L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

アリシャ・サイド――『十指の封環』



応急冷却メイクシフト
清心の源水イーズ・ウォーター
 アリシャの頼みで、メルクリエは、白馬の火傷を治療し、生命力と精神力を回復させた。


 元気を取り戻した白馬は立ち上がり、礼を言うかのように短く鳴いた。
 メルクリエは、どういたしましてと、白馬にそっと触れようとする。
 水と冷をつかさどる存在だからと言って、メルクリエの手が冷たいわけではない。
 ちゃんと暖かい手だ。
 やや警戒しながらも、白馬は触れることを許した。
 その毛並みをゆっくり撫でながら、メルクリエは尋ねた。
「この馬の名はなんというのですか、アリシャ殿」
「え? 名前?」  
 名を聞かれてアリシャは困る。
 元々は死んだ行商人の馬だ。名前など知らない。
「わかりません。この子の名前を知ってた人は、もう――……。私が……見殺しにしたから」 
 もしかしたら、最初から名前など無いのかもしれないけど。
 アリシャは何度も殴られて死んでいった白馬の主のことを思い出して、悔しさがこみ上げそうになった。


 アリシャの翠玉色の瞳に、水気が溜まりそうになる、その時、メルクリエは明朗な声で言い放つ。
「それならば! アリシャ殿が新しい名前をつけてさしあげたらいいのですわ」 
「私が?」 
 でもそんなことを許されるのだろうか、アリシャは白馬を見る。
 しかし白馬は答えない。
 当然だ。
 しかし、好きにしろ、と言わんばかりの馬面をしている。
 メルクリエは期待の眼差しでアリシャを見つめている。  
「じゃあ、メア、でどうですか?」 
 理由は簡単で、アリシャのアとメルクリエのメを足しただけだった。
 さらにメアは偶然にも、雌馬を意味する言葉だった。
 オスなのに。
 言葉を持たぬ白馬に、口出しすることも、名前の意味を理解することも出来ない。
「メア。良い名をもらいましたわね」
 名が気に入ったかはともかく。
 馬はメルクリエに撫でられるのは、嫌ではなさそうだった。


 メルクリエは白馬から手を離し、少し歩くと、落ちたままのレイピアをひろって、アリシャの元へ持ってくる。
 そのつるぎを、両の手に乗せて、差し出した。
 アリシャの翠玉色の瞳を見つめて――その、海色の瞳で。
 ありがとう、そう言って、アリシャはレイピアを腰の鞘に納める。
 業物だからか、ラピスクオリティだからなのか、血濡れは一切なく、ピカピカの刀身のままだった。
 だが、それは確かに、魔物たちの命を奪った得物だ。
 メルクリエは、鞘に収まるまで、レイピアの刀身を見ていた。
「ねえ、アリシャ殿」
 不意に呼ばれてアリシャはメルクリエの方を見る。
「アリシャ殿は、力が欲しい、と願われましたわ」
 ラピスと共にあるときは、その意思や記憶も魔石たちに伝わっているのだろう。 
 アリシャは、その言葉に、うん、と小さく頷く。
「我が主も言っていましたが、アリシャ殿は、剣を振るには、優しすぎると思います」
「それは、どういう意味……?」
「――今後も、何者かの命を奪うたびに、心を傷つけていかれるつもりなのですか? 誰かを守るために、誰かが死ぬ、そういうことはこれからもきっとありますわよ」
 確かに、甘かったと、アリシャは思っていた。
 『力』とは『武器』のことだ。武器を持つということは、少なからず、誰かを傷つけるということ。
 その覚悟が足りなかったのだろう。


「でもね。私は、そのままでいてほしいですわ」
「え?」
「力を、何も考えずに振るうのは、ただの暴力ですもの――」
 自分の主の姿を思い出すように、メルクリエは目を閉じる。
「――力あるものは、自分の力を恐れておくべきなのです。誰かを傷つけたとき、自分の心が傷つくのは、正しい代償ですわ。私の心にはないものですけど、アリシャ殿にはそうあってほしい」
 アリシャは複雑だった。
 いつも複雑だった。
 強くありたいのか、弱くありたいのか。
 まだ何もわからないのだ。
「実は、我が主もそうなのですよ?」
「ラピスさ……まが?」
 まだ言いなれない様付け。
「それは、自分の力を怖がっているっていう意味ですか?」
「そうですわ。アリシャ殿は、あの方の指を見たことありますか?」
 アリシャは、ラピスの小さくて白い手を思い出す。
 その指にはいつも、きらめく金の指輪がはめられていた。
 金に黒のラインの指輪。
 呪いのような文字がびっしり刻まれた、冷たい指輪だ。
 それが、すべての指にはめられている。
 アリシャはそう記憶している。


「あの指輪は、枷なのです」
「……枷?」
 ええ。とメルクリエは肯定する。
「あの指輪は、ひとつで、1割の魔力を減少させる力があります」
「ひとつで、一割!?」
 単純な計算はアリシャにもできる。
 1割を全部の指にはめたら……、
「全部で10割!?」
「そう。あの方の魔力は、常に『0』なのです」
「0ってそんな!? 吸血鬼に魔法を使って、あんなに……」
 吸血鬼が吹き飛ばされたとき、その魔法の威力はアリシャも見ていたのだ。
 それが0だなんてありえない。
「水と言うものは、いくらせき止めようとしても、ひとしずく分くらいは、零れるものですわ。あの方の、常の魔力というのは、そういうものなのです」
 アリシャは想像する。
 絶句する。
 全部の指輪を外せば、どれだけの魔力なのだろうか、と。
 恐ろしい。
 それしか感情を得なかった。
 そして、ラピスの家に招待され、その天上人のような暮らしを見れば、ハッタリでもなんでもなく、本当のように思えた。
「あの方は、自分の力を真に恐れているのです。だから、武術というものを鍛錬されているのですわ。魔法以外の手段で、自分を脅かす存在を退けなくてはならないから――」
 いわば、メルクリエたちも枷だ。
 力を分散させるために、メルクリエたちを生み出し、それぞれに自分の持つエレメントを預けて、力を封じているのだった。
「どうやったらそんな魔力を?」
 それに、メルクリエは笑った。
 嬉しそうに幸せそうに。
「夢中になりすぎてしまったのです。魔法に夢中になりすぎて、いつの間にか、千年も時間が経っていたのです。ほら、楽しい時間は一瞬で過ぎると、言うでしょう? まるで子供のようですわよね」
 メルクリエの身長は、ラピスとそんなに変わらない。
 見た目だけなら、どっちも子供なのに。メルクリエは笑っていた。
「千年!?」 
 ここで、ようやく、アリシャはラピスの年齢を知った。
「……好きこそものの上手慣れですわ」 
 人ですら、50年も何かを一心にやり続ければ、その道のプロと呼ぶに相応しい者になれるだろう。それを千年やったとしたら、魔力が膨大になったとしても不思議ではないのかもしれない。


 けれど理解を越えている。
 知らずに、アリシャは震えていた。
 想像を絶していた。
 そして、少なくとも千年生きているというなら、いろいろな疑問にも納得がいく。
 魔法だけでなく、様々なことにも精通していたり、物事の見方が達観していることも。


 震えるアリシャに、メルクリエは、怖いですか? と問いかける。


 アリシャは、怖くないとは言えなかった。
 答えに窮してしまった。


「でも嫌いにならないであげてほしいのです。なにより、我が主に、孤独を意識させてしまったあなたには、責任がありますわね」


 メルクリエは少し、意地悪に笑った。
「さて、話がそれてしまいましたが、力を恐れるのは、間違いではないということですわ」
 一拍、間をおいて、メルクリエは続ける。
 (――私たちは、アリシャ殿のことを第二の主であると思っています)
「だからもしも、あなたが、誰かを殺すことためらった時、その役は私たちにお任せくださいな」
 私たちが、あなたの、『ちから』となりましょう。


 メルクリエはそう言ったのだった。




 その申し出は、アリシャにとっては嬉しい言葉だった。
 代わりに殺させる。そんなことを良しとして良いわけはないが、それでも、手助けしてくれるというなら、こんなに心強い者はいないだろうと、アリシャは思う。


「そうだ」


 突然アリシャが声を上げる。
 力になる、と言う言葉。
 それで、アリシャは思い出したことがあった。
 ぜひとも力を借りたいことがあったのだ。
「ゴブリンが言ってたんです、王都を侵攻するって……私はそれを止めたいと思う――でも、ラピス様も言ってた。『真に守るべきはどちらなのかをよく考えてほしい』って。ゴブリンが、人間の所為だって言ってた意味も、知らなくちゃ」
 だから……と続けようとする言葉を遮って、メルクリエは頷いた。
「ええ、任せてくださいな。ご助力致しますわ。でもとりあえず、情報収集ですわね。そのへんの亜人でも捕まえて、聞いてみるとしましょう?」
 そう。
 まずは、なぜ王都を攻めようとしているのかの情報が無くては判断ができない。
 しかし、メルクリエの捕まえて聞くというのは、どこか乱暴な雰囲気が感じられる。
 どうやら、ラピスよりは、力を使うことに抵抗が無いのかもしれない。
 アリシャは、深く考えないでおこう、と乾いた笑いでごまかして。


 地図を取り出した。
「とりあえず王都に行く途中に、いくつか村や町があるから、そこで何か聞いてみよう」
 本当に途中で亜人に出くわしたら、その時はその時。


「メアも行ってくれる?」 


 アリシャが尋ねれば。
 二人が話している間、ずっとそばに座っていた白馬、メアは、待っていました、と言う感じで立ち上がる。


 メアは、二人が乗ろうとしても、恐れたり嫌がったりはしなかった。
 アリシャが乗り、メルクリエはその後ろに乗る。アリシャの腰をむぎゅっとつかんで。
 白馬にまたがるアリシャの姿は、ますますお姫様感が増しているのだった。 


 やがて、二人を乗せた馬は走り出す。
 南へ。
 王都がある、南へ。







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