すわんぷ・ガール!

ノベルバユーザー361966

07話 残酷な晩餐

 そこは、俺にとって初めて見る空間だった。
 大きめの大理石で囲まれた、荘厳な空間。
 その空間は、なみなみと注がれた湯から発する湯気が充満している。
 その湯はどこから来るのかといえば、湯船に起立する、やはり大理石の柱に取り付けられたライオンと思しき見事な彫刻の口から垂れ流されていた。
 その湯は湯船からあふれだし、俺の足を濡らす。暖かなその感触と、足裏に感じる硬質で滑らかな石が与える密着感が、素直に気持ちよかった。
 既に夜もふけているのだが、広いその空間は所々に行灯が置かれ、十分に明るい。


 風呂だ。


 一言で言うと、その空間は間違いなく風呂だった。
 そんな空間に、俺は当たり前のように素っ裸で立ち尽くしていた。
 言葉も無い。
 そこは確かに風呂だったが、俺の知ってる風呂とは違う。初めて見ると言った通り、それは途方も無く豪華な風呂だった。
 こんな世界があるのか、と思わず感じるほどに。


 「さあ、クリス様」


 後ろに立つ、メイドさんが俺を促す。
 何を促しているのか。俺をいったい、どうするつもりなのか。
 さあ、と、言われたものの、何をどうすべきかがわからない。
 さっぱりわからない。
 わからないことは、恐怖でしかない。
 冒険でならした知識は、ここでは全く役に立たない。
 不安にかられ、少し震える。
 そして俺は、短く言った。


 「どうしてこうなった」










 首尾良く―――と言うべきなのだろうか―――馬車に乗り込むことができた俺たちは、そのまま拍子抜けするぐらいあっさりと門を潜った。
 門番は、流石に軍隊を、ましてや正規軍を検問することは無かったし、馬車を改めることもしなかったからだ。
 とにかく俺たちはそうして軍と一緒に門を抜け、街へと入ることが出来た。


 馬車に揺られながら、日も落ち始め暗くなりつつある市街を抜けていく。その間、何故か優男も同じ馬車に乗り込んできて、今や一緒になって揺られていた。
 隊長なのだからちゃんと仕事しろよと言いたいが、その辺は副官のレパードがきちんと仕切っているようだ。
 さすが推定貴族。


 「……で、君たちの家はどちらなのですか?」


 一緒だけに、やたら話しかけてくる優男……いや、名前はさっき聞いた。レオン、なのだそうだ。
 下の名前は言わなかったので、本当に貴族かどうかはわからない。仕方ないので、俺たちも既に名前を名乗ってある。
 俺としては門を潜った後、適当に理由を付けて降ろして貰いたかったが、それを言うと、パルミラの怪我を理由に何だかんだと家まで送るみたいな話になってしまった。
 これはかなり困った。当たり前だが、俺たちの家などというものは、ここには無い。


 そして当然のようにレオンは、そう俺たちに聞いてきた。


 「……実は、その、お……私たちの家は、無いんです」


 考えろ、考えろと、頭の中をフル回転させながら、言葉を繋ぐ俺。
 ひょっとしたら、こいつには俺たちが逃亡奴隷と知られても大丈夫なのかもしれないと少し思う。
 だが、やはり僅かに残る不信感が、俺の口を動かした。


 「ほう?」


 「……その先にある、スラムの廃屋に住んでいて……」


 我ながら苦しい言い訳な気がしなくも無い。それに、こいつに嘘を言うのは、何故かはわからないが感情的にすこし気が引ける。
 そんな思いが、俺の口を重くしているのかもしれない。
 さっきまで嘘八百並べ立てていたアイラも、今は俺に任せると言わんばかりに沈黙している。既に手当を受けていつも通り無表情なパルミラなどは、端から無言だった。


 「そうですか……苦労しているのですね」


 真剣に慮った表情で、俺に告げるレオン。


 「そ、そんな、レオン様にそんな顔をされては……私たちの心が痛みます」


 と、アイラ。
 演技なのかどうか、判別し辛い。そのままアイラは、話を合わせながら、如何に自分たちが大変なのかという事を、それはもう見事な話術で嫌みにならない程度に押さえつつ、レオンと話し込む。
 ハラハラするが、ここはアイラに任せておいたほうがいいのかもしれない。正直俺だと、何時かボロが出そうだった。既に出ている可能性もある。
 そうして上手い事アイラが合わせてレオンと喋るのだが、無言になった俺を偶にレオンがじっと見つめてくる。
 それはわりと自然な動作で、喋ってるアイラは気付いていないかもしれないが、見つめられる俺は、どうしてもそれが気になって仕方なかった。
 何か、俺は不味いことを言っただろうか。自分の言葉を頭の中で反芻してみたりするが、何も思い浮かばない。


 「……私たちの住処も近いので、そろそろ降ろして頂きたいのですが……」


 アイラとレオンの話の合間を縫って、突然無言のパルミラがボソッと、無礼寸前な言葉でレオンに言った。
 それを聞いて、アイラが、『あ、もうなの?』みたいな仕草をする。
 流石だ。今日一日で、俺の中にあるアイラの評価がどんどん変化していく。良い悪いは、別としてだが。


 「ん、そうですね……ですが、そうした場所では怪我した貴女も大変でしょう。折角ですので、少なくともその怪我が直るまで、私どもの屋敷に滞在してはいかがですか?」


 屋敷、屋敷と言ったか。
 いや……そうなのだろう。100人とはいえ正規軍の指揮官。推定貴族。それぐらいは不思議じゃない。
 とはいえ、このままだと屋敷に連れて行かれるという事実に、俺のレオンに対する警戒レベルが一気にあがる。


 「でも、そこまでの迷惑は……」


 「いえ、出来れば滞在していただきたいのです。怪我したご婦人方をこのまま帰すとあっては、騎士の名折れでもあります。これは、私たちの願いでもありますので」


 やんわり断ると、騎士の名前を出してまで下手に出られた。


 ……これは、断れない。


 騎士の名の下に請われた以上、更に断るのは不敬でしか無かった。俺たちの都合云々などは関係なく、最早レオンの名誉の問題だとも言える。
 騎士。推定貴族。その名誉を汚しかねない。
 これ以上断るのはマズかった。


 「そこまで仰るのであれば、この子の怪我が治るまで、よろしくお願いします……」


 本来であれば身に余る僥倖であるはずのそれは、俺にとっては敗北でしかなかった。










 連れて行かれた屋敷は、想像以上に大きなものだった。
 俺たちはその威容に圧倒され挙動不審に陥りながら、促されて屋敷に入る。
 連れてこられる格好とはなったものの、それでも今現状薄汚れた貫頭衣しか着ていない俺たちが、この玄関を潜って良いのだろうかと思ったぐらいだ。
 敷地には別に兵舎らしきものもあり、兵士達はそちらに流れていく。結局、屋敷の玄関を潜ったのは、レオンと俺たち、そしてレパードのおっさんだけだった。
 中も外観に見合う豪奢さ。シャンデリアが煌めく玄関ホールには、数名のメイドが主人の帰りを整列して待っていて、レオンが入るや否や、一斉に優雅に礼をする。
 それは、夢のような光景だった。
 冒険者たるもの、一度は夢見て、でも絶対に叶うはずもない光景。
 まさか今、経験するとは思わなかった。
 レオンはいったい、何者なのだろう。


 そして俺たちは、まずは風呂とレオンに促され、メイドに連れられ件の豪華すぎる風呂に入る羽目になった。
 それも自分で入るとかではなく、そこでもやっぱりメイドにそれこそツメの先から股間まで磨かれ、ぐったりする俺。もし強姦されたらきっとこんな気持ちになるのかもしれない。正直、弄ばれた感がハンパなかった。
 風呂から上がっても、体を拭くのから服を着るのまでメイド。自分で出来るなどという抗議は上手い事かわされ、そこでもされるがままになる。
 服は、当然のようにドレスがあてがわれた。流石に貫頭衣というわけにはいかないとは思っていたが、ここまで容赦ないとは思わなかった。
 というか、その時はじめて女物の下着を履いた……明らかに履いていなかった今までに比べて防御力は高くなっているはずなのだが、それでもその何とも言えない不安感に、心細くなる。
 そのまま自分では間違いなく着ることが出来ないであろうドレスを身に纏う。そのころになると、一切の抵抗しようという気持ちも失い、もうどうにでもなれというヤケクソな気分でされるがままになった。


 「いかがですか?」


 だが、その結果、最後に大きな姿見の前に連れ出された俺は、ここ数日の驚きを更に上回る驚愕でもって、それを見ることになった。


 「……え?」


 そこに写っていたのは、薄手のドレスを身に纏う、紛う方無き絶世の美少女、だった。


 『……こんな流れるような銀髪に、びっくりするほど綺麗な肌。女の私から見ても、すごい綺麗だって思います。なのに、ブルーの大きな目、柔らかそうな唇、華奢な体……』


 以前、アイラに言われた言葉が頭の中にリフレインする。
 頭を振るたびに、キラキラと輝く肩で揃えた銀髪が流れ、瞬きすると確かに大きめな青い瞳から光がこぼれそうになる。その下で、スッと伸びる鼻、花のような唇。完璧に整った輪郭。
 華奢な体つきと相まって、未だ美女という感じではないものの、将来的には間違いなくそうなるだろう確信が、この姿からは感じられた。


 「あ、あれ」


 その鏡に映った驚き顔の少女の目から、涙がこぼれていた。はっとして自分の目を押さえる。


 俺は泣いていた。


 この瞬間まで、俺は、自分の身体を見て女になってしまったんだと認識していたものの、どこかそれは現実離れしていて、はっきりと理解していたわけではなかった。
 だからこそ、すんなりと元に戻るなどと決意していたし、一大事すぎるこの事実に対してある意味楽観的でいられた。
 だが、今こうして真っ正面から自分を見ると、成る程、自分が途方も無い美少女であるという現実を認識せざるを得なかった。それは言ってみれば、『女の中の女』になってしまっているという、逃れようも無い現実に他ならなかった。
 これならまだ醜いほうがよかった。
 それならば、まだ同じ認識を俺は持ち続けていられたかもしれない。


 「ど、どうなされましたか?」


 後ろで満足そうに見ていたメイドが泣いている俺に気づき、とたんにオロオロとし始める。
 彼女にしてみれば、一世一代の芸術を仕上げた気持ちだったに違いない。
 わかる。
 わかるだけに、辛かった。
 仕方なく、両手で涙を拭う。


 「いや、大丈夫。気にするな」


 あえて俺は男言葉でそういって、更にメイドを白黒させた。










 「わあ、お姉様、素敵です!」


 その後は、晩餐だった。
 既に夜もかなり更けてきているため、簡単なものをなどとレオンは言っていたが、最早それを信じる事は出来ない。
 メイドに先導され、食堂に降りてくると、案の定、燭台灯る大きなテーブルに、溢れんばかりの食事が並んでいた。
 既にアイラもパルミラも同じようにドレスに着替えていて、軍服姿のレオンと一緒に俺を待ち構えていた。
 アイラは俺を見るなり、おおよそ予想通りの感想を述べ、さらに俺を滅入らせる。
 一応言っておくと、着飾ったアイラも、パルミラも、十分すぎるほど美人で、美少女だ。
 だが……口には出すつもりは全くないが、多分俺の方がきっと上だろう……。


 「……は、予想はしていましたが、これほどまでとは……」


 レオンも関心顔で、そんなコメントを垂れる。
 ありがとう、あんたもすげえイケてるよ。
 あえて心の中で、失礼すぎる礼を述べる。態度では、軽く礼をしておいた。


 「ま、取りあえず晩餐の方をどうぞ。マナーは気にせず、ゆっくり食べれるだけ食べてくださいね」


 各々促される席に着いた後、流石に上座に陣取るレオンが言う。
 言うが、実際どうやって食べれば良いかわからない。取りあえず目の前にあるスープを飲むべきなのだろうか。
 目の前にあるそれっぽいスプーンを手に取り、スープに浸す。そのまま持ち上げ、恐る恐る口に運ぶ。


 「う……お、いしい」


 旨い、といおうとして、すんでの所で言い換えた。口元を押さえる。
 信じられない。
 こんな旨いスープを飲んだのは初めてだった。慌てて二口目を口に運ぶ。


 旨い。うまい。信じられない。


 冒険者的に言えば、スープというのは、場末の大衆酒場で出てくる、野菜を煮込んだ出汁のようなものと相場が決まっていた。
 それは通常大鍋でいっぺんに作られていて作り置かれる。作った後は火にかかってないから冷めっぱなしなのだが、、注文の際に冷めたままのそれを皿に入れた後、焼き石を同時に放り込む。その石の熱で、再び暖かくなるという恐ろしく乱暴な料理だった。
 たいていの場合、最も安い料理であって、それを注文するのは貧乏であることの証のようなものだった。
 通称では石のスープ。
 このせいで、駆け出し貧乏冒険者は石塊と呼ばれてしまうほどだ。


 もちろん、そのスープとこのスープは、全く別物だった。同じスープと呼ぶのが、烏滸がましいほどに。
 見れば、他の二人も同じような体でスープを口に運んでいる。正直、苦笑しながらそれを見つめるレオンに比べて見苦しい事この上ないが、これは仕方ないんじゃないかと思う。それに、みんな十分すぎるほど空腹だったのだ。
 俺たちはあっという間にスープを平らげ、同じように物欲しそうな顔になった。仕方ないので、近くにあるパンに手を伸ばす。


 「ふあっ」


 同じようにパンに手を伸ばしたパルミラが、それを口にして驚きの声を漏らす。それほどまでに、これはこれで俺の知っているパンではなかった。
 ほんの少し甘みがあって、何よりも柔らかい。
 俺たちは次々に料理に手を出して、そしてその度に驚いた。どれもこれも信じがたい旨さなのだ。
 最初はマナーについて考えていたものの、そんなものは途中で頭の中から綺麗に消え去っていた。


 そんな野蛮すぎる俺たちを、レオンはニコニコと声をかけるわけでもなく、終始見守るように眺めているだけだった。
 こいつは何を考えているんだろう。
 もしこれが全くの善意なのだとしたら、なんて残酷なんだろうと、俺は思わざるを得なかった。


 その後、調子に乗って勧められたワインを結構飲んでしまい、俺は殆ど潰れかけながら食堂を後にした。
 どうやらこの体は、少なくともアルコールには弱いようだ。
 知らないうちに寝間着に着替えさせられていた俺は、あてがわれた部屋の天蓋付きベッドで眠った。
 野宿を繰り返した昨日までが、遠い昔のように感じる。
 その感覚は、むしろ強い不安となって俺を苛んだ。

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