創作に役立たない、「映画の感想」

しーとみ@映画ディレッタント

誰もがフレディに魅了される、たった一つの理由 『ボヘミアン・ラプソディ』

厳格なゾロアスター教信者の両親に嫌気が差して、夜な夜なライブハウスに入り浸る主人公。
彼はちゃんとした名前があるが、「フレディ」を自称している。

ボーカルがいなくなったバンドに声をかけ、仲間に入る。
「出っ歯で歌えるのかよ?」とメンバーから言われたが、だからこそ音域が広かった。

「女王陛下(クイーン)」と名乗ったバンドは、サイケなファッションに身を包み、地下バンドから一気にスターへと上り詰めていった。

大手レコード会社と契約し、彼らが作り上げようとするのは、オペラのアルバムだ。

「アホか! 六分もラジオで流せるかい!」
プロデューサー激怒。

当時、「三分以上の音楽はラジオで流せない」、というルールが存在した。

「それなりの曲があるからええやん。これでいけや!」
と、別の曲を売り出そうとするプロデューサー。

クイーンは彼の元を離れ、更に高みを目指す。
だが、成功はフレディを段々と傲慢にしていく。
その矛先は、バンドメンバーにすら向けられて……。


元旦に見に行った。映画の日だったので。
見終わった後、歩いているオレの後ろで、すすり泣く声が多く聞こえた。

オレは二回泣きそうになった。

一つはのライブシーンを奥さんと一緒に見る場面だ。

フレディは、「言葉が通じない国(多分、東京かと)」で歌うのが不安だった。

その不安を客が吹き飛ばした。
一緒に歌ってくれたのだ。

それゆえに、その直後のゲイ告白シーンは切ない。


もう一つは、もちろんラストのライブシーンだ。

自分で歌ってるって聞いて、慌ててニュースをチェック。

本当に歌っているらしい。

「そうでなきゃ、臨場感が出ないからね」
と監督談。

徹底的なリアリティに拘った監督は、俳優たちに楽器まで演奏させたとか。


演奏シーンは、ほとんど自身で演奏しているらしい。

また、最後のライブシーンは、観客の視点を排除したという。

「フレディと一緒にライブに出ている、という感触を味わって欲しかった」

と、監督は語っている。

表題のボヘミアン・ラプソディだが、
「自身のゲイ告白を表現した歌」
との説もある。



この感想の完全版は、著者のブログ
『絶・対・に・創作の役に立たない映画評のブログ』
内にて。

もうちょっとだけ、内容に突っ込んだ評論をしている。

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