どんぐりのこころ

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どんぐりのこころ









また、転校する事になった。


出会いがあってそして、別れの時が近付いていく…
子どもながらに何度も体験している。だからと言って別れに慣れている神経では無いし、本当のさよならは何度も言っていないから寂しい気持ちは隠せない。


1年も住めなかった….
この土地にやっと馴染んできたのに、越してからはずっとここで過ごせると思っていたわたしは別れを惜しんだ。
この一年間弱で、自然に土地にも慣れて自然に友達もできて、ごく普通に時間も流れた。
先の事を考えるのは得意ではないが、時間が流れず止まってくれと思ったのは生涯でこの時が初めてだったと思う。


親の都合とはよく言ったもので、その子の運命は親の都合と言う大人のわがままに委ねられる。子どもも大人以上にわがままだけど、拒否権は皆無。その後の新しい生活への思いが少しばかりか許される時間を沈黙して待つ事になった。
友達には愛想笑いなど使う意思など無かったが、これを境に使ってしまう癖に気が付いてゆく。国語の授業でも辞書を開き、心境に合った熟語や格言と言うものを探しているわたしが居る。立つ鳥跡を濁さず…わたしは鳥ではないし、段々と自分らしさと言うものへ消しゴムで消している様にさえ感じていった、良い事も悪い事も全てだ。


そんな転居組や転校する一人であったわたしも、人の繋がりには困らない性分なのか転校を繰り返しても同類たちが寄って来る。親しみ易かったのだろう、来るもの拒まず…その言葉を覚えたのもこの時期だった、遊ぶことだけに夢中になる仲間たちが直ぐに出来る。


笑顔で過ごせるか、俯いて黙って居るかの違いだけだが転校生にとってのこの違いは大きな差がある。子どもにとっての学校とは社交場の顔見せであり、その後の時間を共に遊ぶための約束の場でもある。
最も、後者がどれだけ重要かは身をもって知っているし、
勉学など二の次三の次で良い。
ましてや楽しみながら勉学を競って励んだら楽園だろうな。そんな学校生活とは裏腹に、家へ帰っても宿題以外は寛ぐ時間として使う、この時の寛ぐ時間は勉強以外の遊ぶことになる。寛ぐのは、子どもながらに大人の世界を家で感じ取っているから必要な時間だった、嫌な事は忘れたい性分だからだ。


小学生の遊び、その中には大人の世界を観察しながら未知の体験が出来ると言う学校にはない新入生の見習い期間の様な新鮮さがある。
常に初心、童心なわけだから。
放課後、帰宅しても誰も居ないし、ひとり遊びにも飽きてくる。
強いて言えば、プラモデル作りをする事が唯一ひとりの時間になっていた。
この日も何かとじっとして居られなく、気軽に遠くへ行ける自転車で20分もかけてフラフラ出かけ、お金も無いのにおもちゃ屋をハシゴして、店頭のテレビゲームを楽しんで、デパートの屋上で深呼吸、高い場所を陣取るボス猿の気持ちがわかる時。下界とは違う空気に気分も大きくなる。お菓子のゲームで50円くらい使って両手に溢れるくらいのラムネをポケットに突っ込んでエスカレーターを下る。デパートの出入り口に、紙コップの華やかに明るい自販機に誘われるが、その後も駄菓子屋巡りを予定してるから断る。
駅南の商店街の駄菓子屋へ向かう途中で仲間と合流したから共に行動することになった。少しのお菓子とくじ付きカードで運だめし、この日は運は降りてこなかった…そろそろここも飽きてきて友達が言う、


「なぁ?これからどこ行くぅー?!」
「うーん…もう知ってる店は無いなぁー、どこかあるの?」
「そっかぁーじゃ、あそこ行ってみようぜッ。たぶん知らないと思うから、なッ?」
「え?どこどこー?」
「まぁ付いて来なよ!」
「ぉ、うん!」


この土地は住んで短いから抜け道も他の駄菓子屋も知らない、観光案内の様に友達の後を付いて行く。ペダルを踏んで5分もかからなかった場所に友達は砂利が敷いてある空き地へ自転車から飛び降りスタンドを思っ切り蹴る。おー!と声をあげたくなるくらい、こんな所に古い店が、しかも学校の直ぐ近くに。
この時ばかりは友達が神様の様に見える。


"でも、やけに狭い店だなぁ?"
初めて来た。
周りは民家と田んぼで、お店らしい場所も民家と思って通り過ぎてしまう様な造りだ。


「こっち来いよ!」
と、奥に誘われて右を回ってのれんを掻き分け細い通路を通りまたのれんを潜るといきなり暗い部屋になり賑やかになる。


"あー、空き地の隣の小屋はこれだったのか"


ゲーム機だらけの部屋がある、全部で30台くらい。まだ小さな子から中学生くらいまで10人くらい居る。


「ねぇ!ここってー昔からあんの?」
賑やかい中で徐ろに聞いてみた。


「あーッそうだよ!すげぇだろっ」
「うん!」


子どもにとっては夢の場所、隠し扉とかは無いけれど今なら絶対PTAに言われそうな場所で見つかったら出入り禁止になりそうだ。
その後、ぞくぞくとクラスメイトやら遊び仲間が入ってくる。皆んな笑顔で真剣な顔、学校では見られない一面だった。
暫くゲームをして、手持ちのお小遣いが無くなって友達皆んなに、


「じゃあ帰るわぁッまたねー!」


と異空間の場所を後にする。店を出ると陽も暮れかかって、お腹も空いたから帰り道のスーパーへ、入り口の隣に揚げ物惣菜専門に売り場があるからコロッケ60円を買って、頬張りながら薄気味悪い神社がある裏通り。
キーッ!と無意識に急ブレーキ、何故か止まった。理由はどんぐりの大きな木があるからだ、ここは最初にこの学校に来て5人くらい仲良くなった友達と初めて遊んだ所、この木に登ったりワイワイ走り回ったり、どんぐりを投げ合ったり…無意識に停めた。
暗いけど、ハッキリ見えてるどんぐりの大きな木。あの時の様にハッキリと、また何年かしたらここで遊べるかな?ちょっとジーンときたけど風のせいでゴミが眼に入っただけだ、早く帰ろう。自分に誤魔化しもっと泣きそうだからペダルを思いっきり踏んで立ち漕ぎした…悔し涙だったかもしれない、この土地の空気が好きだったからだろう…




翌週、担任の先生とクラスメイトが催してくれたお別れ会の日になった。


皆んなからそれぞれお土産を貰った、
その代わりにサイン責めにもあった
子役でもないのに…。


いつも遊んでいた友達が、お小遣いを出し合ってうまい棒を段ボール1ケースくれた、さすが同士たち。好きな物は熟知していてくれた様だ。帰りはお土産を沢山とうまい棒の段ボールを抱えて歩いて帰ったけど、皆んな欲しそうだったから帰り道が違うやつも含めて帰る頃にはいつも買っている本数になった、お陰で軽くなったし皆んな喜んでるしでこの日はこの世に生まれてきて幸せだなと感じる。


家に帰って一息ついて、うまい棒の段ボールを覗いてみると神社の前を通ったからだろう、どんぐりが隅っこに入って居た。


そのどんぐりは今でも大切にしまってある、大事な仲間との思い出と一緒に…


引っ越しまでの一週間くらいは、どんぐりを眺めながら大好きだったルパン三世のカセットテープをラジカセで聴いて過ごした。


この時と言うのは地球の自転を疑うほど時間が過ぎるのが早かったのをよく覚えている。やがて数日後、この土地から引っ越しをする…


あれから35年、
今は何処かでルパン三世の曲を耳にするとあの時のどんぐりと、うまい棒の味を思い出す大人になっていた。






おわり







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