛さ」
「貴族派のナンバー2……ろくな訪問じゃなさそうだけど」
露骨な嫌悪を露わにするエルドであった。
「そう悪く言うものじゃないよ。来る停戦協定に向けて日程や段取りのすり合わせに行っただけなんだから」
「なら良いんだけど。でもあれから十年、アルビオンも帝国と新たな関係を築く時代が来たってことか」
両国の関係はやや複雑である。
直接に対立する理由はなかったのだがアルビオンの宗主国たるロンディニア王国がある領土を巡り帝国と対立を深めていたため、それがやがて戦争に発展した際に、同盟国に対する支援要請に逆らえず引きずり込まれた形だ。
「まあ難しい話はさておき、そんなこんなで大役を務めた兄は休暇を頂いたってわけだ」
「休暇?」
「ああ。エルドの巡礼の儀が始まる頃までは公都に居られる予定だ。どうだ嬉しいだろう?」
「え? あ……そうだね」
エルドはまだ兄に卒業を取り消されたことを告げていなかった。
「これで晴れてエルドも従騎士か」
レオンは嬉しそうにその頭をわしっと掴んだ。
「な、子供扱いはやめてよ。鬱陶しい」
エルドは逃れようともがくが、もう片方の腕でがっちりと掴まれてしまった。
「はは、巡礼の儀も終えてない見習い騎士が生意気言うんじゃない」
「う、うるさいな……これでも騎士学校でかなり鍛えたんだ。そろそろレオンから一本ぐらい、取ってみせるさ……」
たとえ卒業は取り消されても、鍛えた武芸までは無くならない。
それが今のエルドに残された唯一のものだった。
「ふむ、大きく出たね」
レオンはエルドを掴んでいた腕と手を放す。
「なら朝も早いし、久々に稽古をつけようか」
先程の砕けた様子とは打って変わりレオンの表情が真剣なものになった。レオンはいつの間に手にしていたのか訓練用の木剣を放り投げてよこす。
「巡礼の儀はまだ先だ。可愛い弟弟子の成長確かめさせてもらうよ。まずはガラティア山岳まで競争だ。しっかり付いてくるように」
そういうやレオンは窓から飛び降りる。相変わらず落ち着きのない兄弟子だがその動きには一切の無駄がない。
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