暗黒騎士と堕ちた戦乙女達 ~女神に見放されたので姫と公女たちに魔神の加護を授けて闇堕ちさせてみた~

水都 蓮

シャーロットの不安

「急にどうしたんだ? こんなところに連れてきて」


 シャーロットに連れられてやってきたのは、城西の外側、仙境の外れにある高台であった。
 天上には地上のそれより遙かに大きな満月が浮かび、そこから放たれる月明かりが、眼下の雲海に溶け込んでいた。
 仙境の淵から流れ落ちる滝の音を耳に感じながら、アベルはシャーロットに尋ねた。


「ここなら誰にも聞かれないと思って……」


 夜明かりの下で二人きりだ。
 それを茶化す冗談でもと思ったが、余りにシャーロットが暗く真剣な表情を浮かべていたため、アベルは黙して言葉の続きを待った。


「少し見て欲しいものがあるの」


 そう言ってシャーロットは首元のリボンタイをするりと解いた。
 すると、震える手でシャツのボタンを一つずつ外していった。


「ま、待て!! どうしてそうなる!?」


 しかし、これは流石に予想外で、アベルは狼狽えながら、思わず顔を背けた。


「お願い。ちゃんと見て」


「だ、だが」


 それでも衣のこすれる音は止まない。


「大事なことなの……」


 正直、事情は飲み込めなかったが、哀願するように頼むシャーロットを拒否できず、アベルは恐る恐る、そちらを向いた。


「――――!!」


 胸元を隠し、頬を赤く染めながら肌を見せるシャーロットの姿は扇情的であった。
 しかし、それに見とれる暇も無く、アベルは彼女の肌に浮かんだ漆黒の痣に目を奪われた。
 それは、彼女の肩から下をくまなく覆う、冒涜的な印であった。


「なんだそれは……?」


「分からない。さっき、部屋に戻って着替えようとしたら……ねえ、何なのこれ……?」


 胸元を覆う彼女の手は微かに震えていた。
 自分の身体に起こった突然の変異、困惑するのも無理はなかった。


「それに……なんだか感情が抑えられなくなってきて、さっきもユリウス卿に」


 先ほど彼女は、領民が非道な実験に使われたことへの怒りを、ユリウス卿に一方的にぶつけた。
 普段の彼女らしからぬ言動にアベルは違和感を感じていたが、それはシャーロットにとってもそうであったらしい。


「あれから私の中でさらに怒りがふつふつと湧き出してきた。父様を死に追いやった宰相や聖教国、領民を虐げるステファン、そしてその裏で非道な人体実験を許容し、母様を捕らえる義母デボラ、すべてに対するどうしようもない衝動が私を突き動かそうとするの……」


 シャーロットは自分を抱きしめるように、ぎゅっと両腕の裾を握りしめた。
 抑えようにもあふれ出す怒りの発露、まるでそれを必死に押さえ込もうとするかのように。


「私の中で何か変になったのかな? こんなの私じゃないみたい……」


 その不安定な彼女の心中に呼応するように、やがてシャーロットの全身を黒い靄が包んでいった。
 それは彼女の身を覆いながら、その衣服を漆黒に染め上げていった。


(これは代償なのか……?)


 女神の加護を失ったアベル達にとって、彼らに与えられた力は祝福であった。
 為す術もなく聖教国に戦う力を奪われていく中、それに抗うことが出来る力は願ってもないものであった。


 しかし、そんな都合の良い話など、あるはずがなかったのだろうか。
 シャーロットは加護を与えられたことで、徐々に憤怒の感情を膨らませ、その身に得体の知れない変化が起こっている。


 それこそが、都合の良い力が手に入ることを疑いもしなかった、自分達への呪いだったのか。
 アベルは自問自答を繰り返した。


(本当にそうなのか? わからない。この力を与えた者は何故俺を……?)


 いくら考えても答えなど出なかった。


「だが……」


 アベルはそっと自身の外套をシャーロットに掛けた。


「一つだけ言えることがある。その怒りは正しいもののはずだ。家族や領民を奪われて、怒るなって方がおかしい」


「でも、教会では……」


「そうだ俺たちは今まで、怒らず妬まず恨まずと教わり、負の感情の発露を戒められてきた。だが、それは本当に正しいのか? そういった感情も確かに、俺たち人間を突き動かしてきた原動力なんじゃないか?」


「人を動かす原動力……」


 闘争による兵器の需要が人の技術を高め、悪政への反抗が人の精神や社会を一つ上の段階へと進めてきた様に負の感情もまた、人にとって重要なものであったのではないか。


「俺はそれを抱くことが間違った物だと思いたくはない。それに振り切れ過ぎたらいけないのかもしれんが、適度に抱く分にはきっと良いはずだ」


「でも、今の私は……」


「シャーロットはきっと今まで自制してきたんだろう。それが正しいことと信じて。だが、きっとこの力を切っ掛けにそのたがが外れたんだ。そして、今までに無い感情の奔流に振り回されている。そうなんじゃないか?」


 シャーロットは目を瞑って、考え込むような仕草を見せた。


「……そっか。やっと分かった。このどうしようもなくこみ上げてくる怒り、それは今まで私が貯めに貯めていた感情だったんだ」


 シャーロットのつぶやきと共に、彼女の身を変化させた靄が少しずつ晴れていった。
 漆黒に染まった衣服は元の色へと戻り、外套から少しだけ覗く肌の痣も心なしか薄くなっていた。


「あんたと話すと少し落ち着く。あの時も今も、あんたが私の心のもやもやを晴らしてくれる……」


「シャーロット……」


「シャロで良いわ。友達は少ないけど、親しい人はみんなそう呼ぶ。あんたにもそう呼んで欲しい」


「分かった、シャロ」


「っ……」


 シャロの耳が紅く染まった。


「な、なんか変な気分。むずがゆいというか……」


「君が呼んでと言ったんだぞ?」


「わ、わかってるわよ。はぁ……」


 シャロは深くため息をついた。一体何が問題だったのだろうか。


「……少し昔話をしていいかしら?」


 一拍置いて、シャロが話を切り出した。
 アベルが無言でうなずくと、彼女はそっと口を開いた。


 それは彼女の過去であった。
 ステファン、そして実母ディアナと義母デボラとの関係、幼い頃に彼女がモンシャウ村に移り住んだ経緯など、彼女の過去がゆっくりと語られていく。

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