L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

薔薇の洋館

 ほぼ同じ時刻。


『魔の森』と呼ばれる森林の、その北端に、薔薇に覆われた洋館が、ぽつんとある。
 そこは、森の中心から距離があったため、千年前の災厄の影響が少なく、倒壊は免れていた。
 砕けた噴水と、建物のひび割れが、その時の名残だ。
 玄関の大きな扉を開けると、白と黒のタイルを敷き詰めたエントランスフロアがあり、二階へのびる階段がある。 
 全部で部屋は18部屋。 
 もとはどこかの貴族が、別荘として建てた屋敷だ。
 しかし今は、とある吸血鬼のねぐらに使われていた。
「ぐ…ぐぐッ」
 そのエントランスに、獣のようなくぐもった声が、時折木霊していた。
 その声の主は、日差しを避けるように、エントランスの隅にうつぶせに倒れていた。
 ぼろぼろの燕尾服に身を包んだ、齢70歳ほどに見える老躯だった。
 全身に重度のやけどを負い、左腕は、肘先までしかなかった。
 老躯は息を殺し、焼けるような痛みに耐え続けていた。
 日中ということもあり、今、何者かに襲撃されれば、抗うすべなどない。 
 だから手負いの獣のように、気配を殺して、夜を待っている。
 自然治癒が発揮される、夜の到来を。


 その老躯は、吸血鬼だった。
 宵闇の中であれば、月光の中であれば、高い自己治癒力によって、どのような傷でも1日で全快する。
 しかし、その吸血鬼の直りは非常に遅かった。
 光や、聖や、命の属性魔法は、アンデッドである吸血鬼にとっての弱点だ。
 治癒の魔法を何度も浴びて溶けた体は、まだ20%ほどしか治癒が進んでいなかった。逃げるために溶解した身体の修復に全ての『血の力』を使ったため、この先の治癒はさらに遅くなるだろう。
 それも、吸血鬼の王ヴァンパイアロードなのにである。
 もしも種族としてのスペックが低かったら、すでに力尽きていた。
 もう一つ幸いだったのは、負傷した場所が、洋館に近い地域だったこと。でなければ、這ってたどり着くことはできなかっただろう。
 そんな吸血鬼の屋敷に、接近する人影がある。
「うぐっ」
 老躯はそのことに気づいていた。
 警戒しなければならない。
 吸血鬼は体を起こそうとした。が、すぐに崩れ落ちた。
 まだそこまで再生が進んでいないのだ。
 ばたんと、仰向けになるだけで精いっぱいだった。
「く、そ」
 堀の深い、ダンディズム溢れる顔が、苦痛に歪む。
 頭蓋骨を負傷したせいで、老人の白髪は血で汚れていた。
 オールバックにしていた髪型も、乱れ放題になっている。
 そこに、屋敷の扉が開き、陽光が差し込んだ。
「ぐぐっ」
 老人から苦しそうな声が漏れた。
 下級のノスフェラトゥならいざ知らず、ヴァンパイアロードは、ただの陽光程度でダメージは受けない。能力の減衰をうけるだけだ。
 だけなのだが、今の状態では、傷口に塩を塗られる程度の苦痛があった。
「なっ」
 扉を開けた人影が、エントランスに倒れた老人を見て、驚きの声を上げる。
 そしてすぐに扉を閉めて中に入った。
 その姿が、老人の傍らに立つ。
「定例会に顔を出さないと思ったら、まさか負傷していたとはな」
 渋く低い声だった。
「ルルヴィトールか」
 吸血鬼の知り合いだった。
 甲虫型の蟲人である。
 多種多様な進化を獲得している昆虫型の魔物の中で、高い知能と人型の形態を手にしているのが、蟲人と呼ばれる種族だ。その中でも、ビートル種をルーツとした蟲人だった。
 頭に角があり、真っ白な甲冑姿に、赤いマント。背には盾と、剣を背負っている。
 そんな騎士然とした甲冑は、その実、全身が高質化した蟲の外皮である。 
 ルルヴィトールと呼ばれた純白の蟲騎士は、床に膝をつき、吸血鬼に問いかける。
「お前をここまで痛めつけるとは、いったい誰にやられたのだ、クヴェイン」
 吸血鬼の名は、クヴェイン=デイル=オーグと言う。
 千年前の災厄の後に『魔の森』に住み着いた、ヴァンパイアロードだった。
 クヴェインは、ルルヴィトールを見上げ、焼き付いたままの喉から声を絞り出す。
「それを、知りたいのは、私の、方だ。やつは、何者か、答えなかった。ただ、私を『弱者』だと、い……」
 そこで、クヴェインが咳き込んで言葉が止まった。そして知り合いに話す口調はいつもよりも砕けていた。
 ルルヴィトールは、仮にもヴァンパイアロードであるクヴェインが、弱者と言われたことに驚いていた。
「お前が、弱者だと? 相手はそれほどの手練れなのか?」
 老人の口元が、笑みの形に歪む。
「ルルヴィトール、貴様は、自分がどれほどの強さだと、思っている? この私と比べて、どうだね?」
「以前、お前とやり逢った時は、互角だったはずだ。きっと今なら、オレの方が、少し上かもな」
 それはもちろん、体調が万全の吸血鬼を相手にしての話だった。
「互角、か」
 くつくつ、とクヴェインは笑って、咳き込んだ。
 そして、言葉を続ける。
「互角では、決して勝てぬだろうな。なにせ彼女は、私を一瞬で、ボロ雑巾に変えたのだから。しかも、そのあとに何と言ったと思う?」
「彼女? 相手は女性なのか?」
「嗚呼。ヒトの子供のような、少女だったよ。銀色の髪と、瑠璃色の瞳を持つ、とても、美しい娘だった」
 そこで、吸血鬼は一瞬瞳を閉じた。
 脳裏に焼き付く、銀髪の少女の姿を、思い浮かべていた。
「それが、何と言ったのだ、クヴェイン!」
「嗚呼、趣味で始めた剣術で、負けるお前は、弱い、と」  
「剣術? 趣味、だと!?」
 ルルヴィトールは怒気をはらんで、声を荒げた。剣一筋で生きてきた騎士にとって、趣味と言う言葉は、誇りにひどく突き刺さった。 
 対するクヴェインは落ち着いている。
 静かな声で、独白するように、言葉を絞り出す。
「そう。そして私は、その趣味に負けたのだ。滑稽だろう?」
 ふふふ、ははは。
 ぼろぼろの身体は笑うだけでも、悲鳴を上げる。それをおして、老躯は枯れた声で笑った。
「もう自嘲わらうな、クヴェイン」
 ルルヴィトールが立ち上がる。
 これから、その彼女を殴りに行く。そんな決意を持った起立にも見えた。
 だが、それはクヴェインの勘違いだった。
「笑いが、からだに堪えるだろう?」
 ルルヴィトールは、傷ついた老体を背負う。
 そうして歩き出した。階段を上り始めた。
「念のために言うが、彼女に喧嘩を吹っ掛けるのはよせ。自信を無くしたくないのならな」
 一番奥の、窓のない一室が、クヴェインの寝室だ。そこをルルヴィトールは目指していた。
「そんな真似はしない。安心しろ」
 その言葉が、どうしても嘘に聞こえたクヴェインはさらに念を押す。
「――彼女の本業は、魔法使いと言っていた。そのことを、よく考えろ」
「くどいぞ、クヴェイン」
 老躯がベッドに寝かされる。
「初めて、だったよ、決して勝てぬと思ったのは。……あの、宝石を出されたとき……あの宝石の中が見えたのだ……あれは……あれは……」
 まるでうわ言のように言葉を続けるクヴェインに、ルルヴィトールは、大丈夫だ、と続けた。
 何度も。
 そうして、ようやく落ち着いたクヴェインを置いて、部屋を出る。
 その前に。
「ああ、そうだ。聞こえているかは知らないが、今回の定例会でのことを一応伝えておく」
 そう前置きをして。
「――各種族の長は、亜人たちの王都侵略を支援することを決めたようだ。オレも、次の作戦には出陣するよう通達が来た。お前も、王都侵攻時の切り込み役があてがわれるかもしれん――それまで、身体を休めて置け」
 それだけ言って、白い騎士は、マントを翻して去っていった。
「ふ。今更この老骨に、何が出来よう」
 甲冑姿が、部屋から出た後で、小さなつぶやきが漏れた。
 クヴェインにはもはや、戦意など残っていなかった。


 


 館を出たルルヴィトールは、玄関の大扉を閉め、踵を返したところで、ふと物思いにふける。
「いったい何者なのだ……」
 クヴェインは老いてはいるが、吸血種の中でも最上位の種族だった。基礎的な能力は、竜種にも劣らないだろう。相手が人間であれば、一撃で粉砕できるほどのパワーを持ち、少々の傷など自己治癒力でものともしないタフさもある。蝙蝠、霧、狼への変身能力や、血を介した技にも精通している。だがその力を発揮する暇さえなかった。
「クヴェインを一瞬で倒す少女か……、確か、銀色の髪に、瑠璃色の目だと、言っていたな」
 ルルヴィトールは歩き出す。壊れた噴水のある庭を抜け、森へと入っていく。東の街道を、目指すように。





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