暗黒騎士と堕ちた戦乙女達 ~女神に見放されたので姫と公女たちに魔神の加護を授けて闇堕ちさせてみた~
霧の中のひととき
エリュセイア聖暦1412年、女神を奉じる教会の権威は頂点に達していた。
大陸中央に位置するエリュセイア聖教国は、女神の声を通じて周辺諸国の王を任命し、諸王はその権威を背景に絶大な権力を行使する。それがこの大陸の王のあり方である。
一方聖教国は、見返りとして周辺諸国に寄進の名目で莫大な税を課し、国内の聖職者には不逮捕特権・領事裁判権を与えるよう要求した。大司教位ともなれば、土地と貴族の地位が与えられるなど、聖教国の支配力は各国に浸透していた。
それに異を唱えたのが、アルトジウス帝国・皇帝ゲーアノートである。
彼は、聖教国と距離を置き、聖職者の特権を制限する施策をとった。そして一方、権力と財産を欲しいままにした貴族の特権へも介入を進めた。
それに対する両者の反発、それが今回のクーデターの一因である。
*
魔神の加護を得たアベルは、命の危機にあった皇女と公爵令嬢達を救い出した。
そして、彼女たちと合流した後、宰相達の追っ手から逃れるために選んだのは、帝都南西に広がるアストリア大森林であった。
立ちこめる濃霧が旅人を迷わせ、奥深くまで足を踏み入れて無事に出られる者は少ないという。しかし、戦えない者を抱えている以上、身を隠すために場所を選んでいる状況ではなかった。
「ねえ、それどうしたのよ?」
「?」
藪から棒にシャーロットが尋ねてきた。曖昧な物言いで、アベルには何を指しているのかわからなかった。
「その力のことよ。スキルの使えない《底辺騎士》であったはずのあんたに何があったの? それに私のこの力はなんなの?」
先ほどは危機的状態であったため、疑問を差し挟む余裕もなかったが、先の見えない森の中とはいえ、今は多少の余裕がある。
シャーロットは胸に湧いた疑問をぶつけてみた。
「さあな、よくは覚えてない」
しかし、アベルは素っ気なく返した。
「なによそれ、あんたはぐらかすつもり?」
それが不満のようで、シャーロットは非難めいた視線を向けた。
「いや、そうじゃない。よく覚えていないんだ。君たちがならず者に襲われていたとき、どうにかしなきゃと思った。その時、誰かと話したような気がするけど、それが誰なのか思い出せない」
思い返そうとすればするほど、頭に靄がかかり、思考を阻害する。アベルに力を与えた、正確には女神の枷を外したのは誰だったのか。
名乗られたような気もするが、思い出せなかった。
「何それ、やっぱり私に与えたのは変な力じゃないの?」
「そうだな。それに関しては、君も感じている通りまっとうな力じゃない。枢機卿達が言っていたように邪神――女神と相反する存在に由来するものだ」
「邪神……やっぱり……女神への信仰を捨てて、私これからどうなるの……」
シャーロットは声を震わせた。
人は女神に生み出され、死後にその御許に還り、輪廻の輪を巡る。故に人々は、女神を中心として道徳や価値観を形成していく。それほどに女神の存在は人々にとって大きなものであった。
普段、男性に対して不遜な態度を取る彼女も、これまでの生活の基盤を支えていた女神と決別するとあっては、大きな不安を隠せなかった。
その様子を見かねたアベルが、そっと口を開いた。
「こんなこと、気休めにしかならないかもだけど、女神が見捨てても俺は君たちを見捨てない。だから安心して欲しい」
「…………」
しかし、シャーロットは何も答えず、しばらくぼーっとこちらを見つめていた。
「何か言ってくれ。そう黙られると恥ずかしい」
無言がしばらく続いたが、アベルはそれがむずがゆくなり、沈黙を破った。
「……気にしないで。同じセリフ聞いたなって思っただけ」
「芸が無くてすまんな」
あまり人を励ましたことなど無いのだ。気の利いた言い回しなど浮かばなかった。
「でも、ありがと。さっきは助けてくれて……あんたがいなかったら、きっと私達は酷い目に遭わされて、殺されてた。だから、ありがと……あんたが来てくれて、うれしかった」
「…………」
今度はアベルがぼーっと見つめた。
「な、何?」
「君が、人に感謝するなんて珍しいこともあるんだなと思って」
学校で自分に見下したような視線を向けてきた彼女の言葉とは思えなかった。
「あ、あんたに何がわかるのよ! そりゃ確かに……私ってそういうとこあるけど……」
シャーロットはぼそぼそと、アベルに聞こえない声量で言った。
「と、とにかく! この私に感謝されるなんて、滅多にないんだから素直に受け入れなさい!」
めまぐるしく表情を変化させる彼女の様子がおかしくて、アベルはつい笑みをほころばせた。
「何がおかしいの?」
「いや、何でも無いよ。それよりも――」
「おーい! 出口が見えたぞ」
二人の会話を遮るように、前方から男が走ってきた。どうやら、先頭が森の出口を見付けたようだ。
「そうか。さて、この先に出るのが鬼でも蛇でもなければ良いんだが」
この森の正しい道筋など誰も知らない。
だが遭難せず、何らかの出口にありつけたのは幸いであった。
この先に待っているのが、困難でないことを祈り、アベル達は森の中を進んだ。
大陸中央に位置するエリュセイア聖教国は、女神の声を通じて周辺諸国の王を任命し、諸王はその権威を背景に絶大な権力を行使する。それがこの大陸の王のあり方である。
一方聖教国は、見返りとして周辺諸国に寄進の名目で莫大な税を課し、国内の聖職者には不逮捕特権・領事裁判権を与えるよう要求した。大司教位ともなれば、土地と貴族の地位が与えられるなど、聖教国の支配力は各国に浸透していた。
それに異を唱えたのが、アルトジウス帝国・皇帝ゲーアノートである。
彼は、聖教国と距離を置き、聖職者の特権を制限する施策をとった。そして一方、権力と財産を欲しいままにした貴族の特権へも介入を進めた。
それに対する両者の反発、それが今回のクーデターの一因である。
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そして、彼女たちと合流した後、宰相達の追っ手から逃れるために選んだのは、帝都南西に広がるアストリア大森林であった。
立ちこめる濃霧が旅人を迷わせ、奥深くまで足を踏み入れて無事に出られる者は少ないという。しかし、戦えない者を抱えている以上、身を隠すために場所を選んでいる状況ではなかった。
「ねえ、それどうしたのよ?」
「?」
藪から棒にシャーロットが尋ねてきた。曖昧な物言いで、アベルには何を指しているのかわからなかった。
「その力のことよ。スキルの使えない《底辺騎士》であったはずのあんたに何があったの? それに私のこの力はなんなの?」
先ほどは危機的状態であったため、疑問を差し挟む余裕もなかったが、先の見えない森の中とはいえ、今は多少の余裕がある。
シャーロットは胸に湧いた疑問をぶつけてみた。
「さあな、よくは覚えてない」
しかし、アベルは素っ気なく返した。
「なによそれ、あんたはぐらかすつもり?」
それが不満のようで、シャーロットは非難めいた視線を向けた。
「いや、そうじゃない。よく覚えていないんだ。君たちがならず者に襲われていたとき、どうにかしなきゃと思った。その時、誰かと話したような気がするけど、それが誰なのか思い出せない」
思い返そうとすればするほど、頭に靄がかかり、思考を阻害する。アベルに力を与えた、正確には女神の枷を外したのは誰だったのか。
名乗られたような気もするが、思い出せなかった。
「何それ、やっぱり私に与えたのは変な力じゃないの?」
「そうだな。それに関しては、君も感じている通りまっとうな力じゃない。枢機卿達が言っていたように邪神――女神と相反する存在に由来するものだ」
「邪神……やっぱり……女神への信仰を捨てて、私これからどうなるの……」
シャーロットは声を震わせた。
人は女神に生み出され、死後にその御許に還り、輪廻の輪を巡る。故に人々は、女神を中心として道徳や価値観を形成していく。それほどに女神の存在は人々にとって大きなものであった。
普段、男性に対して不遜な態度を取る彼女も、これまでの生活の基盤を支えていた女神と決別するとあっては、大きな不安を隠せなかった。
その様子を見かねたアベルが、そっと口を開いた。
「こんなこと、気休めにしかならないかもだけど、女神が見捨てても俺は君たちを見捨てない。だから安心して欲しい」
「…………」
しかし、シャーロットは何も答えず、しばらくぼーっとこちらを見つめていた。
「何か言ってくれ。そう黙られると恥ずかしい」
無言がしばらく続いたが、アベルはそれがむずがゆくなり、沈黙を破った。
「……気にしないで。同じセリフ聞いたなって思っただけ」
「芸が無くてすまんな」
あまり人を励ましたことなど無いのだ。気の利いた言い回しなど浮かばなかった。
「でも、ありがと。さっきは助けてくれて……あんたがいなかったら、きっと私達は酷い目に遭わされて、殺されてた。だから、ありがと……あんたが来てくれて、うれしかった」
「…………」
今度はアベルがぼーっと見つめた。
「な、何?」
「君が、人に感謝するなんて珍しいこともあるんだなと思って」
学校で自分に見下したような視線を向けてきた彼女の言葉とは思えなかった。
「あ、あんたに何がわかるのよ! そりゃ確かに……私ってそういうとこあるけど……」
シャーロットはぼそぼそと、アベルに聞こえない声量で言った。
「と、とにかく! この私に感謝されるなんて、滅多にないんだから素直に受け入れなさい!」
めまぐるしく表情を変化させる彼女の様子がおかしくて、アベルはつい笑みをほころばせた。
「何がおかしいの?」
「いや、何でも無いよ。それよりも――」
「おーい! 出口が見えたぞ」
二人の会話を遮るように、前方から男が走ってきた。どうやら、先頭が森の出口を見付けたようだ。
「そうか。さて、この先に出るのが鬼でも蛇でもなければ良いんだが」
この森の正しい道筋など誰も知らない。
だが遭難せず、何らかの出口にありつけたのは幸いであった。
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