あ?悪役令嬢舐めとんのか?

下弦ノ月

第二話

「……………………。」

ぼんやりとする意識の中、彼女は瞳を開いた。その場所は戦場とは違う、暖かな風と、穏やかな花の香りに満たされていた。
風に草木は揺れて、なんとも眠くなる気候に彼女は呑気にも欠伸をひとつ漏らす。だがまぁ、自分が置かれている状況に頭がついていけないことは確かだった。
眠気に耐えながら彼女は自分が置かれている状況を思い出す。確かに、彼女は死を経験した。思い出せば震えるくらい、その事は鮮明に覚えているのだ。
そこから、誰かがここに移動させたのだろうか。だがおかしなことに自らが召している衣服に血液は一滴も付着していない。意識が途切れる前、彼女が見た自分の血液は、どこにもその姿を出していないのだ。

「あ、起きた?おはよう、エリシャ!」
「え……アンタ、誰や。」

自らの名を呼んだ声彼女は振り返る。だが、そこにいた人物は彼女の知り合いではなかった。
美しい金髪に白い肌。背後に見える白く美しい翼がその人は人間ではない、と彼女に教える。
嗚呼、自分は死んだのだ、と改めて彼女は実感した。鎧の重さも、握り締めた掌の感覚も、全て、現実ではないのだ。
それでも、彼女の頭は至って冷静だった。何となく、分かっていたことではあったし、最初に飛び出した時から死は覚悟していたからだ。

「まぁそれは置いといて!ごめんねー、エリシャが死んじゃったのって私のせいなんだぁ」
「…………はぁ?」

冷静だからといって、その言葉は彼女に驚きをもたらした。まさか自分の死がこの目の前にいる天使のせいだなんて彼女も知る由もなかったのだから。
天使が言うにはこうだ。天使の上司に当たる神様がいない隙に、下界に住む私達の生活を覗いてた。その際、下手に神様の鏡を触ってしまったせいで、彼女達の運命にズレが生じた。さらに最悪なことに、死ぬ予定ではなかったエリシャが命を落とす。焦った天使はエリシャを蘇生しようと奮闘。結果、体に戻せたのはだけで、意識を戻すことは出来なかった、と。
つまり、彼女の体は一生昏睡状態のまま、ということだ。悪びれた様子のない天使に彼女は腹を立てた。更に追い打ちをかけるように天使は続ける。エリシャの魂は無いため、完成されている器に意識のみを入れることしか出来ない。簡単に言えば、転生者として新しい命が芽生えた、ということは出来ないのだ。

「ってことで、エリシャが望む先に意識を送ってあげる!」
「は!?いや、ちょ、意味わからんのやけど!?」

彼女が望む先など決まってはいる。勿論、自分自身の体だ。それ以上に望むものなど彼女にはない。
だが、恐らくだが天使の言うソレと、彼女が求めるソレは違う。同じであるのなら、彼女にこんな説明はしないだろうし、こんな場所で目を覚ますこともなかったのだろうから。
反論の余地もなく、彼女の意識は途切れる。遠くで、誰かが騒ぐ声。途切れたはずの意識はすぐに呼び戻された。

「嗚呼、お嬢様!良かった、お気づきになられたのですね!」
「……ここ、は。」

肺を満たす冷たい空気。息を吐けば白い息が彼女の視界に映りこんだ。
肌へ触れる冷たい空気。彼女の体はびしょ濡れで、顔を覗き込む女達の髪も濡れ、ぽたぽたと彼女の頬に水滴を落とす。
口々に呼ばれるお嬢様、エリシャお嬢様、という言葉。名前自体は変わらず、変わったのは外見と立場だけ、といったところだろうか。
元より、彼女はその世界での生活に馴染むことは得意だった。旅をしていたこともその順応性を高めた理由ではあるが、ギルドでの生活が1番強いだろう。
ギルド、というのはぼんやりしてれば飯が貰える、といった簡単なものでは無い。クエストを受けて、ギルドの儲けに貢献して初めて飯が食える。まぁ、彼女が所属していたところはそれなりに裕福で、余裕もあるが彼女は働き者だった。誰よりも少ない飯で、誰よりも危険な前へ出る。
そんな生活をしていれば嫌でも順応性が高められることだろう。

「よかった……さ、お屋敷へ戻りましょう。お風呂に入らなくては…」
「……あ、嗚呼。」

重たい体を持ち上げて、女の言う屋敷へと彼女は歩く。自分の細腕も、ドレスも、慣れないその体に歩くのさえ一苦労だろう。どれくらい歩いた頃だろうか、彼女の視界に映った大きな屋敷。見たこともないはずなのに、彼女はソレを見たことがある気がした。
最初は彼女も気のせいだと思っていたのだろう。だが、ロビー、廊下、自室、と所々、彼女の記憶を掠めてく。……決定的になったのは風呂を終えて髪を整えるために座らされた椅子の上だ。
正面にある豪華な鏡。まだ幼いながらに、その顔は見覚え、どころか昨日見たものと一致していた。

「……嘘、やろ」
「?……お嬢様、如何されました?」

特徴的な赤い瞳に、腰辺りまで伸びた長いライトブラウンの髪。少しムッてしていた表情は彼女のクセ。
唖然とした彼女をよそに、侍女はその髪をハーフアップに結ぶ。赤いシンプルなリボンを結べば、彼女そのものだ。
彼女の頭に鮮明にその姿が思い出される。殺伐としていたあの戦闘まみれの世界でも、それなりの娯楽はあった。彼女が、ソーラに進められたのもその1つだ。女の子なのだから、少しは恋愛に興味を持ちなさい、と渡された長方形の端末。
起動させるなり、4人のイケメンに、1人の美少女と、3人の悪女が登場し、曲が流れ出す。最初は引いたが、折角、教えてくれたのだ、と彼女は一応最後まで物語を進めていた。だからこそ分かる、悪者扱いされた1人の悲しい令嬢。
そう、その人物こそがエリシャが入った、この令嬢彼女なのである。

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