すわんぷ・ガール!

ノベルバユーザー361966

36話 見るに星辰、聞こえるに寧静

 目が覚めると、既に日が落ちていた。


 馬車の窓は開け放たれていて、そこから柔らかな金色の光が差し込み、室内の床に窓と同じ真四角の明かりを落としている。
 馬車の中もそして外も、静寂に満ちていて、いっそそれが耳に痛いほどだ。動くものは何も無く、ただただ、外から差し込む月の光だけが目に映る全てかのように見える。


 俺は目をこすり、体を起こした。自分に掛けられていたらしい毛布がずるりと床に落ちる。


 よく寝た。夢を見ないほどに。


 そろそろ新しい夢を見るのかなどと脈絡も無く思っていたのに、最近になって全く見ていない。
 ひょっとしたら覚えていないだけかもしれない。それがいかに『クリス』の記憶をなぞる夢であっても、所詮夢は夢でしか無い。そしてそれは、目が覚めて呆けている間に、千々にばらけて消えていくものだ。


 寝台兼用の、浅い座椅子から降りる。
 馬車内を見回すと、床と、反対側の座椅子に、それぞれアイラとパルミラが寝ている。よく寝ているようで、俺が起きてもむずがる様子一つもしない。
 馬車の旅が始まった頃は、アイラなどはどうにも寝付けなくて苦労していたようだったが、今では慣れてしまったのか、床でスヤスヤと寝ている。毛布一枚に包まって寝ているその姿が、何となく寒そうに見えたので、自分の布団をその上から掛けてやった。


 そのまま、なるべく足音を立てないように、そっとアイラを躱しながら、馬車の後ろまで移動する。そして、出来るだけゆっくりと扉を開けた。
 扉の隙間から、月の光が差し込んでくる。それは最初は零れるように。そして開けるにつれて溢れるかのように、馬車の中へ差し込んでくる。
 その光が、椅子で眠るパルミラの体にかかり、顔にまで広がる前に、俺はその隙間から外に滑り出た。


 寒……っ。


 外に出てみると、肌を刺すような冷気を感じ俺は両腕を抱いて体を震わせた。
 まだまだ秋にもなっていない。なのにこれ程までに気温が下がっているのは、今の今までに結構高い所まで登ったのだろうと予想する。


 事実、辺りを見回してみると、眠る前はまだ全然遠かった山嶺の合間に、自分が居る事がわかる。俺たちが居るのは、結構な斜面に余程の努力を払って作られたと思わしき、道の上。
 見上げる斜面の反対側は、完全な切り立った崖になっていて、そこから落ちてしまうならば、間違いなく死ぬだろう程度には高い。それなのに、道幅はそう広いわけでは無い。馬車が2台分。ぎりぎりすれ違えるかどうかという道だ。
 当然4台ある馬車の全ては山側に寄せてあるが、寝ぼけでもしたならば、馬車から降りて30歩以内に崖から落ちることが出来る。


 もちろん、俺はこの道を通るのは初めてでは無い。それでも通るたびに思う。
 なぜこんな場所に道を通そうと思ったのか。
 それほどには、危険な道だと言えた。


 道の前後をそれぞれ見ると、可能な限り山側に固まるよう、道上で毛布に包まり転がるようにして寝ている兵士達が居る。今が何時なのかわからないが、殆ど身動きを取らないその様子を見るに、どうやら深夜と呼べる程度には時間が経っているように思えた。
 ただ、前も後ろも、その先の先でたき火らしき火が灯っているのが見える。恐らくは寝ずの番なのだろう。
 肌寒さもあるだけに、どちらかの火に寄せて貰おうかと考えて、ほんの少しだけ逡巡したあと、後ろの方へ歩き始めた。
 後ろ側、馬車の向こうに小さな天幕が張ってあり、馬が止めてある。多分、レオンの寝る場所なのだろう。
 ひょっとすると……もしかしたらだが、たき火の方に居ないだろうかと、ふと思った。


 山側は兵士が所狭しと固まって寝ているので、仕方なく崖側をおっかなびっくり歩いて行く。
 道そのものは、明るすぎるほど輝く月の光に照らされて、はっきりと見えるのに、だからこそ崖の方をみると、真っ黒な闇となっている。
 死の淵というならば、このことを言うのだろうと感じるほどだ。


 ただ、そうかといえば、思い切って視線を上に上げると、断崖の向こうに聳える青々とした山々が星空を背後に連なっているのが見える。
 それは素直に、絶景ではあった。
 ここは本来ならば、人間が立ち入るべきで無い場所なのだろうと、感じるほどに。
 それは周りの静寂さと相まって、神々しいとすらも思える偉観でもあった。
 つい心を奪われるようにそれを見てしまい、慌てて足下を確認することを繰り返しながら、ゆっくりと歩を進める。


 程なくして、パチパチと炎が爆ぜる音が聞こえるほどまでには、たき火に近づいた。
 星や月の光とは違う赤い光が揺らぎ、そこに座る寝ずの番の長い影を地面に落としている。
 居るのはたった一人。背中を向けてまんじりとも動かない。50人から居る親衛隊の歩哨としては少ない気もするし、ともすれば居眠りしてるんじゃないかとも思うその後ろ姿に一抹の不安を覚えた。
 もちろん、同時にまさかね、とも思う。俺としても、この親衛隊の練度の高さには信頼を置いているからだ。


 さてどう声を掛けようかなどと思いつつ、たき火に近づく。
 近づくにつれ、なんか良いにおいが漂ってきた。


 ……何かヘンだ。


 眉をひそめつつも、その良いにおいに釣られるようにフラフラと歩みを進める。
 そういえば晩ご飯を貰い損ねてることを思い出し、急に腹が減ってる自分に気付いた。何の臭いなんだろう。甘いにおいが漂う。


 「こんばんは。隣、座らせてもらうよ」


 考えながらも結局何のヒネりも無く、背中を素通ってたき火に手を翳しながら、その横に腰を下ろした。
 さて、何を食べてるんだろうと、歩哨を見る。


 「やぁ、こんばんは」


 ……こいつ、何故ここに。


 そこに何の気なしに座っていたのは、奴隷の作戦会議で会ったあの不景気な男だった。
 名前が出てこない。つい最近、レオンに聞いたような気がするが……確か、レグナムと言ったはず。
 そんなレグナムは、細い棒きれに、何か白いモノを突き刺し、こちらを一瞥することも無くそれをたき火に翳してあぶっていた。
 甘いにおいはそこからするのだが、そもそもその白い物体がなんなのかが分からない。
 一見すると、何か昆虫系の卵のようにも見える。大きさも、丁度小さめの鳥の卵のようだった。
 正直、昆虫の卵と考えてしまった手前、あまり食べたいものではなくなった。
 ただ、お腹が減っているのと、実際それが得も言われぬ甘い香りを発しているので、どうしても目が離せない。
 そうこうしているウチに、その白い物体に、黒い焼き色、というか焦げがぷつぷつと付く。


 「あ」


 焦げる。と思った瞬間、レグナムはその焦げ目の付いた白い何かを、パクッと口に入れた。一口で。結構大きいと思ったが、やはり大きかったようで、不景気な顔を歪ませてモゴモゴと租借した後、ゴクリと飲み込み、満足とでも言うようなため息を漏らした。全て、無表情だった。
 その様に、俺はゴクリとのどを鳴らした。無表情のくせに、或いは無表情だからこそ、それが心底美味そうに見えた。
 一体その白いのはなんなのか。無茶苦茶気になる。


 「どうぞ」


 物欲しそうな目で見ていたのかも知れない。
 どこからともかく取り出した例の白いのを小枝にさして、レグナムは俺に差し出してきた。


 「あ、ああ……」


 その自然な動作に、何の気なしに受け取る。
 あまりにも気になったので、その先端に刺さる白い物体を恐る恐る触ってみた。


 ……柔らかい。


 なんというか、ぷにぷにしている。そしてやはり、なんなのかわからない。目の前で見たというのに、これが食べ物なのかどうか、確信が持てない。


 そんなことをしていると、男は再び新たな小枝と白い物体を取り出し、火にかざした。
 そうするものなのだろう。俺は真似して火にかざしてみる。
 パチパチと燃える炎に、白い何かを炙る二人。
 不思議な時間が流れる。白い何かから甘い香りがしてきた。ゴクリと唾を飲み込む。ぷちぷちと焦げ始めたので、火から離し、眼前に引き戻す。


 ……良いにおいが鼻腔をくすぐる。だが、食えるのか。


 横を見ると、二つ目のそれをもっしもっし食うレグナム。その姿に、俺も覚悟を決めて、その白いモノを口に入れた。


 「あふい!」


 カリッと感じともちゃっとした歯触りがしたと同時に、思いっきり熱い何かが口腔に張り付く。
 少し涙目になりながら、はふはふいって必死に口の中のモノを冷ます。そうすると、それが今まで口にしたこと無いほど甘さをもって、舌に絡み付いた。


 「ふあぁ」


 自分でもどうかと思うぐらい、呆けた声が漏れる。
 でも、それぐらい甘く、そして美味しい。もちゃもちゃと咀嚼して、飲み込む。
 ため息が漏れた。軽い満足感と、そして早々に飲み込んでしまった後悔に。


 「こ、これ、なんなんだ?」


 「マシマロという菓子ですね。焼くと美味いのです。製法は私も知りませんが」


 言いながら、俺が持った小枝の先に、もう一つそのマシマロとやらを刺してくれた。
 なんだかやたら優しいこの男に不思議な気分になりながら、礼を言って再び火にかざす。
 そんなことをやってると、横でごそごそしていたレグナムは、それもどこから取り出したのか、薄汚れた飾り気のないコップを俺に渡してくれた。中には、湯気の立つ何か黒っぽい液体で満たされている。


 「熱いですよ」


 横目でマシマロを炙りながら、一口それを啜る。


 ……甘い。これも甘い。
 そして少しの苦みを感じるこの飲み物は、流石に知っている。
 チョコレートだ。その暖かさと相まって、つい顔が緩むのを感じる。寒いだけにその液体が体にジンワリと染み渡り、俺は得も言われぬ幸福感を感じて、大きくため息をついた。


 「はぁっ……」


 見上げれば晴朗な空に、帯を為す星の煌めき。
 その下で、暖かく甘い物を頂く至福。それは堪えられないほどの幸せだった。そうした言葉も陳腐に感じるほどに。


 見るに星辰、聞こえるに寧静、舌に甘露、心に千倍、なんて贅沢。


 ……などと、つい、まったりとしてしまったが、正直、この男がそもそもなぜここに居て、なおかつ、どうして寝ずの番をしていて、その上、何でこんなに甘い物を持っているのか、かなり謎だ。


 気になるが、圧倒的な満足感に、かなりどうでもいいような気分になってしまっていた。


 とはいえ、落ち着いてくると、やはりそこは気になる。それに昨日のレオンの言では、この男は、色んな事を調べているはずなのだ。筈なのだが。


 「なぁ、あんた何でここに居るんだよ」


 横を見ると、同じように湯気の立つカップを傾けるレグナム。
 よく見ると、たき火の脇にかなり薄汚れたヤカンが置いてあった。ああ、ああやって暖めてたのか……。


 「いえ、寒かったので」


 たき火を見ながら、ボソッと答えた。
 いや、そうじゃない。
 だが、その答えはなんとなく予想してた。なので、聞き方を変える。


 「うん、じゃあ、何故ここで寝ずの番してるんだよ。あと、レオンになんか頼まれていなかったか?」


 「寝ずの番は、誰でも良いのです。少なくとも、この隊では。私は夜型人間なので、こちらに立ち寄った時は、こうして歩哨を勤めさせて頂いています。代わりに、昼は寝させて頂きますが。あと、確かにレオン様の依頼も承っていますが、それと私が何故ここに居るかは別の問題なので割愛させて頂きます。それから、甘い物は私の好物です」


 なんか一気に喋った!
 それに、今までぼーっとたき火を見ていただけの視線を俺に向けながら。
 しかも重要な部分ははぐらかされた気がする。
 そしてその語りの中で頭に残ったのは、何故か、こいつが甘い物好きという、かなりどうでもいい情報だけだった。どうでもいいのに、インパクトがあるのが問題のような気がする。しかも、それは聞いてないし。


 「ええと、依頼ってどんな内容なんだよ」


 「極秘です。詳しくは直接聞かれるのがいいでしょう」


 一生懸命、結局何が聞きたかったのか頭の中から掘り起こしたのに、あっさりとそれはスルーされた。
 知りたきゃ、言った本人に聞け。要約すればそうなる。


 そのあまりの突き放しっぷりにムッとするが、考えてみれば、情報部とやらの士官であるレグナムとしては、普通にそんな情報を漏らすワケにはいかないだろう。その依頼内容が俺の事だったとしても。


 そう考えると、むしろ直接聞けというだけ、まだマシなのかも知れない。
 さらに言えば、よく考えてみれば、依頼内容はおおよそ既に知ってる気もする。


 「それはそれとして、渡しておきたいものがあります」


 「っ!」


 伸ばされたレグナムの手から、何の気なしに伸ばした俺の手のひらにそれは乗せられた。


 ―――降魔石


 まさかここで再びそれを見ようと思わなかった俺は、驚きにそれを取り落としそうになる。
 なんとか平静を装い、それでも握りしめることもなく、中途半端に手のひらにのせたまま、胸の前に引き戻す。


 大きさは、鶏卵ほど。アイリンが持っていたものよりもかなり大きい。
 それが一層、俺を不安へとかき立てた。


 確かに、これに救われたこともある。だがそれを超えてなお、この降魔石は、その都度俺を人の理を超えた何かだと証明してしまう。いや、俺の体を、だ。


 それを唱えなければ、きっと大丈夫なのだろう。だが、目の前にある降魔石が、俺には今にも俺の手のひらに吸い込まれていきそうで、気持ち悪くて仕方が無かった。


 それが魔法なのだ、と、単純に言ってしまえば楽になるのかも知れない。
 でも、少なくとも言えることは、アイリンや、あの地下でグイブナーグが使った魔法の発動形態とは、俺のこれはかなり違う。
 種類が違う、などという感じでも無い。決定的に何かが違うと直感は告げていた。


 「なぁ、降魔石って何なんだ……いや」


 そういう聞き方をした場合、レグナムは、アルクと同じ答えを言うだろう。『魔法の発動体』だと。
 聞きたいのはそうじゃない。もっと本質的な部分。俺の中に吸い込まれ、そして俺の一部になってしまうこれは、一体何なのか。


 それをどうやって問おう?


 考え倦ねながらふとレグナムを見ると、彼は俺をじっと見つめながら、そして言った。


 「それは、言ってみれば『命』そのものです」

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