暗黒騎士と堕ちた戦乙女達 ~女神に見放されたので姫と公女たちに魔神の加護を授けて闇堕ちさせてみた~

水都 蓮

バルデルとの戦い

 漆黒の奔流がイザークを呑み込んだ。
 それは暴竜の爪牙のように周囲の建物をなぎ倒し、大地を切り刻みながら、跡形もなくその場にあったものを消失せしめていく。


 石造りの建造物や、固い岩盤ですら砂のようにあっさりえぐり取っていくその威力はすさまじく、それをまともに喰らったイザークは、無事では済まないであろうことが容易に想像できた。


 やがて、疾風がかき消えた。
 風の爪牙によって辺り一面はクレーターのように綺麗にくり抜かれた。
 当然その最中にいたイザークもずたずたにその身を引き裂かれたであろう。
 しかし――


「君は……?」


 バルデルの一撃を食らったはずのイザークの目の前には、その身をかばうように盾を構えたアベルの姿があった。
 盾を中心に展開された障壁には傷一つ無く、背後のイザークを完全に防護していた。


「僕の一撃を完全に防ぐとは大した盾だ。それにその鎧、どうやら君は"外れ"ているな?」


「…………」


 その問いかけにアベルが返したのは剣であった。
 この地で行われた惨劇への怒りが、その身に込められて、重い一撃となってバルデルに叩き付けられた。


「おっと」


 バルデルは片手で帽子を押さえながら、その一撃を防いだ。
 しかし、防がれてもなおアベルは、二撃目、三撃目と次の太刀を放ち、バルデルをじりじりと後退させていく。
 やがて、逆袈裟に思い切り剣を振り抜くと、バルデルの身がよろめいた。
 その隙を逃さず、アベルは左手腕の盾を振るって思い切り、バルデルの顔面に叩き付けた。


「!?」


 バルデルはその思い切りの良い攻撃に驚くと、その身を後方に跳躍させ、何とかその一撃を躱す。


「まだだ!」


 しかし、それで攻撃の手が緩むことはなく、アベルは振り抜いた盾に剣を収めて左腕を抜くと、それを大剣に変形させてバルデルに真一文字に振り下ろした。
 その一太刀は洗練され、並の人間では防ぐことは叶わぬほど鋭く、速かった。


 ――直後、鋭い金属音が響いた。


「っ……やれやれ、僕に左腕を使わせるとはね」


 しかしその一撃は、バルデルが左腕に構えたもう一振りの戦斧に阻まれた。


「双戦斧の使い手か」


 アベルはその刃を斬り結ばせながら、その大剣を押し込む。
 右腕の斧を地面に突き立てて身体を支え、のけぞりながらアベルの刃を止める形となったバルデルに対して、アベルはしっかりと両手で剣を構え、腰に十分な力が入る状態であった。
 しかし、体勢では圧倒的に有利であるにもかかわらず、両者はその体勢で拮抗していた。


「見事な剣捌きだ。まるであの《守護者》殿のようだ」


「何?」


 ふとバルデルが漏らした言葉に、アベルは表情を一変させた。


「ふむ、表情が変わったね。もしかして、帝都で戦った彼は君の関係者だったのかな? その変わり様、おそらくは父親ってところかな」


「貴様、父さんをどうした……?」


「知りたいかい? 彼の最期を?」


「貴様!!」


 一瞬の動揺が、アベルの太刀を迷わせた。
 その隙を見逃す、バルデルではなく、両者の力の拮抗が崩れたとみるや、右腕の戦斧を引き抜き、双戦斧を振るいうと、アベルを振り払った。


「っ……」


「戦の武器は何も鉄だけではない。弁論もその一つだ。覚えておくと良い」


 そう言ってバルデルは双戦斧を異空間にしまった。
 ある程度の大きさのものであれば、自在に異空間に収納できる魔術の一種だ。


「何のつもりだ」


「今回の目的は果たせた。どうやら僕の目算通りだったようだ」


「何を訳のわからないことを……」


「僕の名はバルデル・アーレント。アベルくん、君と巡り会えてとても嬉しい。まだまだ未熟だが鍛えれば、いずれは化けるかもしれないな。また会おう」


 バルデルは一方に言い放つと、黒い靄のようなものをまとうとそのまま転移していった。


「一体何だったんだあの男は」


「バルデル……私ではとても歯が立たなかった……」


 背後でイザークが立ち上がった。その気配に気付くと、アベルは後ろを振り返ってイザークの元へと歩いて行った。


「あんた、聖教騎士だな?」


「ああ。そういう君は帝都で現れたという黒騎士か」


 顔こそ知られていなかったが、二人の枢機卿を殺害した騎士の件は既に聖教国に知られていた。
 追い求めていた相手の登場である。イザークは静かにランスを構えた。


「一つ聞きたい」


 両者の間に走り始めた緊張を裂くように、アベルが尋ねた。


「何故、あの黒衣の男と敵対していた。奴もその背に聖教騎士のシンボルを掲げていた。仲間ではないのか?」


「……簡単な話だ。奴は女神の教えに背いて、己の欲望のまま蹂躙を行った。故に、私は奴を糾弾しようとした。結果はまるで敵わず、無様を晒しただけだがな」


 それを聞いてアベルが鼻で笑った。


「女神の教えだと? 笑わせる。女神様のありがたい教えとやらには、罪のない人々の住む村を焼いてしまえと記されているのか?」


「それ……は……」


 イザークが言葉を詰まらせた。
 そもそも、女神の天啓の記された聖典に、人への暴力を正当化する聖句など刻まれていない。
 敬虔なエリュセイア信徒であり、幼き頃から聖典を読みふけり、その言葉を一字一句覚えた彼からすれば、此度の命令はとても聖教騎士の執るべき行いとは思えなかった。


「だが、枢機卿猊下らは、女神の意思を代行する方々だ。その言葉に意を挟むなど……」


「ふざけるな!! 目の前で散らされる命を前に、神の言葉を盲目的に信じるなど、ただの思考停止だ。女神の意思とやらが仮にあったとして、それを歪めてこの様な暴挙に及ぶなど到底許されることじゃない。それを貴様らは……くそっ……」


 アベルが悪態をついた。
 ここに至るまでに、数多くの死体を見かけた。
 騎士達は人死にを抑えようとしていたようだが、バルデルの配下の者達にその意思はなく、多くの村民が蹂躙されていた。
 確かに彼らは帝国の一員であるが、彼ら自身が聖教国に敵対したわけではない。どんな理由があろうと、一方的に村を焼かれるなど、戦争のルールを明らかに逸脱している。
 まして、それが人々を教え導き、人身の安寧を目指す聖職者であればなおさらである。


「…………」


 アベルの言葉を聞いて、イザークは黙り込んだ。
 彼とて、本来は善良な人間だ。この様な惨状に胸を痛めないはずがない。
 しかし一方で、聖教国の教えと軍務に忠実である故に、イザークは自身の心と折り合いが付けられず、葛藤していた。


「だがそうだな……本当に優先すべきものは枢機卿の言葉ではない……か」


 イザークは踵を返した。


「兵達は私の権限で引き上げ、村民達も解放しよう。バルデル傭兵団の運用の件も含めて、今回の命令は異常だ。一度、今回の命令について上申してみようと思う」


「本気か?」


 確かに彼を非難こそしたが、まさか本当に退くとは思っていなかった。
 しかし、イザークは本気のようで、そのまま振り返ることもせずに引き返していった。


「そうだ」


 ふと、イザークが足を止めた。


「私の名は、イザーク・バウアー。君がいなければ私の命はなかっただろう。感謝する」


「……」


「だが、枢機卿殺しの罪は到底許されることではない。いずれ見えることもあるかもしれない。その時は、全力で君を捕縛させてもらう。皇女殿下らも同様にな」


 そう言って、イザークはアベルの目の前から消えた。


「イザーク・バウアーか……」

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