L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

アリシャ・サイド――『白を染めゆく赤』

 
 アリシャは、数日前に自分が襲われた農村に来ていた。
 ラピスと別れてから、一日が経過している。


 しかしその一帯はもう、村、とは呼べぬ無残な有様になっていた。
 木造だった建物は、どれも真っ黒に焼けている。
 炭のようになった家からは、今も微かに焦げ臭いにおいが漂っている。
 全ての家屋が、そんな有様だった。
 しかし、死体はどこにも見られない。
 アリシャがここに来た目的は、せめて埋葬でもしよう、そう思ったからだった。
「誰か、埋葬してくれたんだ」
 そう思い、村の道を歩いていると、村の中央広場に、何かの山が見えてきた。
 白く、赤く、黒い、山だ。
 山の周囲には、赤く黒い染みがいっぱいだ。




 それがなんであるか、
 アリシャは気づいて、脚を止めた。 
 出そうになった悲鳴を、押し殺すかのように、口を手で抑え込んだ。
 息苦しさと心苦しさが、口からあふれそうだった。


 アリシャはそれ以上近づくことができなかった。


 なぜなら、その山には、村人の骨が積まれていたからだ。


 無理もない。
 亜人たちの中には、人を食料にするオーガだってたくさんいた。
 それならば、食われていても不思議ではないだろう。


 そんな中央広場に、蹄の音が聞こえてくる。
 それとほぼ同時に、アリシャの視界を何か白いものがよぎった。
 横切ったのは馬だった。
 少し遅れてゴブリンの群れが、白馬を追いかけていく。


 アリシャは嫌な予感がした。
 そして、その白馬に少しの見覚えがあった。
 なぜなら、その白馬は、馬具を付けたままだったからだ。


 アリシャは無意識に走り出した。
 その白馬を追いかけるために。


 しかし、馬は速い。人の足で追いつくのは難しく、小柄なゴブリンの足でもなおのこと難しい。
 だからこそ。
 ゴブリンシャーマンの放った火の矢は効果的だった。
 魔法が命中した白馬は、痛みと驚きで転倒してしまう。


 馬が止まり、ゴブリンが止まる。


 止まったゴブリンの殿に、アリシャが突撃していくような感じになる。


「その子は殺させないよ!」


 勢いあまって、抜剣してしまった。
 だがそれだけだった。


 せっかく後ろから強襲出来たタイミングだったのに、アリシャはそれを逃してしまった。
 一番後ろにいた、ゴブリンシャーマンは魔法使いタイプのゴブリンだ。
 背後で鞘走りの音を聞いた時、ゴブリンシャーマンは死を覚悟し、恐れ戦くような表情で振り返っていた。
 なのに、斬りつけてこないアリシャを、ゴブリンシャーマンは笑い飛ばした。
「バカめ、そのような見た目をして、ただのハッタリであったか! 皆の物、馬よりもまず、この女を始末するのだ」 
 アリシャは、今、ラピスから授かった装備一式を身に着けている。
 白い長そでのブラウスに、ガーターベルトに吊るされた同色のニーソックスとそれを覆い隠すペチコート。
 それらを包む、真っ赤なベストとスカート、金属板をあしらった具足や胸当ては、美しく輝き、金髪の上に載っている王冠は、まるでどこかのお姫様がお忍びで来ているかのようでもある。
 それを、ガントレットや、小盾や、レイピアで武装している。
 そのアリシャの姿は、初見では腕の立つ冒険者や、王族関係の騎士のように見えるだろう。




 だが、ゴブリンシャーマンはその者のおつむが、おめでたいやつだと、悟った。
 恰好だけのハッタリだと。


 陣形を反転させ、アリシャから距離を置くゴブリンシャーマンと、接近するゴブリンの群れ。


 気が付けば、アリシャはゴブリンの一団に囲まれ、対峙することになっていた。
「……あれ」
 それは、アリシャが思うに、絶体絶命のピンチだった。
 ただのコックには、ゴブリン1匹でも荷が重すぎる相手だというのに、それが徒党をなしているのだから。
「さぁて、瑞々しい人間の女子だ。殺して持っていけばオーガたちも、少しの間は我らの同胞を食らおうなどとは言いだすまい」
 アリシャにはゴブリンの言葉が理解できていた。
 ラピスが授けた王冠の、特殊効果だ。
 このままでは死んでしまう。けれど、退路も塞がれている今、それを避けるためには、ゴブリンを殺さなければならない。 
 覚悟が……アリシャには足りなかった。
 何者かの命を奪うことに、躊躇いがあった。
 それは、戦闘において致命的だ。


 戦う意思もなにもないアリシャは、剣を持ったまま立ち尽くしていた。


 そこにゴブリンシャーマンの号令で、ゴブリンの一匹が、アリシャに襲い掛かる。
 手にした棍棒をアリシャに叩きつける。


 ぐしゃりと血が舞い、肉が潰れる音が空気を震わせる。
 アリシャは信じられないという表情をし、


 魔物の悲鳴と驚きの声が木霊した。


 気が付けば、ゴブリンの目玉が、レイピアに貫かれていた。


 
 引き抜いたレイピアが真っ赤に染まっている。


 うぎゃあああ。


 ゴブリンがのたうちまわり、血が噴水のように飛び散っていた。
 レイピアの刺突は脳に達しており、ゴブリンはやがて動かなくなった。


 アリシャは無言でそれを見つめている。


「何をしている! 恐れるな! たかが人間だぞ!」
 ゴブリンシャーマンが、檄を飛ばし、魔法による炎を作り出す。


 ゴブリンたちが、我に返り、数による有利を思い出す。
 急に強気になったゴブリンたちは、束になってアリシャを襲う。


 だが、アリシャの盾はゴブリンの攻撃を容易に受け流し、レイピアは踊る様に、命を奪う。
 その動きは、ラピスの戦い方だ。
 剣と盾に内包されたラピスの戦闘経験が、アリシャの意思とは関係なく、ゴブリンを迎撃しているのだ。
 それに合わせて、王冠に付与されている、わずかな未来予知と、自動的に攻撃を逸らす性能により、遠距離からの射撃攻撃には耐性を得ている。
火の矢ファイア・アロー!」
 ゴブリンシャーマンの撃った魔法すらも、その効果により当たることはなかった。
「なぜだ、なぜだ、なぜだ、なぜだぁぁ!」 
 いくら撃とうとも、当たりはしない。
烈火爆陣ファイア・ブラストぉぉ!」
 強力な範囲魔法が近くに当たったとしても、魔法に特に強く作られているアリシャの装備には、爆風すらも効果を及ぼさない。及ぼすほどの魔力が、ゴブリンシャーマンにはない。


 そのうち、場に立っているゴブリンは一人になっていた。


 魔法を撃ったことで、迎撃モードがオンになってしまったアリシャの剣と盾は、ゴブリンシャーマンを刺し殺すために、アリシャの身体を動かして接近を試みる。


「何故だ……そんな気配は微塵もしなかったのに。そんな強者の気配など……ッ!」


 恐れ、畏怖し、強張った身体で、逃げようと背を向けたゴブリンシャーマンの、その胸をレイピアが背後から貫いた。
心臓を刺した細い刀身が、胸部を突き破る。






「がはっ」


 


 命を奪う感覚が、無垢な心に歪を生んだ。
 アリシャは、涙を流しながら、ゴブリンシャーマンを貫いている刃を握る手を、かたかたと振るわせながら、その耳元に歪から生まれた、激情をぶつけた。
「この村の人たちを、殺したのは、あなたたちなの!?」 
 アリシャの言葉は、ゴブリンに通じる言葉に自動的に変換される。
 すでに命が無いゴブリンは、血を吐きながら、言葉を絞り出す。
「だったら、どうだというのだ。おまえたちは、海に魚がいたら、採って食らうだろうに」
「あんなに大勢の人を!?」
「ふはは、それで納得がいかぬなら、天罰とでも思うがいい。自分勝手な人間に対する、な」
「天罰ですって!?」
「ふふ…………」
 一瞬、生死をさ迷ったか、嘲笑ったかのように見えたゴブリンの言葉が途切れる。
 そして、細くなる言葉尻で呪いのように吐き捨てた。 
「もうすぐ、王都侵攻が始まる。喜べ、貴様らが巻いた種が、実ったのだから」
「王都侵攻? それはどういう……」
 その問いに答えるものはもういない。
 自重を支えることのなくなったゴブリンだった身体は、膝をつき、レイピアが勝手に抜けて、力なく地面に倒れこんだ。


 死んだのだ。




 アリシャに残ったのは、むなしさだけだ。
 殺した感触だけが、手にこびりついた血のように、意識に張り付いている。
 農村を襲ったやつらだったはずなのに。
 悪いやつらを、殺しただけだというのに。




 とめどなくあふれる涙の眼で、見つめた自分の手は、真っ赤に染まっていた。
 少し前まで、ただの、料理人の手だったはずなのに……。




「誰かを助けるということは、誰かを助けない……」


 ラピスの言葉が、ふと浮かんだ。


 そう。


 誰もかれもを、生かすことなんて出来ない。
 誰かを助けたら、誰かは死ぬ。
 誰かを助けるため、自分を助けるため……?
 本当に、殺すしかなかったのか?
 他の手はなかったのか?
 無力を嘆いて、力をせがんだのに、アリシャは後悔しそうだった。
 でも、武具に宿ったラピスの力を責めることはできない。
 それはただ、アリシャの命を守っただけなのだから。


 何か間違ったことをした。そんな気がして、自分を責めそうだったアリシャの視界に、起き上がろうとしている白馬の姿が目に入った。


 それを見た瞬間、アリシャは剣を投げ捨てて、駆け寄った。
 崩れ落ちるように、白馬の傍に座り込んだ。


 命を奪った慟哭の冷めた涙が、嬉しさに暖かくなる。
「よかった、生きててくれて!」


 アリシャは救われた気がした。
 少なくとも、命一つを守ることができて。
 手を血に染めたことが、無意味にならなくて。
 そうでなかったら、アリシャは狂っていたかもしれない。


「ありがとう」  


 アリシャは思わず、白馬に触れそうになり、自分の手についた血で、その真っ白な体を汚しそうで、触れることができなかった。



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