暗黒騎士と堕ちた戦乙女達 ~女神に見放されたので姫と公女たちに魔神の加護を授けて闇堕ちさせてみた~

水都 蓮

アベルの誓い

 轟々と燃えさかる火炎の中、シャルは呆然と立ち尽くしていた。
 瞬く間に邸内に燃え広がった炎は障壁となって、シャルの行く手を完全に塞いでいた。


「どうして……?」


 火元から離れた場所にあるこの離れが炎上するなど、そうそうあり得ないことであった。
 しかし、彼女はこうして紅蓮の中に取り残されていた。


 一体、誰が火を放ったのか。なぜ自分がこの様な目に遭わなくてはいけないのか。
 シャルの中に疑問と困惑が次々と湧いてくる。


「まさか、義母様が……?」


 ふと、自身を虐げた義母の顔が浮かんだ。彼女は自身の子が継承者から外れて以来、ことあるごとに自分を目の敵にしてきた。


 何をしても領主たる振る舞いでないと難癖を付けられては、激しい折檻をされたり、故郷から届いた母の手紙を破り捨てられたり、室内に糞尿をまき散らされるなど、その行いを挙げたらキリが無い。
 シャルの周辺で、屋敷に火を放つほどの強い動機を持つのは彼女ぐらいしかいなかった。


「だからってこんな……」


 しかし、よもや自分が死を願われるほどに憎まれているとは思わなかった。
 自分とて、家族から引き離され、常軌を逸した教育という名の虐待に晒されているというのに、なぜそこまでされないといけないのか、シャルは自身への仕打ちを嘆いた。


「もう一度会いたいよ……お母様……」


 だが何より母に会えぬまま、命果てることが辛かった。領主の座、神器の継承、すべてどうでも良い。
 愛する家族ともう一度暮らすことこそが彼女のたった一つの望みであったのだ。


 だというのに、そのようなささやかな願いも、継承争いなどで台無しにされ、理不尽にも今火あぶりにされんとしている。
 そのことに納得がいかなかった。


「どうして! どうしてこんな!」


 胸に湧いた悲しみが、それを通り越して、徐々に怒りに染まっていく心地がした。
 当主の地位などと言うくだらないもののために、他人の人生を踏みにじる臣下や義母が許せなかった。


 どうしようもない自身の運命、そしてそこまでに追いやった者達への怒りから、シャルは思わず床を殴りつけた。
 火に囲まれ、逃げ場を失った彼女に出来ることはその程度しか無かった。
 せめてもの鬱憤を晴らそうと、涙を流しながらシャルは何度も何度も床を殴り続けた。


 そして、火がいよいよシャルを包もうと勢いを増した。


「っ……」


 覆い被さるように迫り来る猛火に身をすくめたその時、一筋の光が差し込み、燃えさかる炎を引き裂いた。


「え……?」


 それはまばゆい光を放ちながら、周囲の炎からシャルを守っていた。
 閃光と共に目の前に現れたそれは、神弓ウル――フライフォーゲルに伝わる神器であった。


「……どうしてここに?」


 神器がぼうっと光った。
 言葉こそ発さないが、それが自身を握るよう促しているのだと、彼女は察した。


「こう……?」


 シャルはそっと弓柄を握った。
 これを手に持つのは二度目であったが、まるで昔から愛用していたかのように不思議と手に馴染んだ。


「でも燃える炎をどうすれば……?」


 彼女の得意とする魔法は風である。
 この様に燃えさかる火に風を浴びせかければどうなることか、幼い彼女にも容易に想像できた。
 しかし、そのような彼女の疑問を晴らすように、弓が光った。


「あんたが力を貸してくれるの?」


 弓に導かれるままにシャルは矢をつがえる構えを取った。
 すると、彼女の生成した風の矢を中心に、吹雪が渦巻いていった。


 《氷雪の疾弓》彼女と弓の力が合わさることで発動できる、スキルの一つである。


 シャルは展開しされた氷の槍に魔力を込めると、それを一気に火の壁へと解き放った。
 氷雪の奔流は壁や床をえぐりながら屋敷を駆け抜けると、周囲を炎ごと凍り付かせていった。






*






「そうだ……ステファン、ステファンは!?」


 シャルは鎮火した屋敷内を下り、もう一つの寝所を訪ねた。
 この離れには、昨晩遊びに来ていたステファンが眠っていた。


 この頃の二人は、姉弟仲も良好でこうしてステファンが姉を訪ねることは珍しくなかった。
 シャルは彼が寝ている部屋の扉を勢いよく開け放った。


「!?」


 しかしそこに居たのは、全身を焼き尽くされ、どろどろと皮膚が溶け、肉を剥き出しにさせたステファンの姿であった。


「……ねえ……ん、あついよ……くるしいよ……」


 振り絞るような声で、ステファンは苦しみを訴えた。


「どうして……どうしてこんなことを!?」


 ここにステファンが来ていることをあの者が知らないはずがない。
 そう、自身の子がその場にいることを知りながら、彼女は屋敷に火をかけたのだ。


「義母様……いや、デボラ……」


 声を震わせながら、シャルは氷の矢をつがえた。
 いかな理由があろうと、実の息子をこの様な残酷な方法で死に追いやるなど非道の極みであった。


 己の欲のために、非道を繰り返す義母への怒りが頂点に達した。


「デボラァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


 次の瞬間、シャルの絶叫と共に、氷槍が遠く城館の外壁をえぐり取った。
 それは城館の外壁をえぐり、屋敷を大きく振動させた。


 我を失ったシャルは怒りに身を任せて矢を番え続けた。
 いずれ駆けつける騎士団長ラルフに止められるまで。






*






 結局、放火の首謀者が明るみに出ることは無かった。
 誰もがデボラを疑いながら、彼女の犯行を示す証拠も証人もいなかったために彼女を裁くことは出来ず、火災はただの事故として処理され、ステファンは教会の診療所にて治療を受けることとなった。


 一方、火災から数日後、今度はシャルの祖父母が命を落とし、母は片脚を失った。
 病に伏せる領主を見舞い、ステファンの治療に必要な秘薬を届けた帰りに起こった事故によるものであった。


 一体誰の差し金かは分からなかった。
 しかし一つ言えるのは、領主が倒れた今のフライフォーゲル城は、何者かの欲望に飲み込まれつつあったということだ。


 そして、相次ぐ"事故"を不審に思った母は、娘を帝都の騎士学校へと送った。
 これ以上、フライフォーゲルの闇に彼女が巻き込まれないように。






*






「これが、フライフォーゲルという家よ。父様が病で伏せっていた間に、貴族の一部とデボラが行ったこと。別に珍しい話でも無いけどね」


「…………」


 確かに貴族にとって、その様な継承争いは決して珍しくはない。
 しかし、幼い彼女に降りかかった一連の出来事は、どれほど彼女を傷付けたことだろうか。その心中、察して余りあった。


「正直、うんざりしてる。領主の地位なんて誰が継いでも良かった。おかしくなる前のステファンならフライフォーゲルを治めるだけの能力もあった。だけど、誰も彼も神器に振り回されて、おかしくなった」


 確かに戦乱の世ならいざ知らず、平時にあって神器の有無で領地経営が変わるわけではない。
 そうして、一人の少女を追い込んでまで、繰り広げるべき継承争いだったのだろうか?


「神器に振り回される人間、それによって追い詰められてきたという事実、すべてに腹が立った。それは今でもそう。だから、あんたの加護を受けた今の私は、何かの拍子に感情を爆発させて、暴走してしまうんじゃないか。そう思うと少し怖いの……」


「シャル……」


 一度暴発した怒りの種は簡単には抑えられない。
 自身で抑制しようとしても止めどなく溢れて、自身の理性を蝕んでいくのだ。
 かつてデボラへの怒りから暴走したときのように、抑えきれないほどに怒りが高まることをシャルは恐れていた。


「なら……」


 もし、彼女が己の中の何かを恐れているのであれば――


「君が我を忘れて暴走したときは俺が止める」


「え……?」


「君に加護を与えたのは俺だ。もしそれが、感情に歯止めを効かなくさせているのなら、俺がその責任を取る。それが加護を与えた俺の義務だ」


 アベルは高らかに宣言した。


「せ、責任って妙な言い方しないで!」


 しかし、一方のシャルはその言葉を聞いて耳を赤くした。


「なんだよ。変なこと言ったか?」


「い、言ってないわよ!! まったく……」


 シャルはそっとため息をついた。
 目の前の男の言葉はどこかずれていたが、それでも不思議と心が軽くなる心地がした。


「戦力配分の関係で、城に乗り込むのはあんたと私だけになるはず。色々と不安に思うこともあったけど、あんたのおかげで少し心のもやもやが晴れた。頼りにしてるからね」


「ああ、任せてくれ」


 そう言うと、シャルは笑みを浮かべた。






*






 それから、数日が経ち、ステファンが指定した期日を迎えた。
 潜入経路や、当日の作戦の流れを確認し、必要な物資を揃えたアベル達は、各々持ち場につき、作戦の切っ掛けとなる正午の鐘を待った。


 しかし、城への潜入の機をうかがうアベルの隣で、肩を並べているはずのシャルの姿は、そこには無かった。

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