L a p i s ~ 世界樹の精霊《スピリット・オブ・マナ》 ~

神の味噌汁

石ころの名前

 アリシャはいまだ座り込んだまま、もらったお守りを両手で握りしめていた。
 近くの焚火はもう薪をくべていないから消えそうだし、鍋のシチューは焦げ付いているし、放り投げたお玉はまだ草むらに落ちているし、テントは無事だが、一緒にいた馬はどこかへ行ったままだ。
 ここでじっとしていなさい、そういった少女はまだ戻ってこない。
 その小さな女の子が、吸血鬼を圧倒したのは見ていた。
 しかし、何かの間違いのような気もする。
 少女が向かった方角からは、さきほどから何度か叫び声が聞こえている。
 大丈夫だろうか。
 少女は強かった。だから平気だろう、そう思いつつも、内心ではハラハラしながら、少女の帰りを待っていた。
 そこに暫くして小柄な人影が、歩いてくるのが目に入る。
 二つに結んだ長い銀髪に、真っ黒な帽子とケープ付きの外套は見覚えがあった。
「あっ――」
 一瞬名前を呼びそうになり、そこでアリシャは名前を知らないことに気づいた。
 いや、名前を知る暇などなかったと言えば、そうなのだが。
 目前まで戻ってきた少女を、アリシャは見上げる。
 少女は何かぶつぶつと言っていた。
「知らなかったわ。ばんぱいあに治癒の魔法をかけると、肉が焼けて溶けるだなんて」
 それとも、エレメントの選定を間違えたのかしら、とかなんとか。
 肉が溶ける、とか物騒な言葉が聞こえたような気がしたが、アリシャはあえて気にせず、
「あの……大丈夫でしたか」
 そう尋ねた。
「え、ええ」
 少女は生返事だ。吸血鬼を一度助けようと思ったが、ヴァンパイアと言うもののことをよく知らなかったため、逆に痛めつけてしまった。あの後、あれ、おかしいな、と何度か追加で試したが、肉が焼けるばかりだった。
 もはや、焼死体……というよりヘドロのような有様にしかなっていなかったため、もうそのまま生きるなり死ぬなりしてもらえばいいか、と放ってきたのだった。
 だが、それをわざわざ説明する必要性はない、と少女は判断する。
「大丈夫よ、問題ないわ」
 そして少女は、アリシャの顔を見下ろした。
「それよりも、貴女こそ大丈夫? 立てる?」
 そう言って、少女はまだ座り込んだままのアリシャに手を差し伸べた。
 なんだか状況がちぐはぐだなあ、と思いながら、アリシャはその小さな手を取った。五指にはめられた指輪が、冷たいと感じながら――。
「…………」
 しかし背丈のせいなのか、腕力がないのか、少女が一生懸命起こそうとしても、アリシャは一向に引っ張り上げられなかった。
 だから、アリシャは苦笑して、自分の足に力を入れて立ち上がった。
「ありがとう、助けてくれて」
 少女とアリシャは、25cmほどの身長差がある。
 上目遣いになった少女に対し、アリシャは頭を下げた。
 先ほどまで凛々しかった様子とは打って変わって、アリシャには少女が10代前半ほどの、年相応な娘に見えた。瑠璃色の涼しげな瞳がアリシャを見ている。
「そういえば名前を聞いてなかったね。私は、アリシャ=ハインリス。君の名は?」
 アリシャが思い出したかのように名前を問うと、少女はさも当然のように言った。
「私に名前なんてないわ」
「えっ?」
 アリシャは言葉を失くし、少女はそれに微笑んだ。フフッっと笑って。
「そんなに驚くことじゃないわ。私は、ずっと一人で過ごしてきた。名前が必要になるようなことなんてなかったのよ」
「ひとりで? ずっと? ずっとって、いつから?」
「いつからかしら」
 少女は少し思案する。そしてとある方角に目をやった。山脈がある方角だ。
「そういえば……森の北にある山脈に、今も穴が開いているじゃない?」
「繊月山のこと?」
「せんげつさん? そういう名前なのね」
「確か、千年ほど前に、一夜で森が荒野になったっていう伝説があるんだけど、繊月山せんげつさんもその時に、山に大穴が開いて、穴からたびたび月が見えるようになったっていう逸話があるの。山の名前もそのときにつけられたそうよ」
「千年……?」
「うん。大体だけど。それがどうかしたの?」
 少女は黙り込んでしまった。少女が、魔法で遊び惚けている間に、途方もない時間が過ぎていた。魔法と言うものに触れた楽しさのあまり、夢中になりすぎていたのだ。
 そして千年の間、少女は独りだった。しかし、さみしさを思うことなどなかった。そんな隙間は、心になかったから。
「いえ。そう……知らなかったわ」
 今になって、少女は少し、さみしかった。知らずに視線がうつ向いてしまう。
 落ちている石ころが一つ、目に入った。
 アリシャには、少女が落ち込んでいるように見えて、どうかしたのだろうか、と心配していると、
「名前はラピスでいいかしら」
 突然少女が顔を上げた。
「ラピス?」
「ええ、今つけた名前だけど」
「どういう意味なの?」
「『石ころ』よ。ちょうどそこに落ちてるのが目に入ったから」
「ええっ、そんな理由でっ?」
「ダメかしら?」
 少女はなにがいけないのか、と言わんばかりの表情だった。
 アリシャは慌てた。
「石ころはないですよ、もっとよく考えないと」
「でも、決めたわ。響きは悪くないもの」
「えーっ、き、決めちゃうの、それで?」
 アリシャにとっては、宝石のような存在にも見える少女を、石ころという名で呼ぶのは、気が引けた。しかも、命の恩人に対してだ。
 だからちょっと食い下がった。
「で、では、下の名は? 私は、ハインリス、だけど……」
「それ必要なの?」
 厳密には必要ではないし、正式なものは両親から受け継ぐものであるが、あえてアリシャは首を縦に振った。
「うんうん、とっても大事」
 ちょっと嘘だった。
「そうなの?」 
 しかし、少女――もといラピスは、魔法以外のことには極端に疎く、完璧に信じ込んで、あれこれ思案しだした。
 そして何か閃いたように、顔を上げた。
 両の掌を胸の前で合わせるようにして手をたたく。ぽむと。
「そうだわ。フィロソフィでどうかしら?」
「それはどういう意味なんです?」
「さぁ」
 がくっ、っとアリシャは内心でずっこけた。
「さぁ、って」
「でも、何かで訊いた響きなのよ……ラピス=フィロソフィって」
 響きはなんかよさそうだ、とアリシャも思った。
 しかし心配だ。
「どうするんです、変な意味だったら」
「大丈夫じゃない? 確か、かっこいいとか、そういう意味じゃなかったかしら……」
 よく覚えてないけど。と続けるラピスに、アリシャは嘆息する。
「意外とテキトーな性格なのね」
 ラピスは、なによ、と小さな唇をとがらせる。それで、ちょっとすねたように言うのだ。
「仕方ないじゃない、名前なんてまともにつけたことないもの」
「名前って大事だと思うんだけどなぁ」
 首をひねるアリシャだったが、「ま、いっか」と気を取り直して手を差し出す。
「じゃあ、とりあえず、いまはそれが仮の名前と言うことで――」
 ラピスは、その手が、どういう意味だか図りかねたが、なんとなくで握り返した。
 アリシャの言葉は続いた。
「――よろしく、ラピスさん」
「え、ええ、よろしく……アリシャ……?」
 そして、その手はぶんぶんと縦に振られたのだった。


 あとでラピスが話を切り出す。
「ところで、ここはまた何かに襲われるとも限らないから、ひとまず私のお家にご招待するわ。それで構わない?」
「お家?」
「そう。私が作ったお家よ」





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