ましろ・ストリート

しーとみ@映画ディレッタント

ましろ、決着!

「あなたは虎。私みたいにしがらみに囚われない闘争の塊だわ。ただ純粋に強さを求めて突き進む。今の私は、あなたがうらやましい。だから、潰す」

茜の連撃が飛んでくる。
華麗で力強い攻撃が。
ましろは、打たれるがままに打たれる。

「あなたがいると調子が乱れる。復讐に燃える私に、あなたは眩しすぎる」
深く腰を落とし、茜が構えた。砕雲掌が来るか。

「私はあなたのように、戦いだけ考えるなんて……できない!」
槍のような蹴りが放たれる。茜の必殺技、砕雲脚だ。

茜と同じ目線まで、ましろは身体を低く構えた。

茜の足刀蹴りが、ましろの頬をかすめる。
焼けるような痛みが、頬に広がっていった。
痛みに耐えながら、カウンターの掌打を茜の頬に叩き込む。

「な!? あなたのどこに、まだこんな力が!?」
予想外だったのか、茜はショックを隠せない。

「茜さんだって、本当はどうでもいいって思ってるんじゃないですか? トーナメントも、ジゼル南武さんも」

「あなたは何を言って……」
初めて、茜が動揺の色を見せた。

「あなたは、ジゼル南武さんを、憎いって言い続けてました。けれど、茜さんにとって本当に憎いのは、お父さんの病気であって、もうジゼルさんを許してるんじゃないですか?」

ましろの言葉を聞きながら、茜の形相が険しくなっていく。

「あなたに何がわかるっていうの!?」
斜め方向に移動して、茜が死角から打ち込んできた。感情的な裏拳が、ましろの頬をムチのように払う。

ジンジンと痛む頬を押さえる。
だが、不思議とそれ以上ダメージは感じなかった。
感情に任せた攻撃など、動きが読めて、大して怖くない。

「何もわかっていないくせに、いい加減なこと言わないでよ!」

茜に強く問われ、ましろは首を振った。

「確かに、わたしは何もわかってません」
「だったら、語らないでよ!」
もう一度裏拳が飛んでくる。

「けど、わたし、わかってしまったんです」
今度は、片手で拳を受け止めた。

「ジゼルさんが本当に嫌いなら、外国修行になんかついていかず、日本に留まることもできたはずです。蒼月流は日本でもできるんですから。最初こそ、リングに上がろうとした動機は憎しみだったかもしれない。けれど、続ける理由まで、ジゼルさんは関係ないと思うんです」

「黙れって言ってるでしょ!?」
ハイキックがましろの顔面をとらえた。

観客たちが悲痛な叫びを上げる。

でも、今度は倒れない。痛みを背負って踏ん張る。

『ティグリス選手立ってますよ! ダウン必至の蹴りでしたよ、今の。大したもんだ』
『すごい試合ですね! こんな試合、私の実況人生の中でも、そうそうないですよ!』
実況と解説まで、どよめている。

「私を惑わす作戦かしら? 残念だけど通用しないわよ?」
どうにか、茜は平静さを取り戻そうとしているように、ましろには見えた。
だが、茜の焦りの色は深い。

「そうでしょうか? 本当に迷っていないなら、わたしの話なんて聞かず、すぐにテイクダウンでも何でも奪えばよかった。チャンスじゃないですか。さっきの蹴り、全く力がこもってませんでしたよ。もう一度タイガーレイジだってできた」

茜にも迷いが見えた証拠だ。
ましろは何も、茜を動揺させて、優位に立とうとはしていない。むしろ逆。

「いい加減、素直になって下さい。わたし、あなたが本当は、格闘技が大好きで、お父さんが大好きで、お母さんが大好きなんだって、知って――」

顔面に、茜の拳がめり込む。
わずかに、鼻血が滴る。腕で拭って止血する。

『あっと出血! ですがティグリス選手は動じない。試合続行です!』

冷たい感触が、ましろの頬を伝う。
ポツポツと、顔に水が滴ってきた。
水滴は、次第に数を増す。

「振ってきた!」と、観客が一斉に顔を上げた。
黒い雲が広がり、豪雨が試合会場に降り注ぐ。
客たちは上着で頭を覆ったり、折りたたみ傘を開くなど、雨に対応した。イベントテントまで避難する者も。

「私が、ジゼルを慕っているなんて……おぞましい事、言わないで」
怒りに満ちた茜の顔に、水が伝う。

龍子やピサロ、ジゼルたちは、その場から動かない。じっと腰を据えて、戦況を見守っている。

雨音だけが、ましろの耳を叩く。

「これ以上挑発するな、ましろ! 揺さぶりなんか通じねえよ!」
状況もよく思わなかったのだろう。龍子が檄を飛ばしてくる。

「平気。それにわたしは、茜さんを揺さぶっているんじゃない」

ただ、勝つ――その本能が、ましろを突き動かしていた。
それ以外の考えは、格闘技においては取り繕っているだけの言い訳に過ぎない。
格闘とは、そういうものだ。

ましろは今、本能だけで戦っている。
それが実に心地よい。

だから、茜の本能も引き出す。
番組、試合、復讐、なにもかも捨て去って、ただ、自分たちのどちらが強いのかだけ考えて打ち合いたい。

茜が、深く腰を落とす。深く。
砕雲掌が来る。あるいは砕雲脚か。

「さっき、カウンターを合わせてきたわよね?」
「踏み込みが足りていませんでした。咄嗟にだしたからでしょ?」
「ええ。だから、次は当てるわ」

今の自分には、対抗する技がない。
相手の技をコピーする技術もトレースされた。レイジすら、茜はコピーできる。
打つ手はない。

それでも、ましろは受け止める。

「無茶だ、ましろ!」
「いい度胸ね、大河ましろ。今度は、手加減しないから!」
大きく、茜が踏み込んだ。

『あーっ! 出た、必殺の砕雲掌! しかしティグリス逃げない。何をする気だ?』

ましろは、砕雲掌をギリギリまで引きつけて、茜にヒザ蹴りを打ち込んだ。

ヒザは、茜のアゴにクリーンヒットした。
茜の首が、勢いよく後ろへ反れる。

『おっと! これはボマイエ! 掟破りのボマイエを叩き込んだ!』

このヒザには、もう一つ利点がある。
茜は左手で砕雲掌を放つ。
みぞおちを、ヒザでガードしたのだ。

作戦は完璧だった……茜が、ボマイエを予測して避けなければ。

茜は、わざとヒザ蹴りを食らって、後ろへ頭をそらしたのだ。

ましろのヒザをすり抜け、殺人的な威力を持つ掌打が迫る。

「捨て身!?」
「いい作戦だったけど、残念だったわね」

砕雲掌が、雲を砕く掌打が、ましろのみぞおちに食い込む。

重力がなくなり、意識が飛びそうになる。
身体がマットに沈んでいくのを、止められない。

雨ざらしとなったマットが、ましろの背中を濡らす。

『ティグリス、ダウン! カウントが入ります!』
雨に打たれながら、レフェリーのカウントを聞く。

やはり、自分では勝てない。長谷川茜という壁を、結局越えられなかった。

「しっかりしろ、ましろ!」
それでも諦めず、龍子がエールを送ってくるのが聞こえる。

うれしい。
でも、身体が起き上がるのを拒否している。

そのうち、少しだが、歓声が聞こえ始めた。
ティグリスを応援する声に混じって、ましろ自体を応援する声が。
その声は徐々に増えていく。

こんなにも、自分を応援してくれる人がいる。
ましろは、それだけで勇気が湧いてきた。

龍子は、この歓声のおかげで立っていられたのだ。

雨粒が、熱くなっていたましろの頭を、冷静にしていく。

呼びかけが、ましろに力を貸してくれる。
温かい声援が、全身に染み渡っていく。

このままでは終われない。

自分は、証明するんだ。
野良犬でも、虎になれるって。
脇役でも、主役になれる瞬間があるんだと。

負けっ放しの人生なんてないんだって。

『あっと、ティグリス立ち上がった! カウント八!』

起き上がり、身構える。
拳を固め、眼を見据えた。

「いいぞ行け、ましろ!」
龍子がガッツポーズを取ると、歓声が沸き上がる。

確かに感じた。
今の自分の後ろには、無数のファンがいる。
ただの学生で、売れない女優だったましろを、それでも応援してくれている人は確かにいるのだ。

「あなたには目標がない。だから勝てないのよ」

冷淡な茜の言葉を、笑顔を向けて跳ね返す。
茜に挑発されたところで、もう、ましろは動じない。

「何がおかしいの?」
「龍子やクロちゃん、他にも大勢の人が、ドラマを背負っていたと思います。わたしは、そのドラマを踏みつぶして、ここに立っています」
「申し訳ないと思うのだったら、道を譲ればいいのよ」
「だけど! 彼女たちの夢は、わたしの夢になったんです」

道を踏みしめているのは、自分の足だ。
だから、自分の歩く道に責任が持てる。
最初はただ歩かされているだけでも、信念を持って貫いていけば、その道は自分の道になるのだ。
どう歩いて行くか。それが問題。

「わたしの夢は、これから始まるんです。このトーナメントが終わってから。このドラマの撮影が終わってからが、わたしの始まりなのです」

「あなたは、ただ頂点を目指すだけじゃない。このトーナメントの先を見ているって事?」

「その通りです。そして、わたしの道は、茜さん、あなたを倒してからも続く……」

ましろは、腰を深く落とした。

「茜さん、どうして、お父さんがあなたに授けた技が、砕雲掌なのか、真剣に考えたことがありますか?」

大きく拳を腰より後ろへ引き、強く握り込む。

「その構えは……あなた、まさか」
そう。これは、砕雲掌の構えだ。

「あなたはこの技を、蹴り技にまで発展させた。『砕雲脚』と言いましょうか。並外れたセンスです。けれど、あなたのお父さんが本当に伝えたかったのは、砕雲掌の先なんです」

「砕雲掌の、先?」
茜は不愉快な顔を、ましろに向けた。
「そんなにわか仕込みの砕雲掌が、私に通じるとでも思ってるの?」

「わかりません。ですが、わかってもらえるとは思います。あなたは復讐なんかに囚われるべきではない。ジゼル南武だけに焦点を当てるべきじゃないんです」

茜は、鼻で笑う。
「私はジゼルを仕留めるためだけに、ここまで勝ち上がってきた! 今更、何を見ろというの!?」
茜がダッシュで襲いかかってきた。

避けようとしない。
むしろ、ましろは腰をさらに落とし、力を溜める。
手を虎の前足へと形作り、茜のみぞおちに焦点を絞り込む。

助走の付いた、古流の前蹴りが、ましろへと突き刺さる。
「これで終わりよ、大河ましろ!」

だが、ましろの狙いは、初めから前蹴りだった。
茜の脚めがけて、アッパー気味に掌打を打ち上げる。

「カウンター!?」
バク転の形となって、茜の身体が宙を舞う。
がら空きになった茜の背中に、「二発目の」砕雲掌を仕掛ける。

「砕雲掌、二連撃ですって!?」
「おおおおっ!」

真上に向けて、ましろは掌打を打ち込んだ。

砕雲掌の衝撃が、茜の背中を突き抜けるのがわかる。

茜の身体は、ましろに片手で担がれたような形のままになった。

目の前に広がった光景を見て、ましろは目を見張った。

偶然か必然か、波紋が広がるように雲がサッと晴れ、太陽が顔を覗かせたのだ。
あれがけ強かった雨が、サッと引いていく。
まるで光の階段ができあがったかのように。

晴れ渡る空に、ましろは目を奪われた。

まさか、砕雲掌が本当に雲を貫くなんて。

打ったましろ本人でさえ、思わず見とれてしまうほどの光景が広がった。
映画でさえ、ここまで美しい景色は撮れないだろう。

「これが、砕雲掌の、先?」
茜がつぶやく。

「そうです。茜さんのお父さんは、この光景を見せたかったんです。格闘技の道は、暗い空ばかりじゃないよ、って」

自分が死んでしまったら、茜は俯いたまま生きていく。そうならないように、茜の父親は、雲を晴れさせる技を伝授させたのだ。

本当にこの技が、雲を晴れさせたかなんて分からない。
けれど、ましろにはそう思えてならないのだ。この奇跡は、きっと偶然なんかじゃないと。

「父さん、これが、答えなの?」
茜は、ジゼル南武の方へ顔を向けた。

「母さんは、知ってたの? このこと」

ジゼル南武は何も答えようとしない。
だが、茜を見る瞳は、明らかに母親のそれだった。

途端に、茜の身体が脱力する。

茜の全体重が、一気に腕へと押し寄せてきた。

ましろは茜の身体を、肩へと抱く。
ゆっくりと、茜の身体をマットに横たえる。

レフェリーが、そのままダウンを取った。すぐさまカウントは中断され、審判はノックアウト判定を下す。

『試合終了! 激闘を制したのは、ホワイト・ティグリスだった! ご覧下さいこの大歓声! 誰もがティグリスの、大河ましろの勝利を讃えています』

放心状態のまま突っ立っていると、龍子が抱きついてきた。

「やったな、ましろ! とうとうやりやがった! やっぱり、あたしの思ってたとおりだったぜ、あんたは!」

龍子の体温を感じながら、ましろの意識は暗転し、深い闇へ潜り込む。

しかし、実に清々しい。

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