俺の描く理想のヒロイン像は少なくともお前じゃない

鳩子

Ⅰ.海月と防弾ガラス

ー6月28日(日)ー

 一段、また一段と階段を上る。

 グラウンドからテニスボールを打つ軽快な音が遠く聞こえる。懐かしい音だ。

 日曜日の人気ひとけのない学校というのは、やはり平日の時とは違う雰囲気で、どこかよそよそしさを感じてしまう。

 俺も部活そろそろ決めないとなぁ…。

 高校入学して早2ヶ月。いや、もうすぐ3ヶ月か?

 今年は例年よりも早く梅雨を迎え、季節は夏へと姿を変えていった。たしか、今日の最高気温も30度超えてたっけか?

 階段を上りきった頃には首筋にジワりと汗がみ出す。

 俺は未だにどこの部活に入るか決めあぐねていた。

 中学校の時はテニス部に所属していた。だからといって、高校もテニスを続ける気にはなれなかった。

 昔から飽きっぽかったせいか、どんなことをしても、精々1年かそこらでやめてしまう。そんなことをこの十数年間、繰り返してきた。

 文化部という手もあるが、まぁ、早急に決めなきゃ行けないことでもないし、今度考えるか。

 そんなことを思いながら俺は1-Bの教室のドアを開けた。

「____っ!?」

 ドアを開けた瞬間、どこか甘く爽やかな初夏の風が俺の体を包み込み、そして、後方へ流れていった。

 香水?柔軟剤?どっちにしろ、嫌な香りじゃない。

 さりげなく主張してくる優しく心地よい香りがその風に混じって俺の鼻をくすぐった。

 目の前のカーテンがゆらりゆらりと優しい風に煽られ、はためいている。

 軽やかに躍動するカーテンはさながら海月くらげのようだ。その膨張した体に名一杯の夕陽を集めている。

 そして、そのカーテンの中に人影が1つ。夕日に照らされ濃く、淡く映し出されている。

 その影を辿る様に下を向くと、ニーソックスを履いた足がなまめかしくスラリと伸びている。

 部活動かな?よそ者はさっさと忘れ物取って退散しますか。

 俺は足早に歩き、机から数学の問題集を回収する。

 出口であるドアの方へ向かおうとしたその時____。

「ねぇ」

 俺は唐突に発せられた声に若干、驚く。

 声の方へ顔を向ける。ニーソックスの彼女だ。

 だが、彼女は相変わらずカーテンの奥に居て顔は見えない。カーテンの奥の影も動いている様子はない。

「えっと…俺?」

 この場には俺しか居ないというのに、マヌケな質問で俺は彼女の言葉に答えた。

「……」

 彼女からの返答はない。

 もしかして、聞き間違いだったか?自意識過剰だったか?

 教室内は静寂に包まれる。というか、もともと静かだったのだが、音が発せられたことでより静寂の存在感が増した。

 俺は止めた足を再びドアの方に向ける。

「私、明日ここに転入することになったらしいの」

「え?」

 教室と廊下の境目で俺はまたも彼女の言葉で動きを止めた。

「私、明日ここに転入することになったの」

「そうなんだ。こんな時期に珍しいね」

 俺は答える。

 あと数週間で夏休み。普通、転入とかって夏休み明けとかだろ?それも、こんな入学して早々。

 まぁ、でも季節外れの転入生ってのもラノベっぽくて嫌いじゃないけどさ。

「私、明日ここに転入することになったの」

 あれ?

 彼女は録音機を再生する様に、まったく同じトーンで、至って平然と、むしろ平然すぎて感情の読めない声で言う。もっと言うなら無機質な声で。

「いやいや、もうそれ聞いたよ」

 彼女の言動が可笑しくなって俺は笑い混じりに言う。

「違うでしょ?」

「え?」

「違うでしょ?」

 また同じ言葉を無機質な声で録音機の様に彼女は繰り返す。

「な、なにが?」

 理解が追いつかない。

「こういう時は『そうなんだ。なら俺が明日、学校を案内してあげるよ。手取り足取り色々と教えてあげよう』、でしょ?」

 何やら含みのある言い方で彼女は言う。声色を男の様に低くして。俺の声を真似したつもりか?

 だが、今の返答で更に彼女が何を言っているか分からなくなった。

「ごめん。ちょっと何言ってるかわからない」

「鈍いわね。私を案内してと言っているのよ。しなさいと言っているのよ」

「命令形…。まぁ、それは全然いいんだけどさ、なんで俺?もしかして、どこかで会ったことあったっけ?」

 やけに馴れ馴れしい口調の彼女に俺はどこか親近感というか、昔馴染みにあった様な感覚に襲われた。

 それに、不思議とその傲慢な言葉とは裏腹に話し方からは一切の悪意の一切を感じない。だからだろうか。苛立ちもあまりない。

「ないわ。これから会うのよ」

 彼女は言う。

「えっと、それはつまり今、初めて会ったってことだよね?」

「あなたはそうよ。でも、私はあなたを昔から知っている。あなたは私をこれから知っていく」

 何それ怖い。ストーカー的なやつ…?

「ストーキングしていたとか、そう言う意味ではないわ。あなたみたいな人はタイプではないから」

 彼女は俺の心を見透かした様に言う。というか____。

「今日初めて会った人にタイプじゃないとか言われても…」

 悪意は感じなくとも少し傷つく…。

 それに、彼女はまだ一度もカーテンから出てきていない。俺の顔すらも見ずに俺はタイプじゃない発言された。

 俺はさっきからカーテンと会話のキャッチボールをしているってことか。

「だから、言っているでしょ?」

 すると、カーテンが大きく揺らめく。そして、まるでまゆから蝶が羽化したかのように、見慣れた俺たちの学校の制服を着た彼女は現れた。

 彼女の登場は妖精の出現を思わせるほどに美しく、幻想的だった。

「____っ!」

 俺は息を呑む。

 彼女を一言で表すなら…ガラス。

 透き通るように白い肌。淡い桃色の頬と唇。鋭い光を放つ明鏡止水の如く静かな翡翠ひすいの色の瞳。

 しかし、驚くべきはその髪の色だった。

「…白い」

 思わず口に出してしまった。

 だが、彼女は俺の言葉など気にもせず仁王立ち、そして、相も変わらず俺を見ていた。見据えていた。見透かしていた。

 光の反射か?

 肩甲骨あたりまで伸び、毛先が軽くカールした髪は夕陽をまといやや黄色味を帯びている。だが、いくら見てもそれは白かった。

「これはね、母の血らしいわ」

 少しの時差を経て、軽くカールした毛先をくるくると指に巻きつけながら彼女は言う。

 自分の母親のことなのに、まるで他人のような言い方。

 触れてしまえば簡単に壊れてしまいそうな存在の儚さと、その儚さをかばうような強烈なプレッシャーを放つオーラをまとった少女。

 しかし、少女というには幼さをあまり感じない。むしろ、女性といった方がしっくりくる。

 彼女は総じて美しく、そして凛々しかった。

 先ほどの言葉を訂正するとしよう。彼女を一言で表すなら防弾ガラス。

「私はあなたを知っている。あなたは私をこれから知る。あなたはこれから私になるのかな」

 これは、さっきの“初めて会った人”に対しての言葉なのだろうか?もしそうだとしても…。

「ごめん、やっぱり分からないや」

「……」

 ジッと俺を見つめる彼女の瞳の静けさは決して揺らぐことはなかった。ただジッと“俺”を見つめている。

 夕日が彼女の顔に影を落とす。目鼻立ちのくっきりとした彼女の顔には、常人よりも大きな影が浮かび上がる。

 表情ひとつ変えていないはずの彼女の顔が険しくなったように感じる。

 女子と会話することに慣れていないわけではないのだが、正直、得意ではない。だからこそ、この状況は俺にとって苦でしかない。こんな綺麗な子だったとしても。むしろ、綺麗な子だからこそ、息苦しい。

「私は紫陽花坂あじさいざか れん

「紫陽花坂…」

 俺はポツリと復唱する。やはり、知らない名前だ。珍しい名前だし忘れるとは思えない。初対面なのは確かだ。

 だが、苗字も名前も日本のものだ。そこが気になったが、さすがにその理由を聞くほど俺は野暮ではない。

「……」

 紫陽花坂は俺の顔をジッと見つめる。

 数秒で俺はその視線の意図に気づいた。

「えっと…俺は___」

露葉奈つゆはな 詩乃(しのの)」

「え?」

 俺は驚愕の声を漏らす。彼女が口にした言葉こそ俺の名前だったからだ。

「なんで、俺の名前…」

「知りたい?」

 俺は恐る恐る首を縦に振る。何やらとんでもないことを訊こうとしている様な気がした。

「ふふ、やっぱり止めたわ。ここで話してしまったらつまらないもの」

 口角が上がる彼女の表情は不思議と笑っている様に見えない。なぜだろう?

 その答えはすぐに分かった。

 目が死んでいるからだ。

「それにしても詩乃って面白い名前よね」

「お互い様だよ」

 俺は自虐の様に聞こえる紫陽花坂の言葉に苦笑しつつ言う。

「可愛い名前ね」

 無表情な声で彼女は言う。

「可愛いって言ってくれるのはありがたいけど、男としては嬉しくはないな」

「あら、そこは『お互い様だよ』とは言ってくれないのね」

 またも平然と声色を男のように低くする。言うまでもなく無表情で。

 コイツ、人形みたいなやつだな。

「名前が可愛くたって名前負けしちゃ意味ないだろ?」

 俺は少し意地悪っぽく言う。

「肩書き風情に負けてなんていないわ。むしろ、全てにおいて凌駕しているわよ?」

 彼女は同世代と比べれば豊満ほうまんな胸を張りながら、しかし、やはり表情ひとつ変えずに言う。

「自分で言うなよ…」

 なんとなくコイツがどういう奴か分かった気がした。

「んじゃ、また明日、学校で」

 俺は軽く手を振りきびすを返す。

「……」

 背中越しに彼女からの返答を期待したが、そのささやかな願いは叶わなかった。

 防弾ガラス系美少女といくつかの謎を残し、俺は教室から廊下へと足を踏み出した。

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