すわんぷ・ガール!
55話 慟哭
レオンに付き添われて、俺は部屋を出ると、そこにアイラが居た。普通にメイド姿で。
アイラは俺を見た瞬間、目を見開いて驚いた。
「お姉様!起きられたんですね!」
「ん、なんか何度もすまん。心配かけた」
前回同様、飛びついてきたアイラを、仕方なく抱き留めながら俺は声をかける。
とりあえずアイラは元気そうだ。何となく頭をなでながら、安心する。そうかといえば実際心配かけたのは俺の方なので、烏滸がましいにも程があるが。
一頻り俺の胸に顔を埋めてぐりぐりしたあと、アイラは急に何かを思い出したように顔を上げた。
「お、お姉様。パルミラが」
「ああ、知ってる。大体聞いた」
最初にあてがわれた、俺たちの部屋。俺、パルミラ、アイラの順だ。
その部屋に、今現在もパルミラは居るという。
つまりレオンは抜刀の事実を、ほぼ不問にしたという事だ。ほぼ、というのは、流石に剣だけはアーリィの提言もあり、取り上げたらしい。
あの晩、騒動が鎮まってからパルミラは酷くふさぎ込み、部屋から出てこなくなったということだった。ショックではあったがそれでも比較的ましだったアイラが、日に数度、確認と世話を行っているという話だった。
「そうか……なんかアイラばかりに心配かけてるな。すまなかった」
「ううん。いいんです。それよりもお姉様。パルミラを……」
「わかってる。後は、まかせてくれ」
あの時、レオンの正体を聞いたパルミラの様子は、尋常では無かった。まさかあそこでパルミラがあれほどの反応を見せるとは予想もしなかった。
つまり、パルミラは自らの国を滅ぼした存在そのものを前に、何かしら許せないものがあったのだろう。
正直、わからなくもない。
故郷などもうないと思ってみても、確かに俺だって皇国の王子とかを目の前にした場合、正気で居られるかどうか定かでは無い。
「レオン、ごめん。ここからは一人で」
「わかっていますよ」
嘆息しつつも優しく微笑んで頷くレオン。
それを見て、ふと俺はレオンに手を伸ばし、レオンの頬に触れた。
「な……どうしたのですか?」
「いや、うん、いいんだ。行ってくる」
すぐに手を引っ込める。
何となくあの晩に、意識が暗転する前、レオンに触れられなかったことを思い出しただけだった。動揺しまくるレオンを放置して、その体温を手のひらに満足した俺はパルミラの部屋のドアをノックする。
「パルミラー、入るぞー」
あえてぞんざいな口調でそう告げて、ノブを回す。
ドアには鍵はかけられていなかった。勿論、外からも。ノブを回すだけで、それは簡単に開いた。
ドアの向こうは、真っ暗だった。
いや、奥にあるカーテンが閉められているだけだった。その隙間から、うっすらと陽光が部屋に差し、僅かながらに部屋を完全な暗闇とすることを防いでいる。
パルミラは、ベッドに座っていた。
その姿は如何にも虚ろで、生気が抜けていた。ややうつむき加減で、その目は開いているものの、何時もの鋭く射貫くような眼光では無く、壁と床の間をぼんやりと見つめているだけだった。
髪は乱れ、服も着崩れ、でも微動だにしないそれは、壊れた人形のようでもあった。やや、やつれているようにも見える。
「―――っ」
その余りの痛々しい光景に、俺は息を飲んだ。それは今にも崩れ落ちそうな程に、不安定に見える。
危険だ。直感が俺に告げる。
俺はレオンとアイラをちらりと見て頷いてから、部屋の中に歩を進めた。後ろ手に扉を閉める。再び部屋が暗くなったが、気にしない。今は、大きく刺激しない方が良い。
俺は、それでも全く反応を示さないパルミラの側にゆっくりと歩いて行く。そのまま、声を掛けずに、そして自然にパルミラの横、ベッドに腰掛けた。
「パルミラ」
その横顔に、そっと声をかける。
反応は無い。
「―――パルミラ」
もう一度、優しく声をかける。そうすると、ぴくりと眉が動いた。その焦点をも定かでは無かった視線が像を結び、そしてゆっくりとこちらを向く。
「……クリス?」
視線が合う。俺は頷きながら微笑み、それに答えた。
「ああ、おはよう、パルミラ」
あの時、剣を抜いたパルミラの姿。混乱しながらも、そうしなければならなかった気持ち。ともすれば、それでも帝国に恨みがあったのかも知れない。
帝都には行きたくない。
パルミラはそう言った。それでも俺に着いていくと言ったものの、それは無理をしていたのかも知れない。
馬車の中、帝都を見る事もせず、馬車に籠もっていた。それを俺は、帝都に行きたくないという言葉通りに思っていたものの、パルミラの中ではもっと大きな感情があって、そうやって堪えていたのかも知れない。
それを、俺はわかってやれただろうか。
いや、わかってなどいない。そのぶっきらぼうな物言いを、額面通り受け取って、俺は、それで了解したつもりになっていた。
そうでは、なかったのだろう。
その朴訥さの向こう側を、俺は想像することもしなかった。
「クリス、私は……」
「うん」
「私は……」
パルミラが、俺に何かを伝えようとしている。だが、上手く語ることができないのか、二の句が続いてこない。
その目に葛藤が映る。
きっと言いたいことが一杯あるのだろう。伝えたいことが、わかって欲しい事が、沢山あるのだろう。
それが多すぎて、或いは、伝えられるかどうかを恐れて、二言目を迷っている。
俺には、それがそう見えた。
長い沈黙が流れる。
パルミラの視線は、外へ内へと忙しなく乱れる。
不安で不安で、仕方がない。そうした表情だった。
だから。
「パルミラ。いいんだ。好きなように言ってくれ。聞くよ。なんでもだ」
我ながら、散文的な言葉だとは思う。でも、俺はパルミラがそうして伝えようとする何かを知りたかった。わかってやりたかった。理解したかった。
わかっている。全部理解出来るかは定かでは無い。
それでも。
それでも、話して欲しい。
きっと、話さず諦めるよりは、ずっとわかることが出来るはずだから。
「私は―――」
「―――私には姉が、いた。親のことはわからない。だから、私の唯一の肉親が、姉だった。私達は、物心ついた頃から戦争の最中にあって、そして当たり前のように、剣をもって、敵と戦った」
俺の言葉に触発されたのか、意を決したように、パルミラはぽつぽつと話し始める。
それは、彼女の戦争の記憶。以前聞いた話の巻き直しだった。
それでも、俺は何も言わず、彼女の言葉に耳を傾ける。
「それが当たり前だったし、それしか教えられなかった。私達は私達以外の何も無かった。笑い合えるのも、慰め合うのも。分かり合えるのも。でも―――そんな姉は死んでしまった。あっさりと、私の目の前で。私を、かばったから。私が不用意だったから。軽率だったから。私のせいで、姉は死んだ。優しかった。強かった。憧れだった。私の、全てだった……そんな姉の、面影はもう朧気で、思い出すことも出来ない」
姉が居たのか。
改めて聞くパルミラの過去は、やはり壮絶だった。
戦争こそ日常。それが全て。人の生き死にも、当たり前のように目にしただろう。
だからこそ、たった一人の姉が大切で依るところだったはずだ。
しかし現実は他の全てと平等にそれを奪ってしまった。
それを、わかってしまう。
俺だって、何度も戦争には行った。
最初の一人目を殺したときは、よく覚えている。
多分三十か四十ぐらいのベテランっぽいおっさんだった。
それは、存外にあっさりと為された。俺は剣を振り、男は斃れた。それだけだった。
でも、そこまで生きてきた三十年。或いは四十年。そしてこれから生きるはずだった何十年を、俺は奪ってしまった。敵だから、などと、あっさり割切れなどしなかった。
その人生は多分、俺が積み上げた何十年と、そう変わらなかっただろう。
その男が生まれた日のこと。
嬉しく思ったこと。悲しく思ったこと。悩んだだろうこと。笑ったこと。ひょっとすると、恋人が居たかも知れない。結婚していたかもしれない。子供が居たかも知れない。男が大切に思い、男を大切に思う誰かが居たかも知れない。
そうした積み重ねられた全てを、俺はあっさりと奪った。
それが、途轍もなく恐ろしかった。
奪われる事は知っていた。だが奪う事の怖さは知らなかった。
そうした気持ちは、二人目、三人目と重ねるうちに、考えなくなってしまった。
それが正しいとか悪いとかは、関係なくて、そうしなければ、生きれなかったからだ。
今改めて思う。
あっさりと死んでいった、俺の殺した者達。
きっと、パルミラのように。或いは、その姉のように、たくさんのものがあったに違いない。
だが、そこでは、思ってはならない。考えてはいけない。
それが当たり前のように潰える。それが戦争だった。
「私は突然、全てを失ってしまった。もう、私は笑い合うこともできない。慰め合うことも。分かり合うことも。それでも……!」
言葉を、止める。
一瞬パルミラはぶるっと震えた。それは何かを堪えるようでもあった。
「泣き言なんて、言ってられない。どんどん人は死んでいく。それでも、それでも、私は知って欲しかった。哀しみを、苦しさを、つらさを。わかって欲しかった。そうやって努力をした。言葉を尽くして、態度をを示して、でも、だれもわかってはくれない。理解してくれない。そんな余裕なんかみんな無くて、そして死んでいく。戦争が、そして帝国が憎かった。私の姉を、私の大切な理解してくれる人を、機会を、余裕を、思いを、すべて削ってしまった。私は何もかもをも無くした。私はわかってもらえない。理解されない。だから、理解されようとしてはいけない。わかってもらおうとしてはいけない。より辛く、哀しくなるだけ。私は、独りぼっちだ。理解されない私は、何をしたらいいのかわからない。それを聞くこともできない」
次々と、言葉が溢れ出る。
それはおよそパルミラらしくない、取り留めの無い言葉の羅列。
だが、それだけに鬼気迫るものがある。
戦争の果て、家族を失い、故郷を失い、そして流れる。
それは俺と同じだった。その記憶は、俺の中に爪痕のように強く残っている。
失うものがあった。哀しみがあった。後悔もあった。
それは言葉だけでは、とても相手に伝えることが出来ない。きっと、あらゆる手段を持ってしても、この心の内の全てを知らせることは、無理だろう。
それはパルミラにしても同様で、だからこそ、アイリンとのお茶会の席、あっさりと言葉を切ったのかもしれない。
「それなのに、私はまた失いそうだった。私の勝手な気持ちで、私だけの思いで。クリスを無くしてしまいそうだった。私は。私は―――いやだ。もう何も無くしたくないのに。私の大切なものが―――どうして?!」
「パルミラ」
ふるふると震えながら、渋り出すようにか細く、パルミラは叫んだ。
それでも無表情な彼女を、俺はそっと抱きしめる。
全部をわかってやれないかもしれない。
全てを理解出来ていないかも知れない。
勘違いしているかもしれない。
それでも、わかることがある。
今、必要なのは、受け止めること。
そして、彼女を感じること。ほんの少しでも多く、自分の中に覚えるということ。
「いいんだ。パルミラ。わかっているから。俺が、わかっている。大丈夫」
「わ、わたし、私は……私が!」
「わかって、いるから」
だから。
もっと、お前を教えてくれ。パルミラ。
促すように、パルミラの目をのぞき込んだ。怯えるような、その瞳。
―――その瞳の色が、変わる。
「辛い顔をしていたら心配してくれますか?!
悲しんでいたら、同情してくれますか?!
苦しんでいたら、思いやってくれますか?!
泣いていたら―――許してくれますか?!
うわ、あ、あ、うわあああああん!あああ!あああああああああ!」
初めて大きく表情を崩したパルミラの双眸から、大粒の涙が流れ出す。ぼろぼろと零れるそれは、泣き叫ぶパルミラの声と共に、溢れてやむことはない。
でもそれでいい。そのほうがいい。
嬉しいときは、笑ったほうがいい。哀しいときは、泣いたほうがいい。
心に溜め込んで、抱え込むには、きっと一人では重すぎるから。
「ごめんなさいお姉さん!ごめんなさぁい!ごめんなさい!クリス!うあああ!あああああああん!」
謝りながら泣き続けるパルミラを、俺は強く抱きしめた。
人一倍頑張り屋で、強かったパルミラは、臆病だった。
理解されたがって、そして理解されないのを恐れた。
だから、最初から理解されないように、無表情を貫いて、そして感情を表に出すことも無い。
でも、知って欲しい。
わかって欲しい。
独りぼっちは寂しくて、哀しいから。
結局の所、俺がパルミラの全てを理解出来たかと言えば、多分出来ていないだろうと思う。
わかったと思うところも、勘違いなのかもしれない。
だけど、今、泣いている彼女を抱きしめてやることはできる。
俺は黙って、パルミラを抱き、そして頭を撫でてやった。
今だけは、きっと子供扱いをしても、怒りはしないだろう。
それが今一番わかっている、間違いの無い想像だった。
そっと、扉を開けて外に出る。
そこには、未だレオンとアイラが立っていた。
「お姉様?!パルミ―――」
俺の姿に驚いたアイラが叫びだしそうになるのを、俺は彼女の口を素早く手のひらで押さえることで止める。
そしてもう片方の手の指先を、自分の口に当てた。
「ん」
アイラが黙ったのを見て、手を離し、後ろ手に扉を閉める。その一瞬の隙間から、部屋のベッドで眠るパルミラが見えた。
おやすみ。
パタンと、扉を閉じた。
アイラは俺を見た瞬間、目を見開いて驚いた。
「お姉様!起きられたんですね!」
「ん、なんか何度もすまん。心配かけた」
前回同様、飛びついてきたアイラを、仕方なく抱き留めながら俺は声をかける。
とりあえずアイラは元気そうだ。何となく頭をなでながら、安心する。そうかといえば実際心配かけたのは俺の方なので、烏滸がましいにも程があるが。
一頻り俺の胸に顔を埋めてぐりぐりしたあと、アイラは急に何かを思い出したように顔を上げた。
「お、お姉様。パルミラが」
「ああ、知ってる。大体聞いた」
最初にあてがわれた、俺たちの部屋。俺、パルミラ、アイラの順だ。
その部屋に、今現在もパルミラは居るという。
つまりレオンは抜刀の事実を、ほぼ不問にしたという事だ。ほぼ、というのは、流石に剣だけはアーリィの提言もあり、取り上げたらしい。
あの晩、騒動が鎮まってからパルミラは酷くふさぎ込み、部屋から出てこなくなったということだった。ショックではあったがそれでも比較的ましだったアイラが、日に数度、確認と世話を行っているという話だった。
「そうか……なんかアイラばかりに心配かけてるな。すまなかった」
「ううん。いいんです。それよりもお姉様。パルミラを……」
「わかってる。後は、まかせてくれ」
あの時、レオンの正体を聞いたパルミラの様子は、尋常では無かった。まさかあそこでパルミラがあれほどの反応を見せるとは予想もしなかった。
つまり、パルミラは自らの国を滅ぼした存在そのものを前に、何かしら許せないものがあったのだろう。
正直、わからなくもない。
故郷などもうないと思ってみても、確かに俺だって皇国の王子とかを目の前にした場合、正気で居られるかどうか定かでは無い。
「レオン、ごめん。ここからは一人で」
「わかっていますよ」
嘆息しつつも優しく微笑んで頷くレオン。
それを見て、ふと俺はレオンに手を伸ばし、レオンの頬に触れた。
「な……どうしたのですか?」
「いや、うん、いいんだ。行ってくる」
すぐに手を引っ込める。
何となくあの晩に、意識が暗転する前、レオンに触れられなかったことを思い出しただけだった。動揺しまくるレオンを放置して、その体温を手のひらに満足した俺はパルミラの部屋のドアをノックする。
「パルミラー、入るぞー」
あえてぞんざいな口調でそう告げて、ノブを回す。
ドアには鍵はかけられていなかった。勿論、外からも。ノブを回すだけで、それは簡単に開いた。
ドアの向こうは、真っ暗だった。
いや、奥にあるカーテンが閉められているだけだった。その隙間から、うっすらと陽光が部屋に差し、僅かながらに部屋を完全な暗闇とすることを防いでいる。
パルミラは、ベッドに座っていた。
その姿は如何にも虚ろで、生気が抜けていた。ややうつむき加減で、その目は開いているものの、何時もの鋭く射貫くような眼光では無く、壁と床の間をぼんやりと見つめているだけだった。
髪は乱れ、服も着崩れ、でも微動だにしないそれは、壊れた人形のようでもあった。やや、やつれているようにも見える。
「―――っ」
その余りの痛々しい光景に、俺は息を飲んだ。それは今にも崩れ落ちそうな程に、不安定に見える。
危険だ。直感が俺に告げる。
俺はレオンとアイラをちらりと見て頷いてから、部屋の中に歩を進めた。後ろ手に扉を閉める。再び部屋が暗くなったが、気にしない。今は、大きく刺激しない方が良い。
俺は、それでも全く反応を示さないパルミラの側にゆっくりと歩いて行く。そのまま、声を掛けずに、そして自然にパルミラの横、ベッドに腰掛けた。
「パルミラ」
その横顔に、そっと声をかける。
反応は無い。
「―――パルミラ」
もう一度、優しく声をかける。そうすると、ぴくりと眉が動いた。その焦点をも定かでは無かった視線が像を結び、そしてゆっくりとこちらを向く。
「……クリス?」
視線が合う。俺は頷きながら微笑み、それに答えた。
「ああ、おはよう、パルミラ」
あの時、剣を抜いたパルミラの姿。混乱しながらも、そうしなければならなかった気持ち。ともすれば、それでも帝国に恨みがあったのかも知れない。
帝都には行きたくない。
パルミラはそう言った。それでも俺に着いていくと言ったものの、それは無理をしていたのかも知れない。
馬車の中、帝都を見る事もせず、馬車に籠もっていた。それを俺は、帝都に行きたくないという言葉通りに思っていたものの、パルミラの中ではもっと大きな感情があって、そうやって堪えていたのかも知れない。
それを、俺はわかってやれただろうか。
いや、わかってなどいない。そのぶっきらぼうな物言いを、額面通り受け取って、俺は、それで了解したつもりになっていた。
そうでは、なかったのだろう。
その朴訥さの向こう側を、俺は想像することもしなかった。
「クリス、私は……」
「うん」
「私は……」
パルミラが、俺に何かを伝えようとしている。だが、上手く語ることができないのか、二の句が続いてこない。
その目に葛藤が映る。
きっと言いたいことが一杯あるのだろう。伝えたいことが、わかって欲しい事が、沢山あるのだろう。
それが多すぎて、或いは、伝えられるかどうかを恐れて、二言目を迷っている。
俺には、それがそう見えた。
長い沈黙が流れる。
パルミラの視線は、外へ内へと忙しなく乱れる。
不安で不安で、仕方がない。そうした表情だった。
だから。
「パルミラ。いいんだ。好きなように言ってくれ。聞くよ。なんでもだ」
我ながら、散文的な言葉だとは思う。でも、俺はパルミラがそうして伝えようとする何かを知りたかった。わかってやりたかった。理解したかった。
わかっている。全部理解出来るかは定かでは無い。
それでも。
それでも、話して欲しい。
きっと、話さず諦めるよりは、ずっとわかることが出来るはずだから。
「私は―――」
「―――私には姉が、いた。親のことはわからない。だから、私の唯一の肉親が、姉だった。私達は、物心ついた頃から戦争の最中にあって、そして当たり前のように、剣をもって、敵と戦った」
俺の言葉に触発されたのか、意を決したように、パルミラはぽつぽつと話し始める。
それは、彼女の戦争の記憶。以前聞いた話の巻き直しだった。
それでも、俺は何も言わず、彼女の言葉に耳を傾ける。
「それが当たり前だったし、それしか教えられなかった。私達は私達以外の何も無かった。笑い合えるのも、慰め合うのも。分かり合えるのも。でも―――そんな姉は死んでしまった。あっさりと、私の目の前で。私を、かばったから。私が不用意だったから。軽率だったから。私のせいで、姉は死んだ。優しかった。強かった。憧れだった。私の、全てだった……そんな姉の、面影はもう朧気で、思い出すことも出来ない」
姉が居たのか。
改めて聞くパルミラの過去は、やはり壮絶だった。
戦争こそ日常。それが全て。人の生き死にも、当たり前のように目にしただろう。
だからこそ、たった一人の姉が大切で依るところだったはずだ。
しかし現実は他の全てと平等にそれを奪ってしまった。
それを、わかってしまう。
俺だって、何度も戦争には行った。
最初の一人目を殺したときは、よく覚えている。
多分三十か四十ぐらいのベテランっぽいおっさんだった。
それは、存外にあっさりと為された。俺は剣を振り、男は斃れた。それだけだった。
でも、そこまで生きてきた三十年。或いは四十年。そしてこれから生きるはずだった何十年を、俺は奪ってしまった。敵だから、などと、あっさり割切れなどしなかった。
その人生は多分、俺が積み上げた何十年と、そう変わらなかっただろう。
その男が生まれた日のこと。
嬉しく思ったこと。悲しく思ったこと。悩んだだろうこと。笑ったこと。ひょっとすると、恋人が居たかも知れない。結婚していたかもしれない。子供が居たかも知れない。男が大切に思い、男を大切に思う誰かが居たかも知れない。
そうした積み重ねられた全てを、俺はあっさりと奪った。
それが、途轍もなく恐ろしかった。
奪われる事は知っていた。だが奪う事の怖さは知らなかった。
そうした気持ちは、二人目、三人目と重ねるうちに、考えなくなってしまった。
それが正しいとか悪いとかは、関係なくて、そうしなければ、生きれなかったからだ。
今改めて思う。
あっさりと死んでいった、俺の殺した者達。
きっと、パルミラのように。或いは、その姉のように、たくさんのものがあったに違いない。
だが、そこでは、思ってはならない。考えてはいけない。
それが当たり前のように潰える。それが戦争だった。
「私は突然、全てを失ってしまった。もう、私は笑い合うこともできない。慰め合うことも。分かり合うことも。それでも……!」
言葉を、止める。
一瞬パルミラはぶるっと震えた。それは何かを堪えるようでもあった。
「泣き言なんて、言ってられない。どんどん人は死んでいく。それでも、それでも、私は知って欲しかった。哀しみを、苦しさを、つらさを。わかって欲しかった。そうやって努力をした。言葉を尽くして、態度をを示して、でも、だれもわかってはくれない。理解してくれない。そんな余裕なんかみんな無くて、そして死んでいく。戦争が、そして帝国が憎かった。私の姉を、私の大切な理解してくれる人を、機会を、余裕を、思いを、すべて削ってしまった。私は何もかもをも無くした。私はわかってもらえない。理解されない。だから、理解されようとしてはいけない。わかってもらおうとしてはいけない。より辛く、哀しくなるだけ。私は、独りぼっちだ。理解されない私は、何をしたらいいのかわからない。それを聞くこともできない」
次々と、言葉が溢れ出る。
それはおよそパルミラらしくない、取り留めの無い言葉の羅列。
だが、それだけに鬼気迫るものがある。
戦争の果て、家族を失い、故郷を失い、そして流れる。
それは俺と同じだった。その記憶は、俺の中に爪痕のように強く残っている。
失うものがあった。哀しみがあった。後悔もあった。
それは言葉だけでは、とても相手に伝えることが出来ない。きっと、あらゆる手段を持ってしても、この心の内の全てを知らせることは、無理だろう。
それはパルミラにしても同様で、だからこそ、アイリンとのお茶会の席、あっさりと言葉を切ったのかもしれない。
「それなのに、私はまた失いそうだった。私の勝手な気持ちで、私だけの思いで。クリスを無くしてしまいそうだった。私は。私は―――いやだ。もう何も無くしたくないのに。私の大切なものが―――どうして?!」
「パルミラ」
ふるふると震えながら、渋り出すようにか細く、パルミラは叫んだ。
それでも無表情な彼女を、俺はそっと抱きしめる。
全部をわかってやれないかもしれない。
全てを理解出来ていないかも知れない。
勘違いしているかもしれない。
それでも、わかることがある。
今、必要なのは、受け止めること。
そして、彼女を感じること。ほんの少しでも多く、自分の中に覚えるということ。
「いいんだ。パルミラ。わかっているから。俺が、わかっている。大丈夫」
「わ、わたし、私は……私が!」
「わかって、いるから」
だから。
もっと、お前を教えてくれ。パルミラ。
促すように、パルミラの目をのぞき込んだ。怯えるような、その瞳。
―――その瞳の色が、変わる。
「辛い顔をしていたら心配してくれますか?!
悲しんでいたら、同情してくれますか?!
苦しんでいたら、思いやってくれますか?!
泣いていたら―――許してくれますか?!
うわ、あ、あ、うわあああああん!あああ!あああああああああ!」
初めて大きく表情を崩したパルミラの双眸から、大粒の涙が流れ出す。ぼろぼろと零れるそれは、泣き叫ぶパルミラの声と共に、溢れてやむことはない。
でもそれでいい。そのほうがいい。
嬉しいときは、笑ったほうがいい。哀しいときは、泣いたほうがいい。
心に溜め込んで、抱え込むには、きっと一人では重すぎるから。
「ごめんなさいお姉さん!ごめんなさぁい!ごめんなさい!クリス!うあああ!あああああああん!」
謝りながら泣き続けるパルミラを、俺は強く抱きしめた。
人一倍頑張り屋で、強かったパルミラは、臆病だった。
理解されたがって、そして理解されないのを恐れた。
だから、最初から理解されないように、無表情を貫いて、そして感情を表に出すことも無い。
でも、知って欲しい。
わかって欲しい。
独りぼっちは寂しくて、哀しいから。
結局の所、俺がパルミラの全てを理解出来たかと言えば、多分出来ていないだろうと思う。
わかったと思うところも、勘違いなのかもしれない。
だけど、今、泣いている彼女を抱きしめてやることはできる。
俺は黙って、パルミラを抱き、そして頭を撫でてやった。
今だけは、きっと子供扱いをしても、怒りはしないだろう。
それが今一番わかっている、間違いの無い想像だった。
そっと、扉を開けて外に出る。
そこには、未だレオンとアイラが立っていた。
「お姉様?!パルミ―――」
俺の姿に驚いたアイラが叫びだしそうになるのを、俺は彼女の口を素早く手のひらで押さえることで止める。
そしてもう片方の手の指先を、自分の口に当てた。
「ん」
アイラが黙ったのを見て、手を離し、後ろ手に扉を閉める。その一瞬の隙間から、部屋のベッドで眠るパルミラが見えた。
おやすみ。
パタンと、扉を閉じた。
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