L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

訪問

 千年前に一度荒野と化した森林は、今はすっかり元通りになっており、数々の草花や樹木が、一帯を埋め尽くしている。伝説となった先の一件で、亜人たちは寄り付かず、周辺諸国からは、ほぼ聖域、もしくは呪われた地とされている地域だ。
 ただ知能の低い魔物や、亜人たちをうっとうしく思う強力な種族が多少居を構えており、現在では『魔の森』『聖樹の禁域』『神罰権化の地』など、様々な呼び名がある。


 アリシャは暗い森の夜道を、ラピスとはぐれないよう必死についていく。
 そんな森の中心部へ向けて歩みを進める2人の視界に、少しずつ目に入る物たち。
「なんかいっぱい、ある」 
 それは、よく見れば多種多様な形の、石像だった。
「たまにね、襲ってくる連中もいるのよ」
「ラピスさんを?」
「そうよ。途中までは、真面目に相手してあげていたんだけどね、最近は面倒になって……」
 ラピスの言う途中までは、とは、数百年単位のことだ。
 アリシャは、まさかな、と予想がよぎる。
「じゃあこれって……」
 それにラピスは、ちょっと得意げな瞳をアリシャに向ける。こくんと、ちょっぴり頷いた。
「こうやって石像にしておけば、見せしめにもなるじゃない? おかげで襲ってくる頻度が減ったのよ。なかなか良いアイディアだったわ」
 中心に近づくにつれて、石像は増えていく。全部合わせるとどれだけの数になるのか、アリシャは想像できない。
 千年分積もった作品群は、相当な数だった。
 アリシャは黙ってしまった。ラピスのことが少し恐ろしかったからだ。  
 それを察してか、ラピスはフォローを入れる。
「ああ、大丈夫よ。永続で石化の魔法をかけてあるだけで、解除したら元に戻るから。命まで取ってはいないわ」
 え、あ、ううん? そういう問題なのだろうか。
 アリシャは心の中で困惑する。
 空中で墜落したのか、翼が砕けた鳥類の魔物が石像になっている。
 これはもう駄目だろうな、とアリシャが目を向けていると。


 急に視界が明るくなる。
 そして――


「ついたわ」


 うっそうと茂っていた森林は一挙に姿を消し、広い空間が現れる。
 円形に広がる一帯には、樹木はなく、代わりに様々なハーブや、特異な作物が栽培され、お花畑のようになっていた。その全域が、空中に浮かぶ魔力の光源や、光を発する植物たちによってライトアップされている。
 さらに、その中心部には、一風変わった邸宅が聳えている。
 巨大な、全幅8メートルはあろうかと言う巨木が折れた後に残った大本。内部がほぼ空洞になったそれらを、存分に生かした、樹木の邸宅が、そこにはあった。
 邸宅の傍には、ガラスか何かで作られた家があり、その中でも別の植物が栽培されている。
「うわぁ」
 その景観は、まるでおとぎ話の理想郷だった。
 お花畑のような、あるいは植物園のような一帯から邸宅までには、数百メートルほどの距離がある。
 ラピスにつられて少し進むと、花や果物の香りがアリシャを出迎える。
 張り巡らされた水路や溝は、作物への水や肥料を自動的に供給するシステムのものだが、水流と花のコントラストが王宮庭園のように美しい。邸宅の傍には、水路の水流を循環させる水車が回っていて、水をろ過するシステムまで組み込まれていた。
「すごい」
 チープな言葉しか出なくなったアリシャに、ラピスはくすくすと笑った。
「ただの暇つぶしよ。最初は薬品の研究のために作っていたのだけどね」
 いつの間にかガーデニングが趣味になっていたと、ラピスは続ける。
 さらに、歩みを進めると、大きな幹をくりぬく様にして備え付けられた扉の前にやってきた。玄関と言うわけだ。
 扉の取っ手の近くには、細いスリットが入った金属板がある。
 それは一風変わったデザインの鍵穴だとアリシャは予想した。
 そうしてラピスは、長方形の平たい札カードを取り出すと、そのスリットに差し込む。
 ふぃーん、と音がしてロックが外れた。
「ええっ、なんかすごい……」
 鍵というのは予想通りではあったが、アリシャはそんな鍵は見たことがなかった。
「私が作った、魔力の波長を感知して開く鍵よ。自力で開けようとすると、魔力の波長で、メロディを奏でられるくらいの、技術と制御が必要になるわ。さすがに毎回それだと面倒だから、これにあらかじめ登録してあるのよ」
 そう言って、ラピスは長方形のい平た札カードを仕舞った。
 常人には理解できない話だった。
「もお、何を言ってるのかわからないよ」
アリシャは頭を抱えた。すごすぎて引き気味だった。
「大丈夫よ。技術って割とそういうものよ。専門家プロというのはね、他人が難しそうだと思うことを、涼しい顔でやっておくものなの」
 子供のように見える少女の口から、老年の職人のような言葉が発せられる。
 齢15歳のアリシャには、そんな心境は及びもしなかった。
 アリシャが茫然としていると、扉が開かれる。
 さ、入るわよ、とラピスは開いた扉に足を踏み入れる。
 誰もいないことが分かっている空間に、ただいまを言う必要もなく。ただ無言で足を踏み入れた。
「お邪魔します」
 対するアリシャはちゃんと挨拶をして、おずおずと中へ入る。 
 内部は薄暗かったが、すぐに明かりが点灯する。自動で。
「勝手に明かりが……!?」
「良いでしょう。来訪を感知すると勝手に点くのよ」
「そんな……私たち、ろうそくの明かりで過ごしてるのに」
 蝋燭の明かりというのは、ややアリシャの主観だが、この世界の一般的な明かりといえば、火を灯したランタンや松明しかなかった。アリシャの驚くのも無理はない。
 玄関を入るとすぐ、テーブルとイスが置かれた広間になっていて、壁際には登りと下りの階段が備え付けられていた。
 部屋を見回すと、奥にはまだ部屋が見える。
 その中で壁に引っ付いている大きな箱の物体が、アリシャは気になった。
「あの四角いのはなんですか?」
「あれ? あれは空調ね。中と外の空気を入れ替えるのにも使うけれど、寒かったら暖かい風、暑かったら涼しい風を出すこともできるわ」
 つまりエアコンであった。
「ええ。そんな……私たち、物を冷やすって言ったら、水か氷なのに」
 この世界、氷の調達はとても高価で手間のかかるものだ。物を冷やして長期で保存するなど、特別力のあるものが、特別に行うことでしかなかった。例えば王族など。
「そっちには小さいけど、物を冷やせる箱もあるわよ」
 冷蔵庫である。
「わ、わたしのじょうしきがほうかいしちゃう、しちゃう、しちゃう」(セルフエコー)
 原因は不明だが、アリシャは涙目になっていた。
「とりあえず着替えてくるけど、貴女着替えは? お風呂にでも入る? 食べ物を用意するのは少し時間がかかるけど」
「え、あ……その」
 旅人は、荷物を軽くするため、必要最低限を有している。携帯式のテントや食料のほうが大事なため、衣服は基本替えはなく、水場などでその都度洗ったりしていた。男性ならもっと無頓着だが、アリシャが持っている替えは、下着くらいだった。
「ふーん……」
 突然ラピスがアリシャに寄ってきて、その姿を嘗めまわすように吟味する。
 ぴと。
「はわっ」
 アリシャの腰にラピスの両手があてがわれた。
 革製のスカート越しとはいえ、他人に触られ慣れていない部分で、アリシャはどうしていいのか、反応に困った。ちょっと内股になってしまい、太ももまである具足の、金属どうしがすれてかちゃりと音を立てる。
 そのうえで、さわさわされてしまう。
「な、ななな、なにするんですか、ラピスさん」
「だいたい、誤差10センチくらいかしら」
「へ?」
 ラピスはアリシャの反応など気にしていない様子で、さらに、ぐいっと、顔をアリシャに寄せる。アリシャは155センチ、ラピスは130センチだ。背丈のせいで、ラピスの顔はアリシャの胸元付近になる。
 アリシャは革製のベストと白いブラウスを着用している。しかし、森を抜けてきたせいか、あちこち汚れが見えていた。
 ラピスはくんくん、と胸元の匂いをかぐ。
「ちょ、ちょちょっ」
 のけぞるアリシャの顔を、上を向いたラピスの、瑠璃色の瞳が見つめる。アリシャには、ラピスの白銀色の髪から漂う花の香が、ほのかに感じられた。
 その香りに中てられたのか、アリシャは目をそらした。
「さ、さっきからいったいなにをっ?」
 しかしラピスに、さっと回り込まれてしまった。
 アリシャの翠玉色の瞳と、ラピスの瞳が交わる。まるで理想を形どったような少女――ラピスの造形は、ずるい程神がかっている。アリシャが照れてしまうほどに。
 そして、その小さめの唇が開かれた。
「あなた……」
「は、はい」
「匂うわよ」
「え?」
「外の人間はみんなこうなの? 自分の匂いには無頓着なのね」
 言われたアリシャは自分の匂いを嗅ぎだした。
 しかし実際アリシャのアップスタイルにした白金色の髪は、衣服と同じく、くすんでしまっていた。そこに汗やら泥やらの匂いが、染みついてしまったのだろう。
「そのままじゃ、綺麗な顔が台無しだわ。まずはお風呂ね。その間に、貴女の服は見繕っておいてあげるわ」
 はい、とラピスが何かを押し付ける。
 ふわっふわの、アリシャから見れば超高級な、柔軟剤たっぷりのタオルだ。とてもフローラルな香り付きだった。
 それを持って、とりあえずこっちに来なさい。
 タオル一つに陶酔しそうなアリシャを、ラピスはそういって促す。
 連れていかれた先は、家屋の裏手にある、湯気と熱気とアロマな香り、が充満した部屋だ。床は、細い竹のような素材を敷き詰めてあり、通気性や水はけに配慮された作りになっている。
「服を脱いだらそこの全自動洗濯機はこの中に入れておいて、この先の扉を開ければ、露天風呂になっているわ」
 一通り説明すると、ラピスは、さっさとどこかへ行ってしまう。
 訳が分からないまま、アリシャはぽつんと残されてしまった。
 こつん、と近くの柱に頭をぶつけてみたが、ちゃんと痛い。
「うん、夢じゃないね」
 もしかして、私もう死んでいるのでは。とアリシャは思ったがそうではないようだった。


 部屋にはアリシャしか居ないし、一応ラピスは女性だし、急に襲われたりもしないだろう。気にしなくてもいいかなと、言われた通り服を脱いで、箱に入れ、革の防具たちは、脱衣スペースらしきところの端にまとめて置く。その上に、真鍮製の輪っかに、チェーンが通してある、簡素なネックレスを添えた。




 そうして脱衣所を出ると、冷たい外気にさらされる。それなのに、湯気で暑かった。
 水音が、ザーザーと鳴り響いている。
 それは滝だった。お湯の滝だ。
 大きな岩と倒木の隙間からそれはざぶざぶと流れ落ちて、直下のお湯だまりに落ちて行っている。
 ほんのりと照明も備えられ、夜の星空と相まって、これでもかというロマンティックを演出していた。
 湯舟の上には一部に天蓋も付いており、雨でも雪でも問題なく使えるようだ。
「……すごすぎる」
 どれもこれも、ラピスが一人でやったのだろうか。
 そう思えば、どの仕事も一級の職人ばりの力量だった。
 アリシャは、入浴の作法など知らない。かかり湯なども知るはずもない。
 そのまま、ざぶん、と湯舟に入った。
 水温41度のお湯に、薬かなにかが溶かされているのか、淡いアロマな香りが漂っている。
 その湯船にアリシャは座り込む。
「何者なんだろう……ラピスさん」
 アリシャには、地上の人と、天上の人くらいの差に感じられた。
「そうよね、こんなの、天人の暮らしだもん」
 それなのに、ずっと独りだと、言っていたのだ。
「それとも、どこかの王族の人なのかな」
 分からない解らない解らない解らない……。
「あー、もう」
 ばしゃん、と湯舟に倒れた。解けた金髪が、お湯にたゆとう。
 これはあの時と同じだ。
 河で倒れたあの時。
 アリシャは目を閉じて思い出す。
 白馬は無事だろうか。
 農村の人たちは、ちゃんと天国に行けただろうか。
 自分だけこんな、良いところにいて良いのだろうか。
 ほかの村は襲われたりしていないだろうか。
「……うらやましいな」
 自分は無力で何もできない。
 でもきっと、ラピスならば、苦も無く解決できるのだろう。
 その差が、アリシャの胸を締め付けるのだった。






 アリシャを助けたこと、それはただの気まぐれだった。
 暇つぶしに散歩に出ていただけだった。
 たまたま、吸血鬼に付け狙われている少女が目に留まっただけだ。
「……なにをしているのかしらね、まったく」
 ラピスは自分のしたことを、疑問に思っていた。助ける義務も、必要性もなかったはずなのに、気が付けば飛び出していたのだ。
「浅慮にもほどがあるわね、私」
 それとは裏腹に、ラピスはどこかで解ってもいた。でなければ、人造生命を作ろうなどとも思わないだろう。ゆえに答えは一つだけだ。
「そう、もう独りは飽きたということかしら。ほんと、浅はかだわ、私」
 部屋の中に呆れの混じった独白が、零れ落ちる。
 そのラピスは今、薬を調合する部屋にいた。
 住居スペースから階段を降りて到達する地下にある、数多の部屋のうちの一室だ。
 普段飲食などしないので、ラピス邸には飲食物は常備していない。だから人が飲める飲料水を幾つか作っていた。
 薬草を煎じてお茶にしたり、果物と薬品を調合して、清涼飲料水を作ったり、香りの高い豆と植物性のミルクを合わせて、珈琲牛乳もどきを作ったり。
 自分の体内時間を加速させる魔法を潤沢に使って、それらすべてをあっという間に終わらせた。これはいつものことだった。そうやって多様な趣味を維持しているのだ。なので、ラピスの千年は普通の千年よりもずっと凝縮されている。
「さて、そろそろ湯からあがる頃ね。でなければ……倒れている頃かしら」


 その通りである。
「きゅううう」
 ラピスが様子を見に来た時、アリシャは露天風呂で素っ裸で目を回していた。
 完全にのぼせたようだった。
「まぁ、哀れね」
 役得ということで、ラピスはアリシャの肢体をつぶさに観察してからすくい上げた。
「なんというか、こういうのを嗜虐心というのかしら」
 普段非力なラピスは、四肢に魔力を籠めることで、筋力を補助したり強化したりしている。
 小さい娘が、ほぼ大人な娘を、お姫様抱っこして運ぶ、という状態で、ベッドのある部屋へと運び込んだ。
 使う予定はなかったが、インテリアとして必須っぽかったので、オブジェとして作成したベッドが、それで初めて使われることになった。寝具はもちろんふわふわだ。
 真っ裸のアリシャをベッドに寝かせ、ラピスは独り言を言う。
「さて、ここからが本番ね」





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