すわんぷ・ガール!

ノベルバユーザー361966

33話 思い出

 それは、触れてはいけないと感じるほど、儚いように見えた。
 見せているのは、後ろ姿。それなのに、透き通るような脆さを感じさせる。


 声を、かけるのか。


 俺は唾を飲み込む。
 それは後一押しで崩れてしまう、砂上の楼閣のようにも感じた。
 その雰囲気に、意味も分からず俺の胸はぎゅっと苦しくなった。言いようのない圧迫感に、胸を押さえる。
 一体、こいつはどれほどまでに、俺に違う姿を見せるつもりなのか。


 レオンを思えば、大体何時も和やかに笑うその姿を想像出来る。普通は、そうだ。逆に言えば、それ以外が想像出来ないほどに、それがレオンという人物の全てであるように、俺たちは錯覚してしまう。


 そんなわけがない。


 当たり前だ。生きている一己の人間なんだ。
 どんな者であれ、どんな立場であれ、何時も何時でも笑って居られるほどに、世界は優しくはない。
 時には、辛くあったり、哀しくあったり、苦しくもあったりするはずだ。
 泣きたくあったり、怒鳴り散らしたくなったりも、するはずなのに。


 だけど、そうであったとしても。
 やはり、レオンにその姿は似合わなかった。それは傲慢かも知れない。俺がそう思いたいのかも知れない。
 でも、素直に言えば、レオンには、レオンだからこそ、そうした姿を見せるほどの感情をもって欲しくなかった。


 気付くと、俺は手を伸ばせば触れられるほど、レオンの近くまで歩を進めていた。
 なにかをしてやりたい。そうした想いが俺の中で募る。
 でも、どうしたらいいのかわからない。
 声をかけるべきなのだろう。ただ、同時にかけるべきでは無いとも思う。
 だとしたら、俺は何ができるだろう。
 この背中に、何をしてやれるだろうか。


 怖ず怖ずと、その背中に両手を伸ばす。手を、背中に添えようとして、躊躇う。
 俺は、何をしようとしているのだろう。両手を見ながら、何度か握ったり開いたりしてぼんやりと思う。


 あの夜、レオンはどうしたんだっけな。
 同じように、らしくないレオンはどうしたんだっけ?


 それを思い出し、俺は下唇を噛んで何かを押さえつけ、そして、レオンの背中に抱きついた。










 「っ!」


 驚くレオンの震えが、両手に、押しつけた顔に、体に、伝わる。
 本当に、気付いてなかったのか。間抜けめ。心の中であえて、そう毒突く。


 「ーーーーっ!う、ごくなっ!」


 何も考えないように俺は努力しながら目を瞑り、小さく、短く、レオンにそう告げた。
 それだけで、レオンはそれが俺だと分かったのだろう。体の力が抜けるのがわかる。
 そして、レオンの両手が、回された俺の両手の上に優しく、触れた。
 跳ね回る心臓の音に苛まれていた俺は、その感触に息を飲む。意識とは全く関係なく、顔に血流が集まり、熱くなるのがわかった。
 それがどうしてなのか、理解したくない。


 こうしてやれば嬉しいんだろう?
 こうしてやれば落ち着くんだろ?


 ただ、それだけを考えて、少しだけ腕に力を込める。


 「……なに、やってたんだよ」


 締め付けるような胸の鼓動や、火照る顔の事を追いやるように、俺はレオンが何かを言う前に、なんとか意味のある言葉を繋いだ。


 「………………そうですね」


 「こっち見んな馬鹿!」


 少しの沈黙と、レオンが首を回す気配に焦って、俺はすぐにそれを容赦ない―――余裕の無い言葉で止めた。
 とりあえず、レオンに今、動かれたくない。何もしないで欲しい。それぐらいには、俺はいっぱいいっぱいだった。
 そんな俺を察してか、小さく、ほんの小さくレオンは笑みの吐息を漏らすと、再び木を仰いで語り始めた。


 「昔のことを、思い出していたのです」


 見上げる木は、楡の木だった。
 それがどういうことなのか、俺にはわかる。きっとレオンは、『私』の事を思い出していたのだろう。


 夢と、今の話が噛み合わさる。
 結構前からそうだと思っていたが、きっとそうなのだろう。
 つまり『私』のあの大好きな少年、兄様は―――レオンだ。


 「『クリス』はこの楡の木が好きでしてね。良くあの上まで昇って私を困らせたものです。その木はここにある木では無いのですが、同じ木があると、つい思い出してしまいますね」


 「……『クリス』はこの木が好きだったんじゃねぇよ。そこから見える景色が好きだっただけだ」


 「っ!」


 レオンの言葉に、俺は思う。
 案外、わかってなかったんだな。
 さすがにレオンでも、やはりわからないこともあるんだと、俺は少し微笑ましくなった。だから、少しの意趣返しの気持ちもあって、俺はレオンに教えてやることにした。


 「お前は『私』が、何度誘ってもそこまで来てくれなかったよな。高いところが、案外苦手なのか?」


 添えられた手がじわっと熱を持つのが分かる。押しつけた背中から聞こえるレオンの動悸が少し、早まった気がした。


 「『私』はお前と、木の上から見る景色を一緒に見たかったのにな」


 堪えきれず、クスクスと笑う俺。
 意趣返しにしては、自分でもすこし意地が悪いような気もする。ただ、動揺が手に取るようにわかるレオンの様子が、楽しくて楽しくて仕方なかった。


 「……そう、だったんですか」


 動揺の中、レオンは漸く絞り出すようにそれだけを口にした。手が、小さく震えているのがわかる。少し様子が変わったな、と思うと同時に、パタパタと、何かがレオンの手をすり抜けて、俺の手に降り注いだ。


 「あ……」


 それがなんなのか、俺が理解する前に、レオンは俺の手を強く握りしめて続けた。


 「一つ、お聞きしますが……彼女とお会いになったのですか?」


 「まあな。夢で何度か、会ったよ。お前にもな」


 「……案外貴女も、意地が悪い人だ」


 「お互い様だろう?」


 振り向くことのない顔の向こうから、失笑とも、苦笑とも取れる声が漏れる。俺もそれに釣られ、笑った。










 「さっきは……その……わるかったよ」


 どちらとも無く体を離し、今は楡の下。二人地面に腰を下ろし、宙を見上げる。
 得も言われぬ静謐さが満ちていることを感じ、俺は、レオンに目を合わさないまま、なんでも無い風を装って、本題を切り出した。
 それを聞いて、レオンは一瞬、俺の方を意外そうな顔で見た後、フッと笑った。


 「いえ、私も……なぜあんなに怒ってしまったのでしょうね。全く不覚でした」


 「まあ、それを言うなら俺もだ。なんであんなにムカッときたのかな」


 「なぜなんでしょうね」


 そう言いながらも、レオンは押さえられないようにクックッと笑った。
 それは本当に楽しそうだった。漸く、元のレオンが戻ってきた気がする。


 「……怖かったんですよ」


 ひとしきり笑ったレオンは、真面目な顔に戻ってぽつりと、言った。


 「また、『クリス』を失うことがね」


 その姿を追うように、レオンは楡を見上げる。
 目を細め、まるでそこに、今、彼を待つ少女の残滓を見るかのように。
 そして、レオンは滔々と、語り始めた。


 「―――彼女と出会ったのは、私が確か八歳の頃だったと思います。彼女の父に誘われて、避暑として行った先で出会いました。『クリス』は二歳年下でしたから、六歳ですね」


 おおよそ、夢の内容と被る。
 簡単な説明ではあるが、その情景も、実際見たかのように目に浮かんだ。
 いや、ある意味、本当に実際見ている。


 「最初は避けられていましたし、私も避けていましたね。結構、シャイだったんですよ。私は。でも子供のことでしたから、程なく仲良くなりました。彼女もそうでしたが、私もあまり同年代の子と遊ぶ機会も無くて」


 「兄弟はいなかったのか」


 「兄が二人居ましたが、あまり遊んだりとか、そういう事は」


 まあ、貴族の世界なわけだし、兄弟が居たからといって仲良く出来るかといえば、そうでなかったのかもしれない。


 「ただ、彼女は私の事を何故か兄と考えたらしく、兄様、あにさま、と、呼んでいましたね……そのあたり何か心当たりはありませんか?」


 「そこまでは……ただ、『クリス』はお前と家族になったと思っていて、確かに兄様と呼んでいたな……」


 「家族、ですか。なるほど、彼女は一人っ子でしたし、そう考えたのかも知れませんね」


 「そうかもな」


 適当に答える。およそ子供の考えることだ。


 「それから、私は夏、それから冬と、彼女に会いに行くようになりました。親同士の何かはあったでしょうが、私自身も、或いは多分、彼女も、会うのを楽しみにしていましたし」


 「実際、楽しみだったと思うぞ」


 思う、どころではない。『クリス』ははっきり慕っていた。家族と言い切るぐらいだ。両親と同じ程度には、レオンが好きだったに違いない。


 「ですが、それも2年程度、でしたね……これは後から知ったことなのですが、彼女に魔法の適性があることがわかったらしく、彼女に会うことが出来なくなりました。彼女の両親は、六応門適性―――つまり」


 「千年に一度どころではない才能、なのだろ」


 今日、ギルドで聞いた知識を掘り起こす。
 この調子なのであれば、ひょっとすると、わざわざアルクや、アイリンに聞かなくとも、魔法のことはレオンに聞けば教えてもらえたかも知れない。ギルドの話を思い出すに、それは別に秘密でも何でも無いのだろう。
 ともすれば上流階級では、それは常識なのかも知れない。


 「ですね。実際それは途轍も無い才能なのです。私がそれを知ったときには、既に彼女は魔導院の方に居たらしく……それから、会うことができなくなりました」


 「魔導院って帝都にあるんじゃないのか」


 「帝都にあるのですが、魔導院は結構特殊な組織でして。それに、六応門の適応をした存在など、それだけで政治的な問題になってしまいますから」


 だからおいそれとは会えない、というわけか。
 俺の知る『クリス』の情報はここまでだ。そのうちまた夢に見るのかも知れないが、およそ本人の望まない、碌でもないことに巻き込まれたのは間違いないのだろう。
 事実、八歳にしてそのような場所に送り込まれたことを、本人も嘆いていた。心情的にはレオンに、ちゃんと会ってやれよと言いたいところなのだが、きっと政治的の一言では収まらない、本人しかわからない事情もあったのだろう。
 だからあえてそこには触れないことにした。


 「その後、暫く私は彼女に会えていません。どこかでそれは残っては居たのですが……十歳を超えようとした頃から私も、色々と忙しい事になりましたから。結局彼女に会えたのは、それから六年後のことです」


 「……ずいぶん飛ぶんだな」


 「彼女は立派な魔法士になっていましたよ。私と彼女の再会は、昔のようなそれではなく……儀礼的な中で」


 レオンの細めた目が、険しくなっていく。酷く話しにくそうに、言葉を選んでいるようだった。


 「……その数日後、彼女は、事故で」


 ―――事故で、どうしたのか、などと聞くまでもないことだった。
 多分、レオンは何かを後悔しているのだろう。数年ぶりに会って数日後に、事故で亡くなった幼なじみ。そこに何かの関連性を見ているのかも知れない。


 「なにか……彼女は……?」


 縋るような目で、レオンは俺を見た。
 俺は首を横に振るしかない。


 「いや、そこまでは俺もわからない」


 「そうですか……」


 それを聞いてレオンは、残念なような、ホッとしたような顔で、ため息を付く。
 それがずっと、レオンを苛んでいるのだろう。
 何時か、また夢を見るのかも知れない。
 その時は、また教えてやってもいいか。


 「事故は、魔力暴走でした。少なくとも私はそのように聞いています。それが具体的にどのような状態を指すのかはわかりません。前例の無い話だったのです。とにかく、彼女はそれによって……魂が無くなってしまいました」


 「魂が、なくなる?」


 「そうです。言ってみれば中身が消えてしまった。体は、暖かい。心臓も動いている。でも、全く動かない。目を開かない……これを、死んだというのか、生きているというのか、私にもわかりません。ただ……魔導院による確認では、彼女の魂が消滅しているという事でした。魔力の渦が、彼女の魂を消し飛ばしてしまったのだろう、と」


 そういう状態になった者を、俺も確かに見たことがある。
 魂とやらがどこにあるのかはわからないが、普通、頭部の損傷により、そうなることが知られている。
 生きてはいるが、目覚めることは無い。
 そうなった者は、少なくとも俺たち冒険者稼業では―――死んだとみなされる。


 「それでも彼女は、死んだとはされませんでした。心の臓は動いているので。また、国家的にも、失ってはならない存在を失ったことを、公に出来ない事情があり、彼女は死んではいるが、生きているという中途半端な状態に置かれることとなりました。これが」


 長口上にレオンは一息ついて、最後に吐き出すように締めた。


 「―――10年前の事です」

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