『 悲しい雨 』

Black Rain

続き






   薫る。空気の味が変化している事に気が付いた。高速道路を走っている。下道(※一般道)でゆらゆら気を散らされながら向かう先を定めていこうかと一瞬思ったが、天空の扉を開くような気を纏いたかったので、早々高速に上がった。高速道路上という物もよくよく考えると不思議な空間である。悩ましさという空気の濃度が、一瞬、非常に薄いように思えるのだが、逆転解釈を見つけるとこれ以上悩ましさの充満している場所は無いという事を確認できる。殆どの車両がほぼ100km/h以上という、現代ではあまり警戒されないが、実は命懸けの速度で、そして目的の場所に向かって驀地(※まっしぐら)に移動しているわけだ。ふむ。面白い。バクチ … 博打 … 驀地(※あまりこうした読まれ方はされないが 〝 バクチ 〟とも読む。)。そうなのだ、様々な部門また分野に於いての努力と発展の報酬であり、またある意味報復でもある文明に靡かれて、この危険な 〝 バクチ 〟を、世の中は日常的に、そして大した躊躇も無く繰り返すようになったのだ。決して死んでもいいだなんて誰一人思っているわけではないだろう。能率と目的、そして超速という刺激のおまけが付いて、生死との対比を量る天秤は平行になり、いよいよ生死という所謂、命の乗った皿の方が前出の其れ等よりも高い位置にのし上げられ、そして同時に引力の中枢から離らかされ続けているのだ。人に夢と書いて儚いとは読むが、命とは、物語である。人、ひとりひとり、物語である。話の主の両親となる二人、所謂父母にとっては、与えられた大切な一つの物語であろうし、主は物語そのものである。死ねば0(※ゼロ) … ではない。でもない。ですらない。ゼロというものは、それだけでもそれ自体でそれなりのそれなりながらも僅かながらにでも個性というものがある。黒と無色、白も無色…とは異なるのと同じだ。死ぬとは、終わるとは、それすら無い、それすらも無いという事なのだ。透明ですらない。the 〝 無 〟なのだ。

   ひとりというのはこういう事なんだよな。高速道路上で12,30km/hの風を浴びながらただ真っ直ぐと進んでいた。人は人を求め続ける。そうでない人でも何かしらを求め続ける。ひとりになると、自らの尽くを確かめ始めたりする。中島のCBXは静かに唸り続けた。俺は高速に上がる前の時間を思い出し始めた。

   中島と暫しの別れを交わしてから1時間くらい経過していた。やはり地図に眼を通すのは嫌だったので、高速入口の手前で一旦バイクを停め、バイクに跨った侭、念のキャッチボールでもするみたいに想い無き想いを籠めて強く瞼を閉じて、現(※うつつ)を制して自らの心に耳を澄ませ、微かに聞こえて来た己の怨霊に頷いた。やはり牧場みたいなところに行くべきだと感じたが、そこにいる牛や羊が今はちょっと違う気がした。戒律を頑なに守る生物に今は惑わされたくない。植物も生物に含まれるが発声しない。寡黙 … いや、沈黙か … これは動物とは異なる。牛や馬、羊、また豚に限らず鳴き声を持っている生物とは遭遇したくないタイミングだと思った。しかし何故か昆虫なら許せる。そんな気がした。極小だからとかではない。鳴き声を持つ昆虫もいるわけだが、なんというか…そうだ、目で訴えて来るような感触が無いのだ。だから許せる。許す許さないを許されている立ち位置など無いのだが…神様ではないわけだし。でもこの、何かしらを訴える目の圧力に、自分の居る物質界ならではの柵(※しがらみ)が不敵に蘇り、そして立ちはだかるのだ。此れは、此の場合、時間の流れに罅(※ひび)がシットリと入っていく。今回は、今は、亡霊のように眺め、そして見定めたいのである。平坦で広々した景観も駄目だ。穏やか過ぎる情景では魂が立ち尽くしてしまう。牧場では駄目だ。
   路肩で瞑想し続ける自分の横を勢いよく行き過ぎる自家用車や大型トラックを確認する度にほんのりと苛つく。
   〝 そうそう、此れを超越したいんだ。脱却じゃない超越。〟
   試験、勉強、偏差値、制限時間…比較と制約。試練はいい、試験という響きからは隷属を想い得てしまう。勉強という言葉からは、強制また矯正、収監、監禁という嗅ぎ付けたくない香りが漂う。アスベストのような埃と、屁泥(※へどろ)も浮かび上がってくる。教養には嫋やかな母性、知性、思い遣りを心中に描いてくれる。自由を探してるわけじゃない。場所なんか求めてない。吹く風には色も姿も無い…これだよ。風を求めてるのではなく、風になりたいんだ。其れを〝 自由 〟と、どうしても呼称させたいなら、俺は歯向かう。徹底的に歯向い続ける。〝 自由 〟の中の〝 自 〟は要らない。無くていい。感じている、生きている、それだけでいいのだ。証なんか要らない。そんな物は転寝の誘いにすら足らない。





   「何なんだろうな … 」
   「ん … ?」
   「ん〜、コレを、言いたくないもんなんだけどなぁ … まぁ誰でもそうだろうけど … 。」
   「 ……… 」
   「ジンセイ。」
   「 ………… 」
   「… … … … 」
   「どうしたの?」
   「四年も付き合っててこういう所来るの初めてなんてな … 。」
   「愛してる…の告白の直後にしては…急展開。あはは。面白ぉ〜い。」
   「面白いか?」
   「え?」
   「はぁ … 面白いと感じてくれるだけ有難いよ。」
   「ねぇ、何かあったの?可笑しいよ、哲君。」
   「何も無いさ。何も。」
   「もしかして、私に飽きた … とか …」
   「葵に飽きないよ、そんな男はこの世にもあの世にも存在しないさ。

              … … … …

自分自身に飽きたら、男なんておしまいだな。」
   「自分に … 飽きたの?」
   「なぁ葵、自信が持てる持てないっていうの … そういう話 … 」
   「うん … 」
   「子供だった頃、葵も誰彼周りの大人によく言われたろ。」
   「うん。」
   「人の、他人の … 要するに自分以外の人や物の所為にしてるんじゃなくて … でも仮に、自信が無い、持てないって人を勇気付ける時、俺は、今まで自分に自信を持てと鼓舞してくれて来た人達とは少し異なった尺度で伝えたくなるんだよ。」
   「うん … それで?」
   「ナルシズム、或はナルシシズム(※narcism・自己愛、自己陶酔)って言葉あるだろ。この間、調べ物していてふと気付いたんだよ。自己陶酔する時というのは、自身の中でほぼ完成していて、しかし其れを骨組の状態からなかなか先に進められず、結果として顕せない。無論知る由も無い世の中は反応のしようが無い。そんな時に、自己陶酔するんだと思った。此れを、仮に言葉にしようとしたら … リフレインしたんだ。narcism … ナルシズム … 成る … 沈む … そんな風に。人は、ひとりじゃない。人間は、人の、間と書いて人間と読む。する。人がひとりなら、自分だけを信じてればいい。信じる事は出来る。でも、人はひとりでは生きていく事が出来ない様になってる。当たり前の事に気が付いた。当たり前の事で、目から鱗を見つけてしまったよ。他人の所為にしてるんじゃない、世の中の所為にしてるんじゃない。だけど、自信とは、其れ自体が、既に自分ではなくて、いや、自分という物自体が、実は、自分だけを除いた一切すべての集帯なのであって、要するに自信とは、世界を信じる事が出来るか出来ないかという事なんだよ。自分の目には、自分だけが映らない … 其れを、人は、憶い出せない。なかなか、憶い出せない。ああそれこそ、100人いたら100人が憶い出せないのが大抵だ。そして出逢うその101人目と出逢えた時、そいつは人生の終焉まで、その出逢えた101人目の為に、またその出逢いを伝える為の伝説を彫り続ける。其れを始める。億万超一切の覚悟を身に携えて。」
   「 …   …   」
   「葵は、俺にとっての101人目だ。」
   「 … … … … あ〜あ、男の人って、みんなそう。ボロボロに破けた油汚れのシャツ着て、夢を語る目だけが朝陽に照らされてキラっと光る朝露みたいに濡れて輝いてる。つまんないなぁ … 男の人ばっかり。いいなぁ、私も男に生まれて来たかったなぁ。」
   「女は、男のきんとうん(※觔斗雲・『西遊記』に登場する雲に乗って空を飛ぶ仙術、及びそれに拠って呼ばれる雲の事。)に同乗して人生という時を辿る空を歩く。女の人生だな。志。男の志の高さや深さが至らなければきんとうんは呼べない。雲もまた、そこまでお人好しでも、聞き分けがいいわけでもない。きんとうん … 葵を幸せにする手段も、この世に居たら、出す手探りも、待つ手薬煉(※てぐすね・十分に用意して待ち構える。)も金と運だ。夢は虹のように彩られていても報酬は換金され、追求し続けて得た誇り、そして勲(※いさお・手柄を立てたという名誉。)も、実は探し求めていた物はこの、自己満足であったと気付く虚しい瞬間と遇う。壁や紙に絵を描くのは容易だ。夢を叶えるとは、空中に色を着けるのと同じだ。そういえば俺には妙な特技があるんだ。音楽家やミュージシャン、バンドマン … そう、音だけで世界や物語を描いて伝える人を、一見で見分ける事が出来るんだ。足を見れば判る。すぐ判る。ドラえもんの足をしている人は先ず必ずミュージックアーティストだ。」
   「ドラえもん?」
   「うん。ドラえもんはタイムマシンで未来からきた猫型ロボットだが、ドラえもん開発時にバナナの皮などを踏んだ際に滑って転んだりしないように実は僅かに浮いているんだ。そんなドラえもん自体がミュージックアーティストと関係あるわけではないが、便宜上、そう著した方が庶民的で朗らかだからそう云ってるだけだが、要するに、音楽家の足は、実際には無論浮き上がってるわけはないのだが、そう、見えるんだ。凝視する。しかし見る標的が、照準が、逆にぼやけるくらいに凝視する。そうすると見える。そうそう、どちらかと言うと、いや更に言うとちゃんと云うと、外界的に見るのではなく、内側を覗く。しっかりと覗く。魂をガン見するみたいな感じだな。でもだから、逆に、その凝視は、実際には第三者の目線から鑑みると、俺の目線はまるで相手から外れた場所に向いている。左の耳の後ろ辺りに眼が在ると見立てて想像してもらえば最もその瞬間の俺の体制に近いだろ。目尻の端の端辺りで一瞬見て即座に視線をずらす。そして視界から相手を外す。そして左耳の後ろの眼で捕らえ続けて、臍の内側にある更にもう一つの眼で相手を念う。所謂、心眼と呼ばれるやつみたいなものだな。そうするとはっきりと、くっきりと見えるんだ。足は浮いてる。確実に浮いてる。」
   「どうして音楽家だと足が浮くの?」
   「画家や彫刻家を侮辱しているわけではないが、が然し、この解釈は画家や彫刻家には少々申し訳ない気もするが、が仮に、眼は二つ目の脳ミソだというセリフもある。葵、目に映らない、所謂音と言葉のみで描かれる世界で人の心に伝える、届ける、響かせるという行為は、それは雲の上に立つという行為に等しい。では雲の上に立つには、立てる人とはどういう人か … 信じてる人だよ。100%信じ切ってる人だよ。」
   「何を?」
   「その立っている雲の、その足元の雲が、絶対に抜けないと信じてる人だよ。」
   「 !  ……… 」
   「うん。一瞬でも、いや、疑った瞬間にその足元の雲は抜けて、地面へ真っ逆様に落ちる。確信。逆に残念ながら、だからこの人の立つ足元の雲はフワフワなんかしてない。頑丈なコンクリート、それどころか鉄筋のように強固だと思う。… … … 結局、だから、現実の世界の中では、俺の目を通して、そうした人等の足は浮き上がって見える。また時には、半透明に、薄まって見えたりもする。雲の上だから、その、抜けないという怨念に支えられた地面に立ってるから、所謂危ういんだよ。」
   「 …………  … … 」
   「お互い忙しくて、こんな、街を見下ろせる高台に来れなかったね、なかなか。私に、話したかったのね。」
   「誰でもそうなのかどうか知らない。でも、人を愛すると切なくなるのは、必ず人は死ぬから。必ず、離れ離れになる時が来るから。」
   「うん。」
   「葵に聞かせたり伝えたい事は、本当はいつだって、誰から聞いたり何かを見たりして知った事じゃなくて、俺が自分で見つけた事。」
   「 …………… 」
   「ダラダラ話したが、聞いてくれてありがとう。食事にしよう、葵。」
   「うん。」

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品